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「原発のどこが危険か」(朝日新聞社、1995)__「原発事故の科学」(日本評論社、1992)

桜井淳カリフォルニア事務所-新幹線安全神話が壊れる日 桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-崩壊する巨大システム
「新幹線「安全神話」が崩れる日」(講談社、1993)___「崩壊する巨大システム」(時事通信社、1992)

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Mon, March 21, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告】桜井淳の2011年(CY)における新聞・テレビからのインタビュー対応など(途中2)

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マスコミ対応の感想1

震災者であったため、最初の1日の出足の遅れが大きく影響しました。地震の影響で自宅の電話が不通になり、携帯電話もかかりにくくなっていたため、マスコミの依頼をすべて受けることができませんでした。テレビ出演依頼も多く受けましたが、オバーラップする時間帯の番組であるため、どちらかを優先しなければならず、今回は、これまでの関係からテレビ朝日を優先しました。新聞・テレビ・週刊誌・週刊誌からのインタビュー時間は、1件当たり、数分で済むものもあれば、30分か1時間におよぶものもあります。それでも、わずか、数行のコメントが掲載されるに過ぎず、それどころか、記者が記事をまとめるためのダシにされ、氏名すら載らないことが多く、コメント掲載の機会はわずかで、大部分はダシになっています。マスコミ界とは、そのようなものかといつも無念に思うばかりです。テレビでも同じで、1時間録画しても、放映時間は、わずか数秒とか、長くても30秒くらいです。その他の情報はキャスターの説明のための原稿になっています。世の中とはそのようなものです。

マスコミ対応の感想2

事故の何日後であったか、早朝、テレビ局で読んだ「東京新聞」には、田中三彦氏のコメントが掲載されていました。その主張内容は、「自身は、このような事故について、よく分かっているが、テレビで解説している原子力専門家は、その表現からして、分かっていない」という主旨でした。自身の無知に恥を知れ。バブコック日立で数年間、原子炉圧力容器の応力解析をしていた程度の人間で、そのような主張をするのは、おこがましく、何も分かっていないのは、田中氏です。と言うのは、事故の定量的なデータが公表されていない段階で、大学の先生などのように、ひかえめに表現する人間にとって、歯切れが悪く、口ごもり、断定的に言えないのは、当然のことであって、さらに、被災者の心理を考え、不安を与えてパニックにならないような配慮もしなければならず、ただ、厳しいことを言えばよいと考えているのは、田中氏が住んでいる子供の世界の話です。テレビでは、CMの時間、厳しい表現や言い過ぎたことに対して、ディレクターから、「もう少し被災者のことを考えて冷静に、冷静に、・・・、つぎに、もう少し補足して、解決策があることを示して、安心させてください」という指示が出ます。

マスコミ対応の感想3

経産省原子力安全・保安院の記者会見の内容、原子力安全・保安院の把握事項を基にした政府の危機管理を代表する枝野官房長官の記者会見の内容とも、素人くさいぎこちなさが感じられました。しかし、それは、進行中の大惨事に対して慎重になっているためと受け止めました。経産省や政府には原子力専門家の顧問がおり、的確な一般データと最新情報を有しています。事故発生からずっと、炉心の情報だけで、同時に進行していた使用済み燃料貯蔵プールの情報が出なかったのは、東京電力が気づかなかったのでも、原子力安全・保安院が把握していなかったわけでもなく、枝野官房長官がミスをしているわけでもなく、彼らは、みな、初期の頃から問題を把握していたが、被災者がパニックを起こすことを恐れ、政治的危機管理からして、意識的に、情報を伏せたものと推察します。政府の危機管理では、すべての情報を開示せず、自身の管理に都合のよいデータしか公表しません。それが政治的判断というものです。



事故の感想メモ1

まだ、各原子炉の制御室記録、機器・構造物の状態(ゆがみ・変形・損傷・破壊状況)、原子炉格納容器内で観測された加速度応答スペクトル、土地汚染、被曝などが分からないため、学術的・定量的評価はできません。いまは、概要だけで、詳細なことは何も分かっていません。溶融した炉心の観測など、直接的な証拠が必要ですが、そのような情報は、スリーマイル島事故のように、早くて1年後になるでしょう。

事故の感想メモ2

今回、非常用ディーゼル発電機が機能喪失したことを知った時、「原発のどこが危険か」「原発システム安全論」の2冊の内容を思い起こし、関係する原子炉と使用済み燃料貯蔵プールの燃料は、すべて、溶融すると感じていました。残念ながら、そのとおりになりました。まだ、使用済み燃料貯蔵プールの問題が表面化していない15日に、優先的に、日本経済新聞社大阪本社の青木記者に、ことの重大性に着目するように警告しました。

