はじめに。
この第37話は、以前に37話~40話だった部分をひとまとめにして、加筆修正をしたものです。前回と話の流れは変わっていませんが、若干の入れ替えをしたり、わかりにくい部分を直したりしています。
第37話
少女は孤独だった。
彼女は幼い頃に両親と死別して以来ずっと一人ぼっちで生きてきた筈だった。
だからこの程度の寂しさなど、当の昔に慣れっこになっていた筈だった。
けれども、今、心に到来するこの圧倒的な喪失感は一体何なのだろうか?
言い表すなら、それは確かに寂しさだった。
確かにひところで言い表すなら。それ以外の表現は見つからないだろう。
しかしながら。彼女が、失ったものはそんな言葉では言い表す事のできないものだったのかもしれない。
にもかかわらず、彼女が過ごしたこの数日は、『いつも』と変わらない日常であった。
何日かに一度訪れるヘルパーの女性も、彼女がなんら変化のない日常であったと答えた。
ただ、此処しばらくの間、アルバイトで彼女の代役を勤めていた女性が、急に都合が悪くなったことには少しばかりの愚痴をこぼしていたが。
そんな事はともかく。
結局のところ、彼女の心情に気付くには、彼女自身がその感情を吐露しなければ誰も気がつかないほど、彼女は普通に日常を送っていたし、それを表に出さない術を見につけてしまっていた。
それが彼女にとって不幸か否かは、他者が判断するべき事ではないだろう。
そんな我慢強い、あるいは他者に感情を表すのが苦手な彼女であっても、やはり一人で寝室にいると、自然と涙腺の緩む事がある。
夜空を見上げた。
寝室から見える夜空を見上げた。
ぽろりと流れた涙を、パジャマの袖で拭った。
その時、夜空に一筋の流れ星がつぅっと横切った。
だから彼女は願った。
本当は、ほんの少し前までは、こうやって夜空に、流れ星によくお願いをしたものだった。
博識な彼女は、その流れ星が、本当は、宇宙のゴミや、小さな隕石、スターダストなどと呼ばれる物の、大気圏突入時の摩擦熱による発光現象である事も知っている。
自分のしている事が単なる『おまじない』以上の意味を持たないことも理解している。
だけれども。そんなことにすがり付いてしまうほど、本当の彼女は、寂しがりやな女の子だった。誰かに、誰かにだけは見せたことがあったような気がするけれど。基本的にはそんな自分を誰かに見せたことはなかった。
だから、真夜中に、満天の星空に、彼女は願った。一人であれば、一人だったから、弱い自分を見ているのは自分だけなのだから。
だから。願った。強く強く願った。
目をぎゅっと閉じて、両手を合わせて。
今、此処に、小さな、本当に小さな奇跡が起こった。
それが彼女の願いの強さによるものなのか、あるいは別の何らかの要因が働いたのか。
それを知るものは、今のところ、一人としていなかった。
誰かに、何かに、あるいは単なる偶然か。
でも、そんな事はどうでもいい。
願いがかなった事に理論なんていらないだろうし、そこに理屈づけた話をするなんて無粋だろう?
彼女の背後から、彼女の部屋の本棚の隙間から、淡く柔らかない光が生じた事に、彼女が気がつくのはほんの少し後のことになる。
でも、間違いなく彼女の願いは、叶ったことになる。
それを叶えたのは、隕石なのか、あるいは悪戯好きのどっかの誰かなのかはわからない。
ただ、彼女の願いは此処に叶えられた。
「家族が欲しい」
本当は、もっともっと驚く出来事が、この後に待っているのだが。
彼女の願いは……小さくそして大きなその願いは、もっともっと彼女の驚く形で、やがて現実となるのだが、今の彼女はその事を知る由もない。
なつき達がアースラから解放されれ、彼女の住まうマンションに到着した時には、時間が時間であったからなのはとユーノはとはマンションの入り口で分かれる事にした。夕日が赤く街を染め上げ、これ以上遅くなってしまっては高町家の皆に心配をかけてしまう。
ちなみにユーノはなつきが一人で歩ける事を確認すると人目に付かない場所でフェレット形態に姿を変えた。そしてすっかり定位置になっているなのはの肩によじ登った。
「それじゃ僕となのははこれで帰るから」
「はいな。それでは、二人とも、気をつけて帰ってくださいね」
「うん!なつきちゃんもまたね!」
「ユーノ君も、ありがとうございました」
「ううん、今日はもうゆっくりと休むといいよ?」
「はい、たまにはユーノ君の指示に素直に従います」
「ははは、たまには、なんだ」
その言葉になつきは、くすりと苦笑を漏らし、残念ながらそれが私ですからと、肩をすくめる。まったく、なつきは仕方ないな、とユーノはなのはの肩の上で首をふる。
「それでは、なのは、ユーノ。またね、バイバイ」
「うん、なつきちゃんも、バイバイ!」
なのはとユーのが元気よく手を振った。なつきとリニスも、そんな彼女達の後ろ姿を見送り、手を振り続けた。やがて二人の姿が見えなくなる。
二人とお別れの挨拶をしたなつきは、あいも変わらず眠たげな顔をしている顔見知りの警備員の男性と挨拶をして、自分の部屋のある階層の、エレベータのボタンを押した。
そう言えば、と携帯を取り出すと、何件か幸恵からメールが入っているのを確認。その内容を確認してみると、どうも彼女は学会の用事で関東地方へと出かけているらしく、何故だか、なつきとリニスに声をかけて出かけるのを忘れていて、急に思い出したけど、大丈夫かと言う確認の内容のものだった。
なつきはそんなメールをくすくすと笑みを浮かべながらメールの本文を眺め、携帯のボタンを押しながら、その返信を行なった。
もちろん、そんな心配は不要である。実質的にも、リニスがいれば家事全般は問題はなく、なつきも大概の事は一人でこなせる。
それはともかく、幸恵さんからのメールの内容からすれば、どうやら、なのはやフェイトだけではなく、彼女にかかわりを持つ人間全てが、彼女がいなくなっている間、彼女の事を忘れているという現象が発生していたようだった。
なつきが自宅のマンションに帰宅したとき、石田家の部屋の扉には鍵がかかっていた。ああ、家に誰もいないんだっけと、ふと思い、そう言えば、と、リニスに念話を送る。
まさか、彼女もなつきの事を忘れているのだろうか?
しかし、彼女は、戸籍上はなつきの義姉と言う扱いになっているが、実際には彼女の使い魔という存在である。
わずかばかりのなつきの魔力によって存在している魔法の産物である。だから、万が一、彼女が消失している間に、彼女との魔力的なリンクが途切れてしまっていたならば、あるいはリニス自信が消滅している恐れがあったのだ。
目を閉じ、リニスとのリンクを辿ろうとする。けれども、その精神的なつながりは、彼女が創造していたもの以上に細く、弱く、それは明滅を繰り返す線香花火のようにか細い感じがした。
まさか本当にリンクが断絶されているのだろうか?
だけれども、それはなつきの懸念だけに終わったようだ。なつきの念話に慌てた様子で返信があったからだ。
『なつきなつきなんですね!本当にあなたなんですね!?』
慌てた様なリニスの様子に、彼女に何事かあったのは間違いない事は理解できた。
しかしながら、彼女はちゃんとこの世界にいてくれたのである。そう認識した途端に、体内にある魔力器官からリニスに向かって流れてゆく魔力の流れを感じた。
その喪失感と引き換えに、リニスが間違いなくこの世界に存在している事をなつきに確信させた。
ちゃんとリニスはこの世界に存在し、彼女のことを待っていてくれたのである。そんな彼女の存在を確認したなつきは、嬉しさのあまり、つんと鼻の奥が暑くなるのを感じた。嬉しい時も涙が出る、と言うのはどうやら事実のようである。
だが、そんな風に沈黙していたなつきに、何事か起こったのかと慌てた様子のリニスの念話が伝わってくる。あわせて、すでにリニスもまた、なつきとのつながりを確信しているのだが、それでも信じられない様子で、本当に彼女自身なのか確認をしてきた。
『ちょっと、なつき、どうしたのですか!?本当に間違いなくなつきなんですか!?』
『あはは、ごめん。ちょっと考え事。でも、間違いなく私だよ。君も間違いなくリニスなんだよね?』とは言うものの。
なつきも、あるいはリニスも、お互いに魔力的なリンクが再び結ばれ、魔力が流れ始めた事を感じている。
それは、なつきの魔力の大きさに比例した極々小さな流れではあったけれども。二人にとっては魔力の大小なんて、まったくもって関係はなかった。
なつきの確認の思念に、今度は、リニスからの返事が、なかなか帰ってくることはなかったけれど、確かに彼女の、リニスの歓喜の感情はなつきに流れ込んできていた。
あまりにも大きな感情は、意識的にシャットしない限りは魔力的なつながりを通して、主従お互いの思考に流れ込んできてしまう事がある。
けれども、なつきは、今のそんなリニスの感情を、シャットアウトしようとは思わない、思うはずもない。
しばらくなつきは、そんな言葉にならないリニスの言葉なき言葉を、暖かいようなくすぐったいような、この不思議な感覚を、奔流のように流れてくる暖かな波動を、目を閉じて、ただただ受け止めるのだった。
そして、リニスの気配を感じ、閉じていた目を開ければ、文字通り空を飛んで彼女の元へと駆けつけてくる彼女の大事な使い魔の姿が、家族の姿が、夕闇に染まる海鳴の空に、はっきりと視認する事ができた。
すとんと、リニスが優雅に、なつきの目の前に着地する。何度か口を開こうとし、何を言っていいのか思いつかず、百面相を繰り返すリニスの姿に、なつきはくすりと笑みを漏らした。
そして、そんな彼女に向かって、静かに帰還の言葉を口にするのだった。
「ただいま、リニス」
「おかえりなさい、なつき」
リニスの目元にはまだ涙の痕が残っていた。勿論なつきの頬にも、未だ雫の湿り気が残っている。
リニスは、なつきに近寄り、まるで触れる手で、大切なものを壊さないように恐る恐るといった感じで、彼女の頬を、涙の後をそっとなでた。
「知りませんでした。あなたって、結構泣き虫だったのですね」
その手に伝わる温もりが、リニスに、確かに目の前にある彼女にとっての至宝が、間違いなく存在する事を確認させることになった。
そしてなつきの頬にも確かに暖かなリニスの手の感触が伝わった。その手に、なつきは自分の小さな手を重ねた。なつきも、自らの手で大切なものの確認をする。
「なんだか、とても長い間、リニスにあえなかったような気がするよ」
「はい、とてもとても、永劫の闇の中を、先の見えぬ霧の中を歩いている様な感じでした」
なつきの体感時間的には1年ぐらい。けれども、実際には数日といったところだっただろうか。
二人は、彼女達の生活するマンションの屋上、固い絆で結ばれている主従は、再開を果たすのだった。
そして、リニスは笑みを浮かべる小さな主の身体を、そっと、けれども力の限り抱きしめるのだった。そんな彼女の行動に任せるままにして、リニスに抱きしめられたまま、なつきは質問を口にした。
「とりあえず、状況報告を」
「はい。と言っても、詳細な説明は出来ませんが、それでもよろしければ」
「ありゃま、何か問題でも発生していた?」
