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原発難民、怒り心頭 福島・浜通り地方住民各地に

原発の事故後、家族11人で避難した福島県葛尾村の松本凡彦さん(右)=22日、福島市のあづま総合体育館

 東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の事故で、避難生活を送っている福島県浜通り地方の住民。目に見えぬ放射線の恐怖から、住み慣れた地を離れ、帰宅のめどさえ立たない。不自由な避難所生活の中で、住民は事故の終息を願いながら、東電や原発へ怒りのまなざしを向ける。
 約1300人が避難する福島市のあづま総合体育館。駐車場には「いわき」ナンバーの車が目立つ。第1原発から20〜30キロ圏の屋内退避指示区域となっている葛尾村の大工松本凡彦(くにひこ)さん(58)は14日夜、一家11人で避難してきた。
 「原発が怖くてこのままでは戻れない。孫が元気なのが幸いだが、いつまで続くのか。地震の前は東電さまさまだったが…」と力なくつぶやく。
 「今から考えると、県や地元は原発立地の恩恵に目がくらんだのかもしれない」。南相馬市小高区の無職松本忠雄さん(81)はこう語った。家族4人で避難したが、海岸から約100メートルの自宅は津波で損壊、妻正子さん(74)は行方不明だ。「年寄りに避難所はつらい」と松本さんはこぼす。
 家族6人で避難している南相馬市原町区の会社員男性(66)は「原発を恨む。南相馬には恩恵なんかなかった」と語気を強めた。
 郡山市の「ビッグパレットふくしま」にも、浜通りからの脱出組が目立つ。第1原発から10キロ圏内の避難指示区域がほとんどの富岡町から約1300人、20〜30キロ圏内の川内村から約530人が避難している。
 家族ら7人で避難している富岡町の自営業岡田好秀さん(55)は「事故が落ち着いても、土壌の放射性物質をすべて除去できるのか。『絶対に大丈夫だ』と国に誓約書を書いてほしいくらいだ」と話した。
 山形市の市総合スポーツセンターも、県境を越えた浜通り地方の住民でごった返している。一様に見えるのは、不安と疲れた表情だ。
 浪江町のスポーツクラブ経営石川信勝さん(68)は「浪江にはもう人が住めないとみんなうわさしている。家に戻るのは諦めた」と話す。福島市を経て山形市へ。避難後、徐々に東電への怒りがこみ上げてきたという。「原発事故は人災。長年住んだ町を捨てなきゃいけないのが悔しい」
 南相馬市の会社員原舞さん(31)は自宅から原発まで約21キロ。長男(10)、両親、姉夫婦らとセンターへ来たが、夫は秋田県の実家に行き、離れ離れの生活だ。「東電には、私たちの今までの生活を返してほしい」と怒りを込める。


2011年03月23日水曜日


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