気象・地震

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特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 文芸評論家・秋山駿さん

 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇凝視と表現原点に--秋山駿さん(80)

 14日からの計画停電の影響で、教えてもらった最寄り駅まで行く電車は止まっていた。遠回りして、何とかたどり着くと、開口一番「きょうの取材はなしかなあと思ったよ。よく来られたねえ」と秋山駿さんはねぎらってくれた。何気ない言葉に、少し高ぶっていた気持ちが、ホッと穏やかになった。

 11日の地震発生時は日課の散歩のため、自宅を出たばかりのところだったという。「何となく足元がふらついたのね。見ての通り、右足が痛いので、つえを突きながら歩いているでしょう。だから、きょうは体調が悪いなあなんて思っていたんですよ。そうしたら、バス停の近くにいた人が私の方を見て、何か合図をしているの。よく見たら手招きしているじゃないですか。何だろうと思って近くにいってみたら『地震ですよ』って。そうですか、なんて話しているところへまたドシンと来た」

 揺れが収まったところで、急ぎ自宅に引き返した。秋山さんの自宅は14階建てマンションの14階。むろんエレベーターは止まっていた。階段を上った。左手でつえを突き、右手で手すりをつかみ体を引き上げる。「何とか3階まで上ったら、もう足が痛くて。通路の壁によりかかって休んで、また2階分上って休んでを繰り返して。14階に着いたときには、体力を使い果たしちゃった感じでしたよ」

 自宅ドアを開けて、またもや驚いたという。「見事にひっちゃかめっちゃかですよ」。天井まであった木製の本棚が倒れ、床の上には本が散乱。本棚は倒れるときに、ベランダ側の壁に設置されていたエアコンを壊し、その下のテレビをも倒していた。もう一つの本棚の、金属製のブックエンドもかなり遠くに飛んでいた。妻もたまたま外出中だった。「2人とも外にいたからよかったんだね。家の中にいたら、大けがしていたと思いますよ」

 「それでも……」。たばこに火をつけ一服し「被災者の方の1000分の1にもならないぐらいの被害だけど。でも、だからこそ被災者がどれほど大変か想像できますよ」とうなずいた。

  ■

 「さて本題」と秋山さんはゆったりと話し始めた。「実はあなたに見せようと思った本があったんだよ」。何ですかと聞くと、田山花袋の「東京震災記」だという。「関東大震災から二、三日後の記録ですよ。参考になるかと思ってね。しかし本棚がそんなことで、見当たらない」

 見せようと思った理由がある。今回の東日本大震災の特異性を説明するのに、いい資料だからだ。「記憶に新しい阪神大震災や関東大震災など、これまでの大きな地震との違いはどこにあると思いますか。これまでの震災は火による災害だった。今回は津波、つまり水による災害ということですよ。火による災害ももちろん悲惨です。阪神大震災のときもいろいろな話を耳にしました。それでもがれきの中から、手だけが出ていて生きているのが分かったとか、何十時間ぶりに救助されたとかいう話もありました。でも今回それはほとんどない。全部丸ごと持っていかれてしまった」

 観測史上、世界で4番目というマグニチュード(M)9・0を記録した今回の大地震。人々を襲ったのは揺れだけでなかった。人々の命や暮らしを奪ったのは高さ10メートルにも及ぶ大津波だった。「私が知る限り、記録は残っていても、自らが体験し文学として津波を描いたものは存在していないと思う。水の災害は『描く』ということすら奪い去っていくんだね。恐ろしいことですよ」

 石原慎太郎東京都知事は、今回の震災を「天罰」と表現し、後日謝罪した。「石原さんをかばう気は毛頭ないが」と前置きしながら秋山さんは言った。「関東大震災のときも『天譴(てんけん)』という言葉が盛んに言われたようです。自然の大災害を目にして、天からの戒めかもしれないと受け取るのは、生きている人間としてはつい考えてしまうこと。しかし、その言葉は被災者に対してあまりにもむごい。今回どういう人たちが被害にあったか。普通に黙々とまじめに働き暮らしてきた人たちですよ。繁栄を享受している都会の人たちではないんです」

 発生から約2週間、死者・行方不明者は2万人を超え、約22万人が避難所で不自由な生活を強いられている。

 「この被害に向き合う政府とは何なのだろうと思います。これまでも、ごく普通にまじめに働いている人たちを救っていなかったということではないか。長い自民党政治に飽き、何かが変わるかもしれないと、多くの人が民主党に投票したと思う。しかし民主党政権も期待していたほどではないと失望し始めたときに、こういうことが起こった。やはり来し方を立ち止まって考えてみろという啓示なのかもしれません」

  ■

 「僕は文学の視点でしか語れないけど……」。紫煙をくゆらしながら言葉を選ぶ。「小説は時代の鏡なんです。その時代時代の空気がどこかで映し出されている。今日の文学が何を映し出しているか。どこかで今の政治の形態と照応しているところがあるような気がしますねえ」

 秋山さんは芥川賞を受賞した朝吹真理子さんの「きことわ」を例に挙げた。「夢と記憶の積み重ねで人生の密度を出している。モノローグ、つまり内向的な文学なんです。今、政治も同じじゃないかな。マニフェストを修正したり、人のささやかな言葉にいちいちひっかかったり、内輪のことばかりに重みをかける政治になっていたんだと思いますよ」

 ときに厳しく物事を見つめながらも、秋山さんは希望を捨ててはいない。「我々は敗戦のときも立ち上がってきたじゃないですか。それは世界中が認めていますよ。今も被災者の方は波にのまれ、避難所で苦難の生活を送りながらも、すぐにも立ち上がろうと努力している。日本人の国民性のいいところですよ。一方で、日本人はきちんと事象を凝視することなく、忘れてしまう一面もある。日本は言葉が軽い国でもある。この未曽有の災害の裏には、美しくない悲惨な真実もある。真実の姿をきちんと見つめ、総括し、言葉や行動で表現することが、次へつながる原点ではないでしょうか」

 取材が終わると、秋山さんは「気をつけて。停電にならないうちに」とバス停まで見送ってくれた。不安な心にふっと安堵(あんど)感の灯がともった気がした。停電時のろうそくの光のように。ときに人の言葉は人に力を与える。被災者の心を癒やす言葉を届けたい。そう思った。【小松やしほ】

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 ■人物略歴

 ◇あきやま・しゅん

 文芸評論家。1930年生まれ。日本芸術院会員。96年に野間文芸賞、毎日出版文化賞。03年に和辻哲郎文化賞。著書に「忠臣蔵」など。

毎日新聞 2011年3月24日 東京夕刊

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