「いえ……ああ、えっと、確かに問題には違いありません。まずは、先のジュエルシードの暴走時にあなたが消滅した後の事から出よろしいでしょうか?」
ちなみに、無茶をしたことに関しては、後でお小言を言わせてもらいますと、リニスは宣言する。
「うん。私もそのあたりの話から聞きたいな。まず、あれからどれくらいの時間が経っているの?」
「感覚的には長く感じましたが、実際にはほんの数日と言った所です」
「うん、携帯の時間もリニスの言葉が正しい事を示しているね」
なつきは取り出した携帯に表示される時刻と日付を確認した。
別に、なつきはリニスの言葉を疑っている訳ではない。純然たる事実の確認行為なだけである。
ちなみになつきの携帯には自動で日時を補正する機能がついている為、彼女の記憶にある時間と、今現在のずれがリニスの言葉が正しいと証明しているのだ。何らかの、何者かの意図によって彼女達いずれかの記憶が改竄されているならば話は別だが、そんな事を画策する人間も彼女達の周囲にはいないし、そんなことをする意味もまるでない。
「そうです。そして、あなたが消失した後の記憶がいまいち曖昧なのですが、恐らくは、あなたとのリンクが断絶した後、私はただの猫に戻っていたのかもしれません」
「ありゃま。それってほんと?」
「はい、あなたとのリンクが切断され、魔力が途絶えた事は事実です。そこから先、あなたの念話が私に届くまでの記憶が非常に曖昧で、こうもやの中に包まれているような感じがしました。恐らくは本能的に魔力の消失を避けるために、使い魔としての機能の部分をスリープモードに移行させたのではないかと考えます。どうもその間、すずかさんのお宅に御厄介になっていたような気がするのですが……」
覚えていないのね、と言う言葉にリニスはこくりと顎を上下させた。
「その時、私という人間の事は覚えていた?」
「記憶が曖昧で確かな事はいえないのですが、忘れていた、と表現した方がよさそうです」
使い魔としてあるまじきことなのですが、と眉をひそめるリニスになつきは両手を振って、気にする事はないと伝えた。
「そっか。確かに、なのはやフェイトも、私の事は忘れていたっていってたしなぁ」
「なのはさんやフェイトも……そうなのですか?」
「うん、そうみたい。友達がいがない……なんて言えないよね」
「当然です。でも、その原因は……貴女、何かしましたか?」
「私ってばそんなに信用ならないかなぁ。意識的には何もしていないつもりだけど。二人の記憶がない……その理由は……まぁ、想像つかない事もないけど、とりあえずそれは保留!私も色々考えてはいるけど、とりあえずあっている自信ないしね!」
「何を威張っているんですか。とりあえず、貴女が消滅したことに何らかの原因があると考えた方がいいでしょう。貴女があの瞬間、何をしたのか……ですが。教えてください。あの時、あのジュエルシードが暴走し、おそらく次元震と呼ばれるものが発生し、それが収束した時にあなたに一体何が起こったのかを」
「何をしたか、のではなくて、何が起こったのか?」
「はい」
「うん……そうだねぇ」
なつきはリニスから離れ、屋上の転落防止用に張られているフェンスにもたれかかった。ギシリと僅かにきしんだ音がする。ほんのわずかに彼女は浮かない表情を浮かべる。
「話したくないのであれば、べつに無理には聞きませんが」
「それでいいの?」
「それでも話していただければありがたいですけど」
「本当のことは話さないかもしれないよ?」
「私はあなたの使い魔であり、義姉でも在るのです。だから、あなたが無茶な事をしたという事を叱る義務があり、そしてあなたのした事を褒める義務もあるのです。それよりもなによりもあなたの言う事を信じる義務が私には存在するのです」
そう言ってくれるリニスはやっぱりリニスだった。
「その上で貴女が話せない、と言うのであれば、無理に聞くことはしません」
なぜならば、今、彼女が此処にいてくれるだけで、リニスにとっては嬉しいのだから。そして、それがありがたい。
だから、なつきは決心する。
「いや、やっぱり聞いてもらうよ。話さないのはリニスに対して不誠実だしね」
そしてなつきは話し始めた。あの世界で起こった出来事を。
あくまでも、現実には起こりえなかった彼女の体験談を。
そして、彼女自身の正体を。
リニスは、目を大きく見開いていた。
それは彼女にとっても衝撃の事実であった。実のところ、リニスもまた、かつて、なつきのしたいた勘違いと同じ様に、なつきと言う人間の事を、プレシア・テスタロッサの実子であるアリシアの複製体であると考えていた。だがしかし、その正体が実は、実は、まごうことなきアリシア・テスタロッサ本人であったとは。
「それは……先にあなたの言葉を信じると言った舌の根も乾かないうちにこんな事を尋ねるのはなんですが、それでもあえて聞かせてください。貴女の言う事は真実なのですか?」
「そう思う。今のところ、それを証明する術は、私の体験したことが真実であると言うことが大前提はあるのだけれどね」
「……ならば何故貴女は、プレシアは貴女を破棄しようとしたのでしょう。あなたがアリシア自身であるとするならば、プレシアがそんな暴挙に出る筈がない」
「あるいは、あの時。もうプレシアにはそれだけの分別をつけることができなくなっていたか、かな。私には、彼女の記憶にあるアリシアとの相違点がどこかしらにあったのだと思う」
「……では、あなた自身は自分の事を、アリシアと認識していないのですか?」
「それはどうかな。私はすでに、自身を『アリシア』と認識しなくて久しい訳だし。でも、そうだね、そうであっても私は『アリシア』なのだろう。それを否定する事は私自身を否定する事だし、なによりも私の信念に反するもんね」
その言葉に、リニスは自然と笑みがこぼれた。その物言いは間違いなく、彼女の主であった。ならば、別に『彼女』の名前がなんであっても、その出自がどうであっても。彼女にとっては些細なことなのである。
「ふふふっ」
「あれ、何かおかしなことを言った?」
「いえいえ、貴女の正体を知ってびっくりはしましたけど、でも安堵しました。やはり、貴女は貴女、私のマスターです。そしてやはり私にとって貴女が主以外の何者でもありません」
「……そっか……」
「はい」
そして、二人は互いくすくすと、笑みを浮かべるのであった。
「それはともかく、貴女が『アリシア』であったとして、今後の方針はどうするのですか?」
「どうって、どうもしないよ?」
「どうもしない!?」
「別に、今からプレシアに私の事を認知してくれって言いに行くつもりもないし。私は私の大方針を変えるつもりはないよ」
「……方針って……フェイトとなのはさんの幸せの為に、ですか?」
「そう、それは『私』の当初からの目的だしね。今更、私が何者であっても、それを変えるつもりはないかな。それに……やらなきゃいけないことも増えたしね。くふ、くふふ、くふふふふふふ~」
それが、例え、ジュエルシードによって誘導されたものであったとしても、今のなつきにそれを変えるつもりはない。それをやめてしまえば、彼女が今までしてきた事や、なによりもなのはやフェイトの努力を無駄にしてしまう事にもなる。それに、やる事が増えているのは確かである。
にこりと笑みを浮かべたなつきに、リニスは、はふぅ、と息を吐いた。
うん、なつきのそれはとてもとても邪悪な笑みだった。しかし、これも間違いなく自分の主の表情だった。
「はぁ……また悪巧みですか?」
「わわ、なにそれ!そのため息は!」
慌てた様子のなつきに、しかたがありません、と首を左右に振るリニス。
「別にいいです、腹黒なマスターを持った使い魔の苦労と言うものは、きっと使い魔にしかわからないでしょうから……」
「ちょっと、人聞きの悪い台詞を言ってるよね!?」
「いえいえ、そんな事はありませんよ。ああ、それはともかく、これからは貴女の事をどう呼べばいいのですか?」
「うわ、べたな話題転換だ」
「だまらっしゃい!で、どっちで呼べばいいのですか?『なつき』ですか?それとも『アリシア』ですか?」
「お任せするよ。どちらも私をさす名前であることには違いないのだから。好きな方で呼べばいい。ああ、けれど、今は『アリシア』はまずいのか」
「そうですね、でしたら、今までどおり『なつき』と呼ぶ事にします」
「うん、お願いね」
その時である。突如、なつきが持っている携帯から軽快なメロディが流れてきた。
「あれ、マスター。携帯がなってますよ?」
「んもう!後できちんと説明してもらうからね……ありゃま、アリサからじゃないですか」
なつきが手に持つ携帯のディスプレイを見ると着信者の名前が浮かび上がっていた。
アリサ・バニングス。なつきは背後に紅蓮の炎を背負って立つ金髪の少女の姿を思い浮かべた。こう心臓によくないような効果音を背後に背負いながら、アリサが仁王立ちをしている姿を幻視した。
たらりと、額に汗を流しながら、どうしましょうかね、と、携帯を指差した。瞬時にリニスは主の心境を理解した。だから、知りません、と、首を振った。
「うわ!酷いよ!」
「ほらほら、おかしなことを言っていないで、さっさと電話に出てください。アリサさんを待たせては申し訳ないでしょう?」
結局のところ。
アリサは、なつきの右手をぎゅっと握り締めながら、彼女隣ですやすやと寝息を立てている。
そしてなつきの左隣には、すずかが穏やかな寝顔で横になっていた。勿論、その左手を握ったまま。
ふたりがぎゅっと手を握り締めたまま離そうとしないので、なつきは身動きが取れない。
せっかく寝付いたのに起こしてしまっては可哀想だし。しかし、何故こんな事になっているんだろうか、と、何度も自問自答するなつきがいた。
その時、アリサからかかってきた携帯電話に出たなつきの耳に届いたのは、恐る恐ると言った様子のアリサの声だった。
「あ、あの……なつき……よね?」
声の主は確かにアリサである。
しかし、その声には彼女特有の元気のよさというか、いつもの勢い言うものがまるでなく、躊躇いがちに、おどおどとした、何かを確認するかよう、伺うような声色であった。でも、それは間違いなく彼女の声であった。なつきがその声を忘れる筈もない。だから、彼女は肯定の返事を返す。
「はい、あなたのなつきちゃんですよ?」
「ほんとに、ほんとに、なつきよね?」
もう一度、確認の声。別に信じられない訳じゃないけど、確かめないとまた消えちゃうんじゃないかと思ったと、後にアリサはなつきに語った。
「はい、間違いありません。ほんとのほんとうに、私です。石田なつきですよ」
「……」
戸惑うような、そして、安堵するような吐息が、一瞬、なつきの耳に聞こえた。
「……の」
「はい?よく聞こえないんですけど」
「こんの……」
「はい?」
すぅっと、息を吸う音が聞こえたような気がする。
「こんの、馬鹿なつきーーーーーーーーーーーー!一体全体どこに行ってたのよーーーーーーーーーーーーーーー!」
大絶叫だった。なつきは思わずぽろりと携帯を取り落とした。その隣にいたリニスが、思わず耳を塞いだ位の大音声だった。
耳がキンキンする。というか、携帯なのに、隣のリニスまで目を回しているってどんな大声?
