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残る2万人“孤立” 南相馬・不明者捜索ままならず
 | 津波の直撃で倒壊した南相馬市原町区沿岸部の老人保健施設。行方不明者の捜索は進んでいない=22日 |
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東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた福島県南相馬市は、東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の爆発事故も加わり、日常生活が深刻な打撃を受けている。避難指示と屋内退避の区域に入り、物資の輸送は滞りがちだ。行方不明者の捜索も進んでおらず、二重、三重の苦難に直面している。
市の中心部に当たる原町区。市役所前の通りは閑散としている。15日、区のほぼ全域が屋内退避区域(原発から20〜30キロ圏)に入り、市内を歩く人はめっきり減った。 県が同市で毎日実施する放射線量調査によると、1時間当たり2マイクロシーベルト程度。福島市などと比べてもかなり低い。 それでも浜通り地方への輸送を拒む業者が出始め、物資が届きにくくなった。市はやむなく、約4700人を県外に退避させた。自主避難も急増し、人口約7万のうち残るのは約2万だ。 県外のNPOなどの協力で物資不足は徐々に解消されつつある。新潟県小千谷市の「おぢや元気プロジェクト」は22日、食糧や医薬品をワゴン車で運び込んだ。若林和枝理事長(51)は「この程度の放射線量なら服や帽子で防護すれば大丈夫」と呼び掛ける。 市内の大手スーパーは閉じたままだが、JR原ノ町駅前の産直販売「まちなかひろば」は都内などから買い付けた野菜を販売している。 ボランティアで産直を手伝う飲食店経営の宮本力さん(62)は「放射能? 屋内退避? 食べ物もないまま家にこもっていたら、それこそ危ないよ」と笑う。 市によると、22日現在、犠牲者は223人、行方不明者は1260人に上る。津波に襲われた地域ではがれきの撤去が進むが、かつての水田は依然として沼のような状態。泥の中からコンクリートの基礎が露出し、辛うじて住宅跡と分かる。 屋内退避指示と同時に自衛隊は撤収し、行方不明者の捜索は警察と消防が懸命に続けている。 「(不明者を)早く見つけてあげてほしい」。捜索活動を見守っている住民が祈るようにつぶやいていた。 (加藤敦)
2011年03月24日木曜日
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