2011年3月27日0時50分
さいたまスーパーアリーナの1階にできた「みんなの学校」。休み時間にはボランティアによるクラシックのコンサートが開かれ、子どもたちが音楽にあわせて踊っていた=23日午前11時30分、さいたま市、竹谷俊之撮影
避難所の「さいたまスーパーアリーナ」3階にできた市が運営する一時保育所。ボランティアたちが母親の相談や子どもたちの世話をしていた=23日午前10時2分、さいたま市、竹谷俊之撮影
原発事故で福島県双葉町などから避難した約2500人が今月末まで身を寄せる「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市中央区)に、支援のボランティアや物資が続々と集まっている。現地入りが困難な東北の被災地と対照的に、高層ビルが並ぶさいたま市中心部のJR駅前にある「都市型避難所」。休日はボランティア志望者が1千人を超え、炊き出しや教育、娯楽など支援サービスの幅を広げている。
午前10時。1階通路に長机を並べて「みんなの学校」が始まった。生徒は福島県から避難してきた子たち。先生役は元教師や大学生ら約40人。NPO法人教育支援協会埼玉支部の呼びかけで、午前と午後に1時間半ずつ開かれる。
元中学教諭の岡田苑子(そのこ)さん(24)=さいたま市=が「整数には正と負があるんだよ」と説き、黒板代わりに壁に貼った紙を指さす。15人ほどの中学生が鉛筆を走らせる。
福島県双葉町立双葉中学2年の高橋茉佑さん(14)は地震発生以来、避難生活で勉強ができなかった。19日にアリーナに来て「学校」のことを知り、22日から参加している。「新学期の予習もでき、少し安心した。これからもここで勉強したい」
岡田さんは「何か力になれないか」とアリーナを訪れ、張り紙で「学校」のことを知り、参加した。「子どもたちは真剣に授業を聞いている。逆にこちらが励まされます」
すぐ隣で小学生約30人が、近隣の学校から譲り受けたプリントを解いていた。わからないところはボランティアが教える。
3階には、保育士や学生ボランティアが乳幼児を遊ばせる「保育所スペース」が設けられた。双葉町の石井楓子(ふうこ)ちゃん(3)は積み木遊びに夢中だった。
避難者たちはアリーナの通路で寝泊まりしている。間仕切りもなく、小さい子を持つ親は、子どもが騒ぐのではないかと気兼ねしている。楓子ちゃんの母・紫(ゆかり)さんは「ここなら子どもが大声を出しても大丈夫。ストレス発散にもなります」と喜ぶ。
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福島県から東京都に避難していた弁護士の渡辺淑彦さん(40)は、法律相談のボランティアに参加した。
いわき市の自宅は福島第一原発から30キロ以上離れ、「屋内退避」圏外だったが、断水が続き、放射能の影響も心配されたため、妻や子ども2人と親類宅に身を寄せた。今後について悩んでいたとき、弁護士のメーリングリストでボランティア活動について知った。
スーパーアリーナで避難者の相談に応じた。銀行に残った預金はどうなる。支払えなくなった住宅ローンをどうする――。被災者が直面する法律問題を知り、弁護士として貢献できることが見えてきた。「福島県内にいる被災者のため、避難所を回って相談を受けたい」と24日、家族を残していわき市に戻った。
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支援の申し出は絶えない。ボランティア希望者は早朝から列を作り、1〜2時間で定員が埋まる。休日には千人以上が詰めかけた。
埼玉県社会福祉協議会は18日にボランティアステーションを開設。当初は50人程度で活動する予定だった。19日に福島県双葉町が役場や住民ごと移ってきたことが報じられて以来、希望者が急増した。
JRさいたま新都心駅がすぐ近い。さいたま市大宮区の主婦野本悦子さん(49)は家事の合間に通う。自宅から約10分。「近所の主婦仲間もたくさん参加している」という。さいたま市浦和区の栗原由衣さん(18)も「行こうと思った時すぐ行ける」。
救援物資も続々届き、避難所開設から数日で、保管場所からあふれ始めた。おむつやトイレットペーパーは「消費しきれない」ほどだという。
ボランティアはツイッターやフェイスブックなどのサイトで必要な物資の情報を交換する。ツイッターに「下着、テープが足りません」と書き込まれると、すぐ「薬局なう。1時間でお届けします」「買っていきます!」と反応があり、ほどなく品物を買ってきたボランティアが現れる、という具合だ。
一方で、古着や生鮮食料品など、必要でない物資も次々と届き、廃棄しなければならない場合もあるという。(采沢嘉高、小林祝子、藤田絢子、山中由睦)
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