大相撲・千代大海のママ 須藤美恵さん:1
2010年2月9日
保育園では、いつも頭ひとつ大きかった(2列目左から2人目)
大相撲の世界では、千代大海とか、大関とか呼ばれ、これからは佐ノ山親方とか言われるらしいけど、私には、いつまでも、「ママ、ママ」とまとわりついてきた龍二(33)のままなんですよ。
さきの1月12日、魁皇さんに放り投げられて引退を発表しましたが、最後の相手が親友の魁皇さんでよかった。背中についた土俵の砂は、魁皇さんからのプレゼントです。「この砂を、ひとつずつ落としていくように、一歩一歩、親方としてがんばれ」という意味です。たぶん、龍二は、わかってないだろうけどね。
龍二は1976年4月29日、北海道・千歳で生まれました。当時、私は33歳でした。龍二のうえには長女理恵(45)と長男龍也(41)がいます。好きな男性に連れられて行った北国の生活は大変で、「3人目は、いらなかったのに」と思ったりしましたが、生まれてみると、それはそれはかわいい。
誕生日は小雪が舞っている日で、3500グラムでした。翌日に、ミルクを50ccも飲んで、まだ飲み足りない顔をしているんです。看護婦さんが「この子は大きくなるわ」とびっくりしたのを覚えています。ごはん1杯食べたら、1杯分体重が増えるような赤ん坊でした。
龍二が5歳のときに、離婚して、生まれ故郷の大分に帰りました。そのときから私は、「これからは父親で行こう」と決めた。甘やかさない。大ざっぱに。くどくど言わない。
けんかしても、けがをしても、悪さをしても、放っておいた。ただ、人様(ひとさま)に迷惑をかけたら、龍二と私がふたりで頭を下げた。5歳のときでしょうか。龍二が大きな石を投げて、タクシーのフロントガラスを割ったことがあるんです。ガラスがクモの巣のように割れていた。思えば、龍二といっしょに、どれほど頭を下げたことでしょうか。
二つだけ、言い聞かせました。「人に会ったらまず挨拶(あいさつ)」「人と話すときは相手の目を見る」。勉強しなさいとか、宿題しなさいとか、1回も言ったことがない。自慢にもならないですけど。
そんな龍二が、中学校に入ってから、ぐれだした。さあ、大変です。(聞き手・石川雅彦)
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