石弘之:「地球危機」発 人類の未来

崩壊した安全神話

 原発の大事故でつねに問題になるのは、事故をめぐる情報の開示である。背後には、原子力専門家の傲慢さがある。「素人に説明しても理解できないし、下手に説明して誤解されてはかなわない」という態度である。

 チェルノブイリ原発の場合、当時のソ連政府は国民にも外国にも事実をひた隠しにした。スウェーデンの観測所が放射性物質の検出を公表して事故を否定できなくなってからも、被害は軽微なものと発表していた。

 しかし、ペレストロイカ路線を押し進めたゴルバチョフ元大統領が陣頭指揮を執ってからは、それまでのソ連では考えられないほど大量の情報が公になり、事故の実態がかなり明らかになってきた。

 振り返って、今回の福島第1原発事故では、過去の教訓が生かされているのだろうか。テレビに登場した東電や政府の担当者が「わかりません」「連絡がありません」「調査中です」を繰り返し、広報技術の稚拙さも加わってかえって不安を増幅させた。

 スリーマイル島原発の場合には、はじめての大事故とあって全貌がわかる専門家が払底し、世間に情報を提供する者がほとんど不在の中で混乱を極めた。しかし、電力会社側は事故3日目には現場近くに広報センターを設け、そこに多くの技術者が待機してメディアや一般市民に懇切丁寧に原発の仕組みや事故の現状を説明した。

 原発の“安全神話”も、今回の事故対策の大きな障害になっている。スリーマイル島やチェルノブイリで大事故が起きた後も、日本の電力会社はことあるごとに安全性を強調してきた。大事故の現場で、日本から視察にきた原子力の専門家に何人か会った。彼らは米ソの原発従業員の質の低さをあざけり、「こんな事故は日本では起こりえませんよ」と、日本の従業員の質の高さや管理運転技術の優秀さを誇った。

 大地震で原発が崩壊する危険性は、すでに1960年代の原発開発の創成期から指摘されてきた。とくに2007年の新潟県中越沖地震によって発生した新潟・柏崎刈羽原発の火災で緊急対策がほとんど役に立たなかったことで、地震に遭ったときの原発の危険性が研究者や市民団体から警告されていた。

 だが、安全だと言い続けてきたために事故発生を前提とした緊急時の待避計画などは公表するわけにいかず、突然、待避勧告を突きつけられた周辺住民はどこにどのように避難すればいいのかも分からないまま混乱した。

 「想定外の自然災害」はあり得ても、「想定外の大事故」はあってはならない。日本のような地震国では、今回の事故は「想定外」ではすまされないはずだ。とくに、原発のように外部との完全な隔離を前提に成り立つ技術にあっては、「想定外」はそのまま今回のような大惨事につながる。

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