
年明けくらいからここムギムギにも幾度か書かせてもらっていた 四月中旬に横浜美術館で開催を予定していたあるプロジェクトで 今ごろは(『1974』の初日が無事に開けたらほぼすぐの約束で) 韓国とシンガポールに行き、映像・音像の最終仕上げをすること になっていました・・のですが、 こちらは『1974』と違って中止になることが正式決定しました
プロデューサー川添さんや一柳さんの実現に向けての熱意溢れる ご尽力で、一時は六月実施延期ということでまとまったのですが、 このプロジェクトは 30,000ルーメンのプロジェクター 9台使用、 計100K以上の電力が必要となる屋外での映像企画であるため みなとみらいは計画停電対象外になっていますが、対象外であれ、 この状況下ではやはり不適切との判断で、この決定となりました
日本では殆ど前例の無い、建造物をメインにした壮大な映像企画、 新しい広告表現の先駆けとなるエンターティメントであること、 スタッフの方々がめちゃ優秀で心意気のいいメンバーであること、 塩田親友青島太郎くんとの共同演出であること、などの理由から
ものすごーっくわくわくしていたプロジェクトではありましたが、 ものすごーっくわくわくしていた塩田にも中止の理由はまったく 異存の無い、正しい判断だとおもいました
今まで(3月11日まで)一つ一つ万事順調に進行していたので またいつかこのメンバーで臨むこのような仕事のご報告ができる って信じております。
余談ですけど、技術スタッフチームのマットとクリスティーンに 「次回の打合せ、うまくタイミングがあったら観に来ないか?」 って『1974』のチラシを渡したら、二人とも「Oh!Cute!」って 声を揃えていました。へいへいへーい!
最後に、今回の技術スタッフチームが、シンガポールで手掛けた 『建造物をメインにした映像表現』をご紹介。かっちょいいです
http://www.youtube.com/watch?v=Pm9yb1w7-Lc&feature=player_embedded#at=39
じゃーな YOKOHAMA!またな! へいへいへいへーい!!
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Date: 2011/03/24(THU)
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なりふりかまわず没頭していた仕事に一区切りついて 散乱した本を本棚へ返し、丸まった鉛筆をぜんぶ削って、 散らかった机をきれいに拭いて、空っぽの空間のまえにすわると、 よし、さぁ次へかかるべしっというすがすがしいきもちがわいてくる。 いつも「もっと短いタームで区切ってきれいにしたい」とおもいつつ なかなかそれができない だらしな塩駄です
『1974』宛書きをする幸せシリーズ、続けてみます
斉藤佑介さんは、どういうヒトなんだろう。
『タイガーブリージング』の超お馬鹿で純粋、ひたむきな かっとびヨコハマ。 『三億円少女』の超サイコな危険人物、全ての悲劇の元凶、 ハカイダーリーチ。 ご一緒するたび、冴え冴えと水際立った芝居で、舞台上に風を吹かせる 凄い役者さん。そのあまりに見事なぶっとび加減に 斉藤佑介本人もぶっとんだやつなのかなー?って思ったりするんだけど、 でも、次に会った時の佑介には、前の役の残り香(のこりが)がしない。
すごく感じがよい、謙虚で、礼儀正しく、明るく、ピュアな、涙もろい、 「どこにもぶっとんだ印象がない」すてきな涙もろい(あ、二回書いた) 好青年なのだ。
佑介さんは演劇界の超売れっ子俳優なので、今まで一度も稽古初日には 出席できたことがない。そして、別の本番を終えて合流したその日から、 さぞかし全身全霊で取り組んでいたであろう「昨日までの役」の匂いを 全く感じさせず、ここの現場に最速できもちよく飛び込んで来てくれる。
それは、ひとつの芝居ごとに、自分のこころの容れものを空っぽにして、 いわば机をきれいにして臨むことを自身に徹底しているからではないか。
塩田が尊敬する哲学者内田樹さんの『内田樹の研究室』というブログに、 『こびとさんをたいせつに』という、「ヒトの才能の本質」についての ものすごく示唆深い文章がある。長くても読んでみて下さい。特に後半。
http://blog.tatsuru.com/2009/10/03_1726.php
いわく、 『スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。 「自分にできること」はいつだってできる。 そうではなくて 「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」 ができなくなるのが「スランプ」なのである。 それはそれまで「こびとさん」がしていてくれた仕事だったのである。』
佑介さんは、内田さんのいう「こびとさんに機嫌良くいてもらう」方法を 本能的に知っていて、それをストイックに自分に課しているのではないか。 だから、あんな「できそうもない」凄い芝居が「できちゃう」のだと思う。
