2011年3月22日 10時13分
津波に襲われた南三陸町戸倉長清水(とくらながしず)の民宿に避難していた5歳の男児が深夜、「息が苦しい」と訴えた。国道が寸断され救急車を呼べない。父は避難所の仲間に手伝ってもらい、交代で息子を背負って3キロの悪路を歩いた。やっと救急車に乗せると、今度は病院が負傷者でいっぱいで受け入れてくれない。診察を受けられたのは翌日の昼だった。男児は回復したが、父は「いつも通りのことができない災害の恐ろしさを知った」と振り返った。
青森県に単身赴任していた会社員、須藤正一さん(55)は、家族が地震で避難したと聞き、戸倉長清水の民宿「ながしず荘」で妻や子どもと合流した。
次男竜平君(5)が発熱し、風邪の症状を訴えたのは18日のことだ。須藤さんは市販の風邪薬をすりつぶし、量を減らして飲ませたが、夜になって竜平君はせき込み始め、呼吸も苦しげになった。「早く医師にみせなければ」と近くの避難所にいた女性看護師に言われたが、近くに医師はいない。
戸倉長清水は町の中心部から南東に約7キロ。海岸沿いを走る国道398号は、津波が運んだがれきで所々埋まり、折立(おりたて)川の橋も流されていた。深夜でヘリも飛べず、正一さんは救急車が来られる折立川の北まで、竜平くんを背負って行くことを決めた。
友人の男性が懐中電灯で足元を照らし、須藤さんの親戚の男性と交代で体重が25キロ以上ある竜平君を背負った。ぬかるんだ凹凸の道を40分歩き、待機していた救急隊員に託した。
しかし、救急隊員が搬送を打診すると、付近の病院はみな「重篤な負傷者が多数いて、受け入れる余裕がない」「その子は重症とは言えない」などと受け入れを断った。1時間以上転々とした末に受診をあきらめ、隣の登米市の避難所で親子は一夜を明かした。「町から遠く離れて医師を見つけても、今度は帰れなくなる。待機するしかなかった」と須藤さんは言う。
翌19日昼、鳥取県から来た医師が避難所に来たため、幸い診察を受けることができた。風邪と薬のアレルギーが原因だった。竜平君は今、症状もほとんどなく元気だという。
被災地の医師不足はこれからも続き、道路はいつ開通するか分からない。須藤さんは「つらかったが、自分だけのことではないので、あきらめるしかない」と話した。【杉本修作】