事故の感想メモ3

今回の事故を考えてみると、審査指針も、東大や原研や原子炉メーカーの軽水炉安全性研究も、幼稚で、未熟な物でした。当時、何度も矛盾や疑問に突き当たりましたが、私は、それを正せる立場にはいませんでした。いま考えると、そのことが残念でなりません。原研が甘いから、日本独自の安全技術が育たなかったのです。今回の事故によって、今後、本物の指針・安全審査・安全技術が育つ契機になればよいと期待しています。

事故の感想メモ4

きわめて厳しい事故の内容にもかかわらず、原子炉圧力容器と原子炉格納容器の機能により、大部分の放射性物質が閉じ込められ、環境に放出されたものは、驚くほど少なく、土地汚染や住民の被曝が奇跡的に少なかったと感じています。これまでに公表されている住民の被曝の最大値は一般健康診断の時の胸部エックス線撮影の2回分か3回分くらいです。きびしい事故の内容からすれば、チェルノブイリ並みかそれ以上の放射性物質の環境への放出があっても不思議ではありません。このままうまく収まれば、やがて、「日本の奇蹟」どころか、「世界の奇蹟」と位置づけられるようになると思います。奇跡的なくらい幸運な結果でした。それは、偶然でなく、現場の人達の思考錯誤の操作の結果でしょう。

事故の感想メモ5

2007年7月16日の新潟県中越沖地震の1ヵ月後、柏崎刈羽発電所を訪問した時、いくつかの疑問を感じ、東電の人達に考えていることを投げかけてみました。非常用ディーゼル発電機と10時間分くらいの燃料の軽油タンクが原子炉建屋地下1階に設置されていました。1週間分の軽油タンクが頑丈な野外施設の中にあり、そこから地下配管とポンプで原子炉建屋に送られていました。熱機関の非常用ディーゼル発電機の除熱には海水が海水取水口からポンプと地下の配管をとおって原子炉建屋に送られていました。野外地下の配管や施設は、いくらAクラスの耐震設計がなされていても、地震や津波の影響を受けやすいため、大丈夫なのかという不安を投げかけてみました。今回、福島第一発電所1-3号機の非常用ディーゼル発電機の機能喪失の原因は、本体でなく、野外の海水冷却系の機能喪失と言われているため、当時、もっと、問題点を徹底的につめればよかったと反省しています。もっとも、今回のように、想定をはるかにオーバーした地震や津波になれば、どのように耐震設計しても、壊れて機能喪失するでしょうから、どうしようもない世界です。

事故の感想メモ6

福島第一発電所の事故による放射能(正しくは放射性物質)が近隣5県の水道水から検出されました。核種はヨウ素131やセシウム137です。1ℓ当たりの放射能量は3Bqくらいです。自然や食物は、自然界に存在する放射能や核実験による放射能によって、汚染されています。1kg当たりの野菜や肉には、少なくとも、0.3-1Bqくらいの放射能が含まれています。水道水1ℓ当たり3Bqということは通常流通している食物に含まれている放射能の3倍くらいと推定してよいでしょう。場合によっては数倍に上がるかもしれません。しかし、国が定めている安全基準では、それがよいか悪いかは別にして、300Bqです。ですから、水道水から検出された放射能量は、安全基準値の百分の一くらいで、少ないに越したことはありませんが、その程度ならば、妥協できる数値でしょう。

事故の感想メモ7

福島第一発電所の事故を考える時、お世話になった日本の代表的な原子力安全論者3名の顔が浮かんできます。東大大学院工学研究科で学位論文作成の指導をしていただいた近藤駿介教授、原研での直属上司だった佐藤一男副所長(当時、後に、原研理事、原子力安全委員会委員、原子力安全委員会委員長、原子力安全協会理事長)、石川迪夫副所長(当時、後に、北大教授、原子力発電機構顧問、日本原子力技術協会理事長、日本原子力技術協会最高顧問)です。彼らにはお世話になりましたが、その後、同じ道を歩まず、原子力界とは一定の距離を保ったまま、彼らとは異なる独自の安全論で客観的な世界で生きることを決意し、ひとり逆境の中、今日に至っています。職位とカネを手にした彼らの人生がうらやましいと感じたことは一度もありませんでした。彼らは、日本でも代表的な原発推進論者ですが、いま、彼らの人生を否定されるような福島第一発電所の事故の光景を目にした時、どのような思いが去来しているのでしょうか。彼らと日本原子力学会の人達が、今後、どのような言い訳をするのか、ぜひ、耳を傾けてみたい心境です。本物の安全論に到達することなく、すでに、人生70-80歳に達している3人に対し、袂を分かつたとは言え、複雑な心境で過去の出来事を思い出しています。石川氏は、これまで、記者会見や著書の中で、根拠なき中傷・誹謗を繰り返してきましたが、福島第一発電所の事故後も、もう一度繰り返す気力があるのでしょうか。そうしたとしても、福島第一発電所の事故の前に、まったく、リアリティがありません。聞いていても、悲しく、哀れでしかないでしょう。彼らには、人間としても、安全論者としても、何の魅力も感じていません。独自の安全論に自信を強めていますが、反面、部分的に反省すべき点があることにも気づいています。