演劇に生きると決めたから、そのことを第一にすえて、誠実に生きている。
そのブレない姿に、受けた仕事の全てに優劣をつけず一所懸命に臨む姿に いつも衝撃的に感動してしまう。現場を共にできる感謝にふるえてしまう。
で、ここまで書いて、また冒頭に戻ってみます。
斉藤佑介さんは、どういうヒトなんだろう。
役になるまえの、こびとさんが舞い降りて来て「ぶっとぶ」よりもまえの すごく感じがよい優しい好青年の佑介さん、そのエッセンスの、その先に 隠されてるものを「三度目まして」の『1974』に書いてみたくなったのだ
なので、今回は前もって脚本も送らずに(われながら意地悪ぃなぁ オレ) まったく初見の佑介の本読みってやつを聴かせてもらった。そしたら・・
宗兵は『1974』特設ブログに「どうして初見であんなしっかりした芝居が できちゃうの」と書いてたし、カズさんは「いやいや彼は満足してないよ、 ありゃもっともっとくるよ」とか言って、その夜の呑み会は不在の佑介の (ホント失礼。さぁーせん。許して)演技論で盛りあがったりしてたけど、
オレは視てしまった。佑介が、試行錯誤の中で、役に風穴を開ける瞬間を。 「あ。そういうことかぁ。。」ってハッてなった。ハッてかなしくなった
なにが「そういうことかぁ」ってうまく書けなくて申しわけないのですが、 毎回、容れものを空っぽにする精進をしてるけど、本当は人一倍、空っぽ にしたくないヒトなんだ・・たいせつなものを、たいせつになったものを 手放したくないけど、しかたなく「外付けのハードディスク?」に預けて 先へ向かおうとするヒトなんだ、というようなことが、手触りの慣れない 新しい脚本に必死に向き合う佑介さんの懸命さから伝わってきたんです
地震の最初のすごい大揺れがあった次の日、『三億円少女座組』のみんな から誕生日プレゼントで贈られた「ブタの貯金箱」が割れてしまった話を、 笑いながらしようとして、笑えないで一瞬、涙ぐんじゃった佑介・・
どういうヒトなのかは、もう前から知ってたじゃんかっオレっておもった。 そして、なんか今までも好きだったけど もっと好きになった
そして、「われながら意地悪ぃことをした」自分に自己嫌悪になりながら、 ごめんね、有り難う。って思いながら、その風穴佑介の越えてゆく瞬間に すべてをもらって、その時の衝動に貫かれ、残りの佑介の全部のシーンを 書きました
長々と書いたのに肝心なところ、書けなくてすみません。だけど、 くすりフィンガーのシンペイとも、ヨコハマとも、リーチともちがう、 じんじんきちゃう佑介さん、お魅せすることを約束します
大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の斉藤 佑介
どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!
注。 四枚めの写真はイメージで、当然、佑介さんの三億円貯金箱じゃないです。 昔、ネットサーフィンしてたら見つけた写真です。もう二度とそのページ に行けないし、思い出すことも無理です。なら載せるなって話なんですが 無断転載、申しわけありません
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Date: 2011/03/23(WED)
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『1974』宛書きをする幸せシリーズ、続けてみます
オレは、和泉宗兵ほど情にあつい人間に逢ったことがない
現在、命を懸けて日本を救い続けてくれている東京消防庁 ハイパーレスキュー隊をテレビで視て冨岡総隊長の無言の 目に大感動しながら、無意識に宗兵さんを思い出していた
非常に士気が高く思い遣りの深い漢なので、一緒にいると すてきな気分になり、「今夜の呑み、宗兵は行くのかなぁ、 宗兵が行くならオレも行くかなぁ」とか依存しちゃうほど、 一方的に友情をかんじている
なんで「一方的に」と書くかといえば、以前、宗兵さんに 「ぼくは泰造さんを友だちだって思ったことはありません。 あまり自分のことを知られたくないって思っています。」 と、ぴしっと言われたからだ
オレはそれを言われた瞬間、がーんっ!とはなったけれど、 同時に、有り難いきもちにもなった
人は、男でも女でも、人を好きになると惹かれて近よって もっともっと知りたくなる・・そして、そのことは同時に 好きになればなるほど熱心に情報は蓄積されてしまうので 結果的に、新しい情報は減少してゆくことも意味している。 極論すると 人は人を好きになるほど飽きてゆく のである。
この矛盾は、実は人間が抱えている永遠の問題のひとつだ。
反対意見もいっぱいあるとおもう。人は人のことは結局は、 わからない、という、よく耳にする信憑性の高い説もある。 だけど、わからなくてもわかったニュアンスにはなるのだ。 「新しい情報はない。すべてがおまえらしいな、まったく」 そのニュアンスが友情を確認させる。こころをリラックス させストレスを解放し、心地よい安心を与えてくれるのだ
