命の営みを見守る様に、星は煌めき空を彩る。
天は、静かに見守るだけ。
喜びも、悲しみも、怒りも、欲望も、いかなる思いを抱いて、生きようとも空が動く事はない。
故に今起こっている事は、天の采配ではなく、今を生きているモノが引き起こした必然である。
偶然など有り得ない。
すべては必然、意志あるモノが起こす必然にすぎなかった。
夜の闇を切り裂いて、小さな村はその役目を終えた。
辺りを照らすのは紅蓮の炎、生きとし生ける全てを飲み込むが如く炎は燃え盛る。
家が焼け落ちた、悲鳴は上がらない。
当然だ、その家には人は居ない。家の中には、かつて人間だった肉片があるだけだ。
村の広場が燃えていた。悲鳴はない。
当然だ、そこにあるのは、無惨な骸だけ。
命の輝きはそこにはない。
全ては終わる。村は焼かれ、静かに眠るだけだ。
だが、そんな中ひとりの青年が剣を携え、朽ちていく村の中を駆け回っていた。
「逃がさないッ、絶対に逃しはしないッッ!!!」
青年の顔を走る狂貌、怒りも悲しみをない交ぜにして憎しみで凝り固めたその表情。
己を貪らんとする炎の中ですら、青年は止まらない。
口から呪詛を漏らし、熱が舐めまわすこの中でひとり、必死に何かを探す。
亡者か亡霊か、否、青年はただの人間だ。
身に纏うのは、光輝く聖なる鎧でもない、布の服。
手に持つのも、呪われた魔剣でもなければ勇者の剣ですらないただの剣。
狂顔を走らせ呪詛を綴ろうとも、青年はただの人だ。
だが、青年が人と違うとすれば、それはこの村が出身地である事。
―――――――――――――青年は復讐者だった。
踊る炎の中、青年の瞳が一つの影を捉えた。
喜色が狂貌を飾る。
ニヤリと青年は笑った。
「みぃ―――つけたぁぁあああっッッ!!!!」
瞬間青年は、疾風となった。
青年が見つけたのは、白い人影。
はためく白いローブを目印に青年は駆け抜ける。
距離は五十メートル。
炎は壁に足りず。青年は執念を持って踏破する。
僅かふた呼吸、瞬く間に背後から白い人影へ詰め寄り、剣を振り下ろした。
「なっ!?」
彼の手に感じる確かな手応え、しかし白いローブを纏った――――少年を傷つけるには到らない。
白魚の様に白い肌、少年は人差し指と中指でしっかり剣を挟み込んでいた。
「やめてよね、死にたいの?」
穏やかな声色で、傲慢ともいえる言葉を言い放つ。
少年は、流麗かつ典雅な動作で剣を手放すとにっこりと笑った。
青年は、一瞬茫然自失と動きを止めたがすぐさま激情が彼を支配した。
「黙れッ!!!!」
青年の剣が、渾身の力で少年に叩きつけられる。少年は一歩後退しながら、手刀を繰り出した。
鋼の剣と生身の手刀が激突交差する。
愚かなと青年は思った。
いかな白いローブを纏う少年が規格外であろうと、生身で鋼鉄に打ち勝つなど不可能だ。
青年は、復讐心と共に少年の手を切断する。
筈だった。
甲高い音を立てて剣が弾け飛ぶ。
剣の破片がばらまかれ宙に舞った。
―――馬鹿な...!?
有り得ない。驚愕が青年を支配する。生まれたのは一瞬の空白、しかし勝負を決するには十分な時間。
「―――ぁ....」
少年の手を伝い、深紅の液体が滴り落ちる。
自身の胸に突き刺さる腕を見て青年は小さな声を上げるしか出来ない。
青年の口腔に鉄の味が広がった。
「だから言ったのに...」
少年はそっと呟くと青年を見上げた。
エメラルドグリーンの瞳が、青年を見据える。
青年は、瞳に込められた感情を読み取ると、渾身の力をもって少年の首に掴み掛かった。
「哀れ..むのか?....よりにもよって貴様が憐れむのか!?」
口腔に広がる血液も、彼が話す事の障害足り得ない。
身を苛む痛みも、抜け落ちていく何かも、激情の前には無力だった。
零れ落ち行く命全てを振り絞り、少年の首を掴む手に力を込める。
「村を焼き、みんなを殺し、弟を、母を、父を奪った貴様が哀れむのか!!?」
呪詛を込める。
赤黒い、何かが口角から滴り落ちる。
死に逝く者とは思えぬ力で、首を締め上げる。
常人の骨ならば既に砕けているだろう。青年の儚く消え行く命全てを注ぎ込んだその力は、限界を超え、握力500キロにも及ぶ。
それでもなお届かなかった。
少年は微笑む。物憂げに哀みを含んで静かに笑う。
「僕だって、人が死ぬのはとても悲しいし嫌だよ。でも、しょうがないじゃない。だって偉大なるマザーの言葉に逆らったんだもん。」
―――なら、滅んで当然だよ?
