唄好きの父は度々唄会を開きました。まだ7〜8歳の竹山は唄のおもしろさに惹かれていきました。 竹山は14歳で隣村の戸田重次郎に弟子入りし、三味線と唄を習いました。盲目の少年にとって生きる道はひとつ、門付け芸人でした。唄の素養があった竹山は2年あまりで師匠の許しを得て、独立しました。