通話音量は普通に設定してある筈なのに。
屋上のコンクリートの床面に落としてしまった携帯からは、怒声だか嗚咽だかよくわからないものが、未だに聞こえてくる。一瞬壊れてしまったのかとも思ったが、どうもそうではないらしい、と言うか、アリサの様子がおかしい?
なつきは、恐る恐る、そう、刑事ドラマなどで、駆け出しの刑事が何故か発見してしまった爆発物を手で触るかのような手つきで、あるいは親指と人差し指で危険物でも摘み上げるようにして自分の携帯電話を取り上げた。携帯のスピーカーに耳を当てると、まだえぐえぐとしゃくりあげるような声が聞こえてきていた。
「あ、あの……アリサ?」
「ふ、ふぁ、ふにゃ、ぐす、ぐっす……うあ、あぅ……な、なに…う、うぅ、よ!!」
「うん、ごめん、何を言ってるかわかんない事はわかりました」
「ふ、ふ…ふざけ……ぐす、ぐずっ……ないでよ!」
「えと、はい」
「あぅ……ちょ、ちょっと……うぐぅ……まち……ぐずっ……なさい」
いまいち要領を得ないと思っていたら、声の主が変わった。すずかがアリサに替わったらしい。
「もしもし、なつきちゃん?」
「その声は、すずかちゃん?」
「うん、よかった。やっぱりなつきちゃんなんだね?」
「はい、あなたのなつきちゃんですよ」
「あはは、その声はやっぱりなつきちゃんだ。よかった、無事だったんだね」
「えと、何がどうよかったなのか、話しの意味はよくわからんが、とにかく凄い無事ですよ?」
「うん、その話し方は間違いなく、本当になつきちゃんだ」
それに、ちょっとネタが古いよね、と、電話の向こうですずかがにっこり笑み浮かべている姿が想像できた。
でも、声に少しばかり湿り気があるから、泣き笑いであるのかもしれない。
「うん、なんか、凄く心配をかけちゃったみたいですね」
「あはは、そうだね。アリサちゃんなんて、もう涙と鼻水でぼろぼろだもん。私も凄く心配……と、言うのとはちょっと違うかな」
鼻水と言うあたりで、すずかの背後から盛大な抗議の声が聞こえた。でも、容易に想像がつくし、まさしくそんなアリサの前にいるすずかと一緒に、なつきはくすくすと笑い声を立てた。
「あはは、すずかちゃんは私のことが心配じゃなかったんですか?」
「そんな事はないよ?でも、なつきちゃんなら、きっと大丈夫かなと思ってた。けど、今回は、ちょっと……私達も変だったから」
「変?」
「うん、理由はよくわからないけど、ここ数日、なつきちゃんの事をすっかり忘れていたみたいなの」
「そう、ですか……」
やっぱり、すずかも、そしてアリサもなつきの事を忘れていたのだろう。だとしたら、彼女に関わっていた人は全て、あるいは『この世界の記憶』から、『石田なつき』という存在が忘れられていたと言う可能性が高い。
本来は、この世界には居なかった筈の『なつき』と言う存在が強引に紛れ込んでしまったが故に、彼女が消えれば、そんな割り込みの存在である、なつきと言う存在が無かった事になるのではないか、というのが彼女の憶測に基づいた結論だ。
そんな理由はともかく。あるいは本当のところはどうなのかと言うことは関係なく。事実として、なつきの友人達や関係者から、『なつき』という存在の記憶が消滅していたのは確かな事。
正直なところ、なつきにとっては。なのはやフェイト、それにリニスたちの言動からその事は容易に想像できていたから、アリサやすずかにそうであると言われても、ショックはそれほど大きなものではなかった。
単に覚悟が出来ていたから、というだけの事だったからだが。
「けど、急になつきちゃんのことを思い出して、何度か携帯に電話したんだけど、出てくれなくて……何かあったんじゃないかって」
「そうですか、それは申し訳ない事をしました」
「やっぱり、そこで謝っちゃうんだ」
実際に、彼女の身には、本当に『何か』あったのだ。もちろん、それは電話に出れなかった事も含めての謝罪。そんな事はすずかも承知している。電話に出れなかったのは、タイミング的に、なつきとなのはがアースラにいた頃の事だろう。近頃の携帯がいくら高性能でも、次元空間にまでは電波が届かない。届く筈もない。届いていたら、とっくの昔に地球は管理世界の仲間入りを果たしている。
「はい、おそらくその原因は、あるいはその一因は、私にあると思いますので」
「そうなんだ?」
「ええ、私も全てを理解している訳ではありませんので、憶測に基づいたものになるかもしれませんが」
「それって、私たちには話せない事、だよね?」
「たぶん、今はまだその時期ではないかと」
「そっか」
小さなすずかのため息が聞こえる。でも、そんな事はすずかもわかっている。だからそのため息は落胆と言うよりは、いたずらっ子の事を、しかたないなぁと首を振っている感じだった。感じというか、そのものだったのだが。
「いいのですか?」
そのため息は、話せないといった事にたいするとりあえずの留保であると、なつきは捉える。
すずかの声に、彼女を責めるような気配はない。本当はいろいろと聞きたいことがあるのだろうけど、すずかはそれを我慢してくれている。
「うん、でも、いつかは全て話してくれるよね?」
でも、あくまでも我慢である。我慢はするけど、忘れてあげる訳じゃないよ。それがすずかの優しさだし、ある意味、強かさである。
「はい」
「約束だよ?」
「ええ、約束します。大丈夫、それ程遠い未来ではないと思います。私の気持ちの整理がついたら、お話できると思います」
「うん、待ってるね」
「はい、お手数をおかけいたします」
「ふふふ、なつきちゃんからの『お願い』は滅多にないもん。これぐらいは大丈夫だよ。あ、うん、アリサちゃんが替われっていってるんで交代するね?」
「ええーー?」
『なによ!嫌なの!?』
すずかの背後で、アリサの声がした。どうやら、だいぶ落ち着いたらしい。
「くすくすくす、冗談ですよ。では、すずか、アリサに交代願います」
「うん」『はい、アリサちゃん』
「えっと……なつきよね?」
そこ聞こえてきたのは、ちょっとだけ、ためらいがちな声。
「はい、そうですよ……もう大丈夫ですか?」
「うん、もう大丈夫だわ。えっと、ほんとのほんとうになつき、でいいのよね?」
「はい、確かに、なつきです。すいません、だいぶ迷惑を、と言うか、ご心配をおかけしたみたいで」
「そんな事ないわよ、というか、迷惑だなんて誰も言ってないじゃない!」
「それもそうですね、ふふふ」
「あによ!」
「やっぱり、アリサは優しいです」
「くぅーーーーーー!」
真っ赤になっているアリサの姿が思い浮かんだ。なつきの唇にくすくすと笑みがこぼれた。声が漏れないように留意した筈だが、アリサはその気配を敏感に察知した。そんななつきに講義の声を上げる。
「だから、なに笑っているのよ!」
「これは失敬」
「と、に、か、く!あんた、今どこにいるのよ!」
「えっと、自宅マンションの屋上にいるんですけど」
「わかったわ!今からそっちにいくから!首を洗って待っていなさい!逃げたりなんかしたら承知しないんだから!」
携帯の向こうで『ちょ、ちょっと、アリサちゃん!』とたしなめる様に言うすずかの声がする。それに首を洗って待っていろとは、なんと物騒なお言葉か。
「あによ!」
『こんな時間にお邪魔しちゃったら、流石にご迷惑だよ?』
現在は、時刻にしておおよそ18時半。確かに子供がお出かけするには少し遅い時間だ。
「そっか、でも、うううーーー!」
アリサにしてみれば、少しでも早くなつきの無事を確認して、自らの目でなつきの実物を確認して安心したいのだろう。
こうして携帯でのやり取りだけでは伝わらないものもある。
「だったら、こうしましょう。お二人のご両親の許可が下りたのであれば、私の家にいらしてくださいな」
「え、いいの?」
「いいもなにも、言い出したのはアリサでしょうに。それに、うちは今日は、幸恵さんが出張でお出かけして、家には私とリニスしかいませんので、問題はありません」
いいよね、と視線でリニスに確認。彼女はこくりと頷いた。
「うん、わかった!」
「すずかちゃんにも伝えておいてくださいね」
「もちろん!」
元気なアリサの声で、彼女達の電話でのお話は終了した。
「さて、お出迎えの準備をしなくちゃね」
二人を出迎えるのであれば、石田家も色々と準備をしなければならない。
「了解ですって、そう言えば、晩御飯はどうするのでしょう」
「あ、いっけなーい!確認してないや。もう一度聞いてみないと」
時間的には、早い家ではとっくに夕飯を済ませている頃だろう。しかし、なつきもリニスも夕飯はまだである。なつきもちょっぴりではあるがお腹がすいている。アリサたちの食事がまだならば、彼女達の分も準備をしたほうがよさそうである。
なつきが携帯のメモリからアリサの番号を呼び出そうとするとリニスが問いかけてきた。
「それから、今からだと、帰宅もずいぶんと遅くなってしまうと思いますけど」
「あ、そっか。だったら、お泊りの準備もするように言っておかなきゃかな?」
「そうですね、あちらのご家族がご迷惑でなければ、そのほうがいいかと思います。明日は丁度学校もお休みですし。夜更かしも大目に見るとします。それじゃぁ、私は一端部屋に戻って、晩御飯とお泊りの準備をしてきます」
「うん、お願いね」
「かしこまりまして」
ぺこりと頭を下げるリニスはすでにいつもの彼女の姿であり、なつきの使い魔たるリニスのあるべき姿であった。
結局のところ、晩御飯も食べずに慌てて駆けつけた二人を我が家に出迎え、リニスも含めた4人で夕食をとる事となった。
何か忘れているような気がする。とても大事なものを忘れている。とっても後でやばい目にあいそうな気がするけど、なんだったっけ?