オレなんて、たとえば大好きなラーメン屋とか呑み屋には もうまったく新しい味覚を、チェンジを、ニュースを希望 していない。いつものとおりの「ああ、この味、この空気」 そういうもの(だけ)を切実に希望している。 昔からの友に逢えば「かわらない安心感」を巻き戻し再生 しながら(だけ)酒を酌み交わすことが基本的には理想だ。 「新規の事業をはじめてさ」とか「オレ、愛人ができてさ」 というニュースは、実はあんましウェルカムではないのだ
だけど、ともに芝居をつくる役者と作家・演出家の関係は もちろん、そんな関係ではだめで、それではたちゆかない。
和泉宗兵さんとともにつくってきた芝居
マフネを演じてくれた『サバンナチャンス』 トーマスを演じてくれた『美女木ジャンクション』 ミハルを演じてくれた『ネムレナイト2008』 ヨーダを演じてくれた『いちころソング』 ウマシネを演じてくれた『サンクユーベリーベリー』 カワトウを演じてくれた『三億円少女』 そして、アクトリーグで毎週毎週稽古をともにした二年間
ぼくは宗兵さんの人間としての魅力、役者としての魅力を 知れば知るほどに惹かれ、常に物語の中で「ここのところ を是非引き受けて欲しいんだっ」という役をお願いし続け 見事に応えてもらってきている。それは得難い関係であり 時間なのだと思うけど、その積み重ねて来た得難さの中で、 親愛の情、同士としてのおもい、が深まれば深まるほどに、 宗兵は、なにも出し惜しみしないままに、できないままに (毎回真剣勝負なので、出し惜しみなどするわけないのだ) 作演出への「あたらしい宗兵」がなくなってしまうことを よしとせず、もがき苦しみながらも、明るく、鮮度を高く 存在し続けようと闘っている。あつい血潮を燃やしている。
それが、「友だちと思ったことはない」の真意なのだろう。 オレはそれをとても有り難くうけとめ、友だちになるのは いつか老後にとっておこうと決めた
今回『1974』では、そんな明るく人間臭く血を流している 役者和泉宗兵の今の今の今を宛書きさせてもらったつもり。
応援するウマシネでも目撃するカワトウでもない、当事者。 感情を剥き出しに 肉体を躍動させ 魅力を迸らせる宗兵を
12月のサザンシアターが待ち遠しく武者震いがしてくる
お客さまにとって観るにあたいする演劇をつくるために 作家として、俳優になにか、あたらしいものを提示したい。 演出として、俳優のなかに、あたらしいものを発見したい。 決してあたらしいものを狙ったあたらしさではないものを
暑苦しくなってすみません
和泉宗兵には、 アクトリーグ・カルツの憧れの和泉さんだったころのこと、 「和泉さん、オトムギに出てくれるって」と感動したこと、 忘れずに 近しくなって特別に見せてくれた、色んな瞬間の表情や声、 忘れずに あたらしい和泉宗兵を見つけにいきたい、とおもっている。
大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の和泉 宗兵
どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!
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Date: 2011/03/22(TUE)
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ちっさー こと 岡井千聖さんとはじめてお会いしたのも 前述のオトムギ初ゲキハロ『寝る子は℃-ute』でした。 はつらつとした笑顔と、さくっとボーイッシュな雰囲気、 風とおしのいいギャグセンスに惹かれ、茅奈(ちな)と いう、物語に他のみんなとは別の切り口でからんでくる 「カリスマ占い師の娘」というスパイス的な存在の役を 宛書き(あてがき)させてもらいました
その宛書きは、じまんっぽくなっちゃってすみませんが、 岡井さんの魅力にばっちりあっていたようにおもいます。 ・・そして、だけど稽古がはじまってしばらくたつうち、 ちっさーはそれ以外に、いつもはかくされた特別な力を 持っていることにぼくも大人たちも気づきはじめました
『寝る子は℃-ute』には主題歌があって、歌詞の一部に 『二人で手をつないで、星を見たくて』というパートが あります。振り付けの先生は、当然「二人で手をつなぐ」 振りをつけていくのですが、二人ずつ組んだら℃-uteは 一人あまってしまいます。ぼくが、そのことに気づいて 「うっ、どうするべ」とあせる間も無く、岡井ちゃんは タタッと一人で遠くに駆けていきながら「じゃー千聖が 『二人でー♪』のあいだは、一人でこうダンスやってて 『星を見たくて♪』の時に、サッてなっきぃと舞ちゃん のとこに手をつなぎに行きます」と、一瞬で言いました。 誰もあせりだす前に、自分を犠牲にして解決しちゃった ・・なんじゃ??この娘は・・??