事故の感想メモ8

福島第一発電所の事故は自民党政権の残した悪しき置き土産によってもたらされたものです。関係者だけの馴れ合い体制(具体例については「桜井淳著作集第5巻安全とは何か」参照)での安全審査に終始してきたため、工学的安全対策のみならず、津波対策など、欠くことのできない安全確保策が欠落していました。女川発電所は、震源に近く、地震や津波の影響をいちばん受けやすいにもかかわらず、安全に停止しています。女川発電所は、牡鹿半島の付け根に位置し、津波の直撃を受けにくい地形で、さらに、影響を緩和できる入り江にあり、なおかつ、日本の他の発電所と異なり、海抜15mという圧倒的に高い位置に建設されました(津波対策として、意図的だったのか、それとも、偶然なのか、東北電力に確認してみます)。これらのことが福島第一発電所との明暗を分けた要因です。いまの安全審査体制は、電力会社の監督官庁が関係しており、それも、研究者でも技術者でもない行政官・官僚が審査して実権を握っている受け入れがたい体制です。これからは、原子力安全委員会と原子力安全・保安院と原子力機構軽水炉安全性部門を再編成して、電力会社の監督官庁から離れた独立性の高い組織とプロフェッショナル・エンジニア制度の下で、本当の意味での客観性・実効性のある安全審査体制の整備を早急に進めるべきです。

事故の感想メモ9

原子力施設の事故時における放射能(放射性物質)放出量について吟味してみます。

①1957年 英国 ウインズケール原子炉事故 ヨウ素131 25000Ci, セシウム137 600Ci,

②1979年 米国 スリーマイル島原発2号機 希ガス 2500000Ci, ヨウ素131 15Ci,

③1986年 旧ソ連邦 チェルノブイリ原発4号機 ゼノン133 180000000Ci, ヨウ素131 48000000Ci, セシウム137 2300000Ci, ストロンチウム90 270000Ci, プルトニウム239 400Ci,

よって、どの核種に着目するかによって異なりますが、代表的なヨウ素131に着目すれば、福島第一発電所からの環境への放出量は、数十Ciと想定すれば、チェルノブイリの百万分の一以下になると推定されます。福島第一発電所の事故は、極めて厳しいものがありましたが、環境への放射能放出量という視点から吟味してみると、奇蹟的なぼと少ないことが読み取れます。

事故の感想メモ10

九大の吉岡斉氏は、ごく内輪のサークル誌「科学・社会・人間」2008年4号の39頁において、「それにしても気になるのは、上澤氏の事故想定のリアリティのなさである。なぜ使用済み核燃料貯蔵プール破壊のような、ほとんどありそうもない想定を行うのか。・・・・もし使用済み核燃料貯蔵プール破壊のシナリオが現実的であるというなら、原子炉の過酷事故の代表ケースとして、冷却材喪失事故などと並んで、それを取り上げて然るべきであろう。・・・貯蔵だけを行う静的な施設の事故発生確率は非常に低いというのが、推進派の論者たちが共通して指摘する所である。・・・」と記しています。吉岡氏の考え方は、間違っていると、昨年、メールで助言しておきました。福島第一発電所で何が起こり、何が問題になったか考えれば、吉岡氏の間違いは、明白なことではないでしょうか。吉岡氏の原子力安全論には、多くの間違いがあり、まったく、信用できません。素人の原子力論議に過ぎません。