少年はまるで、聞き分けのない子供に語る様に言った。
その言葉を受け、青年は憎しみを吐き出す。
「魔王めっ!」
次の瞬間、少年は笑みを消した。
いや、ありとあらゆる感情が消えた。
無機質な顔を青年へ向け、じっと見つめ、静かな声色で言う。
「マザーの侮辱は許さないよ?」
有無を言わさぬ迫力がそこにあった。
それを見て、青年は笑った。余裕など欠片もなくただ死に逝く運命しか持ち合わせていないのに少年をせせら笑った。
初めて、この少年の余裕を崩せると青年は嘲笑う。
「魔王に魔王といって何が悪い?それとも貴様の主は魔王と呼ばれることに怯えているのか?」
ぐゅり。
少年が青年に刺さった手を動かし、傷口を広げる。
傷口から激痛が走り、霞消え行く青年の思考をかき乱す。
それでも、青年は笑った。ちっぽけな本当に小さな復讐を果たす為に笑う。
「ははっ、図星か?....確かに俺は貴様に勝てなかった。しかし俺が勝てなくても良い。今勝てなくても良い。何時か必ず貴様と貴様の主を倒す者が現れ――――」
そう言葉にして、青年は弾け飛んだ。
辺りに、青年だったモノが降り注ぐ。
消し飛んだ青年を見て、少年は笑う。
無表情を喜悦に変えて、無邪気に子供の様に笑う。
「君程度が僕に説教?やめてよね、君と僕とじゃ立場が違うんだよ」
少年に嘲笑のみを与えて、青年は去る。復讐を果たせず彼は逝く。
後に残ったのは、純白のローブを纏う少年のみ。
燃え盛る炎の中、白をはためかせ少年は歩む。一点の汚れすらないそれを身に付けて。
結局の所、青年は少年の衣服さえ汚す事が出来なかった。
この青年のささやかな復讐が現実に何ら影響を与える事はない。
青年の生涯は、誰に見取られる事なくひっそりと幕を閉じた。
満点の星々が輝いていた。
この惨劇を哀れむ様に、この惨劇を鎮魂するが如く、ただ無慈悲に光輝いていた。
煌めく太陽の光を浴びて、一人の少年が森に囲まれた道を歩いていた。
黒髪の下で、鳶色の瞳が眠たそうに揺れている。顔立ちはまだ幼さを残し、少年の印象を残す。
背丈はあまり高くなく中肉中背といった印象が強い。身に着けている衣服は、上下黒の学生服。手に持つのは、革性の手提げ鞄。
彼の名前は、斉藤始(さいとうはじめ)高校一年生だ。
軽く欠伸をかみ殺し、ちらりと時計を見ながら時間の確認をする始。
時刻は、7時丁度。 こんなに朝早く、森の中を歩く理由は至極簡単で、ただ実家が山の方にありバス停まで少し歩かなければならないだけなのだが。
彼は、そっと溜め息を吐きながら空を見上げた。
「後、二時間後にはマラソン大会か...」
憂鬱な感情を隠さずにそう愚痴り、学校前まで行くバスが停まるバス停を目指す。
平和な日常生活そのものである。
しかし、平和とは維持するよりも壊す事の方が簡単である。
その言葉は、彼の日常にも当てはまっていた。
「待てッ!!」
そんな言葉と共に小さな影が始の道を塞ぐ様に飛び出してきた。
始より幼い、小さな子供であった。
妙な子供だと彼は思う。だが、それも無理もない。
比較的平和な日本で、いったい何人の九歳児が中世ヨーロッパの一般人が着ていそうな服装の上、短剣を向け強盗の様に道に立ちふさがるというのか。
始は困惑した。何がどうなっているのか瞬時に把握出来きなかった。軽く深呼吸を行うと、重さを感じさせず友好的な口調で彼は子供に問った。
「え~っと、何かのお遊戯かな?...ごめんな、俺これから学校でさ。すまないけど遊ぶなら他の人と遊んでね」
「まっ、待て!持ってる金全部だせよ!」
柔和な笑みを浮かべ立ち去ろとする彼に、甲高い声を上げ静止を促す子供。
そこで、漸く彼は気付いた。自身が強盗に遭っている現実に。
そうと分かれば彼の困惑はいとも簡単に消え去った。
春に溶け行く雪の様に氷解していく困惑と、それに反する様に出て来たのは憐れみの感情だ。
世知辛い世の中だ。子供に聞こえぬ様にちいさく呟く。
始は、生暖かい視線を送りながらつぶさに子供を観察した。
一言で彼の目の前にいる子供は、強がっている少年というのが第一印象であった。
まとまりが悪い茶髪の髪の毛、気の強い言葉を言いながらも、視線は揺れておりアイスブルーの瞳からは意志の強さが全く感じられない。
妙によれている、中世チックな服装から見ても、経験豊富な強盗犯ではなく村人AまたはBという印象だ。
唯一この印象を覆す短剣は、妙に始の視点から錆びており奇妙なリアリティがあったが、少年がビビり過ぎて、とても、強盗には思えなかった。
では一体この少年は、何者か?
