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“原発後”の世界へ向けて その1
 このたびの未曾有の大震災で被害に遭われた皆様に心より御見舞い申し上げます。また亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。今回はその上、さらに地震と津波により福島第一原発が全て炉心溶融を含む重大な事態に至っています。避難された皆さん、屋内待避されている皆さんだけでなく、その周辺に暮らす皆さんもたいへんな不安の中で耐えていらっしゃることを思うと、胸が張り裂けそうです。

 本来ならば地震と津波の被災者・被災地への救出・救援活動が最優先されるべきなのに、その資源のかなりの部分が福島第一原発への対応に奪われてしまっています。助けられたはずの命が助けられず、死ななくてもいい命が失われ、救援物質も滞り、復興を妨げています。首都圏での食料やガソリンの買いだめも、動機のかなりの部分は「放射線への恐怖」でしょう。

 今さら言っても仕方がありませんが、福島第一原発を止める機会は過去に何度もありました。しかし、危険性の指摘に耳も貸さず「安全神話」を振りかざしてこのたびの重大事態を招いた国や電力会社の責任は極めて重大です。しかし、そのことは今あえて問いません。

■放射線の周辺地域への影響

 福島第一原発の今後の状況は予断を許しません。とくに使用済み核燃料プールやプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使用している3号機での水蒸気爆発などが起これば、半減期の長い放射性物質が拡散します。これらの放射性物質は重いので、より原発に近い地域が汚染度が高くなります。周辺地域では長期にわたり汚染が続くおそれがあります。原発に近い地域に住む人は将来にわたってほとんどいなくなるでしょう。原発誘致の結末は自治体の崩壊です。

 一方、同じ放射性物質でもヨウ素131やセシウム137などは、水蒸気爆発などで広範囲に拡散するおそれがあり、1986年のチェルノブイリ原発4号炉事故の際には、水蒸気爆発で格納容器のふたが吹き飛び空高く舞い上げられたことから、これらの放射性物質が風に乗ってヨーロッパ全土を広範囲に汚染しました。このときは比較的近い北欧やドイツばかりは、イギリスやギリシャ、イタリアまでが汚染されています。日本でも同様のことが起こると思われます。

 3月14日午前6:10ごろの3号機の水素爆発で飛散したと見られる放射性物質は、北東風に乗って茨城や千葉、東京にまで達しました。(独)東京都立産業技術研究センター駒沢支所(世田谷区)の観測では、同日10:00〜11:00にピークとなり、ヨウ素131が241ベクレル/m3(以下Bq/m3)、ヨウ素132が281Bq/m3、セシウム134が64Bq/m3、セシウム137が60Bq/m3と記録されています。ベクレルは放射能の強さを表す単位で、放射線量を表すシーベルトとは異なります。観測結果の中でヨウ素が高いのは、比較的短期間に崩壊していくからだといえます。ヨウ素131は約8日間、ヨウ素132は2.3時間で半減します。つまり、ヨウ素131であっても3か月もたてば2000分の1になるわけです。これに対してセシウム137の半減期は30年で、より長期的な影響があります。(なお、東京の放射線量はその後急激に下がったので、このときの爆発の影響は一時的だったと思われます)

 チェルノブイリ事故でも、ヨーロッパ各地で観測された放射線物質で影響が大きかったものは、ヨウ素131とセシウム137であったと言われています。とくにヨウ素131は甲状腺に取り込まれることで甲状腺癌を誘発しやすくなります。チェルノブイリ後、周辺ではとくに事故時に0〜5歳であった乳幼児にその後甲状腺癌が増えたことが知られています。若い人ほど影響を受けやすく、ヨード剤は赤ん坊や子ども、妊婦を中心に投与する必要があります。一方、ヨーロッパ各地でのヨウ素131やセシウム137の摂取経路としては直接摂取よりも食品を通じての摂取が中心となっています。とくに子どもの場合牛乳からの摂取が多かったようです。これは事故の時期が春だったため、牧草についた放射性物質を牛が食べたことによるものです。他に牛肉や羊肉からの摂取もありますし、野菜・果物も汚染源になっています。今後、汚染地域では当分の間放牧を避け配合飼料に切り替えるなどの対策が必要です。野菜や果物は十分に洗うことが必要でしょう。

 原発からの放射性物質の放出が止まれば、ヨウ素131の影響は比較的短期間で消えていきます。これに対してセシウム137は土壌に入り込むと中長期の汚染源になり得ます。いずれにしても、汚染が疑われる地域ではモニタリングが必要で、その結果次第によっては当分作付ができないなどの影響が出るかもしれません。

■集落単位での避難・疎開を

 先ほども言ったようにもはや原発立地地域では当分の間立ち入り禁止、そうでなくてもここに暮らそうという人はいないでしょう。原発難民という言葉が現実のものになってしまいました。その周辺地域でも、子どもたちを中心にできれば避難(疎開)させた方がいいと思います。被災地域でも一時避難する人が少なくないでしょう。その際に重要なのは、集落単位・学校単位での避難・疎開です。東京や大阪などを中心に、被災者・避難者の受け入れの表明がありますが、今回の被災地域・原発立地地域は農山漁村が中心です。都会の公営団地などにバラバラに住むのでは、コミュニティが崩壊し、孤独や慣れない生活によるストレスが大きくなります。三宅島の全島避難の際にも問題になったことです。

 ですから、できれば同じ東北地方で、あまり規模の大きくない自治体に受け入れてもらうのがいいと思います。統合で開いた小中学校があれば、そのグラウンドに仮設住宅を建てられるし、校舎で授業を受けられます。もちろん受け入れ自治体の負担がたいへん大きいと思いますので、都会の自治体はその自治体に対して支援をしてください。金銭的な支援に加え、職員を担当として出向させることも重要です。

 避難・疎開は、場所によっては数か月、中には数年の長きにわたることもあると思います。生きている間に戻れない地域があることも覚悟しなければなりません。そのために収入の道も用意しなければなりません。しかし、目標はあくまで地域の再生・再興です。そのために必要なコミュニティの維持を考えていただきたいと切に願います。

 これを書いている時点では、まだ「起こりうる最悪の事態」には至っていません。まだ予断を許さない緊迫した状況にあり、そうならないことをただ祈るしかありません。そして、近い将来必ず起こる東海地震の想定震源域の中心部に位置する浜岡原発始め、全ての原発の停止・廃炉を強く願います。原発の恐怖を味わうことでしか、脱原発はならないのか、曲がりなりにも脱原発を主張してきた1人として大きな責任を感じています。

                      2011年3月17日 小澤祥司
# by greenerworld | 2011-03-17 15:04 | “原発後”の世界 | Trackback | Comments(1)
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