『寝る子は℃-ute』は、℃-uteの初めての本格的な舞台。 さぞかし不安も多かろうと、演出家塩田は信頼する仲間、 プロフェッショナル俳優たちを連れて現場に臨みました。 「稽古や舞台上でなにか困ったら彼らを頼ってください。 彼らは海千山千(うみせんやません)絶対なんとかして 助けるから」くらいのことを言っていました。そうして はじめた稽古で、バカヒロという役の中神さんがセリフ を忘れてシーンを止めちゃった時(稽古初めの中神さん にはよくあること、オトムギ稽古なら笑い話なのですが) 塩田はぶち切れて「中神!そんなんじゃ たよれねえよ! 役者だろ、おめえ!」と激しく罵倒をしてしまいました
恥ずかしい話ですが、稽古場は凍ってしまいカズさんは (めずらしく)うなだれています。そんな重たい空気で 再開した稽古は「バカヒロがボヤ騒ぎを起こした別荘を みんなで復旧する」という、セリフのないフリー演技の ちょっとミュージカルっぽいシーンでした。その時です。 皆は掃除や修理に大忙しなのに、一人だけなにもせずに また煙草なんぞ吸おうとする(役の)中神さんに茅奈役 の岡井さんが(今までそんな動きは見せてなかったのに) 目を強く光らせてぽんぽんぽんぽんからんでいくのです。 言葉のない演技で「あんたも働きなさい。タバコなんか やめろ」とうったえてるその姿は、まるで「ひっこむな、 ひっこむな、さっきのリベンジをしろ。大丈夫、大丈夫」 ってカズさんを力づよく元気づけているかのようでした ・・なっ、なんじゃ??この娘は・・??
その夜の呑み屋。カズさんは半泣きしながら言いました。 「タイゾーの手のつけられない本気切れで俺は滅ぶかと 思った。俺は俺は今日、岡井ちゃんに救われたんだぁー! あの子は・・岡井ちゃんは、菩薩(ぼさつ)だぁーッ!」
はい。岡井千聖の いつもは封印された特別な力。それは 菩薩のこころ。ひとの 場の ピンチを引き受ける人間力。 それは初顔合わせの時点では気づけなかったことでした。
ぼくはなんとなく稽古中「今、この瞬間、稽古場の空気 どうかな?」っておもう時、無意識にちっさーの表情を 目で追うようになっていました。「ちっさーが無邪気に はつらつと笑ってる時は、ばっちしオッケー。まっすぐ 真剣に目を輝かせてる時も、ばっちしオッケー。なにか 『ん?』っていう表情を見せてる時は、どこかかげりが 出てるのかも」って
次回ご一緒するときは、ぜひそこのところを書きたいな と思って臨んだ今回の芝居です。
そんな『1974』は、作家の思い入れをドドーンと一気に 引き受けて、岡井さんの役は超大変な挑戦になりました (どんな超大変かは是非12月の『サザンシアター』で 見届けてください!) でも、稽古期間中、千聖さんは「たいへん」「できない」 とは決して言わずに、日に日に、前日の何倍も素晴しい 演技、目が離せなくなるシーンを魅せ続けてくれました。 回を重ねるごとに役になりきっていって、目がきらきら 輝きを増すのです。「どんと来い」感がすごいオーラを 放っているのです。ほれぼれする取り組み、化けっぷり、 格好のよさに、作家・演出冥利を感じずにはいられない 聖なる時間でした
ご本人が「今回はあたしとはもうぜんっぜんちがう役で、 だからすごいやりがいがあります」って言ってくれてる のを耳にしてとても嬉しかったのですが、塩田としては 千聖さんからいただいたものをちょっとかたちをかえて 脚本に描いてみたつもりです
カズさんは衣裳合せ中に岡井ちゃんとお話したそうです
「あたしは演技が苦手で、℃-uteのみんなはなっきぃも 舞美ちゃんもすごい演技が上手で、ホントすごいんです、 あぁ舞美ちゃんの演技、見せたいなぁ」
ううん。そうかもしれないけど、今、ヒトのことそんな すてきにほめたりしなくていいから。あなたはあなたの 能力の異常な高さに自分で気がついていないよ。前の日 に出来なかったこと絶対逃げずに自分のものにしてくる。 その姿は1974座組の全員をとりこにしているよ。 あなたのこの役は、絶対に 岡井千聖でしかありえないよ
カズさんはその時そう思って、思ったけども、本人には 言わなかったそうです オレもまったくおなじきもちです。でもやはり本人には 伝えられていません
なんせ、ちっさーはともかくほめさせてくれないのです。 「通しすごく良かったよ」って伝えたいのに、ぽろぽろ 涙を流したりしていて、「えっ?!どうしたの?」って おろおろ心配するまえに「あの、どうか、ぜんぜん気に しないでください。自分が自分にくやしいだけですので」 と逆に気づかいまでしてくれちゃうのだ・・なんという 自分へのオッケーの高さなんだろう
それは、なっきぃ(中島早貴さん)も同じで、二人とも 本番で、お客さんにいいものを観せるまでやりきること しか考えていない。「℃-uteは、なかなかほめさせない」
だから客席に喝采で迎えられたら、その時こそほめよう。
大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の岡井 千聖さん、
どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!