事故の感想メモ11

吉岡氏は上記文献40頁においても不可解な議論を展開しています。プルサーマル炉の事故の際、プルトニウムがどのくらいの範囲で放出されるかという問題に対して、原子力資料情報室の発行した報告書、それに、小出裕章氏や小山秀之氏の主張を否定して、何の実験的データも示していない、主観だけで主張している東大の大橋弘忠氏と九大の出光一哉氏の主張を正しいと受け入れています。福島第一発電所3号機はプルサーマル炉です。3号機の炉心は、溶融しているものの、原子炉圧力容器と原子炉格納容器が健全であったため、幸運にも、外部への放射能放出は、奇蹟的に少なかったのですが、大量放出するような事故の際、どのような結果になるか、今回のデータから推定することができそうです。吉岡氏は、「原子力の社会史」(朝日選書)において、中曽根康弘の原子力政策論を肯定的に論じ、それに対して、安全論者の武谷三男氏を否定的に論じていました。上記文献においても、高木仁三郎や原子力資料情報室、反原子力論者の主張をことごとく否定して、何の根拠もない東大の先生の主張に盲従しています。以上の根拠から、吉岡氏は、一部の人達の中で位置づけられているようなリベラルでなく、自民党的思考に留まっている保守派であると受け止めています。そのような傾向は原子力委員会市民懇談会委員になってから著しく感じられます。せいぜいガバメントの立場で生きたらよいでしょう。そのような人生がうらやましいとはまったく思いません。

事故の感想メモ12

国の安全審査で津波に対する審査が不十分であったことは否めません。むしろ、ミスか欠陥と言えるでしょう。

事故の感想メモ13

中部電力は、浜岡発電所に対し、東海地震M=8.6を想定して、1000ガルで耐震評価していました。東日本大震災の教訓として、東海地震や南海地震の同時発生やその他の地震発生メカニズムの不確実性まで含めると、高さ12mの津波防護壁の設置だけでなく、M=9.0-9.4くらい想定して、耐震評価の見直しもした方がよいでしょう。日本の他の原子力発電所に対しても、東日本大震災の地震と津波を想定し、安全評価し直す必要があるでしょう。

事故の感想メモ14

福島第一発電所3号機は、最近、プルサーマルを開始したばかりの原子炉です。過去に、福島第一発電所と福島第二発電所に、それぞれ、2回ずつ訪問しました。前者には、20年前、それに、シュラウド取り替えの時でした(「東京新聞」文化欄に訪問報告)。後者には、3号機の再循環ポンプ事故の時(「原発事故学」に現場写真掲載)と一昨年でした。東京電力に対しては、できるだけ早い時期に、福島第一発電所の原子炉建屋内に入れて欲しいとの要望を出しておきました。いま、発電所の構内が汚染しており、関係者以外の出入りが禁止になっています。原子炉建屋、特に、原子炉格納容器内がどうなっているのか分かりませんから、安全確認できるまで、かなり先になるものと思います。

事故の感想メモ15

東海地震が発生すれば、人口密度の差を考慮して東日本大震災の被害状況から、数倍以上の死者を出すと推定されます。いままでに1万人の死者と1万人の行方不明者が報じられています。津波に無防備な地域に東海地震が発生すれば、大惨事になることは確実です。東日本大震災の現実を直視することです。日本という社会は何という生ぬるい社会でしょうか。

事故の感想メモ16

原子力賠償法には、「電力会社等は保険会社と契約しなければならない、さらに、政府と契約しなければならない、保険会社が支払う上限額は150億円とする」という主旨の記載があります(上限額は米国よりひと桁少ない)。今回のような原発災害が発生した場合、保険会社は、東電に150億円支払います。しかし、東電が被災者に支払わなければならない実際の補償額は、兆の単位であり、その差額は、東電が負担するというよりも、東電のような公的役割の大きなものに対しては、政府が公的資金を注入してまでも、保護してやらなければなりません。「電力会社等は政府と契約しなければならない」という意味は政府の公的資金の注入を受ける契約です。政府の公的資金とは税金のことです。ですから、原発災害が発生すると、電力会社が被災者に支払わなければならない保障金の大部分は、国民が分担して負担する制度になっています。では、なぜ、そのようになっているかと言えば、国策として原発推進によるエネルギー政策を掲げるには、電力会社等に有利な政策を策定しないと、そのような推進政策を実現できないからです。政策とは、水が流れやすいように、高低差を設けてやることです。

事故の感想メモ17

最近の10年間、サイクル機構、原研とサイクル機構の統合体の独立行政法人原子力機構、日本原子力学会などは、原子力推進のために、「リスクコミュニケーション」「科学コミュニケーション」「サイエンスカフェ」なる手法を採用していますが、それらは、しょせん、手を変えた広報活動に過ぎません。米国では、はっきりと、広報分野の研究・活動と位置づけています。福島第一発電所の事故に直面し、それらの広報活動がいかに的外れなものであったかがよく分かります。政府や原子力機構は、STS研究者を取り込み、広報活動に力を注いでいますが、STS研究者は、福島第一発電所の事故を見て、これまで自身がしたことに、軽さと恥ずかしさを感じているに相違ありません。なんと軽い人達か。今後も政府の飼い犬として、省庁のゴミ箱の残飯でもあさっていてください、最初からそのような卑しい人生を選択したのでしょうから。

