イマジン
テーマ:ブログ1980年12月8日、ジョン・レノン暗殺。会ったことのない有名人が亡くなって、初めて(そして最後に)涙を流しました。大学の4回生でした。もちろん当時も色々なことを感じ、考えてはいましたが、50歳(知命の年)を越えた今、また新たな思いで、この歌を噛みしめています。
沢山の、本当に沢山のアクセス、気持ちのこもったコメント、ありがとうございました。驚いた!…それ以上に感激しました。かなり時間はかかりましたが、総てしっかり読ませて頂きました。
「何も出来ない」
「何をすればいいのかわからない」
「無力なのがもどかしい」
という感想が多かったのですが、そんなことはありません。皆さんのリンクや転載のおかげで、何万人、何十万人の方がこのブログを、そして皆さんのコメントを読んで下さっています。救援隊や撮影隊、政治家も含めて。それを見て、動ける人は動いています。声をあげることが、十分力になっているんです。
大切なのは、落ち着くことです。ちょっと衝撃的な内容だったかもしれませんが、現地は一つの死に集中して、感傷的になるような状況ではないはずです。恐らく、これから毎日、この春とは思えぬ寒さと、体力の衰えからくる病で、命を落としていく方たちが後を絶たないだろうことも容易に推測されます。一人の子供の死は、象徴的な事例ではあれ、被災地では恐らくそれらを日常の出来事として受け入れざるを得ない日々が続いているのではないでしょうか?
蛇足かもしれませんが、僕も関係している『国連WFP協会』の資料によると、「6秒に一人、世界のどこかで幼い子供が餓死している」そうです。初めてこれを聞いた時、僕は物も言えぬ程ショックでした。
間違えないで頂きたいのは、僕は決して「友人のいる避難所に救いの手を…」と訴える為だけに、先日のブログをアップしたのではないということ。きちんと伝えられなかったことを反省していますが、 声を大にして言いたかったことは、「テレビ画面の奥にあるものを推理し、被災地のこれからのことを想像してください。長い長い支援が必要でしょうから、この出来事をしっかり心に刻みつけて欲しい」ということなんです。
もう一つ、マスコミ批判をする為に書いたのでもありません。放送コードというより自主規制ですが、あまりにも残酷な映像は、流さない方がいい。テレビはそういうメディアだということをわかって欲しい。問題は受け手です。テレビに、過度の期待をしてしまう。テレビの報道は、総て正しいと疑わない。全くの受け身はよくありません。あくまでも一つ一つの素材として、それらを繋ぎ合わせて、自分の力で考えなければ…。
各局のクルーが、ニュースバリューの高いところに集まるのは(これは批判ですが)良くない。北茨城の映像は、確かに殆ど見受けません。県は違えど、いわき市と繋がった地域なのに…
日本の自衛隊は大変優秀です。海外からの応援部隊も活動しています。その他、自治体や医師も含めて数多くのプロが、不眠不休で被災地を救おうと頑張っています。被災地は広すぎて、まだまだ救援活動が行き届いていないことは、歯がゆくてなりませんが、だからと言って、素人が駆けつけるのは危険ですし、足手まといになりかねません。東北の人達は、本当に粘り強く、頑張り屋です。今はすぐにでも駆けつけたい気持ちを抑えて祈って下さい。そして、今できることを続けて下さい。たとえ小さな節電であっても積み重ねれば大きな力になります。そして力を蓄えて出番を待ちましょう。テレビが報道をやめても、被災地の復興への道のりは、気が遠くなるほど長いのですから。
最後にもう一つだけ。今回の、大変な出来事を、あまりにも多くの方々の死を、どうしたら無駄にしないかを考えることも、被災地を救うことと同じぐらい大切だということを書き留めておきたいと思います。