津波被害による福島原発の放射能漏れ事故の処理の為に出動した東京都消防庁のハイパーレスキュー隊の活動に対し、
世間では色々な評価がなされている。
記者会見では隊員のことに触れて言葉を詰まらせた隊長が民報テレビのワイドショーに出演するなどして、当時の模様を語っている。
自らの命を犠牲にするかもしれない状況下でも志願して、公務に当たった隊員たちの功績を賛美する論調で報道する向きが強いようだ。
国家の存亡が掛かる状況下において、自ら志願したとは言え、全ハイパーレスキュー隊員5百余名の中からの139名であるから、
殆どは職責上、行かないわけには行かないだろう的な状況だったのかと推察する。
ワイドショーなどでは今生の別れになるかもしれない家族とのやり取りが人情劇場の如く語られていたが、公務を終えて無事に還ってきた以上、あまり家庭の内情まであからさまにする必要はあるまい。
自らの生命を犠牲にしても国民の命を守るのが彼等に与えられた使命。
それは一般の消防署員や警官も同様、と言ってしまえばそれまでだが、組織形態上軍隊においてはチョット趣が異なる。
自衛隊と名乗るところの軍隊とは敵を殲滅する事が主たる任務。
だが、消防士・警官というのは国民の生命を守ることが主任務となる。
山岳警備隊を例にとると、彼等は危険に遭遇している登山者の命を守るために、
多くの時間を掛けて訓練を重ね救助の為の技術を習得し、体力の向上を図っている。
彼等は国家・行政においては貴重な財産であり、簡単に代替の人材を確保する事は困難となる。
そんな警備隊が無謀な登山計画の上で遭難した高齢者を救助するために、命を失うことがあってはならない。
昨年も、救助に行ったヘリが墜落して一度に複数の救助隊員が死亡している。
金銭勘定の極論を言えば、自らの意思で登山した高齢の民間人よりも救助隊員の命を優先すべきだ。
彼等はこれからも生き続けて、多くの人命を救助するために役立ってもらわなければならない。
これは今回のハイパーレスキュー隊員にも一般の消防隊員や警官にも当てはまる。
彼等を養成・訓練するために国家は莫大な予算をつぎ込んでいるのだ。
今回の原発への放水作業においては日頃の訓練の成果を発揮すべく高度の体力と専門的技術が必要だったであろうことは推察できる。
その中で放射能による被爆の恐怖と闘いながらの任務であったという。
しかしこれは、放射能に対する専門的な知識があったから故の恐怖心であり、何も知らなければ恐怖心はなかったことになる。
これが、単純な作業であれば、莫大な金額を投じての訓練を積んだ隊員でなくても良い事になる単純に原子炉の中に入って行って手作業でバルブを閉めてこい、位なら度胸があれば誰でもできる。
この作業に従事すれば被爆して確実に死ぬぞ、という作業であってもやる人間は幾らでもいる。
私とて家のローンと借金を返済して、子供全員を大学まで出してやる、と補償があればやってもよい。
それは国家による完全な補償であり政権が例え共産党に移ろうとも履行される補償があればよいのだ。
ヘルメットにカメラをつけて動画を送信しながら中継基地の技術者からの指示で、「この線をつなげ」「バルブを閉めろ」とか指示を受ければいいだけだ。
超簡単じゃないか。そして国の為に殉じた英雄として賛美されるのだ。
実際は借金返済の為にやっただけだけど。
そう考えれば家族を扶養する私なんか使わないで、家族のいない天涯孤独なサラ金多重債務者の方が安上がりか。
いや、死刑囚を使うか、無期懲役者に恩赦と引き換えにやらせても良い。
つまり、ハイパーレスキュー隊員でも女房や幼子を持った隊員では負担が大き過ぎる。
一つの命の後ろには複数の生身の人間が存在するのだ。
そういった意味で、人の命には軽重をみることができる。
その点、一昔前のヤクザは女房・子供を持たない、を信条としていた。
何時果てるとも知れない家業に付くからにはそれくらいの覚悟が必要であろうか。
チェルノブイリ事故の時のソ連では「決死隊」を募ったそうだけど、今回の地震。津波では避難を知らせるために町内を回った
警官や役場の職員を含めて数万人が犠牲になっていることを考えれば、ここで国難を救うために幾人かが犠牲になったとしても
仕方がないとも考えられる。
いや、その様に考えないと前には進めないのだ。