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「新しい街つくろう」

2011年03月22日

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「今、被災地に行っても邪魔になるだけです」と話す山本康史さん=津市羽所町

■みえ災害ボランティア支援センター

 東日本大震災の被災地を救うため、県内に大きなボランティア組織が立ち上がった。

「みえ災害ボランティア支援センター」には、災害現場でのボランティア経験が豊富な人材が集う。22日には「被災地に新しい街を作ろう」を合言葉に、今後の活動方針を確認する。(安田琢典)

■東日本大震災

 みえ災害ボランティア支援センターの山本康史センター長(37)は、NPO法人「みえ防災市民会議」の議長を務める。「今回は過去のボランティアとはスケールが全く違う。ありとあらゆる人材が求められる」と強調する。

 従来の災害ボランティアは、被災地での炊き出しやがれきの除去など、肉体的な作業が中心だった。山本さんは「そんなレベルではとても間に合わない。新しい街をつくり直すのと同じ感覚になる必要がある」と指摘する。

 そこで同センターは、ボランティアを(1)従来型の「現場班」(2)現場班を仕切るとともに、交通手段や食料などを手配する「後方支援班」(3)疎開してきた被災者を受け入れる「地元班」の3班構成にする予定だ。

 現場班は、長期的に被災地をフォローするため、被災者の精神的なケアができる専門知識のある人や、スポーツや勉強のフォローができる教育面の人材など募集する。それぞれが最低でも現地で10日前後は滞在し、複数のグループを設けて支援が途切れないようにする。

 ボランティアが個別に現地で活動すると、二次被害の恐れもあり、迷惑がかかる場合もある。そのためチームとして活動するためのブレーン的な役割を後方支援班が担う。インターネットを通じた情報発信も後方支援班の重要な仕事になる。

 福島第一原子力発電所の事故などもあり、被災地から疎開したり、移住したりする被災者も相当数が見込まれている。地元班は、不慣れな土地での生活を支援するとともに、空き部屋の確保や行政手続きのサポートなど被災者と地域の潤滑剤となることをめざす。

 山本さんは「被災地に入れるのは、電気が回復し、道路が確保されてから。現地での活動のピークは、早くて2、3年後ではないか」と見る。情報収集しつつ、まず4月末までに後方支援班を組織する予定だ。

■「日帰り」ダメ・スポンサー必要

 山本さんは、今回求められる人材について「日帰りボランティアはかえって邪魔。腰を据え、相当なスパンで活動できる人が望ましい」と話す。職場や学校、家族の理解が大前提だという。

 被災地はあらゆる物資が不足している。そこで、ボランティアが現地に入れるようになったとしても、当面、食料や飲料、燃料などは持参する。現場班や現地に入る後方支援班は、三重県内からバスで集団移動することを検討している。

 一方、長期的に活動するには、資金を援助するスポンサーの存在が欠かせない。山本さんは「数千万円単位の資金が必要となる」として、県内外の企業から資金を集めるほか、県出身の芸能人や著名人にも協力を依頼する。

 「物資を提供したい気持ちは分かるが、仕切り役のボランティアがいない段階では、結果的に無駄になる。現時点で最も必要とされるのは活動資金だ」とも言う。

 問い合わせは、センターの事務局の県男女共同参画・NPO室(059・222・5981)。

◎みえ災害ボランティア支援センター 阪神大震災の教訓を受け、県やNPO、医療関係など6機関でつくる防災ボランティアの統括組織。県内外で大災害が発生した場合に、随時発足する。県内では2004年9月の台風21号による水害で、延べ1千人が旧宮川村(現大台町)や旧海山町(現紀北町)で復旧作業にあたった。00年の東海豪雨や04年の福井県の水害など、県外でも活動した。

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