2006 年の沖縄県知事選挙の際、
琉球独立党(2008年3月3日、「かりゆしクラブ」に党名変更)党首・屋良朝助氏は、東京の住宅維持費まで保障するとしてKさんを党職員として雇用しました。ところが屋良氏は沖縄県知事選で落選すると退職勧奨をちらつかせ、2007年3月になると「出て行け」の一言でこの職員を解雇し、一切の保障をせずに沖縄の地に放り出しました。Kさんは路頭に迷ったあげく、友人・知人から借金をしてやっとの思いで東京に帰ってきましたが、屋良氏は帰りの交通費も支給しませんでした。
私たちフリーター全般労組は10月以来、組合に加入したKさんとともに不当解雇・未払い賃金の問題について、屋良長助氏に団体交渉による解決を求めてきました。しかし屋良氏は、私たちの再三の要求に対して、時に罵声を浴びせかけ、時に考える時間が欲しいといって連絡を断つなど、不誠実な態度に終始しました。屋良氏は団体交渉を拒否するだけでなく、東京都労働委員会のあっせんも無視して現在も居直りを続けています。私たちは屋良氏の逃亡を許さず闘い続けます。ご注目・ご支援のほどよろしくお願いします。
この間の経緯
・2007年3月 Kさん不当解雇
・2007年10月 Kさん労組加入、以後団体交渉の開催を求めるも、屋良氏は無視。都労委のあっせんにも
・2008年2月16日 団体交渉の申入れに応じようとせず、都労委のあっせんにも無視を決め込み続ける屋良氏に対して、直接団交を申入れる行動を行った。→
報告記事
応えず逃亡。二度目のあっせんからも逃亡
・その後団交申入れ行動ののち、一旦あっせんを取り下げた上で、改めて不当労働行為の救済を都労委に申し立てる準備を進めていたところ、4月に入って屋良氏より交渉担当者に連絡あり。曰く、都労委が間に入るかたちで交渉に応じて解決したいとの話だったので、再度あっせんを都労委に申請することとした。しかしあっせん申請後、都労委が屋良氏に連絡したところ応じる気配なし。意味不明。