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【社会】

最期までマイク手に 避難呼び掛けた消防団員

2011年3月21日 朝刊

 「高台へ逃げてください」。地震発生の日、住民に拡声器で声を振り絞った消防団員は津波にのまれた。宮城県名取市の桜井歩さん(46)の最後のアナウンス。流された消防車は無残に押しつぶされ、団員3人は遺体で見つかったが、助手席の桜井さんは右手にマイクを握りしめたままだった。

 押しつぶされた無数の家屋や車が散乱する中、ひっくり返った1台の消防車が道路脇に寄せられている。歩さんの妻美裕紀さん(43)は20日、消防団のメンバーらと現場を訪れ、外れたバンパーの上に線香と花をそっと置いた。「おれは消防団員だから、何かあったら後は頼むと言っていたけど…」。大粒の涙が頬を伝った。

 市消防団下増田分団第5部に所属する歩さんは地震直後、「行かなきゃなんねぇ」と言い残し、慌てて家を飛び出した。歩さんは同僚の森達也さん(40)、都沢章さん(49)と3人で消防車に乗り、拡声器で避難を呼び掛けながら、逃げ遅れた高齢者を避難所へ送り届けていた。

 津波が迫る中、街には「高台へ逃げてください」という歩さんの声が響いた。近くの避難所に車で向かっていた先輩の森清部長(57)は、歩さんの消防車が津波の方に進んでいるのを目撃した。「(津波の)ごう音が大きくなって、歩の声が途切れた。3人とも最後まで勇気を持ってよくやってくれた。無念です」

 翌日、美裕紀さんが現場を訪れると、大破した消防車の窓から歩さんの腰が見えた。「服の色で分かった」。車から引き出された歩さんの右手にはマイクが握られていた。1人でも多くの命を救おうと夫は津波にのみ込まれるまで声を振り絞った。「私も夫の声を聞きながら必死に逃げた。最期までマイクを離さなかったんです。人のために尽くす人だった」

 1人残っていた都沢さんの遺体が最近確認され、車が借りられたこともあって、ようやく20日になって現場を再訪できた。

 歩さんはギターやベースが好きで、バンドを組んで歌うこともあった。父に似て楽器演奏が趣味となった長女(19)と一緒に演奏するのを楽しみにしていたという。

 「きれいな声だった。たまに歌ってくれたホテル・カリフォルニアが好きだった」。美裕紀さんの耳の奥には優しかった夫の声がいつまでも残っている。「3人のおかげで助かった人がいるのが救い。いろんな人に『歩の声聞こえたよ』と言ってもらえたから」

 (土屋善文)

 

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