まぁ、いいや。
結局、マンションの部屋の扉を開けて出迎えた瞬間に、なつきが無事に目の前に姿を現した事に安堵したアリサとすずかは、はぼろぼろと涙を流してはいたが、共に夕食の準備をし、夕食を食べ、なつきの部屋でおしゃべりを始めた頃にはもうすっかり、いつもの彼女達であった。ほんのりの涙の後は残ったままだったが。
ただ、今回の事件、なつきに対する記憶が消えてしまった事に対するその原因と、なつきの事情は追求してくる事はなかった。
それは、とりあえずなつきが、彼女達の目の前にいることに満足した為か、それとも、あえて聞かないでくれる彼女達の優しさか。そこ選択肢があるのならば、彼女は迷う事なく両方丸印をつけるだろう。
夕食の後、なつきの部屋で他愛のないおしゃべりをして、アリサが持ち込んできたよくあるパーティゲームに3人で興じて、アリサが目をこすり始める頃にはリニスがお風呂の準備が整ったと声をかけてきた。
3人が一緒に入ってもまるで余裕なお風呂に一緒に入って、お互いの背中を流し合い、パジャマに着替える頃には、なつきの部屋に布団が敷き詰められている。
普段なつきは幸恵とリニスと一緒に寝室のベッドで寝ているのだが、こうしてアリサ達がお泊まりに来たときには、彼女の部屋に布団を引いて皆で寝るのだ。
「それじゃぁ、電気を消しますね」
「うん、おやすみー」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
3人の声を確認したリニスが、なつきの部屋の電気のスイッチをオフにして、もう一度おやすみなさいと繰り返し、なつきの部屋から立ち去った。
そして、ふと気がつけば、いつの間にか、アリサとすずかがなつきの布団の中に潜り込んできていて、彼女の両腕はがっちりと二人に確保されていた。
「はぁ」
なつきは、二人に聞こえないような小さなため息をついたつもりだった。
「眠れない?」
彼女の左隣から、ささやくような声が聞こえた。なつきが左の方に首を傾けると、すずかがじっとなつきを見つめていた。
暗闇の中だったけど、すずかのちょっと心配そうな顔が、なつきの目にうつった。夜の暗闇にだいぶ目が慣れてきている。
「ごめん、起こしちゃいました?」
「そんな事はないよ。私も、ちょっと眠れなかっただけ」
「そう?だったら、そうだね……」
「突然、押しかけてきちゃって、ご迷惑ではなかったですか?」
すまなそうな表情を浮かべるすずか。でもそれは違う。こうして二人が尋ねてきてくれて、実はとても嬉しかったのだ。だからなつきはふるふると首を振って見せた。
「そんな事はないよ、迷惑だと思っていたのなら、最初からうちには呼んでいません」
「でも……」と、悲しげにすずかの瞳がゆれた。
「それにね、迷惑をかけたと言うのなら、逆に私のほうでしょう。貴女に、いえ、貴女達の心に危うく大きな傷跡を残すところでした。その事はなんど頭を下げても謝罪できるものではありません」
「……それは違うとも思うな。私もアリサちゃんも、なつきちゃんがいなかったのは数日だったけど、ずっとずっと、胸の奥が痛くてしょうがなかったんだよ。なつきちゃんの事が思い出せなくて。なんだか不安で。でもその原因がなんだかわからなくて。確かにこれってなつきちゃんがいなくなったのが原因だと思う」
すずかの手がなつきの頬をそっとなでた。布団の中にあったためか、十分に暖かい柔らかな手であった。
「でもね、その痛みって、大きければ大きいほど、なつきちゃんの存在が私達の中でおおきかったからだと思うの。それって、なつきちゃんのくれたものがとても大きかったからだと思うの。だから、なつきちゃんのことを思い出したとき、私もアリサちゃんも居ても立ってもいられずに、慌ててなつきちゃんの元に駆けつけたんだと思う。その後は……あはは、何を言っていいのかよくわかんなくて、いつもどおりの私達になっちゃったけどね。だから、なつきちゃんの事、迷惑だったなんて思ってないよ?逆に、帰ってきてくれて……という言い方はおかしいかもしれないけど、でも、帰ってきてくれて、ありがとう、だよ」
そして、それって、アリサちゃんも同じだったと思うよ、と、にこりと笑みを浮かべるすずか。
「そう……ですか。でも、私ってとんでもなくめんどくさい女の子ですよ?いいんですか?こんな女が帰ってきても、帰ってきちゃいましたけど」
「怒るよ?」
迷惑な筈がない。アリサやすずかにとって彼女が迷惑な筈がない。だって、なつきの考え方やその行動が、何度、何度彼女達の助けになった事だろうか。確かに冗談好きで悪戯好きなところ等、ちょっと困った所もあるけれど、それはそれで、彼女の魅力だとすずかは感じているのだから。だから、そんな弱気な事を彼女が言うのはちょっぴり許せない。
だから、ぷくっと頬を膨らませる彼女に、なつきは素直に謝罪する。そして感謝をする。
「あはは、すいません。そうですね、だったら、私もお二人に感謝を」
「なんでかな?」
なんとなく、なつきの言いたい事はわかるすずかである。でも、あえて彼女の口からその回答を聞きたいと思い、問い返してみる。
「私のことを思い出してくれた事に」
予想通りの答えだった。だけれども、彼女が自分達に感謝している以上に、すずかは彼女に感謝をしている。
「うん。でもね、それこそ、こっちの台詞だよ。なつきちゃんには感謝している。あの時の事も含めて、ね。それに、私ってこんな性格だから、いままでだったら胸が痛い時や悲しい時、つらい時。そんな心の痛みで押し潰されちゃっていたと思う。でも、でもね、立ち止まっちゃいけないって、前に歩いていかなきゃいけないって、何故かそう思ったの。誰かがそう言ってくれていたって覚えていたの。それって、いつもなつきちゃんが言ってくれてた言葉だよね」
「そうだっけ」
「口ではっきりとは言ってくれなかったけど、ね。ひどいよね」
でも、言いたい事はいつもわかっていたんだよ、わたしもアリサちゃんもちゃんとわかっていたんだよ。
「あはははは、すいません」
「でも、なつきちゃんの言葉、は確かに私達の心の中に残っていた。なつきちゃんの事を忘れていた時も。だから、うん。私もなつきちゃんには感謝、かな?」
「そうですね」
くすくす、くすくす。
二人は互いの顔を見合わせて、くすくすと笑みを浮かべていた。
「それにしても、目が冴えちゃいましたね」
「うん、そうだね」
だったら、丁度いいか。
「だったら、寝物語でもしようか?」
「ねものがたり?」
「そう、なかなか寝ない子には、昔話をするのが定番と言うものでしょ?」
「ふふ、私、そんな小さな子じゃないよ?」
「うん、そうだね。それに……」
きゅっと、なつきは、自分の右手に力がこめられるのを感じた。
「どうやら、寝たふりをしている困った子もいるみたいだし……わきゃぅ!?」
アリサが狸寝入りをしていた事がばれた照れ隠しなのか、がばっと起き上がり、ぽふんと、なつきの枕を私の顔に押し付けてきた。
「もう!気がついていたなら言いなさいよね!」
ぷんぷんと頬を膨らませているアリサの顔が、薄いカーテンから差し込んできた付の光に照らし出された。ほんのりと頬が赤いところを見ると、どうやらすずかとの会話はばっちりしっかり聞かれていたようである。
「いえいえ、珍しくアリサが大人しくしているものだから、何か悪いものでも食べたのかと思いまして」
「今日の夕食は、皆で同じものを食べたでしょう!」
「ああ、そうでしたか」
「ほんとに、もう!でも…………なんだか……ら」
「はい?」
「あ、う……」
「なんですか?よく聞こえないんですが」
「ああ、もう!あたしもあんたに感謝しているんだからね!自分の事を迷惑だとか何とか思うのはやめなさい!」
「え、あ……ぷっ……ふふふふ」
「くすくすくす」
「ああ!なに笑ってんのよ!すずかまで!」
「ほらほら、暴れないでください。丁度いいです。アリサもちょっと聞いてください」
なつきは、起き上がって布団の上にチョコンと座った。アリサとすずかもなつきに向かい合わせに座り込んだ。
「それじゃぁ、ちょっと長めですけど、物語といきましょうか。今宵、今月の物語は、別に昔々で始まるほど昔の話でもなく、誰も知らないとある場所で、なんて言うほどかっこいい始まりでもありません。でも、これは、とある二人の少女と、そんな少女に関わることになったとある少女のお話なのです……」
そして彼女はその『物語』を話し始めた。
まずは、全てのはじまり、とある魔女とその娘の話。勿論プレシアとアリシアの話である。なつきは、その物語で、彼女達の名前を出す訳にもいかないから、とある魔女、その娘で話を進めていく。
このあたりはなつきの夢の記憶による憶測がほとんどだが、彼女はアリシアの記憶でそれらを補足していく。彼女が自分をアリシアであると認識したその瞬間から、彼女には数年間の『アリシア』の記憶が確かに蘇って来ていたのである。
彼女は、これは物語の始まる前の話しであると注釈をした後、プレシアとアリシアの話を始めた。
プレシアという魔女とアリシアの悲劇の話。そもそも、この物語の、悲劇の根幹となる、悲しみの物語。やはり、物語はここから始まるべきである。
次に、ジュエル・シード事件の話。
なのはを白い魔導士の少女、フェイトを黒い魔導士の少女と置き換える。ユーノは異世界の魔導士の少年。管理局はそのまま管理局とした。あくまで物語の中の出来事とするため、ちょっとぐらい話すことはお目溢しを願いたいものだ。
白い魔法使いの少女が、異世界の少年と出会い、少年が事故で、この世界にばら撒いてしまったロストロギアと呼ばれる災厄の宝石を集め始める。
そして少女は黒い魔導士の少女と出会い、最初は敵として、宝石を集める為の敵として、何度もぶつかり合う。
白い魔導士の少女は、黒い魔導士の少女と対話を求めて。黒い魔導士の少女は母親の為に。
やがて、その事件は、次元震と呼ばれる災害を小規模ながらに引き起こし、それが原因で管理局の介入を生むこととなる。
管理局の手助けをしながら、宝石を集める白い魔導士の少女と、母親に疎まれ続けながらも、それでも母の為に宝石を回収しようとする少女。
