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【スポーツ】長崎の“遼馬”が横浜ねじ伏せる2011年3月25日 紙面から
◇センバツ高校野球<第2日>甲子園に“りょうま”が現れた。波佐見(長崎)のエース右腕、松田遼馬投手(3年)が春夏を合わせて5度の優勝経験を持つ横浜(神奈川)を相手に、1失点完投。5−1で勝ち、初陣を飾った。4年連続21度目の出場の天理(奈良)は、21世紀枠で春夏を通じて初出場の大館鳳鳴(秋田)に完勝。加古川北(兵庫)も好投手釜田を擁する金沢(石川)に快勝した。 序盤から飛ばしまくった。ペース配分など無視した“ノープラン”のマウンド。それでも最後まで耐えて踏ん張って170球の完投で、強豪・横浜を倒した。底なしのスタミナを見せつけた波佐見の右腕・松田は笑顔がはじけた。 「球数は多かったけど、ずっと強い気持ちで投げた。たとえバテたとしても、それ以上に立ち上がりが大事だと思って(序盤を)抑えたのがよかった」 1回1死、2番・伊達を相手に自己最速の148キロをマークし、空振り三振に仕留めたのが147キロ。力で押しまくっての発進だった。「アドレナリンがいっぱい出る子だから。ピンチになったり、相手の打者がいい時には…。でも終盤は(スタミナ切れが)心配でした」と得永健監督(42)。8安打されて、8四死球と塁上に走者をにぎわし続けたが、味方の失策による1失点。横浜の15残塁が、松田の粘投を物語る。 5年前のセンバツ決勝で、同じ長崎勢の清峰が横浜に0−21でコテンパンにやられた。当時松田は中学生だったが、「詳しくは覚えていない」という。だから横浜のユニホームに圧倒されることもなかった。「向こう(横浜)の選手で甲子園を経験していた人はいなかったから、(初出場の)ボクらと同じ」。死球を恐れない内角攻めで、横浜の強打者を攻め続けた。 父親・孝幸さん(48)=会社員=が作家の司馬遼太郎のファンで、代表作である「竜馬がゆく」が愛読書。坂本竜馬が日本初の貿易会社を設立したのが長崎県。そこで息子には「遼」の字をもらって「遼馬」と名付けた。甲子園での力投劇は“遼馬伝説”の始まりとなった。(阿知波浩二)
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