始の脳裏に疑問がよぎる。強盗を行っているのに明らかに手慣れておらず、しかも服装は現代日本からすれば凡そ一般人が着ているモノではない。
少しばかり、考え込む始であったがすぐさま頭を振りかぶり追い払った。
自身の手には勝ち過ぎている。
始は、出来るだけ優しい声色で少年にいった。
「...警察に行けとは言わないしさ、ひとまず役場の児童福祉課に行かないかな?」
「え?」
頼り下なく揺れている少年の視線に、困惑の色が現れた。
何を言っているのか分からない。少年からそんな表情を読み取った始は、優しく傷つけない口調を心掛ける。
「正直さ、お兄さんちょっと状況を把握しきれてないんだ。キミにどんな理由があってこんな事したのかは分からない」
「....」
「でも、お金が欲しさに強盗紛いの事をしたのにはきっと理由があるとも、俺....あ~お兄さんは思ってる。」
「本音を言うとね、お兄さんには君がどんな事情があっても助けてあげられないんだ....だからここは専も」
「ばっ、馬鹿にするな!?」
少年の瞳が、真っ直ぐに始の瞳を捉えた。
2つの視線が交錯する。
始は、少年の瞳を見て失敗したと即座に悟った。
始の瞳に宿る色は少しの罪悪感と後悔。
対する少年の瞳に宿る色は、微量の怒りと情けなく潤んだ悲しみだった。
(失敗した...)
彼は自身の対応の甘さを呪った。
怖がって見せた方が良かったのか?一瞬彼の脳裏にそんな選択肢がよぎるも、すぐさま消去する。
彼は演技が苦手だった。短剣が本物であれ偽物であれ使い手が九歳前後の少年では恐れようがない。
(今日のマラソン大会遅刻かな?)
内心溜め息を吐いて、何とかしようとしたその時だった。
異質な粘着音が、始の後ろから上がったのは。
妙な違和感が始の内心を衝いた。怪訝な顔をしつつ彼が振り返った先にそれは居た。
ヒト定義が、二本の足で立ち2つの手によって自由にモノを持つ事であるならばそれはヒトに似ていた。
ヒトとの決定的な違いがあるとするならば、それは色を持たなかった事。
ヒトに似た輪郭を持ちながらそれは一切の色を廃していた。
いや、一つだけそいつは色を持っていた。人間で言えばちょうど心臓に中る部分、そこに赤く光る球体が脈動していた。
そんな、ヒトの形をした向こうが透けて見える非現実的な生物と遭遇した、二人の反応は異なっていた。
始は理解出来ないと目をまばたきさせ疲れを疑い、少年はこの世の終わりを彷彿させる絶望的な表情を浮かべる。
そこにあったのは恐怖だろうか?だからこそそれを振り切る為に少年は力の限り叫んだ。
「すっ、ス、スライムだぁぁぁあ!!」
そいつの名称を。
その言動を聞き、始は一瞬空を見上げた後ちいさく呟いた。
「未確認生命体って...五代雄介はここには居ないんだぞ」
始の呟きは誰に聞かれる事なく空に消えていった。