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Date: 2011/03/21(MON)
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時間は早めることも止めることもできない
だれかの安否を念っていたり 寒さや恐怖とたたかっている方には 一分一時間が果てしなくながいのだろう
なにも憂うることなく 自分がすべきことに集中して没頭している方には 一日のながさを感じる間もないのだろう
ご自分がとてもたいへんな心理状況にありながら 色んな人のつらさをおもんぱかれる「あるささん」 有り難く、大きな勇気をいただきます ↓
http://ameblo.jp/ashitanokaze-dd
山下治城さんのブログで知った「さとなお」さん ふだんの美味しい店の食べ歩きや本紹介のコラムは すごい面白かったけど 今はこんなふうにとんでもない活動をなさってて 有り難く、あたまがさがります ↓
http://www.satonao.com/
ぼくは、ここには書かない時間に涙をながしたり、 うわっ、ふだん毎日会ってる役者仲間のみんな・・ あらためて視ると異常に格好いいんだなぁ、なんて おもったりしつつ、日日を過ごしています
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Date: 2011/03/20(SUN)
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なっきぃ こと 中島早貴さんとはじめてお会いしたのは 2007年のちょうど今ごろ。四年前の春の昼下がりでした
ぼくはその日、はじめて「ゲキハロ」の仕事をいただき、 はじめて会う℃-uteの はじめての主演舞台ということで はじめて尽くしの緊張感の中、一時間ほどの面会時間で ℃-uteの皆さんの印象をインプットすべく、池田と共に ペラ数枚の仮の脚本らしきものを持参してまいりました
「卒業式の帰り道に、仲良しの友だちとプリクラを撮る」 そんな内容のペラでした。読み合わせの一番最後だった 中島さんは、なんとその数枚の脚本を読みながら言葉を つまらせ、涙を流しました。・・ぼくはア然としました
それは、卒業という晴れやかなきもちと、もう友だちと 毎日は会えないというかなしいきもち、プリクラなんか 撮らなくてもすぐ会えると笑う友だちの「きっとそうは ならない未来」をいとおしくおもうきもち、およそその ペラ数枚の脚本に(きちんと書きこまれていないのに) 求められているすべての感情が、淡く渾然一体となった、 貴い涙でした
ぼくは面会後の興奮も覚めやらぬまま、池田と立ち食い 蕎麦をすすりつつ「とんでもないものを見てしまったな」 と言うと、池田も「とんでもないものを見てしまったな」 と言いました ・・ その役の身になって、あたまで考えると相反する感情の すべてを自分のものとして、こころで同時に感じている
それはものすごく特別な才能であり、これを感じるだけ ではなく、おもいを言葉にのせて表現するところにまで いけたならば、彼女はとんでもないことになっちゃうぜ ・・ 言葉にするならそんな感じの興奮を、言葉にしないまま 共有していたのだとおもいます
それで前述のオトムギ初ゲキハロ『寝る子は℃-ute』で 早貴さんに宛書きさせてもらった司(つかさ)という役 に、クライマックスシーンで以下のセリフを書きました。
『夏美さんは空に帰っていった。
星が多すぎて、どの星になったのかはわからない。
だけど、もうあの水色の鏡の中に、夏美さんが現れることは、
ないんだろう。
チョウさんは、千切れるくらいに手を振っていた。
わたしたちはみんな笑っていたけど、
笑っていないと涙がでちゃいそうな、へんなきもちだった。』
(ごらんになってない方、なんのこっちゃですみません。 だけど是非今からでもDVDで観ていただきたい作品です)
この中島早貴さんの長台詞に、想いをのせきった表現に、 ぼくは深く感動しました。ご来場のお客様にも大絶賛で 迎えられた、忘れられないシーンとなりました。ですが、
このセリフって、セリフだけ注意深く読み返してみると、 二行目と三行目、四行目と五行目、ほとんどのセリフが 前の一行と相反する「別のきもち」の衝動に動かされた、 へたすると「わけわかんない」「ついていけない」こと になっちゃう、ぎりぎりの連続で構成されているのです
なっきぃのモノローグにこめられた感情が、ぴたぁーっ、 とうまっていたからこそ、うけいれられた、神のシーン。
「しあわせ」と「かなしみ」は 両極にあるものではなく、隣り合わせにあるものなのだ。 そんな、知っているつもりだった、知らないでいたこと、 中島司にあらためて教えてもらった気がした塩田でした
・・ぎゃー!
