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東日本大震災:福島第1原発事故 3者で放水、冷却成果

 ◇空と陸から3日で1476トン

 東京電力福島第1原子力発電所の冷却作業は19日も東京消防庁と自衛隊が連携をとりながら行った。自衛隊のヘリコプターによって17日午前から始まった空、陸からの放水作業は、想定以上に高い放射線量や機器の故障、散乱するがれきなどに阻まれてきたが、3日間の放水量は約1476トンに上る予定で、一定の成果が上がっているとみられる。現地では20日も消防、自衛隊員による懸命な放水が続く。

 ◇自衛隊、手探りの連携作業

 冷却作業は3日目の19日、ようやく自衛隊と東京消防庁などが一体となった態勢が整った。しかし、技術的な課題が相次いで浮上。関係各機関の連携を巡っても手探り状態が続いている。

 北沢俊美防衛相は19日の会見で、陸上自衛隊の大型ヘリコプターCH47Jが上空から同日朝に調べた福島第1原発1~4号機の表面温度が、いずれも100度以下だったと明らかにした。北沢氏は「使用済み燃料棒が入ったプールに一定の水量を確保できた」と述べた。

 一方で北沢氏は「がれきが相当散乱しており、処理をどうするかは難しい問題だ」とも指摘。「放射能(放射性物質)が付着している懸念もある」と明かした。

 「警視庁や消防庁に比べれば専門知識やノウハウはあるから」(防衛省幹部)と、自衛隊は政府に仕切りを任された。しかし自衛隊にとっても未体験の手探りの作業だ。

 高圧消防車を使った放水活動では、自衛隊は当初、持てる装備をフル活用しようと、大型破壊機救難消防車A-MB-3に、9台の小型消防車を3台ずつホースで連結。海水をくみ上げてA-MB-3で1分間に6トンを放水する方式を考えた。

 しかし車外での長時間の作業は無理。さらに海側の地盤が地震の影響でかなり緩み、消防車を長時間止めての作業は困難と分かった。A-MB-3自体がもともと飛行場での航空機火災事故を想定しているため、現地入り後不調となり、整備が必要になったほどだ。

 現地の指揮命令系統も依然としてあいまいだ。

 「今後の放水、除染等の活動については、自衛隊が全体の指揮をとる」。18日昼、政府と東電の統合連絡本部が細野豪志首相補佐官名で出した「放水活動の基本方針」という文書にはこうあった。同日午後には陸自中央即応集団の田浦正人副司令官(陸将補)を現地指揮官とする「現地調整所」が事実上始動。放水作業を行う高圧放水車が集結していた福島県楢葉町の運動施設「Jヴィレッジ」が拠点となった。

 しかし、放水活動にかかわるのは警視庁、東京消防庁、東電と複数の組織にまたがっており、それぞれにトップがいる。指揮命令系統が自衛隊に一本化されたとはいえない。「消防隊員や機動隊員を自衛隊に出向させてくれるなら指揮が執れるが、そうはならないだろう。厳密には各組織の総合調整にとどまる」と防衛省幹部は指摘する。【犬飼直幸、坂口裕彦】

 ◇消防庁「無人化」に難航

 東京消防庁が遠距離大量送水装置「スーパーポンパー」や「屈折放水塔車」などを組み合わせて実施する「無人放水」システムの構築は難航した。

 放水車など5台に分乗したハイパーレスキュー隊員13人は、別の指揮車に乗った東京電力社員らとともに18日午後5時5分に原発正門に到着。しかし、給水車を固定するはずだった岸壁は地震で崩壊し使えず、ホース延長車も入れない。隊員らは給水車用の別のポイントを探し、ホースも手作業でつなぐことにした。

 給水車と放水車の距離は約800メートル。大量放水を支えるホースの直径は通常の6・5センチよりも極太の15センチで重い。隊員らは両方の車からそれぞれホースを伸ばし、ホース延長車のホースも取り出してつなげた。放射線を浴びることを防ぐため増員し、交代しながらかかわった隊員は約50人。19日午前0時半、放水に至り、この段階で一時は無人放水にも成功した。