その二人がぶつかり合い、黒い魔導士の少女はやがて、白い魔導士の少女との戦いに敗れ、管理局に囚われてしまう。しかし、管理局がついに、黒い魔導士の少女の背後にいた魔女の居城を突き止める。
そしてその居城に突入した管理局の隊員。その時、魔女の口から告げられた衝撃の事実。それは黒い魔導士の少女が、魔女の娘のクローンであったと言う事実。その事実に黒い魔導士の少女は絶望のあまり倒れてしまう。
そんな衝撃的な出来事の最中、ついに魔女は災厄の宝石を起動させてしまう。
魔女の逮捕と災厄の宝石を止めるために、魔女の拠点へと突入する管理局員と白い魔導士の少女。
居城の動力炉を止めようとする白い魔導士の少女も、魔力がつきかけてしまうが、そこに思わぬ助っ人が現れる。あの黒い魔導士の少女だ。
その少女は、何度も白い魔導士の少女とぶつかり合ううちに、真実に立ち向かう為の強さを見につけていたのだ。そして母親でもある魔女に自分の思いを伝える為に、魔女の居城へと現れたのだ。
そして、黒い魔導士の少女との対話。少女の説得はうまくいく事はなく、あの魔女は自分の娘の遺体と共に、虚数の海と呼ばれる狭間の中へと消えていった。
そこまで話し、なつきはちらりとアリサとすずかを見た。二人とも、目に涙を浮かべていた、とても優しい二人だったから。
あまりにも悲しそうな表情を浮かべるものだから、なつきは心配になって此処でやめるかどうか二人に尋ねた。
だが、二人は首を振る。物語としては一端此処で完結するはずである。だがしかし、彼女にとって、なつきにとっては、本来は此処からが物語の始まりなのである。
だから、なつきは言葉を続けた。
虚数の海の中に落ちていく魔女。
その魔女の周囲には、災厄の宝石が漂っていた。そしてその宝石の正体は。人々の願い、願望を実現する為に力を発揮する、次元干渉型のロストロギア。
その宝石が輝き始める。なぜなら、魔女が願った望みを叶える為に。魔女が、死に逝く魔女が、虚数の海に消える瞬間に願ったその願望を実現する為に。
そして、魔女と遥か昔に命を落としたはずの娘の身体は青い光につつまれて……やがては消えた。
再び、物語りは振り出しに戻る。
そして三人目の少女が登場する。話をややこしくしない為に、彼女が登場した理由をあらかじめアリサとすずかに伝える。
彼女の存在は、魔女の願いである、黒い少女の幸せのため。三人目の少女は勿論、なつきのことである。魔女の娘であり、ジュエルシードによってこの世界に放り込まれた存在。
そして少女を加えて、もう一度物語りが始まる。此処から先は、なつきが体験した事を、なるべくアリサとすずかにわからないようには省略しながら、今現時点までの出来事を語った。
「これで、今月、今宵の物語はおしまいです。どうだったでしょうか?」
なつきが語り終えた時、アリサとすずかは涙を流していた。完全に涙がこぼれ、あふれ出していた。
「な、なんなのよ、一体なんなのよ!」
アリサはそんな風に涙を流しながら、そして怒っていた。
「あれま、アリサが怒ってますよ。私の話し方がまずかったですかね?」
「私も、怒ってるんだよ、なつきちゃん」
やんわりとではあるが、はっきりというすずか。やはり彼女もアリサと同じ様に、悲しげな顔をしながら、はっきりと怒っているという。
その理由は、何故だかなつきにはわからない。本当に、他人のこととなると鋭敏で気の回る彼女だったが、自分の事になると途端に鈍感になるのらしい。
だから、彼女は二人が、何に請っているのか理解できないで、戸惑ったような表情を浮かべた。
「えっと、そんなに話し方が下手でしたかね?」
「違うわよ!」
「えっと?」
「あのね、うん。なつきちゃんに怒る事じゃないのはわかってるけど」
「はぁ……できれば何に腹を立てているのか、御教示願いたいのですが」
「あたしが腹立たしいのは、その三人目の女の子の事よ!」
「はい?」
やっぱりなつきのことであった。でも、どうやら腹を立てているその理由は、なつきの考えている事とは別のところにあるらしい。
「何が、誰かの幸せのためよ!その白い魔導士の女の子と黒い魔導士の女の子の幸せの為って?何よ、その自分勝手!」
「うん、そうだよね」
ああ、となつきはようやく理解した。なるほど、彼女達は、なつきが自分の事を顧みずに、なのはとフェイトの幸せの為に走り回っていると考えたらしい。
そんな彼女の行動が、彼女達の優しい正義感に火をつけたのだと、ようやく理解できた。
だから、ぽかんと口を開け、すぐにくすりと笑みを漏らした。
「ちょっと、なつき!」
「は、はい!?」
「なに笑ってるのよ!」
「いえいえ、私って、やっぱり、相当鈍いんだなと、ようやく思い至りまして」
「はぁ?なに言ってるのよ!まぁ、いいわ!あんた、どうせ、この三人組とかかわりがあるんでしょう!いいえ、そうに決まってるわ!」
と、言うか、本人なんですけどね。
「いい事!その三人目の女の子!絶対に私の前につれてきなさい!首に縄をつけても引きずってきなさい、いいわね!」
うんうんとすずかも頷いている。
「あの、参考までに教えて欲しいのですが、その子をどうするおつもりで?」
「当然決まっているわよ!私達で幸せにしてあげるのよ!たった一人で、他の誰かのことを幸せにするなんて馬鹿みたいじゃない!こういうのは皆でやるものなのよ!」
「え、えと?」
「何よ、文句あるの!?」
「いえ、いえ……」
なつきは、胸の奥がじんわりと熱くなっていくのを感じた。
「いいわね!その子を絶対に連れてきなさいよ!あたしとすずかとなつきとなのはとで、その子を目一杯幸せにしてあげるんだから!私達も友達が増えるし、一石二鳥と言うもんだわ!」
「うん、約束だよ、なつきちゃん」
ああ、ああ、なんと言う優しい子達なのだろう。たまには自分も直感的な行動をとっても、誰も文句は言いうまい、そう考えたなつきは、アリサとすずかにに抱きつき、その手を彼女達の首に回した。
何故だか、なつきの目からも涙がぽろぽろと零れ落ちた。それは、間違いなく歓喜の涙であっただろう。
「ちょ、ちょっと、なつき!?」
「なつきちゃん?」
驚いたような二人だったが、二人とも、私が泣き止むまでぎゅっと私を抱きしめてくれていたのだった。
しばらくして、なつきは落ち着きをとりもどした。
そして、嬉しげに、アリサやすずかの言ってくれた言葉を思い出し、心の中で反芻する。
ふと、心のどこかに引っかかる事が思い浮かんだ。だから、その事をアリサとすずかに確認を取ってみる。
「ところで、誰と誰が、彼女達を幸せにするんでしたっけ?」
「へ?あたしと、すずかと……」
「なつきちゃんとなのはちゃん?」
「あれ?」
「あれ?」
「あれ?」
なにか、致命的な見落としをしているような気がする。
「もう一度確認します。誰と誰でしたか?」
アリサが、まずはじめに自分を指差した。
「あたしと」
つづいてすずかが自分を指差した。
「わたしと……」
そして、アリサとすずかがなつきを指差した。
「あんたと……」
そして、なつきの指が中空を彷徨った。あれ、もう一人、うん、もう一人本当は此処にいなければならない。
「あれ?」
「あれ?」
「あれ?」
「……」
「……」
「……」
「なんか、此処にいる人数が足らなくない?」
「一人、足らないかな?」
「……ああ、なるほど、なーんか、忘れているような気がしていましたが、なのは、でしたか……」
なつきが両手を胸の前で、ぽふんと打ち合わせた。たらりと三人の額に汗が浮かび、そして流れた。
「……」
「……」
「……」
「「「ああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」」」
「いい加減に寝なさーーーい!」
リニスが怒りの声と共になつきの部屋にやってきて、三人でしかられたのは言うまでもない。
なつきは、朝になって目が覚めて、ふわぅと欠伸をし大きく伸びをした。彼女の両脇を見回せば、アリサとすずかが、すやすやと安らかな寝息を立てていた。
その姿はあまりにも愛らしく、なつきは微笑を浮かべ、そして頬をつついて悪戯でもしようかと思ったがやめておく事にした。流石にこんな可愛らしい寝顔で寝ている子達を起こしてしまうのは忍びない。ああ、なのはだったら、あの愛らしい鳴き声を聞く為に躊躇う事は無いのだが。でも、アリサにすると御仕置きが怖いし、すずかは実はもっと怖い。ニコニコ笑みを浮かべながら、周囲の温度が下がってゆくのだ。アリサとの密約に、すずかだけは怒らせてはいけないという条約がすでに締結されている。
彼女の部屋の時計を確認すれば、時刻は午前6時。普段通りの時刻の目覚め。目覚まし時計はセットしなくても、ちゃんといつも御通りに目を覚ます。習慣って恐ろしい。
いつもならばリニスがすでに目を覚まして朝食の準備をし始めている頃。彼女が、二人を起こさないように、そっとお布団を抜け出し、キッチンに顔を出してみれば、案の定、朝食の支度をリニスがはじめていた。
「おはよう、リニス」
挨拶をしながらも、なつきはエプロンをすでに身につけている。リニスも、台所の前で立つ位置を少しずらし、なつきの場所を確保する。言われなくてもお互いの立ち位置を理解している、絶妙なコンビネーションであった。
そうではあっても、やはり主の身の回りの世話をするのが使い魔としての性分、使命である。だから、もう少し休んでいてはと、自らの主に声をかけることも忘れない。余程の事がない限り、家事の類に関しては、なつきが彼女の言葉を素直に受け入れる事は少ないのだが。
「おはようございます、なつき。もう起きたんですか?もうちょっとゆっくり寝ていてもかまわなかったのに」
今日は学校もお休みになっているので、ほんとはこんな早くに起きてくる必要もない。しかしながら、今更二度寝をするというのもあれである。
それに、なつきにとっては、非常時にはともかく、常日頃は、リニスは彼女の家族である。彼女の言葉は義姉としての気遣いであると、ありがたく受け止めてはいるが、自分の役割はやはり果たすべきだと、彼女は考える。
