現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 社会
  4. 災害・交通情報
  5. 記事

「日本一の防潮堤」無残 想定外の大津波、住民ぼうぜん(1/2ページ)

2011年3月20日14時52分

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:住民たちが「日本一」と自慢していた津波防潮堤。右側奥は壁が破壊されていた=岩手県宮古市田老地区、吉村写す拡大住民たちが「日本一」と自慢していた津波防潮堤。右側奥は壁が破壊されていた=岩手県宮古市田老地区、吉村写す

図:  拡大  

 「日本一の防潮堤」「万里の長城」――。住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。岩手県宮古市田老地区にあった全国最大規模の津波防潮堤。だが、東日本大震災の未曽有の大津波にはなすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。「今後、どうやって津波を防いだらいいのか」。住民たちはぼうぜんとしている。

 「津波は堤防の倍くらい高かった」。防潮堤の近くに住んでいた漁師小林義一さん(76)は顔をこわばらせて振り返った。11日の地震直後、いったん堤防に避難した。だが、山のような津波が海の向こうから押し寄せてくるのが見えたため、急いで丘に駆け上り、難を逃れた。自宅は押し流されて跡形もない。

 小林さんは「防潮堤は安心のよりどころだった。『防潮堤があるから』と逃げ遅れた人も多かったのではないか。堤をもっと高くしないと、これでは暮らしていけない」。

 約4400人が暮らす田老地区は「津波太郎」との異名がある。1896(明治29)年の明治三陸津波で1859人が、1933(昭和8)年の昭和三陸津波で911人が命を奪われた。

 防潮堤は、昭和三陸津波襲来の翌34年に整備が始まった。地元の漁師らによると、当時の田老村は、高所移転か防潮堤建設を検討。結局、海に近い所に住みたいとの村民の要望や代替地の不足から防潮堤建設を決断し、当初は村単独で整備を始めた。工事は中断を挟みながら段階的に進み、半世紀近く後の78年に完成。総工事費は80年の貨幣価値に換算して約50億円に上る。

 こうして出来上がった防潮堤は、海寄りと内寄りの二重の構造。高さは約10メートル、上辺の幅約3メートル、総延長約2.4キロと、まるで城壁のようだ。岩手県によると、二重に張り巡らされた防潮堤は世界にも類はない。総延長も全国最大規模という。60年のチリ地震津波では、三陸海岸の他の地域で犠牲者が出たが、田老地区では死者はいなかった。日本一の防潮堤として、海外からも研究者が視察に訪れるほどだった。

前ページ

  1. 1
  2. 2

次ページ

関連トピックス

PR情報
検索フォーム

おすすめリンク

巨大津波の衝撃、電力不足。未曾有の大震災の中で私たちが考えるべきことは何か。

戦後最悪となった自然災害を受け、地震と原発をテーマにした「WEB新書」を無料公開。

阪神大震災を上回る規模の大地震。多くの人命を奪ったのは高さ10mを超える津波だった。


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内 事業・サービス紹介