酔夢ing Voice - 西村幸祐 -

<<[*]前の記事へ  [#]次の記事へ>>

日露戦争勝利100周年の集いに、1500人が参加!
(Kohyu Nishimura at 09/09 23:59)
[1/2ページ]
東郷平八郎元帥.jpg9月3日、赤坂プリンスホテルで「日露戦争勝利百周年を祝う青年の集い」が開催された。この集まりの特徴は、発起人が60歳未満で、参加資格が40歳未満という条件だった。つまり、若い世代に参加を呼びかけ、文化・歴史の継承するという側面をこのイベントは持っていた。私も発起人に名を連ねていたし、実際何人集まるか気にしていた。赤プリに近づくとリクルートスーツに身を包んだような学生たちや20代前半と思しき人々の一団が目に付いた。みんな赤プリに入っていくのだが、驚いたことに、彼ら(女性も多かった)は、みんな日露戦争百周年記念の会場に吸い込まれていった。

発起人の宮崎正弘氏.jpg本当に驚いた。主催者によれば参加希望者が定員1000人を上回る1500人になり、全員に招待状を送ったという。立錐の余地がない状態だったのも頷ける。式次第など詳しい内容は、宮崎正弘氏のメルマガ、「国際ニュース・早読み」9月5日号で紹介されてる。

村松えりさん.jpg外交評論家加瀬英明氏は、スピーチで日露戦争の世界史的意義を訴えてくれた。「本来ならこういう式典は日本政府が公式に行うものだ」と言った時、会場から拍手が沸き起こった。日露戦争戦勝100周年を国家として祝うこともできない異常な状況に今の日本が置かれていることを、20代〜30代の参加者に知ってもらえるだけでも大きな意味があった。
乾杯の音頭を取ったのは新進気鋭の女優、村松えりさん。お母さんは村松英子さん。つまり、村松剛氏の姪御さんだ。

駐日アフガニスタン大使、ハルン・アミン閣下の挨拶は感動的だった。アフガニスタンと日本だけがアジアで唯一西洋に侵略されなかった国だと述べ、1881年にカンダハル近郊で英国軍を撃破したエピソードを披露、1905年の日露戦争の日本の勝利がアジアに夢と希望を与えた歴史的意義を讃えた。また、1907年に皇太子のモハマド・アユブ・ハーン将軍が東郷元帥の招きで訪日したことに触れ、両国の深い関係にも言及してくれた。最後に、この若き36歳の駐日大使はこう言った。
「日本の友人、アジアの隣人として、特に若い世代に最後の一言を申し上げます。日本の歴史をよく学び、武士道を忘れないで下さい」
通訳が訳す前に会場から拍手が沸き起こった。

masudo_ball.jpg後でアミン大使にご挨拶し、3年前に私が企画したアフガンプロジェクトのことを話しているとき、一人の青年が現れた。さっきのスピーチに感動したのでお礼を言いたいという。そんな彼の真剣な眼差しがこの集会が大成功したことを証明してくれた。アミン大使は微笑んで私の通訳を聞いていた。後で分かったのだが、アミン大使はソ連の侵攻後、11歳で家族とアメリカに逃れたのだが、88年に帰国後、2001年にタリバンに暗殺されたマスード将軍の下で戦士として戦っていたのだ。「武士道を忘れないで下さい」という彼の言葉にはこのような裏づけがあったのだ。※写真は長倉洋海氏撮影のサッカーボールを追うマスード将軍

[6]次ページへ>>

右斜め下コメント(11)
右斜め下トラックバック(2)

<<[*]前の記事へ  [#]次の記事へ>>

0このブログのトップ
9Seesaaブログ