なんか、どえらく長い文章になっちゃっててすみません。 まだ肝心の『1974』まで行き着けてないというのにぃー
ちょっと途中はしょります
今回のオトムギ、中島さん 岡井さんをお迎えするんだ! そう決まった直後の塩田のきもちは 「うおぉーっ!」「ついに再会できる!」「うれしい!」 大興奮歓喜しましたが、それだけではありませんでした
四年前、はじめての芝居の時でさえ、あんだけこころを 揺さぶられたんだ あれから四年めちゃ密度濃く毎日をたのばってるお二人。 今やいったいどんだけすごいことになっているのだろう。 年に数えるくらい、コンサートや劇場で「また、ご一緒 できる時を楽しみにしています」とごあいさつするたび、 必ず「はい!ぜひ!」とまっすぐな即答を返してくれた あの笑顔には、なんとしても作品でばっちりこたえたい!
『寝る子は℃-ute』は稽古初日に台本が全部あったので、 「宛書き」のための準備時間は「一時間」とするならば、 『1974』がもらった時間は、なんと「四年間」なのだ。 今回の宛書きには、果てしない時間がかかっているのだ! 「やべえ!」「緊張する!」「がっかりさせたくねえ!」 色んなきもちで胸が騒いでしかたなかった稽古前でした
・・だけど、そうしてはじまった『1974』稽古・・
はじめてのホン読み稽古。早貴さんは「色んなきもちを まぜこぜに」宛書きされた役に「うわぁ(喜)その声で、 そのように読んで欲しかったんだ」と作家冥利に尽きる、 感情が連綿と生まれ続ける素敵な読みを聴かせてくれて、 さらにちょいちょいと演出をつけるたび、その役として、 あまりにも絶妙な「こころで感じてる」リアクションを、 ぴたっぴたっと返してくれた。わぃっ!色んなきもちを 感じるこころ、大切にしたまま、さらに純化してパワー アップしてるぅ!!
立ち稽古で「そこで前に、センターに出てみてください」 と頼んだら、ぶわっとおっきい目をもっとおっきくして 笑顔全開で魅せてくれた芝居に「こりゃ紀伊國屋ホール の最後列の壁にライナー性のホームランでバコーン!と ぶち当たるなーッ」って、おいら、演技でバコーン!と やられてしまった。おもいをのせる表現が、四年前とは 比べようもなく圧倒的にパワーアップしてるぅ!!
そんな早貴さんを視た瞬間、シオダの渾然一体となった 色んなきもちは、ふわーっと「この芝居をつくれる幸せ」 という、もっと大いなるおもいへと昇華していきました
そうして
のこり半分の脚本は、その稽古時間からもらったものに この身をまかせ、導かれるままに大胆に書き切りました。
はい。まるで、じぶんで書いたようじゃない、大胆さで。
大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の中島 早貴さん、
どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!
そして次回のムギムギデイズ『宛書きをする幸せ』には この芝居のもうひとりの主演女優 岡井千聖さんのことを 書くでやんす!
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Date: 2011/03/19(SAT)
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ぼくは脚本を書く時『宛書き(あてがき)』というやりかたが いちばん手応えを感じるぜいたくな書き方だとおもっています。
宛書きは、
最初に物語があるのではなく、演じてくれる俳優さんの容貌や、 声、立居振る舞いなどなど(はい。などなどです)から色んな イメージをいただいて、それを動力源に物語を紡いでいきます。 かなりしも「これならハマり役だろう」ではなくて「この役を 演じてる姿を観てみたい!」という自分勝手的なわがままから できていたりするのですが、稽古場で演出をしながらあたまに 描いた世界がぶわっと立ち上がり、増幅し、実現していく瞬間、 ぞくぞくする歓びにうちふるえます。
この書き方の場合、物語のゆくえも当初イメージしていたもの ではなくなってしまうことがあり、まるで自分で書いたみたい じゃないシーンに出逢えたりします。その快感はなにものにも 代え難く、こんなことがあるから芝居はやめられないとおもう 瞬間です。
2011年3月17日。今日(日付が変わったからもう昨日だけれど) 初日を迎えるはずだった舞台『1974』
紀伊國屋ホールにはオデッセーの頼れるナイスガイA吉さんが 期間中常勤で、もしも延期を知らずに訪れてくださるお客さま がいらした場合への対応をこころがけてくれています。
ぼくは劇場にも赴かず、電気を消した部屋で、静かに、静かに 今なにをしたらいいのかと考えたり考えなかったりしています。
公演が中止でなく延期になったこと、ものすごく有り難いです。 そして、ものすごく有り難いこととわかってるにもかかわらず、 「オッケー!よっしゃー、次だ!さぁ、切り替えて行くぜぃっ」 とはすぐにはどうしてもなれない自分がいます。
