消えた実家、がれきと闘う父を訪ね「お前らの写真2枚だけ出てきたわ」
産経新聞 3月22日(火)18時7分配信
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記者の父の実家も津波に押し流され、がれきと残骸だけが残っていた=宮城県石巻市雄勝町(千葉倫之撮影)(写真:産経新聞) |
雄勝町は山がそのまま海につかったような典型的な三陸の町。石巻市の中心部を東に抜け、つづら折りの山道を約30分。主要な道が寸断されているため、雄勝への唯一の陸路だ。山を下るとがれきの街が現れた。高さ20メートル近い公民館の屋上にバスが乗り、小学校には民家の屋根が乗っている。
壊滅状態の集落をいくつか抜けて、父の実家のある地区にたどり着いた。がれきの中に、青い作業着にヘルメット姿の父がいた。
「めちゃくちゃやな」。そう声をかけると、「めちゃくちゃだ」と振り向いた父。こちらをぽかんと見つめ、ようやく「来たんか」とあきれた顔をした。帰省で親しんだ家は跡形もない。コンクリートの土台だけが記憶をよみがえらせる。
高台の介護施設で難を逃れた祖母は、ヘリコプターで山形県の施設へ移されたという。父はがれきを片づけながら、「お前ら姉弟の写真、2枚だけ出てきたわ」と笑った。
「避難した人で流された人はいない。引き返した人がやられた」
父ら約30人は、高台で津波を逃れた数少ない民家に避難していた。たき火を囲んでいた父と同年配の男性たちが、口々に被災状況を語ってくれた。
足が悪い夫のため「椅子を取ってくる」と家に戻り、波にのまれた女性。車を取りに帰って遭難した夫婦…。「他にも『助けてけろー』って声がするんだけど、どうしようもなかった」。救助に携わった男性(61)はいう。過去の被災経験から津波に慣れていたはずの住民も、「想定外」の前には無力だったかもしれない。
「20メートルあった。湾の奥は30メートルだ。想像を絶する津波だ。どうしようもない」。海の男たちですら、そう口をそろえた。
避難生活ではあるが、さほど不自由はしていないようだった。民家の備蓄もあり、水やたきぎは山から調達し、支援物資も多少は届いていた。
「ただ、とにかくガソリンがない。車が動かないと連絡もできない。ぜいたくはいっていられないけど」。隣に住んでいた男性(63)はため息をつく。別の男性は「東京に戻ったら実情を政府に伝えて」と訴えた。
小さな集落でもこれだけ被害が出た。ウニ、ホタテ、ワカメなどを恵んでくれた雄勝湾内には膨大な残骸がただよい、漁業の再開は当分、無理だろう。そして、こうした街が東北の至るところにある。
「おばあさんの世話もあるしな。ガソリンが来て動けるようになったら、オレも出ていかないと」。父はそう答えるだけだった。だが、再起の日はいつか来る。そう信じるほかない。
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最終更新:3月22日(火)21時27分