気象・地震

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特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 元官房副長官・石原信雄さん

いしはら・のぶお 地方自治研究機構会長。1926年、群馬県生まれ。東大卒業後、地方自治庁(現総務省)入り。自治事務次官で退官。87年官房副長官、95年2月退官。=宮田哲撮影
いしはら・のぶお 地方自治研究機構会長。1926年、群馬県生まれ。東大卒業後、地方自治庁(現総務省)入り。自治事務次官で退官。87年官房副長官、95年2月退官。=宮田哲撮影

 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇「想定外」に逃げるな--石原信雄さん(84)

 川崎市内にある私鉄の駅を降り、石原信雄さんの自宅に向かった。首相官邸の事務方トップ、官房副長官として7年4カ月、7人の首相に仕えた人である。2階建ての家が建ち並ぶ古い住宅街を進み、緩い坂の途中にある目的地に着いた。

 石原さんは地震発生からずっと、テレビ画面を通して、揺れ動く日本を見つめていた。堤防を越えて街をのみ込む真っ黒な津波。危機にさらされる東京電力福島第1原子力発電所。

 「海岸には相当高い堤防を築いていたはずだ。地震国の日本だから、原発の安全基準もしっかり考えたものだろう。それにもかかわらず、想定外の大波が来てしまった」

 そして、語気を強めた。

 「政府には国民の命を守る義務がある。想定外であれ何であれ、救えなかった人がいっぱいいる以上、政府、自治体の防災対応は不十分だったということだ」。やるせなさをにじませた。

  ■

 7人目の“上司”である村山富市首相に仕えていた当時の95年1月に阪神大震災が発生した。「情報が入らず、苦労した」。午前5時46分の発生なのに、秘書官から村山氏に報告があったのは7時半。正午過ぎに入った「死者200人」の情報に「エッ」と驚いたほどだった。

 それから16年。危機が迫る原発に現政権は苦悶(くもん)している。菅直人首相が東電の情報提供の遅れに業を煮やして、政府と東電の統合連絡本部を設置したのは発生5日目。東電本社に乗り込んで「覚悟を決めてください。撤退したら東電は100%つぶれる」と迫った。

 会見で技術的な問題まで説明する枝野幸男官房長官は「サプレッションプール(圧力抑制プール)と呼ぶそうでありますが」などと自信なげな表情すら見せる。

 「指揮官が脅かすような言い方はしない方がいいです。デンと構えていましょう。官房長官も大方針を話せばいいのではないでしょうか。技術的説明が必要なら原子力安全・保安院の専門家を控えさせればいいんじゃないですか。国民に不安感を抱かせないようにすべきです」。混乱から逃げられない官邸の立場を知るからこそ、苦言を呈す。

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 防災白書によると、日本は、国土面積は世界の0・25%なのに、マグニチュード6以上の地震回数(00~09年)は世界の2割を占める。「その分、備えに自負があり、地震に遭ってもその度に経済は復興し、財政も機能してきた。阪神大震災後も経験を踏まえ、相当に備えをした。だが、自信は打ち砕かれた。自然の恐ろしさを感じます」

 石原さんは原発で、原子炉冷却設備の非常用電源まで使えなくなったことに衝撃を受けた。「原子炉本体をいかに頑丈につくっても、本体を守るための施設が壊れたら機能しなくなる。非常用の設備はひどい災害でも自らは『被災』してはいけないのだが……」。同様のあってはならないことが阪神大震災でもあった。兵庫県と政府を結ぶ防災無線が、地震で発電機が壊れたために使えなかったのだ。

 一方、阪神の時には起きなかった事態も見える。「あの時は自治体の責任者とは時間がかかっても連絡が取れた」。しかし、今回は防災対策庁舎でさえ骨組みしか残らなかった町があった。首長まで津波で死亡した町もある。

 想定外の津波にどう処すればいいのか。「堤防を高くしてあらゆる海岸に巡らせるのか。財政面でそれができるのか。私は堤防の高さより、行政が避難場所について考え抜いていたのか知りたいと思う。宮城県の平野部などは高台がなく、数キロ奥まで水が追いかけてきた」。国民も今、それぞれに考えている。

 地震が発生した11日、気象庁が最大波を観測したと公表している時刻は岩手県大船渡市で午後3時15分、釜石、宮古両市で同21分。地震発生(同2時46分)からの限られた時間に高い場所に逃げられたか否かが運命を分けた可能性がある。

 「これまでは経験した最悪の災害に合わせて防災対策を考えてきた。だが、最悪のレベルが途方もなく上がった。備えをどこまで引き上げるかは悩ましい」と険しい表情になった。

 人間には常に考えの及ばぬことがある。何度「想定外」に打ちのめされてきたことだろう。防災とは、終わりのないモグラたたきのように思えることがある。住宅の耐震性が問題になった阪神大震災では、教訓として建築基準法改正などを行った。だが、今回は想定を超える大津波で、また多くの命が失われた。

  ■

 「だが、まずやることはたくさんある」と石原さんは言う。原発の危機的状況の陰で、被災者の暮らしは窮迫の度を強める。食料も水も暖を取るための燃料も足りない。「大量に物資を送る手立てを考えるべきだ。そして、いつまでも避難所暮らしをさせるわけにはいかない」と避難する住民に思いを寄せる。

 阪神大震災では、約5万戸の仮設住宅が建設された。今回の地震でも、岩手、宮城、福島の3県は当面の必要戸数として計3万2800戸の建設を求めている。「町の大部分が消失した市町村もある。自治体だけの力で復興は無理だ。国民全体が応援しないといけない。政治も正念場だ」

 今、与野党では予算編成を巡り協議が続く。「大困難に直面した場合は与党も野党もなく一丸となって当たるべきだ。野党が政府の方針に意見を言うのはいいが、足を引っ張ってはいけない。人命がかかっている。駆け引きはやめてもらいたい」とピシャリ。

 復興に必要な法案の提出、成立も急がれる。「阪神大震災の時には通常を超えた国債発行を可能にして財源を確保した上、必要な施策を打った。ただ、今は国債発行残高は格段に増えている。自民党の谷垣禎一総裁が提言したような増税も検討に値する。復興工事は大変な事業量になるが、公共事業抑制で業者は以前の数でない」。民主党のマニフェストは「生活」重視である。「マニフェストは分かるが、新しい条件の下で最善の策を講ずるのが時の政権の使命だ」と断じた。

  ■

 通された応接間に隣接する和室のかもいの上には、幅1・5メートルほどの額があった。尊敬する西郷隆盛が好んで書いた「敬天愛人」。

 「世の中の流れの中で最善を尽くす。それぞれに大変な事情があるのだから、人には親切にする。そう受け止めてきました」

 テレビの向こうでは今、我々の隣人が寒さに震えている。【宮田哲】

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 ■人物略歴

 ◇いしはら・のぶお

 地方自治研究機構会長。1926年、群馬県生まれ。東大卒業後、地方自治庁(現総務省)入り。自治事務次官で退官。87年官房副長官、95年2月退官。

毎日新聞 2011年3月23日 東京夕刊

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