事故の感想メモ18

福島第二発電所に勤務する機械グループの女性が、実名で、mixiを利用して、さかんにつぶやいていますが、「東電関係者はみな一生懸命がんばっています」との主旨で、特に、参考になるようなこともありません。電力会社が、原発を建設して、営業運転するには、それ相当の技術力と人材が確保されていることを「原子炉設置許可申請書」をとおして、審査の段階で証明しなければなりません。そのことは、同時に、事故や災害の際、それらに対応できる技術力と人材が確保されていることの証明でもあります。ですから、いかなる状況になろうと、現場から逃げ出すことはできず、被曝しようか、死の危機に直面しようが、事故収拾を優先しなければなりません。そうしなければ、その原子力発電所だけでなく、東電の他の原子力発電所も、管理能力なしとして閉鎖しなければならないでしょう。ですから、逃げずに、一生懸命、事故収拾に努めて当たり前なのです。つまらない泣き言など発するべきではない。自身の立場をわきまえたらどうか。

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Tue, March 15, 2011 stanford2008の投稿

【水戸事務所報告】桜井淳の東日本大震災へのマスコミ対応

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水戸事務所は、3月11日午後2時45分ころ、震度6強、むしろ、震度7弱の地震に遭遇、機能喪失し、1日かけて、何とか、業務再開しました。スタッフは、みな、あまりの大きな揺れに、死を覚悟したほどでした。


数千冊の書籍が本棚から落下し、滅茶苦茶に散乱してしまいました。書棚の耐震対策用の金具が大きく変形していました。それでも大被害をまぬかれたのは耐震対策用金具のおかげでした。揺れの激しさが読み取れました。


停電・断水の中、まったくの機能喪失でした。修復しなければならないものは変形した耐震対策用金具の取り替えと幅1mくらいの塀の崩れだけです。幸運なことに、大地震の割に、損傷は、きわめて軽微でした。と言っても、書類や書籍は、ただ、緊急に戻しただけで、元のように、分野別・論理別に整理できておらず、今後、時間をかけて、徐々に整理し直さなければなりません。


桜井淳は、地震発生の24時間後の12日午後からやっとマスコミ対応できるようになり、深夜、テレビ朝日の用意したタクシーで東京に向かい、まず、13日早朝と昼、テレビ朝日のふたつの特番にゲスト出演しました。新聞・テレビから受けたインタビュー件数は、2日半で75件(新聞・テレビ・週刊誌・月刊誌など)に達しました。


13日夜、ひと仕事終わった後、疲れを癒すために、大震災の恐怖に、宿泊ホテルのバーで、ハイネケン(ゴールド)2杯、ウイスキー(オンザロック)2杯。14日夜もまた、大震災の恐怖に、ホテルのバーで、ハイネケン(ゴールド)2杯を飲んだ後、テレビ朝日の用意したタクシーで水戸に戻りました。


水戸では、余震が続いているため、家族と事務所スタッフが心配になり、15日深夜、一端、水戸事務所に戻りました。家族と事務所スタッフが心配だっただけでなく、東京直下型地震の発生を恐れ、とくかく、巻き込まれたくなかったため、東京から逃げ出しました。震源地が、宮城沖、福島沖、茨城沖、栃木、長野、新潟と複雑に変化する中、その確実な意味が分からず、直感的に、東京直下型地震や東海地震のような大きな異変の前兆と受け止め、逃げ出すことを優先しました。


マスコミ対応は、これからも続きますが、とりあえず、依頼された月刊誌原稿を期日までに提出しなければなりません。


福島第一原子力発電所の事故は、拙著「原発のどこが危険か」(朝日選書)と「原発システム安全論」(日刊工業新聞社)で指摘・考察・予言したとおりの地獄絵でした。言葉もありません。被災者のすべての皆様に対して支援したい心境です。



なお、本欄2月の「【事務所報告】桜井淳の2011年(CY)における新聞・テレビからのインタビュー対応など(途中)」に、今回のマスコミ対応の詳細を追加しておきました。



