福島第一原発では、危機的な状況がまだ続いています。「その1」で書いたように、避難地域の周辺でも、最悪の場合を想定して集団避難するところが出てきました。正確な情報を出さずただ安全というばかりの国はもはや何の頼りにもならない状況で、自治体が自主的に判断せざるを得ない状況になっています。それを受け入れる自治体もまたあり、図らずも上意下達・先例主義が崩れ、新しい自治が始まるのかもしれないとも思い始めています。もちろん状況は切迫しています。病院や養護老人ホームのような施設では避難が難しく、また避難地域に「火事場泥棒」が出没しているなど許し難い事態も発生しています。とまれ、切迫した状況の中で、地域は情報や支援がない中ぎりぎりの判断を迫られています。国家とは、平時は統治し非常時は見捨てるものなのだと思わずにはいられません。
戦後のエネルギー体制と戦前の軍国体制はよく似ています。戦前の軍国体制は無謀な戦争に突き進み、戦後のエネルギー体制は危険な原子力政策を推進しました。そしてどちらも破局を迎えました。実は、敗戦で解体され出直したはずの軍事体制の中で、電力体制だけは生き残ったのです。 沖縄電力を除く9電力の地域独占は、日中戦争さなかの1938年に電力管理法・日本発送電会社法が成立、全国の発電会社と送電会社を一本化し「日本発送電会社」という国策会社が誕生したことに始まります(あまり知られていないことですが、それまでは電力の売買は基本的に自由でした)。41年には配電会社が地域ごとに9社に統合されました。電力管理法によって設けられた電気庁が電力供給計画をつくり販売価格を決め、それにしたがって日本発送電と地域ごとに縦割りにされた9配電会社が事業を行うというしくみでした。こうして電力、エネルギーは完全に国家(実質的には軍)の管理化におかれ、戦時体制下に組み込まれました。 敗戦後独占企業であった日本発送電は解体され、配電会社の地域割りを元に民営化された9電力会社が発電から配電までを一貫して行う地域独占体制に変わりました。一方、電気庁はその後電力局となって逓信省、軍需省、戦後には商工省、通商産業省と所管が移り、73年に誕生した資源エネルギー庁へと引き継がれています。このように体制や名称は変わりましたが、エネルギー政策を決定し、それを実行する一連のプロセスはいまだ戦時体制を引きずっているとしか思えません。情報(戦況)を隠し、安全と恩恵(戦果)を強調する──今回の福島第一原発の事故に至るプロセスを見るとつくづくそう思います。 この大きな不幸をきっかけに、私たちはエネルギー政策の真の民主化を目指さなければなりません。戦後電力体制の象徴とも言える東京電力の解体が現実的なものになってきた今、その瓦礫の中から電力体制の「戦後」を築き上げる必要があると思っています。まずは制御が利かず利権・隠蔽主義を生みやすい巨大な電力システムから、分散型で効率のよい民主的な「コミュニティエネルギーシステム」への転換を進めましょう。(続く) 2011年3月21日 小澤祥司
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