日立では、女性、外国人、障がい者を含む多様な個性や、働き方を尊重しながら仕事を進めることが、グループ社員同士のシナジーを高め、新しい価値創造につながると考えています
多様な人財が十分に能力を発揮できる職場環境をめざし、日立は「ダイバーシティ推進プロジェクト」を中心に、社内の意識改革に取り組んでいます。2009年度にはグループ全体の活動を推進するため「ダイバーシティ推進グループ協議会」を発足させ、日立グループ19社が4回の定例会議をもって、先進事例の共有や課題について討議しました。また全社フォーラムを開催して社員ネットワークを提供したり、イントラネットを活用した情報発信も強化しています。
2009年度新卒採用者男女比率
2009年度男女雇用比率
女性管理職比率の推移
日立では2009年6月に「欧州ダイバーシティプロジェクト」を発足させ、「ジェンダー・ダイバーシティ」を主要テーマとする意識改革、セミナーなどによる教育、ガイドラインの策定など、各種活動をサポートするツールを開発しました。欧州では、ダイバーシティを優先課題である「人権」の要として位置づけ、差別をなくし、機会均等を確保しながら効果的に推進していきたいと考えています。開発したツールは、2010年6月より社内イントラネットを通じてグループ会社に提供しています。
日立製作所は、企業の働きやすい職場について、メディアや関連団体から以下のような評価を得ています。
障がい者雇用率の推移
日立グループでは約3,000人の障がいのある社員がそれぞれの個性を生かすことのできる分野・職域で活躍しています。そのひとつに特例子会社もあり、現在4社で180人がその障がい特性に合った働き方をしています。障がい者の就労についてはハローワークと協働で「グループ障がい者採用フェア」を毎年開催してその支援を行い、就職後の定着を図るために日立グループ内外との情報交換による有用なノウハウの共有を図っています。また、学校や地域の支援機関と連携してインターンシップを実施し、精神障がいについて理解を深めるための啓発活動を実施するなど、グループ全体で雇用と職域の拡大に努めています。
[topics] 精神障がい者とともに働く場を
日立製作所 労政人事部労務課
主任 藤原 敏(右)
精神保健福祉士 五味渕 律子(左)
2009年5月、厚生労働省の「精神障害者雇用促進モデル事業」*にモデル企業として参加した日立製作所は、社内サポーターの育成や研修会などを通じて、精神に障がいがあっても安心して働ける職場づくりを進めています。2009年度は3名を新規採用しました。プロジェクトリーダーの藤原は、「今後、採用を全社に広げるとともに、培ったノウハウを少しでも多くの企業に伝え、障がい者雇用の現実を変えていきたい」と抱負を語っています。
社員一人ひとりが仕事と家庭生活を両立させ、充実した社会生活を送るためには、心身のヘルスケアが大切です。日立は、休職制度、短時間勤務制度など、育児・介護支援のための各種制度の整備・拡充を図り、働きやすい職場環境の整備に努めてきました。また、長時間労働縮減など働き方の改善、心身の健康増進施策、職場のコミュニケーション力を高める研修など、各種施策を展開しています。
育児休職取得数の推移
介護休職取得者数の推移
短時間勤務利用者数の推移
日立では、「安全と健康を守ることはすべてに優先する」というグループ共通の基本姿勢に基づいて、常に安全衛生水準の向上をめざし、「職場の安全確保」「社員の健康の維持・増進」を図る活動に取り組んでいます。
現場ごとの自主管理を基本として、「災害ゼロ」「危険ゼロ」を目標に各種安全活動に力を注いでいます。業種を問わずすべての職場において、職場巡視や安全教育などの基本活動の徹底をはじめ、リスクアセスメントなどの危険予知活動を活発化させることにより、災害要因の着実な低減を図っています。これらの安全活動の成果のひとつとして、これまでに日立グループの複数の事業所が「安全功労者 内閣総理大臣表彰」を受賞しています。
また、日立グループ全体の安全衛生管理水準の向上を目的に、毎年「日立グループ安全衛生研究発表会」を開催しており、2009年度は70社250人が参加しました。本発表会では、発生した事故事例と課題、健康管理に関する取り組みなどの事例を共有するとともに、外部講師による特別講演会なども開催しました。
労働災害度数率の推移
2009年の「日立製作所」以外の数値は未公表 (2010年5月30日現在)
小学校卒業とともに社会に出る子どもの多かった時代、日立製作所の工場内に「徒弟養成所」が誕生したのは、創業の年の4月でした。技能者養成を目的に専門科目、一般科目の授業を行いましたが、卒業後、他社に転ずるものも多く見られました。それでも社長の小平浪平は「日本の工業に役立つならば大いに結構」と認めていました。その後「日立工業専修学校」と名を変えて多くの技術者を養成し、今日も技能五輪金メダリストなど、日立のモノづくりを担う人財を輩出しつづけています。