つぎの内容は、大震災1週間後、メルマガ会員に、メーリングリストによって、送信したメールです。


関係者各位殿


桜井淳・水戸事務所です。


大変大きな地震でしたが、皆様は、ご無事でしたでしょうか。

水戸は震度6強か震度7弱でした。道路が飴のように曲がり、波打ち、家が大きく揺れ、大地が裂け、奈落の底に落ちるのではないかという恐怖感がありました。

しかし、家族・事務所スタッフとも無事でした。

新自宅と事務所(旧自宅)は、いずれも、数千冊の本が散乱し、元に戻すのが大変でした。新自宅は、幸運なことに、数箇所の壁の亀裂程度で、軽微な損傷で済みました。

地震後24時間で、マスコミへの対応ができるようになり、1週間で120件のインタビュー(新聞・テレビ・週刊誌・
月刊誌)に応えました。

それにしても福島第一発電所の事故はひどい内容です。歴史的に見てもひどい事故です。

執筆した原稿のうち、「東京新聞」文化欄と「茨城新聞」文化欄は、すでに掲載されています。「週刊エコノミスト」は3月21日に発売される号に掲載されます。「日経ものづくり」4月号は3月26日に発売されます(速報)。「潮」5月号は4月4日に発売されます。

いま、「新潮45」(5月号)と「日経ものづくり」(5月号)から依頼された長い論文を執筆中です。

拙著「原発のどこが危険か」(朝日選書)は、福島第一発電所事故の新稿を追加して、第2版が1万部、4月初めに緊急出版されます。監修した「【原発事故】自衛マニュアル」(青春出版社)も新稿を追加して、第2版が1万部、4月初めに緊急出版されます。両方ともすでに新稿を渡してあります。突然、緊急出版の話が舞い込んだ時には、思ってもみないことであったため、本当に驚きました。

水戸は、まだまだ、余震が続き、時々、家から飛び出ます。これまでに数百回の余震でした。いまだに夜も安心して眠れません。まさかこんな経験をするとは夢にも思っていませんでした。しかし、大震災や津波で死亡した人達や私財をすべて失った人達に比べたら、私が被った被害など限りなくゼロに近いでしょう。今後、個人として、水戸事務所として、被災者には、できるだけの支援を続けるつもりです。これから被災地の現場を1ヵ月くらいかけて調査します。


こんな状況ですが。

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Tue, March 01, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告/メルマガ】愛宕山・団子山・大福山・難台山・吾国山往復10年120回修行実施中

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Tue, March 01, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告/メルマガ】桜井淳の「トレッキング写真集No.7-雪山編」

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Tue, March 01, 2011 stanford2008の投稿

【三事務所報告】桜井淳の日米大学との共同研究

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Tue, February 01, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告/メルマガ】桜井淳のトレッキング(雪山やロッククライミング含む)論ノート(2)各論

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Tue, February 01, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告】桜井淳の2011年(CY)における学会・国際会議論文(途中)

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Tue, February 01, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告】桜井淳の2011年(CY)における新聞・テレビからのインタビュー対応など(途中1)

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2011年度(CY)


今年も例年の出足です。よくもなく、悪くもなく、・・・。


(1)1月18日10:30、読売新聞社本社社会部記者から、同日8時半から約1時間発生したJR東日本新幹線運行管理システムCOSMOSの機能障害による東北・上越・長野・山形・秋田新幹線の全面運行停止について、約15分間インタビューを受けました。ATC,CTC,COSMOS(東日本特有のシステム名)の機能、COSMOSによる集中管理の利便性と脆弱性について説明し、今回のような脆弱性の克服のために、リスク分散ができるハードとソフトのシステムの検討などの提案を行いました。同日同紙夕刊にコメントが掲載されました。


(2)1月18日19:00、読売新聞社本社社会部記者から、JR東日本新幹線運行管理システムCOSMOSの機能障害の原因について、コンピュータソフトにおける修正数の上限値600個を超える修正がなされたためとの説明があり、そのような運用や現場管理の現状について、約5分間インタビューを受けました。


(3)1月26日11:30から約10分間、FMラジオのJ-WAVEの番組「JAM the WORLD」の「Cutting Edgeコーナー」から、プラットホームの「防護柵」の設置状況についてのインタビューを受けました。当日、改めて、20:15からの同番組放送中に司会者からの質問を受け、電話で回答・解説しました。


(4)1月30日21:20から22:35までと22:25から23:10までの2回、日本テレビ「スッキリ!!」から、30日昼頃発生した後楽園のジェットコースターでの乗客1名の死亡事故について、技術、安全管理、推定原因についてのインタビューを受けました。31日の早朝に放映されました。