『1974』の炎が 『1974組』のみんなにもらったエネルギーが からだのうちがわで燃えつづけてやみません
『1974』を今、お客さまにご覧いただきたいと願ったきもちが からだのうちがわで燃えつづけてやみません
それで、
もちろん舞台の内容や役柄については来る12月の延期公演を 楽しみにしていただきたいので、ネタバレしたくないのですが、 それぞれの俳優さんたちから『宛書き(あてがき)』する時に いただいたものについて、この「幻の公演期間中」に少しづつ 書きつづってみようとおもいます
パンフレット予告編みたいなニュアンスでゆるゆるお付き合い いただければさいわいです
書いてみて「あ、やっぱ、これ、ネタバレに通じちゃうかなー」 とか思ったら途中でやめるかもです。スミマセン
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Date: 2011/03/18(FRI)
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1974 稽古場日記 0311 池田稔「こりゃ芝居なんかやってる場合じゃねーな。サ、ぶっ通そうぜ」
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暖房をつけない音楽のない薄暗い部屋で さぁなにをしようかなと思って、ムギムギデイズを書いてみます
こんな時に電力のしょうもない無駄遣いだと不愉快になられた方、 返す言葉もなく、本当にもうしわけありません でも、この『1974』公演をたのしみにしていてくださった方々に 「『1974組』はあの時、こんなかんじでした」 って知ってもらいたいきもちもあって、徒然につづってみます
3月11日 最初のものすごい大揺れがあった時、 『1974組』は通し稽古の目前のスタンバイタイムでした プロデューサーの佐々木さんが赤羽橋の方と電話してて 「えっ?!そっち地震?東京タワー曲がった?うそっ!」 と言った瞬間、電信柱がぐわんぐわん揺れはじめました
おもわず階下の稽古場まで駆け下りていくと 「灯体(とうたい)の下に行くなーっ」と池田が叫んでいて 年若の女優さんたちは稽古場の真ん中におしくらまんじゅう みたいにチームワークよくかたまって、 どぅーが「う。ちょーこえー」とひとりごとをつぶやいてて 元気や将護が哺乳類の親(お兄さん犬やお母さん猿みたいな) のような体勢で、びっと子供たちの頭上に手をかざしながら じーっと天井を睨んでいました 宗兵や佑介さんは金剛力士像みたいな体勢で守っていました。 なっきぃが「ちょっとだけ前髪切ろうかなー」と言っていて、 ちっさーが直前につけたシーンの段取りの確認をしてたのが、 なんだか やたらに たくましくて たのもしくて 和みました
余震が続くなか、池田稔が 「おう・・こりゃ、芝居なんかやってる場合じゃねーな」 と言い、(塩田はあいまいにうなずき) 「お(稽古場の)ドア開けとけ。昼だから音したって構わねえ。 閉じこめられたらどうにもなんねえからな」 と言い、(塩田はあいまいにうなずき) 「少しでも揺れが来たら止めることにして、サ、ぶっ通そうぜ」 と言い、オレを視ました。 それまでただぼけーっとあいまいにうなずいていたオレが 「あ。こんな時ですが、通ししてもいいですか」 と言ったら、 みんなが元気に二つ返事の即答で「ハイッ」と応えてくれて 通し稽古をやりました
それは、 信じられないほどぴったぴたに集中した、素晴しい通しでした
通しが終わったら、もちろん即時解散となり でも電車はひとつも動いていないので 年若の女優さんたちはそれぞれ大渋滞の中、迎えに来るご家族を 待っていて、さぞかし不安だろうに明るい笑顔を絶やさずにいて、 なにくわーぬ顔で大河元気がいちばん遠くの のうちが帰るまで ずっとおもしろい話とかして時間を忘れさせてくれていて、 子供たちはひとりひとりみんな家路につきました 佐々木プロデューサーは、ハローの子が全員帰るまできっちり 稽古場にいて、つながりづらい連絡を注意深く丹念にとり続け、 皆が帰った瞬間「ではわたしも帰ります」とお帰りになりました
「未成年がいるうちは誰も酒を買いに行くなよ」と言っていた 池田が、稽古場の真ん中に小道具のちゃぶ台を引っ張って来て、 いただきものの幻のようにウマい酒『夢心』をドンッと置いて、 将護が気のきいたつけもの的なものを買って来て、 ナミチョウのはちゃめちゃ明るい音頭と、コンちゃんのいなせな お酌で、演劇人生初の稽古場エンドレス酒盛りがはじまりました
塩田は家族との連絡がとれていなかった関係で大田区の自宅まで 五時間くらいかな?歩く決意をして、宗兵の「異常に寒いですよ、 今夜はここにいた方が」との優しい忠告にも「いや、帰ってみる」 と(当社比)りりしく答え、「気をつけて!さようなら!!」と すっごいもったいないくらいの見送りをみんなからしてもらって、 稽古場を出た瞬間、家族の無事を知って、そのままコンビニ直行、 大量の酒を買って引き返し、大爆笑の「お帰りなさい」もらって