「うん、ありがとう。でも、なんだかいつもどおりに目が覚めちゃったから。何か手伝おうか?」
「だったら、冷蔵庫の中に卵がありますから、何か一品作ってください」
「うん、りょうかーい。今日は和にするの、洋にするの?」
「アリサさんたちがいるから洋風にしましょうか」
「了解であります」
なつきは冷蔵庫の中からバターと卵を取り出して、スクランブルエッグを作り出す。付け合せはハムにしようかベーコンにしようか迷っているうちに、アリサとすずかが起きてきて、結局4人で朝食の準備を行なうのだった。
そして日常が始まる。
いつもより、ほんの少しだけにぎやかな朝食を、いつもよりほんの少し多人数の4人で食べ終わる。
そして、やはり皆で朝食の後片付けを行い、とりあえずお泊り会は、お開きにしましょうと言う事になった。
それは、この後どうしようかと、なつきが二人に問いかけたら、アリサ達も今日の午前中に用事が入っているらしかったからだ。名残は惜しいが、二人に用事があるのならば、仕方がない。
別に、お泊り会というイベント自体は、今までも散々繰り返してきたし、これからいくらでも機会があるわけだから。次はなのはを誘う事も忘れてはいけない、と心の掲示板にメモを貼り付ける。ちなみに、古い順番から削除する機能もついているから、なるべく早めに行なわなければならない。
そう言えば、大切な事を二人に言っておくのを忘れていた。
「そういえば、お二人に一つ言っておかなければならない事があります」
なつきが、ぽふんと胸の前で手を合わせる。
「なんなの?」「なにかな?」
「実は、これからしばらく、週に何回かは、学校をお休みする事になるかもしれません」
その言葉に、二人ともびっくりした顔になった。当然だろう。友人の突然の休校宣言である。何があったのかと心配になるに決まっている。
「ええ!?」
「そうなの?」
「はい、ちょっとやらなければいけない事が出来まして、しばらく手が離せなくなるかもしれないのです。2週間から1ヶ月程度で片がつくとは思いますが」
当然、二人にはっきりと言う事は出来ないが、アースラで依頼されたジュエルシードの捜索のお手伝いがある為だ。
別に、なつきがずっとアースラに常駐していなければならない訳もなく、こちらの世界にいても、ジュエルシードの捜索は、可能な事は可能なので、詳しい対応方法は一度、アースラに戻ってからと言う事になるだろう。そのスケジュールしだいでは週に何度かは学校に顔を出す事も可能だと思う。
「……そうなんだ……」
「……昨日の話に関係した事かな……?」
なつきのした昨日の話は、一応、物語であるという形式をとってはいるけれど、二人ともあれが現実の出来事であると認識している様だ。それは間違ってはおらず、その事をわざわざ否定する必要もない。
「まぁ、状況次第ですけど。はい、そうなりますね」
なつきが肯定の頷きを返すと、アリサが肩をすくめた。
「……そっか。お手伝いしたいけど、しかたないか……。魔法がらみじゃ、あたし達じゃ手伝えないもんね」
「そうだね、でも、何か困った事があったら絶対に相談してね?」
「でもでも!昨日の約束も忘れたら承知しないからね!」
「わかってますって。首に鎖をつけてでも、でしたっけ」
なつきは苦笑を漏らした。さもありなん。なにせ連れてくる相手は、実際にアリサの目の前にいるのだから。
「縄よ、縄!鎖なんてつけたらかわいそうじゃない!」
いや、縄でも十分にかわいそうなんですけどね。主に私が……と、なつきは心の中で苦笑を漏らす。当然表立って言う訳にはいかないけど。
「あはは、そうですね、残念ですけど、私にもそんな趣味はありませんので」
縛る趣味も縛られる趣味も残念ながらありません。
そんななつきの言葉に、「あ……そうなんだ、そうだよね」と、残念そうな表情を浮かべるすずか。
……ちょっと、待て?怖いから、深くは追求しないけど。その複雑そうな笑みの真意を知りたい……いや、知りたくない。だから、誤魔化す為になつきは別の話題を振る事にした。
「あ、そうそう、だったら、別のお願いがあるのですが」
「いいわよ。でも、あたし達にできる事なのかしら?」
「大したことじゃありません。例の黒衣の魔導士の女の子なんですけどね?」
「ああ、白い魔導士の女の子のライバルの子ね」
「うんうん、あの子もちょっと気になるかな」
「で、その子がどうしたの?」
「ええ。アリサの台詞ではありませんが、それこそロープで全身ぐるぐる巻きにしてでもみんなの前に引きずり出してきますから、友達になってあげてくれませんか?」
「もちろんよ!そんなの言われるまでもないわ!」
「そうだね。私もその子と友達になりたいな」
「もちろん、白い方の子も連れてくるんでしょうね!」
「あはははは、そうですね、そうなると思います」
でも、その正体はなのはである。
「いいわ!皆まとめて友達になりましょう!」
「友達がたくさん増えるね!」
アリサがこぶしを天に突き上げて宣言し、すずかが晴れやかな笑みを浮かべた。正直、自分の友達にしておくにはもったいない位の優しい子供達だ、となつきは思う。
「でも、あんたって正直そういうの嫌いなんじゃないの?」
誰かに言われて友達になる、なんてやり方ありえませんとは、なつきが転校初日にやった事。
確かに、色々と理由をつけて友達になってあげるというのは、押し付けがましいし、なによりも傲慢である。
でも、しかし。
「そうですね。だから私は、彼女をあなた達の前に引きずり出してくるだけですよ。そっから何をどう望むかは彼女次第です。だから、彼女がそれを望んだ時には……皆も受け入れてあげて欲しいのです」
「あんたも大概お節介よね」
「あははは、アリサほどではありません」
なつきとアリサとすずかは顔を見合わせてくすくすと笑いをこぼした。
「で、白い方はどうするの?」
「ああ、あれは大丈夫です。あれは自分で自分の解決方法を見つけ出すでしょう。今はその答えを模索中かもしれませんが。もっとも、そこに確かな答えなんて無いんでしょうけど。ヒントはあげてますから後は自分で考え結論をつけるだけです」
「ほんと、あんたってば意地悪よね」
「ただ答えを教えるだけでは、人の成長には繋がりませんよ」
「それって、子供の台詞じゃないわよね」
「そうなんですけどね?」
「でも、きっと、もしかしたら。白い方の子は、私達もよく知っている子なんじゃ、ないのかな?なんか、誰かにそっくりなような気が……」
うーんとすずかがあごに手を当てて、考える仕草をする。
何気に鋭い発言をすずかがした。彼女は、にこやかな、それでいて艶っぽい、と言うか、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「そうなの、なつき?」
「え、あ?さて、どうでしょうか……」
「なによ!ねぇ、ちょっと!もし、あたし達も知ってる子だっていうんたら、名前ぐらい教えなさいよ!」
「あーあー、ああ、ほら、アリサ!お迎えの車が来ましたよ!」
「あーまた誤魔化したー!もー、今度あったときには絶対に白状させてやるんだから!覚えておきなさい!」
なついが指をさすと、確かに、すずかの家の車がこちらに向かってやってくるのが見えた。車窓からファリンが顔を出して手を振っているのが見え、なつき達も手を振り替えした。どうやら運転して聞いたのはノエルのようである。
今日のお迎えは月村家のようである。まったく、ナイスなタイミングで迎えに来てくれたものだ、となつきはほっと胸をなでおろした。ノエルたちに感謝である。
そんななつきに、アリサがため息をついた。
「まったく!いつもあんたは秘密主義なんだから!次にあったら絶対に教えてもらうんだからね!それじゃぁ、またね、なつき」
「じゃぁ、またね、なつきちゃん」
「あ、そうそう、あと、すずかに。リニスが感謝していたと言ってくれと言われてたんでした」
「リニスさんが?どうして」
車の中ですずかが首をかしげている。リニスに礼を言われる事なんてまるで思い当たらない。
「確か、すずかの家に、大きな猫が御厄介になっていませんでしたっけ?」
「ああ、うん。あっ!そう言えば、あの猫もリニスって名前をつけたんだった。リニスさんに申し訳なかったかな?」
「いえいえ、
そして、なつきは二人にバイバイと手を振って、別れを告げた。
遠ざかる車が道の角を曲がり、見えなくなるまで見送った後、彼女はマンションの自室に戻ってゆくのであった、
さて、アリサとすずかと分かれて、なつきとリニスが向かうのは八神家である。
なつきがいなくなっていた時に、なのはやフェイト、アリサにすずか、他の人間達も含めて、彼女という存在が、その認識から消えていた以上、はやての記憶からも消えている可能性は高い。
此処最近のはやての生活は、その一部をリニスに依存している部分もある。足の悪いはやての介護と言う名目でリニスは八神家に出入りをしていたからだ。
だから、なつきという存在の消失とともに、スリープモードにはいったリニス。その所為で、数日間は彼女もはやての家にいく事が出来なかったのである。
しかし、もともと、はやてはひとりで生活をしてきたから、数日だったら生活能力と言う意味では問題がないだろう。
だが、数日といえども、なつきもリニスも、事実上突然居なくなってしまった訳である。あるいは寂しい思いをしていないだろうか、と、心配になったのもおかしくはないだろう。
そして、翠屋で、ちょっとした騒動を巻き起こした後……桃子と美由希がそれはもう盛大に騒いでくれた訳だが、どうにかこうにか騒動を鎮静化した後、お菓子を購入して、なつきとリニスは八神家へと向かった。翠屋の特製のハーブティの茶葉も少し分けてもらってきた。
はやての好きそうな甘目の銘柄のお茶である。そう言えば、リンディ提督も好きそうな感じだな。今度持って行ってみよう、となつきはリンディの喜ぶ姿を想像した。
そして、二人は八神家に到着する。なつきが八神家の玄関のチャイムを押した。
ピンポーン。
『ハーイ』
あれ?