(5)2月1日、小学館から、「大百科全書」の89項目の改定内容の検討依頼を受けました。


(6)2月4日、17:50、茨城新聞社から客員論説委員としての原稿執筆依頼がありました。原稿締め切りは16日、掲載日は27日です。


(7)3月9日、日本テレビ「バンキシャ」から、3月13日に放映予定の九州新幹線700系について、インタビューを受け、日本の新幹線の歴史と技術、さらに、技術開発と運行技術の推移について、特に、高速化とともにより鋭くなる先頭車両の流線形状について、解説しました。


ここから状況は一変しました。


(8)-(82)


3月12日昼頃から14日深夜までの対応(なお、多忙と緊急時の混乱のため、個々の記録は、残しておらず、携帯着信履歴からの件数と相手先との会話を頼りに総数だけを記し、約75件の詳細は、略します)


3月11日の15時頃、東日本大震災が発生したため、直後には、家族・事務所のことだけで手一杯となり、マスコミへの対応ができるようになったのは、24時間後で、12日昼頃から14日深夜までの約2日半に、約75件のインタビュー(新聞・テレビ・週刊誌・月刊誌など)に応えました。原稿執筆依頼は「日経ものづくり」「東京新聞」「週刊エコノミスト」「潮」「茨城新聞」などからありました。


15日の76件目から以下のとおりです。


(83)3月15日8:20、日本経済新聞社科学技術部から福島第一2号機事故についてのインタビューに応えました。


(84)3月15日8:30、朝日新聞社医療科学部から福島第一2号機事故についてのインタビューに応えました。


(85)3月15日9:30、毎日新聞社「サンデー毎日」から福島第一の事故についてのインタビューに応えました。


(86)3月15日10:00、時事通信社から福島第一2号機の事故についてのインタビューに応えました。


(87)3月15日10:20、産経新聞社から福島第一の事故や被曝についてのインタビューに応えました。


(88)3月15日10:45、共同通信社から福島第一2号機の事故についてのインタビューに応えました。


(89)3月15日10:50、FMラジオのJ-WAVEの番組「JAM the WORLD」の「Cutting Edgeコーナー」から、福島第一発電所の事故の深刻さと東京電力による計画停電についてのインタビューを受けました。当日、改めて、20:15からの同番組放送中に司会者からの質問を受け、電話で回答・解説します。


(90)3月15日11:30、朝日新聞社大阪本社から福島第一2号機事故についてのインタビューに応えました。


(91)3月15日12:20、産経新聞社から福島第一の放射能放出や被曝についてのインタビューに応えました。


(92)3月15日12:35、共同通信社から福島第一2号機のサプレッションプールの構造についてのインタビューに応えました。


(93)3月15日13:20、時事通信社から雨が降った時の放射性物質の振る舞いや安全対策についてのインタビューに応えました。


(94)3月15日14:25、共同通信社から福島第一2号機の事故についてのインタビューに応えました。


(95)3月15日14:40、テレビ朝日から明日の「スクランブル」(11:25-13:00)へのゲスト出演の依頼がありました。今日の深夜か明日の早朝に上京予定です。


(96)3月15日15:00-16:00、茨城新聞社から福島第一の事故について、原稿執筆の代わりに、記者に話し、まとめてもらいました。明日掲載予定です。


(97)3月15日16:10、毎日新聞社から福島第一の事故について、今後の予想される展開についてのインタビューに応えました。


(98)3月15日16:30、産経新聞社から福島第一の事故による環境汚染、特に、水道水の放射能汚染についてのインタビューに応えました。


(99)3月15日16:35、報知新聞社から福島第一の事故についてのインタビューに応えました。


(100)3月15日17:20、NHKから16日21:00時間帯のラジオへゲスト出演の依頼がありました。


(101)3月15日21:30、テレビ朝日から翌朝の「めざましテレビ」へのゲスト出演の依頼がありました。

(102)3月15日22:30、テレビ朝日から翌夕刻の「Jチャンネル」へのゲスト出演の依頼がありました。

(103)3月15日22:40、テレビ朝日から17日放映予定の「スーパーモーニング」の録画依頼がありました。

(104)3月16日10:30、「日経ものづくり」から、2007年に掲載された「中越沖地震における原発の安全性」をウエブへの再録依頼がありました。


(104)3月16日13:135、朝日新聞社大阪本社から福島第一4号機の事故についてのインタビューに応えました。


(105)3月16日13:30-15:00、「潮」からの論文執筆について、多忙のため、「潮」編集部でまとめてもらうために、1時間半ほど話しました。


15:00-17:00、常磐高速道が復旧したため、東京から水戸に戻りました。


(106)3月16日15:13、朝日新聞社大阪本社から福島第一4号機の事故についてのインタビューに応えました。


(107)3月16日15:42、報知新聞社から放射能の拡散における雨や雪の影響についてのインタビューに応えました。


(108)3月16日17:30、中日新聞社「東京新聞」から事故対応の問題点や下請けの被曝が多いことの原因についてのインタビューに応えました。


(109)3月17日10:10、産経新聞社から3号機使用済み燃料貯蔵プールへの放水(給水)について、さらに、1-6号機使用済み燃料貯蔵プールで起っていること、今後の懸念事項についてのインタビューに応えました。