その夜は、忘れられない酒になりました
非常時にふざけててすみません。 だけど、目にはいる座組の皆すべてがたのもしくやたら格好いい そんな日でした
写真1。稽古場ど真ん中でちゃぶ台酒場開幕 写真2。並木秀介画伯による深夜のスケッチ 写真3。紀伊國屋ホールにて粛々と搬入の図 もちろんクレーンは使用せず。オール階段で。 写真4。紀伊國屋ホールの裸舞台にて 宮原NASAKE将護 & 斉藤YOKOHAMA佑介 「おら、足!しゃんとしろぉっ!足!」の図。
本日の日記はここまでとします。でも、 この芝居の主演女優、中島早貴さんのこと、岡井千聖さんのこと その他、本番までは書かずにいようと思っていた、塩田がこころ 動かされたことのつれづれ、また折にふれ書かせていただきます
公演が打てなかった思い出の追憶としてでなく 冬まで延期になったあいだを、さらにたのしみに待っていただく こころの予告編として
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Date: 2011/03/17(THU)
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稽古最終日前日 震災後の対応でBS-TBSで二日間徹夜だった プロデューサーの丹羽多聞アンドリウさんが 通し稽古を見終わって、感想のひとこと 「ものすごく疲れていたんだけど、これを観たら 元気をもらった。活力がわいてきた」 と言ってくれました。
1974組一同、一丸となってつくってきたこの舞台、 「一人でもご来場くださるなら公演をしたい」 そう思って、昨日ぎりぎりまで紀伊國屋ホールにて 美術セット建て込み、照明吊り込み、音響チェックなど すすめていた我らですが 佐々木淳子プロデューサーとじっくり話し合いを重ね 交通機関への影響、計画停電への協力、余震への対応 などをかんがみて、公演を延期とさせていただきます
たのしみにして待っていてくださったお客さま たいへん申しわけありません どうぞご理解くださいますようお願い申し上げます
ですが、先ほども書きましたように この公演は中止でなく延期なのです
この『1974』の
なっきぃ(中島 早貴さん)の超フレッシュな可愛らしさ、素敵さ ちっさー(岡井 千聖さん)の運命に向き合うりりしさ、格好よさ
工藤 遥さんの元気いっぱいの愛くるしさ、 竹内 朱莉さんのすこやかな明朗さ、 大河 元気さんのまっすぐな瞳のつよさ、 斉藤 佑介さんの知性あふれる色っぽさ、 宮原 将護さんのアホで優しい日向のにおい、 和泉 宗兵さんの骨太で繊細なたくましさ、 磯和 武明さんの天晴な怪優っぷり、 岩田 陽葵さんの記念すべきデビュー、 今藤 洋子さんの涼やかな母性、 池田 稔のいぶし銀の怪しさ、 並木 秀介の見たことないろくでなしっぷり、 中神 一保の家族をおもうまなざし・・
もう明日に本番を観てもらいたくてたまらない状態、 ばりっばりに仕上がっている 『1974(イクナヨ)』 今のフレッシュさ、勢いや熱気、なにもかも そのまんま真空パックして、 この滑走路の時間、さらなるブラッシュアップをかさね ご来場くださる全てのお客さまに 「元気になってもらえる芝居!!」 をお届けいたします どうぞ引き続きのご期待、宜しくお願いいたします
そして
今も寒さ、かなしみ、おそろしさ、こころぼそさ、 とともに過ごしていらっしゃるであろう震災被災者の方々に こころからのお見舞いを申し上げるとともに 犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
『1974』脚本・演出 塩田泰造
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Date: 2011/03/16(WED)
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毎日毎日 熱気球のように膨らみながら 上昇してゆく 『1974』 です
いろいろ書きたいこといっぱいの毎日 でも、やっぱり今は、核心のところは、 「たのしみにしてください」 としか書かないでおきます。。。
美術 田中敏恵さんの至高のセット 音響 尾林真理さんの匂い立つ音
舞台監督 小野八着さんのご尽力で ものすごーく美味しい会津のお酒『夢心』 いただきました 「あ、お正月にしか呑めないお正月の味」 とつぶやいたおばやん(尾林さん)でした
この舞台を紀伊國屋ホールに持っていくこと たのしみでなりません
本日の写真 アクトリーグをともに闘ったミラスタの きゃぷてん後藤公太さんが登場していますが 合成写真ではありません 乞うご期待関係!!
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Date: 2011/03/10(THU)
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