聞こえてきたのははやての声ではない。子供の声であるのは間違いないのだが、別人の声。初めて聞く声である。はやての友達か何かが遊びに来ているのだろうか?
どたどたと言う足音が聞こえ、かちゃりと玄関の扉が開き、中から顔を出したのは、赤い髪をした女の子。
はてさて、この顔はどこかで見た事がある。しかし、なつきの記憶が確かならば、それは現時点からは未来方向の出来事の筈であり、今この時点で八神家に彼女が居る筈がない。
勿論、彼女そっくりの別人と言う可能性も、限りなく低い可能性ではあるが、ありえない事もないのだが……。
「あ……あれ?」
でも、とりあえず、彼女がなつきの知る彼女本人であると仮定して、何故か彼女は此処にいる。私の目の前にいる。
だから、なつきは驚きのあまり声が出ない。彼女が居るのなら、他の『騎士』達もいるのだろうか?
「えっと、どちら様ですか?」
なつきが驚きのあまり硬直していると、彼女の顔がまるで不審な人間を見るような目つきに変わり、ちょっと平坦な声で問いかけてきた。
確かに彼女からしてみればなつきとリニスは不審人物である。見知らぬ人間に好意的な視線を向けられる筈もないか。
さて、どうしようかな、と思案していると、赤髪の彼女の背後から声がした。
「ヴィーター。お客さん、どちらさんやー?」
ひょこんとはやてが顔を出した。例によって車椅子に乗って現れたショートカットの女の子は間違いなく、なつきとリニスの知る『八神はやて』であった。
「はやてー。へんな連中が来たー!」
そう言ってヴィータは、とてとてとはやてに近寄り、ぽふんと彼女に抱きついた。そんな彼女の頭をぽふんとはやてが握りこぶしで軽く小突いた。
「こら、ヴィータ!お客さんに向かって『変な』なんて言ったらあかん!」
別に痛いわけでもないだろうけども、ヴィータは手で頭を押さえながら、唇を尖らせる。
「だぁってぇ!」
お客様に失礼をしちゃぁあかんで、ともう一度ヴィータを注意しながら、はやては客人に顔を向け、謝罪をした。
「もう!ほんまにすいません、うちの子が……あれ?」
なつきとリニスの姿を見て、はやてがぴたりと硬直する。なつきがにっこりと笑みを浮かべた。
「こんにちは、はやて」
「あ、あ……なつき……ちゃんか?」
「はい、あなたのなつきちゃんですよ?」
しばらくの沈黙。そして、はやての中で何か繋がったかのように、一瞬びくっと身体を震わせた。
突然はやての顔がくしゃりと歪んだ。何かをこらえるかの様に、口元を手で押さえて、首を左右に振った。
なんだか嫌な予感がする。そしてこういった時の、なつきの悪い予感は大概当たる事になる。
「な、な、な」
なつきは一歩背後に下がった。リニスはこっそり玄関の陰に、その身体を隠す。
はやての家の玄関は、はやてが車椅子で生活している為、バリアフリー構造をしている。車椅子に乗っているはやてでも容易に玄関を出入りできる様になっているのだ。
だから、はやてがその手を車輪にかけ、ほんの少し力をこめれば、車椅子は容易に発進し、なつきに向かって突撃を開始する、いや、開始した。
「な、なつきちゃーーーん!」
涙を流したはやてが車椅子ごとなつきにぶつかってきたのだ。わーーーっと両手を広げ、なつきの胸に飛び込んでくる……しかも、車椅子のおまけつきで……。
がっしゃーん!
小柄ななつきの体が、はやての体当たりで吹き飛んだ。
「ぐほっ!?」
車椅子ごとはやての体当たりを受けたなつきは、彼女を受け止めると、彼女諸共に背後に倒れ尻餅をついてしまう。
その時、腰をしたたかに打ち付けてしまった。しかも彼女の頭が丁度なつきのみぞおち辺りにぶつかっきた。どいつもこいつも、こうも的確に人間の弱点をついてくるのは何故だろうか。それとも、これは彼女の恨みのこもった痛恨の一撃なのか?
しかし、なつきの胸に顔をうずめ、わんわんと涙を流すはやての姿に、なつきも、怒る気も失せてしまう。そもそも、そんなつもりもはなから無いのだが。
仕方がないので、彼女はその痛みをこらえ、ただ泣きじゃくる友人の髪の毛を、優しくいとおしげになでてあげるのだった。
そして、そんな二人を、呆然とした顔のヴィータと、仕方ありませんねぇと言う笑みを浮かべているリニスが、見ていたのだった。
そして八神家のリビングルーム。
なつきはリニスと一緒にソファーに座り、はやては彼女達の正面に、ヴィータははやて右手に抱きつくように、その横に座った。
なつきが視線を向けると、うーうーと唸り声を上げてにらみつけてくる。こうやって見ると、人見知りな女の子か警戒心の強い子猫の様にしか見えない。
そんな彼女の様子に、くすくすと笑みを浮かべながら、リニスが、八神家のポットを借りて、こぽこぽとハーブティをカップに注いでいく。柔らかな香りがリビングに立ち込めた。
なつきは、包丁とお皿をキッチンから持ってきて、きっちり4人分、ケーキを切り分けてお皿の上に乗せた。他人の家ではあるのだが、すでに、なつきもリニスも何度も八神家にお邪魔しているものだから、勝手知ったる他人の家である。それに、今更はやてもその事を咎めたりはしない。
「いやぁ、ごめんな。なんだかなつきちゃんの顔見てたら、急に涙が出てきて」
ポリポリと頭をかきながら、たははーっと愛想笑いをこぼした。あんな風になつきに飛びついたのが恥ずかしかったのだろう。
だが、ダメージを受けたのはなつきである。捕食される気分と言うのはああいうものなのだろうか。
「しっかし、びっくりしました。いきなりはやてに襲撃されるんですもん。このまま食べられちゃうかと思いましたよ」
ほんとにごめんなーともう一度はやてが頭を下げた。流石にぺこぺこ頭を下げ続けるはやてをそのままほっておくと、その隣にいる少女の機嫌がだんだんと悪くなる。
だから、まぁまぁ、とはやての頭を上げさせて、その話はここまでにしましょうと話題を打ち切った。
それはともかく、と、一呼吸おいて、まずは心の中の疑問を解決しようとなつきははやてに質問をする。
「まぁ、それはおいておいて。そっちの子はどちら様ですか?始めてみる顔ですが」
「ああ、そう言えばそうやな。ヴィータ、自己紹介や」
「ふん!」
あ、そっぽを向いてしまった。そんな彼女をはやてがたしなめる。
「あかんで、ヴィータ。お客様にはちゃんとご挨拶や!」
ほらっと、はやてに押し出される形でヴィータがなつき達の前に立つ。
「えっと、あの……ヴィータです」
「ヴィータちゃんですか。私は、石田なつきです。はやての友達です」
「そして私がリニス、一応、この子の姉で、はやてちゃんのヘルパー、介護士ってわかるかな、をやっています」
にこりと二人が笑みを浮かべると、ヴィータもまた赤くなってそっぽを向いてしまった。
「それではやてとはどういった関係ですか?」
「んとな、何でも遠い親戚とか何かで、この前からうちで預かる事になったんよ」
なるほど、そうきたか。正直なところ、なつきは彼女の、ヴィータの正体知っている。
そして彼女の登場が、なつきの懸念する事態が、進行した事を知らしめた。彼女の知る時間軸からは明らかにフライングではあるのだが。
もともとは、彼女ははやての誕生日に、他の『騎士』たちと共に登場する予定の存在である。
だから、彼女の姿を見たときに、一瞬反応が遅れた。顔が強張るのを感じた。
はやての介護の件で八神家に出入りする事になったリニスに、なつきははやてのもつ『力』とその守護騎士の事は話してあった。だからリニスもヴィータの登場には驚いていたはずである。だが、リニスはそんなときにも笑みを崩すことはなかったのだが。
それはともかく、ヴィータがこの時点で出現したのその原因は一体なんだろうかと、なつきははやて達と談笑しながら考えをめぐらせる。
本来は、彼女が『闇の書』と呼ばれるロストロギアの主として相応しいだけの魔力を持つにいたったその時に、闇の書は起動し、その守護騎士が出現する。
それは、いま少し先の話。だったら、何が彼女を呼び寄せたのか。そして、守護騎士は合計で4人。あるいは3人と1匹と呼ぶべきか。しかし、この場にいるのはヴィータ一人。
他の守護騎士たちはいまだ目覚めていないのか。
そしてなによりも。彼女達の目覚めが、はやての病気の進行のキーとなっている筈だった。それが悲劇の引き金になる事も彼女は知っていた。
だから、彼女は思った。
ほんの少しでも、この悲劇の種を取り除く方法は無いものかと、ヴィータがなつきのお土産のケーキを口にして『ギガうま!』を連呼していた事にリニスと苦笑を漏らしたりしながら、考えるなつきであった。
そして彼女は、いまはまだ気がつかない。いや、此処にいる全員が、まだ気付いてはいない。
結局のところ、ヴィータが予定よりも早くにはやての元にやってきたその原因もそうだが、この先の未来にあるであろう、はやてと守護騎士達の悲しみと幸せも、なつきと言う少女のその『在り方』に大きく影響を受けたことが原因であり、そしてこの先も大きな影響を与え続けると言うことに。
だけれども、今はただ、そんな難しい事は関係なく、楽しげな笑い声が聞こえる八神家のリビングがあった。
そして、ほんのささやかではあるが、それが、今のところ、はやての望んだ一番の『願い』であったのかもしれない。
そんな光景に、ま、いっかと、肩をすくめるなつきだった。
なつきとリニスが八神家を訪れ、楽しく過ごす時が経過し、なつきは帰宅する時刻となった。とりあえず、リニスははやての世話をする為に、もうしばらく八神家に残る事にしたらしい。
「それではそろそろお暇したいと思います。あまり長い間お邪魔してもご迷惑でしょうし」
「別にそんな事はないけどな。でも、あんまり遅くなると、石田先生も心配するもんな、仕方あらへんな」
なつきは何度も八神家に遊びに来た事もあるのだから、一人で帰ったとしても心配は要らない筈である。けれども、その時、ヴィータが途中まで彼女を見送ると言い、はやてもそれを了承した。
はやてたちと一緒にゲームやおしゃべりをして、それなりに打ち解けた筈の二人。しかし、やはり八神家の家を出たそのときから、ヴィータの目は警戒のそれに変わった。
二人は、言葉を交わすこともなく、帰り道の途中にある公園に差し掛かった時、なつきが背後を振り返る。