(110)3月17日12:45、朝日新聞社から10年前に出版した「原発のどこが危険か」(朝日選書)に福島第一発電所事故の新稿を追加して第2版の緊急出版の依頼があり、了解しました。発行部数約1万部です。


(111)3月17日13:30、産経新聞社から3号機使用済み燃料貯蔵プールへの放水(給水)、今後の懸念事項についてのインタビューに応えました。


(112)3月17日15:00、原稿執筆依頼を受けていた日経BP社「日経ものづくり」編集部へ4月号掲載のための速報第一報原稿を提出しました。5月号掲載予定の詳細原稿はまとめ中です。


(113)3月17日16:30、新潮社「新潮45」編集部から福島第一発電所事故についての原稿執筆の依頼がありました。


(114)3月17日17:30、産経新聞社から今回の事故の長期的文明論的視点での影響についてのインタビューに応えました。


(115)3月17日18:00、中日新聞社「東京新聞」から事故対応の的確さについてのインタビューに応えました。


(116)3月18日12:30-14:30、朝日新聞社出版局と「原発のどこが危険か」第2版緊急出版の打ち合わせと追加原稿の作成を行いました。


(117)3月18日14:30、青春出版社から桜井が監修を努めた「【原子力事故】自衛マニュアル」の第2版の緊急出版の申し出があり、了解しました。追加原稿の打ち合わせを行いました。出版部数は1万部です。


(118)3月18日15:0-16:00、「週刊文春」から福島第一発電所事故時における発電所内での作業の装備や内容についてのインタビューに応えました。


(119)3月18日17:00-18:00、青春出版社と打ち合わせをして「【原子力事故】自衛マニュアル」の第2版の緊急出版のための追加原稿の作成を行いました。


(120)3月18日19:10、毎日新聞社から福島第一の事故の全般的なこと、特に、退避半径の根拠についてのインタビューに応えました。


(121)3月18日19:30、日刊ゲンダイから放水による使用済み燃料貯蔵プールの冷却の効果と問題点についてのインタビューに応えました。


(122)3月19日10:00、「潮」5月号の著者校正を行いました。


(123)3月19日10:30、読売新聞社大阪本社から福島第一発電所の事故、特に、使用済み燃料貯蔵プールで発生している現象や収拾対策についてのインタビューに応えました。(読売新聞社からのインタビューは、これまで10年間、拒否し続けてきましたが、緊急事態であるため、例外的に対応しました。)


(124)3月19日17:00-17:30、「文藝春秋」編集部から、福島第一発電所の事故について、その概要と考察点、今後の展開と懸念すべきことについてのインタビューに応えました。


(125)3月19日18:30、日本経済新聞社大阪本社から津波の影響という視点から女川発電所と福島第一発電所の明暗を分けた要因は何かについてのインタビューに応えました。


(126)3月19日18:50、毎日新聞社から原発災害評価の標準モデルについてのインタビューに応えました。


(127)3月19日21:45、報知新聞社から原発事故の放射能が5県の水道水からそれぞれ1ℓ当たり3Bqくらい検出されたがどの程度危険なのかについてのインタビューに応えました。


(128)3月22日13:00、産経新聞社「夕刊フジ」から福島第一発電所の事故の全体的な評価についてのインタビューに応えました。


(129)3月22日13:10-14:10、「サンデー毎日」から福島第一発電所の事故の全体的な評価についてのインタビューに応えました。


(130)3月22日16:30、「中央公論」から5月号掲載予定の事故の全体的な評価(事故原因、公表された観測地震加速度からのプラント損傷状況推定、炉心と使用済み燃料貯蔵プールの燃料で起こった現象と損傷状況推定、放出放射能量、土地汚染、食物汚染、住民被曝、廃炉のための今後の作業内容とタイムスケジュール)について原稿執筆依頼がありました。仕事を抱えすぎていて身動きできないと言ったところ、話した内容を編集部がまとめたいとのことであったため、了解し、明日、水戸で話すことにしました。

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Tue, January 11, 2011 stanford2008の投稿

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Sun, January 09, 2011 stanford2008の投稿

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