 放水再開は19日正午の予定だったが、東電の電力復旧工事の影響で遅れ、放水塔車のバッテリーが上がるトラブルも起きた。だが、スーパーポンパーの強力な圧力を利用、午後2時5分から2回目の放水を開始した。

 目指した連続放水時間は7時間。計画通りなら計1260トンを注水することになる。これは3号機の使用済み核燃料プールの容量に匹敵し、プールが空になっていても理論上は満たすことができる。

 最初は1次派遣隊のうち未明の放水にかかわらなかった隊員が担当し、その後は2次派遣隊員が引き継いだ。無人での放水が可能となったが、数回必要になる給油は行わなければならない。

 東京消防庁は19日、福島県楢葉町の前線拠点で、1回目の放水時に現場作業を行った隊員らの放射線量を計測したが、異常は見つかっていない。ただしハイパーレスキュー隊は大学などの研究施設や病院など放射線を使う施設での火災を想定した訓練は普段から行っているものの原発での活動経験はなく、非常手段の活動への懸念は消えていない。【山本太一、伊澤拓也】

 ◇警視庁、突然の出動要請

 警視庁が地上からの放水作業の口火を切ることになった発端は、15日の東京電力から警察庁への依頼。「『高圧放水車を貸してほしい』と機材まで指定してきた」(警察庁幹部)。この時は東電側が放水作業を担うことを前提に貸し出しを決め、東電社員に放水車の操作方法を伝えた。ところが翌16日朝、官邸や経済産業省から「事態が切迫している。警視庁で操作できる人に行ってもらえないか」と要請があったという。

 このため警察庁は警視庁に出動要請。警視庁は16日午前、放水車の操作に慣れた人材を集めた。放水車は暴動鎮圧が目的で、過激派の活動がさかんではない昨今、あまり使用実績はない。扱える要員は限られ、突然の招集に当直明けの機動隊員も含まれていた。

 招集されたのは25~41歳の10人。隊員を乗せたヘリは16日午後2時半、都心近くのヘリポートを出発した。

 17日午前11時ごろ、準備拠点の第2原発に到着し、午後3時40分ごろ、第1原発近くの免震棟に入り防護服を着装。隙間(すきま)を残さないようテーピングして防御した。10人は3班に分かれ、西門近くに止めていた放水車を3号機付近へ移動させ、55歳の管理官が指揮官として率いる第1班が午後6時50分、現場に到着。当初予定していた放水車の設置場所では160ミリシーベルトの放射線が測定されたため危険と判断、位置をずらした。

 午後7時5分、放水開始。放水車内のパネル制御や射手などを分担、車外での作業もあった。「一人でも線量計のアラームが鳴れば全員撤収」というルールを定め、各自の線量計を80ミリシーベルトでアラームが鳴るよう設定。午後7時13分ごろ、隊員の一人が指揮官に「鳴った」と報告した。

 線量計は作業中、取り外して見ることができない。予定量を放水し切った1班は免震棟へ戻り、防護服を脱ぎ、各自の線量計データを見た。最も数値の高かったのが指揮官の9ミリシーベルトで、アラームが鳴ったと報告した隊員のデータは7ミリシーベルト。機械の誤作動か本人の勘違いかは不明だ。

 全員撤収の取り決め通り、2、3班の隊員も免震棟で防護服を脱いだ。「『もう一度防護服を着て出動せよ』というのはとてもできない」と警察庁は判断。自衛隊が放水準備に入っていることなども考慮し、撤収を指示した。3班で各40トン、計120トンを放水する計画だったが、放水は1班だけ。それでも警察幹部は「自衛隊と消防が後に続いた最初の放水だったことは一定の評価があってもいい」と自負した。【鮎川耕史】

毎日新聞 2011年3月20日 東京朝刊

 

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