その唇には淡い笑みが浮かんでいる。だが、その目には真剣な色をたたえて、それでいて、ちょっと戸惑ったように、揺らめいていた。
「少しですが、お話をしましょう」
なつきは道をそれて、公園の中へと歩を進める。ヴィータは沈黙を保ったまま、その後に続いた。
彼女は公園の脇にある屋台でたい焼きを2匹購入し、一匹をヴィータに手渡そうとした。だが、ヴィータはそれを受け取ろうとはしない。
やがて苦笑を漏らしたなつきは首を左右に振りながらも、ヴィータに、公園にあるベンチに座るように促した。
しかし、ヴィータはそれに従うことはなく、彼女と少し距離を置いて立っていた。その目はやはり、睨みつけるような視線をなつきに向けていた。
「さて、何か言いたい事、あるいは聞きたい事がある様ですが、承りましょう。今の私に答えられる事があるのならば、お答えいたしましょう」
「……あんた、なにもんだ?」
「はてさて、何者かと問われれば、石田なつきであると答えるしかないんですけど」
「そんなことを聞いてるんじゃねぇ!」
「あれま、だったら、何を聞きたいんですか。私はただのはやての友達ですし、それ以外の何者でもありませんよ」
そう言って、なつきがにこりと笑みを浮かべると、ヴィータもやがて戸惑ったような表情を浮かべる。
「それとも、こんな、私は、あなたの大事なはやてに近づけられませんか?」
なつきは、自分の指をヴィータに突きつけた。そして指先に僅かに魔力をこめた。瞬間、ヴィータが自らのデバイスを展開し、なつきに突きつけた。
彼女の足元には、三角形の魔法陣が浮かんでいる。そして出現したのは鉄槌の姿をしたデバイス、近接格闘戦に特化された戦闘用術杖。その名前を鋼鉄の伯爵、グラーフアイゼン。
「てめぇ!魔導士か!」
「そして、その術式に魔法陣、術式の構築式、貴女はベルカの騎士ですね?」
勿論、そんな事は、彼女と出会った瞬間にわかっていた。彼女が、彼女の記憶にあるヴィータ本人であるという確証はなかったが、確信はしていた。
古代ベルカ式と呼ばれる術式を操る『闇の書』に隷属する守護騎士、ヴォルケンリッターが一人、鉄槌の騎士ヴィータ。そして今は八神はやての守護騎士であるヴィータ。
今、なつきの目の前に展開した魔法陣と、そしてその特徴的なデバイスの姿を見て、なつきは確証する。やはり彼女はヴィータであったと。
「だったら、てめぇは、なんなんだ!管理局の魔導士か!」
「それが管理局の所属であるかと言うのであれば、答えは否です。でも、関係があるかと問われれば、答えは諾です。だからと言って、今の貴女をどうこうするつもりもありませんし……」
なつきは肩をすくめた。
「できるとも思いません」
確かに、ヴィータの知覚するなつきの魔力は、ヴィータの持つそれとは比べ物にならないほど低い。まさに指先一つで一ひねりである。
「でも、安心しました」
「安心?」
ほっとしたように胸をなでおろすなつきに、ヴィータはいぶかしげな視線を向ける。
何故なら、こうして、お互いの正体をさらし、ヴィータはなつきに、自分のデバイスを向けている。すでに、術式の幾つかはデバイスの中で待機状態になっていて、彼女の命令があれば、すぐにでも発動し、目の前の少女を吹き飛ばす位の事はたやすい状況だ。
そんな事は、なつきも百も承知の事だろう。にもかかわらず、彼女は、自分のデバイスを、もしかしたら所持していないのかもしれないが、展開することもなく、ただ泰然自若と、笑みを浮かべ、自分に向けて安心したと言った。
そんななつきの真意は、彼女との付き合いがないヴィータにはまったくもって計りかねた。
「貴女がちゃんとはやてを大事に思っていてくれた事がですよ」
なんでそうなるのだろう。
確かに、ヴィータにとってははやては、彼女の主とも呼ぶべき存在である。大切に決まっているし、大事に決まっている。
当たり前であるが故に、改めて他人の口から言われる事に、違和感を感じていた。
「確かに、こうしてデバイスを突きつけられて、警戒されるのは、あまりよい気持ちがするものではありません。でもね、それが、貴女が、私を警戒し、私がはやてに危害を加えるのではないかと危惧しての行動ならば、はやての安全を思っての行動ならば、なるほど、貴女のその行為は、納得できるものであり、貴女のような存在がはやての側にいるという事に、私は安堵したのです」
だから安心なのですよと言うなつきに、ほんの少しヴィータは戸惑った。
そして、デバイスをまったく気にもせずに、彼女の側に近寄ってくる。今度は、そんな彼女にヴィータも、何故か、それを避ける気にはなれなかった。
そして、その手をヴィータの頭の上に乗せた。
背丈で言えば、やはりヴィータのほうが少し小さい。
だかえあ、まるで自分の事を幼子のように扱う彼女に、ほんの少しだけ腹が立ったが、それでも、ヴィータはなつきのなすがままに任せた。
優しく、なつきの手がヴィータの頭をなでる。
「もう一度聞く。あんたは……はやての友達なのか?」
もう、彼女の事を何者かなどとは聞かない。確かに不審な人物であることには違いない。そして、彼女の先の発言からすれば、彼女は管理局との関係を否定してはいない。
はやての持つ『闇の書』、そしてヴィータはその闇の書の騎士であり、管理局の人間からすれば、即座にその身柄を拘束しなければならない存在なのだ。
にもかかわらず、彼女はそれをしない。それなりの思惑があるのかもしれないが。
「そうですね、でも、それは違うのでしょう」
「!?」
「友達じゃなくて、親友と言うのですよ」
「そっか……」
一度そうだと決めてしまえば、ヴィータは単純である。あれこれと悩むのは面倒であり、彼女の性分には合わない。
とりあえず、なつきのことは信用すると決めてみた。はやての反応からしても、はやてがなつきのことをどれほど大切に思っているか、よくわかっている。
ならば、彼女を、もし仮になつきが騙しているのであれば、許せないと、こうして彼女の後をついては来てみたのだ。
それはまったくの杞憂であったのかもしれない。
「だったら、聞かせてくれ。あんたははやてを悲しませたりはしないんだな?」
「そうですね。それを約束する事、それはとても難しいと思います」
「なんでだよ!」
この流れで、そこで否定するのかよ!
「でもね、だからこそ誓わなければなりませんね。はやてを、あの優しい子をけっして悲しませてはいけないと」
「……そっか」
「だから、あなたも約束してくださいね。騎士としてだとか、あの子が主だからとか、そんな事は関係なく。貴女は貴女、ヴィータとしての信念に基づいてあの子のを守ってあげてください」
「ああ、当然だ!あたいは、はやての騎士だからな!」
「では、ゆびきりをしましょうか」
「ゆびきり?」
「ええ、おまじないみたいなものですが、貴女と私の約束です。ああ、誓いなんて大げさなものではありませんがね」
そう言ってなつきは右手を差し出す。そして、握りこぶしを作り、その小指を立てた。
その仕草が、ヴィータにとっては未知のものであり、不思議そうに首をかしげた。
「同じ様にしてくださいな」
「えっと、こうか?」
ヴィータもなつきの真似をして、右手の小指を、彼女の前に差し出した。
そして、なつきはヴィータの小指と自分の小指を絡めあった。
「何を約束しましょうか」
「決めてないのかよ!はやての事じゃないのかよ!」
「うーん、それだけだと面白くないもので」
「おいおい、ったく!」
「まぁ、いいですか。とりあえず、今のところ、私と貴女で共通する目的は、やはりはやてを悲しませない事ですから。それではいきますよ?」
「ああ」
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら、はりせんぼんのーます、ゆびきった!」
その言葉に、ヴィータは、一瞬、驚いた様な表情を浮かべたが、なつきが離した小指をじっと見る。
「私なんかとの約束はお嫌でしたか?」
「いや、変な気分だけど、悪い気はしねーな」
ヴィータは、騎士として、闇の書の騎士として、主から『命令』を受けたことがあっても、誰かと『約束』をかわした事はなかった。
はやてには、家族であって欲しいと頼まれた事はあっても、実は『約束』を交わした事はまだない。ともに生活するうえでのルールを決めたりもしたが、あれは取り決めであって『約束』ではない。
もちろん、家族であって欲しいという『はやての願い』もまた、彼女の気の遠くなるほどの『騎士』としての生涯においては初めての体験だったのだが、それ以上に、仲間の騎士達を除けば、こんな風に、だれかと『約束』をした事なんてなかったのである。
そして『はやてを守る』……ヴィータの心の中に改めて浮かんだその言葉、そして彼女の誓い。『主』ではなく『はやて』を守る。実は、この『誓い』が後に、彼女と、彼女に関わるとある事件に大きな影響を与える事になるのだが、それはまた別の話であるとして。
なつきはその言葉ににこりと笑みを浮かべ、ヴィータにたい焼きを手渡した。
「ちょっと、さめちゃいましたが、いただきましょう」
今度は素直にヴィータも、それを受け取り、彼女の隣のベンチに座った。
ぱくりとたい焼きにかぶりつき「ギガうまだぜ!」と満面の笑顔を浮かべるのだった。
これが、後に、なつきの親友の一人になるヴィータと、なつきの出会いだった。
そして、彼女達は、この先、何度も語り合い、何度もぶつかり合い、何度も傷つけあう事になる。それは、二人の立場の違いからすれば、仕方のないことかもしれないが。
けれど、この二人が、今日この日の『約束』をけっして忘れることなく、常に胸に刻み込んでいた事は、言うまでもない。
東壁堂です。
すいません、書き直しをさせていただきました。
特に最後のヴィータとなつきのシーンは書いては見たものの、いまいちイメージがつきにくいかなと思ってしまい、書き直してしまいました。あわせて、大きく一区切りのシーンである辺りをぶつぶつにしてしまったので、ひとまとめにしました。
したら、なんか、文字数が大幅に増えてしまったのは秘密です。
次は、フェイトのシーンが書ければな、です。
さすがに、文字数的に、そこまでははいらないので、此処で一区切りにしておきます。
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