【コラム】東北高校野球部(上)

 サッカー韓国代表チームは25日、ソウル・ワールドカップ(W杯)・スタジアムでホンジュラス代表と親善試合を行う。中米に位置するホンジュラスは、南西側の国境がエルサルバドルに接している。両国は韓国と日本と同じくらい感情の溝が深く、移住労働者・国境線の問題をめぐり対立してきた。

 1969年、エルサルバドルとホンジュラスはメキシコW杯本選をかけて対戦した。1回戦でエルサルバドルが0-1で敗れると、失望した18歳の女性ファンは自ら命を断った。この女性の葬式には大統領も参列した。2回戦、3回戦と試合はますますヒートアップし、観客同士の乱闘にまで発展し死傷者は数十人に上った。状況はさらに悪化し、ホンジュラスで暮らすエルサルバドル人たちが無差別に暴力・略奪・放火などの被害に遭うなどした。このため、エルサルバドル軍は同年7月、ホンジュラスに進撃し「サッカー戦争」と呼ばれるこの事件で、約1万7000人が死傷した。

 年が明けてメキシコW杯が開幕した70年5月31日、マグニチュード7.9の大きな地震がペルーのチンボテ・ワラス・ユンガイをはじめとする地方を襲った。氷河の氷塊と土砂が村全体を丸ごとのみ込み、約8000人が生き埋めとなった所もある。この地震で死者・行方不明者は7万人に達し、ペルー国民は大きな衝撃と悲しみに暮れた。

 40年ぶりにW杯サッカー本選に進出したペルー代表は、メキシコで地震のニュースを聞いた。2日後、ペルー代表メンバーは家族の安否すら確認できない状況の中、ブルガリアと対戦し3-2で勝利した。ペルーはモロッコにも3-0で勝利。当時の西ドイツには1-3で負けたが、グループ2位(2勝1敗)でベスト8に進出した。6ゴールを決めた「ペルーのペレ」ことテオフィロ・クビジャス選手は「わたしたちはしっかりと一つに団結した」とコメントした。ペルー代表の闘志は、悲嘆に暮れるペルー国民にとって一筋の光であると同時に癒しの存在だった。ペルー代表選手たちの善戦は、世界中のサッカーファンの胸にも響いた。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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