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東日本大震災:津波避難児童ら、歌で励まし合い--南三陸町 /宮城

 ◇「旅立ちの日に…」思い重ね

 東日本大震災発生の11日夜、大津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町戸倉地区の高台に20人余の子供たちの歌声が響いた。6年生が卒業式で歌うはずだった「旅立ちの日に…」(作詞・作曲、川嶋あい)。雪の降る中、神社の境内で一晩を過ごした。「今始まる希望の道 今日までありがとうね」。輪になって口ずさみ、無理やり笑顔を作ったが涙は止まらない。「何日かかってもいい。みんなで卒業式をしたい」。友達と大好きな町に誓った。【垂水友里香】

 「出ろー!」。激しい揺れの後、男性教諭の大声が響いた。戸倉小学校の児童は近隣の戸倉中学校の生徒と合流しながら高台にある避難場所を目指した。

 小学6年の菅原理子さん(12)が海を見ると、水が引き海底の岩が見えた。「来たぞー」という叫び声が聞こえた途端、大津波が町を襲った。木も車も、家やマンションまでもが流された。気が付くと足元まで波が到達していた。上級生は泣いている下級生をかばいながら、さらに高台にある神社に急いだ。

 一息つくと、「卒業式はできないね」と誰かが言った。式は1週間後。卒業製作のオルゴール、思い出が詰まった卒業アルバムは流され、校舎は損壊した。耐えきれなくなって「旅立ちの日に…」を歌った。「思い出の校舎と別れを告げ」と口ずさんだ時、菅原さんは「その通りだと思った」という。

 深まる寒い夜。下級生や高齢者は社殿の中、高学年は近所の人が持ってきてくれた布団を地面に敷いて横になった。雪が舞ってきた。「足の感覚がなくなってきた」。みんなあきらめた表情だった。

 翌朝、同小から数キロ離れた避難所の「志津川自然の家」から菅原さんの父幹生(みきお)さん(35)ら数人が迎えにきてくれた。がれきの中を歩くと、菅原さんの上履きは泥でぐちゃぐちゃになった。自然の家で母みえこさん(33)と再会した。「いかった。元気だ……」と抱きしめられた。自宅は流されたと聞かされた。

 大好きだった海辺も町並みも荒れ果てた。それでも菅原さんは前を向く。「道路も全部できて、津波が来ない町にしたい。何日かかってもいいからみんなで卒業式をしたい」

 「旅立ちの日に…」の歌詞はこう終わる。「つぼみから花咲かせよう」。つぼみもいったんは津波にのまれたかもしれない。それでも、いつか立ち上がる。

毎日新聞 2011年3月25日 地方版

 
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