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[20830] 【習作】まいごのまいごのおおかみさん(東方)15話加筆
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2011/03/21 01:05




 どれだけ歩いただろう。
 もう体を動かしているという実感すらないのに、私はまだ歩き続けている。
 何処を目指しているのか自分でもわからないというのに、私は歩き続けている。

 何度山を越えただろうか。
 何度川を渡っただろうか。
 何度排斥されただろうか。

 私は歩き続けなければならない。
 居場所を見つけるために。










 いつの間にか私は気を失っていたらしい。
 土の味が口の中に広がっている。
 歩き続けなければならないのに、私の体は既に死に体だと言わんばかりに動いてくれない。
 鼻も利かなくなったのか、これまで鬱陶しいほどに感じていた万物の匂いが感じられなくなった。
 かろうじて動く目で辺りを伺えば、雄雄しく茂った緑たちに囲まれている。
 人の手が入っているのか、妙に開けた場所だ。
 気味が悪い程に大きくまんまるな満月が良く見える。

 そんな中で私は理解した。
 あぁ、ここが私の終着点か。
 そういえば耳も聞こえない。
 段々と目も見えなくなってきた。

 あんなに歩き続けてきたんだから、最期の終着点くらい楽しませてやろうというカミサマのはからいかもしれない。
 中々に粋なカミサマも居たものだ。
 今まで私が見てきたカミサマたちの多くは、私を見ると眉をしかめてとっとと出て行けと吐き捨てた。
 問答無用に力を以って追い払われた事も少なくは無いが、でも、優しく私の頭を撫でてくれたカミサマも居た。
 お前は妖だから、ここに置いてあげる事はできないがと食べ物の入った風呂敷を首に巻いてくれたカミサマも居た。
 今のこの状況は、そんな優しかったカミサマたちがくれた最期の贈り物だろう。
 殺されるでもなく、自分の道を曲げたわけでもなく、死んでいける。
 結局居場所を見つける事はできなかったけれど、悪くはないじゃないか。
 私はもう動かないと思っていた口の端がつり上がるのを感じた。
 ああ、本当に悪くないじゃないか。
 もう良くは見えないが、どうやら看取ってくれる何者かもいるようだ。


















 どうにも空気がざわめいているように感じる。
 こんな夜にはいつも決まって何かが起こる。
 妹が生まれたのも、魔女と出合ったのも、満足のゆく従者たちと出会ったのも全てこんな夜だった。
 こんな夜は直感に従って動くと、大抵かけがえのないものを得ることができた。
 だから、私はそれまで満月を眺めていたテラスから飛び立った。
 行く先などおぼろげで、何ひとつ確証などない。
 しかし当て所なく動いていれば、そこに行き着くだろう。
 私の力はそういうものなのだから。

 そうしてばさりと羽を広げ飛び立つ私を、隣に座っていた魔女は苦笑と共に見送った。
 香り高い紅茶の満たされたカップの中身をくるくると揺らしながら『今度は何を拾ってくるの?』とばかりに目で語りかけてきている。

 大した興味もなさそうに為されたその行動に多少気分を害されたが、これから得るであろう何かに対する期待は微塵も衰えていない。
 この期待を胸にしながら動く夜は、何度経験してもいいものだと思う。
 まるでおもちゃを買ってもらう子供のようだと思い浮かべて、頭を振った。

 私はそんな子供じゃあない。

 そうだ、私は与えてもらうのではなく得るために行動しているのだ。
 空を飛びながら無駄に腕を組んで偉そうに頷きはするものの、それも傍目から見ればどうなのだろうと思い至る。
 自分の行動に呆れながら、まるで矢のように空を駆け続けた。
 行く先は相変わらずおぼろげだが、ただ自分の中の何かがこちらだと訴えかけてきている。
 何度かこの訴えかけが外れた事もあったが、今夜のこれはどうやら当たりだったようだ。

 空から地を見下ろす私の目には、一匹の銀狼が映っていた。

 大きいな。
 一番初めにその狼に対して抱いた感想はそんな凡庸なものだった。
 その後に薄汚れてこそいるものの立派な銀の毛や、まるで光っているかのような金色の目が綺麗だと再び凡庸な感想が浮かぶ。

 少しばかりそうして観察していると、くすりと笑われたような気がした。
 いつの間にかあの綺麗な金の目は閉じられている。

 そうして力なく横たわっている狼はまるで死体のようだった。

 折角得た何かが手のひらから零れていくような感覚に、私はがらにもなく焦りを抱く。
 体が勝手に動いたとしか言いようがない。
 服が汚れる事など気にもせず、私よりも遥かに大きな体を苦労して背負い上げ、来た時に倍する速さで空をかけた。

 これはもう私のモノだ。
 私の許可なく零れていくなんて許しはしない。

 焦りと共に館へ帰ってきた私をまず迎えたのは、間抜け面を晒して固まっている門番だった。
 いつもなら軽く労をねぎらう程度はするものの、今はそれ所ではない。
 先に直感を信じて飛び立ったテラスへと一直線に、まるで突っ込むような勢いで着地した。

「……これはまた、変わった拾い物ね?」
「いいからさっさと治療しなさい!!」





 それが私とこの子の出会いだった。








[20830] 一話 Sakuya
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2011/01/12 00:08



 何かが私の中に入ってくるのを感じる。
 暖かいようで冷たく、どこか無機質な感じのする何か。
 得体の知れない何かだというのに嫌な気分にならないのは不思議だった。

 そんな感覚に身を任せていると、自分に変化が起きているのを感じる。
 まず驚いたのは、どうやら私は死ななかったらしいということ。
 相変わらず動かないものの、私の体をしっかり感じる事ができる。
 悪くないなぁ、と笑いながら死を受け入れたあの時のような、あたかも自分の体が喪失したような感覚がない。

 そうして驚きを感じているうちに、少しずつ自分の耳に音が戻ってきた。
 近くで何かを言い争っている者がいるらしい。
 そちらに意識を向けると、ほとんど聞き取れないものの少なくとも言い争いではない事がわかった。

 どうやら片方はからかわれて声を上げているようだ。
 楽しげな声音と、悔しげなうなり声のようなものが聞こえる。

 ……からかっていた側の声が、なにやら蜜月のような声に変わった。
 第三者の傍でそんな声音を漏らすとは、いやはや何とも。

 そんな喧騒の中、私が意識を取り戻したのに気づいたのか、声を上げていた者たちとは別の誰かが私の体に触れた。
 最初は触れたまま何かを探るような気配だったが、それに対して何を思うわけでもなかった。
 異物に警戒心を持つのは当然の事。

 別段危害を加えられそうな雰囲気ではなかったのでそのままじっとしていると、さらりと頭を撫でてくれた。
 何か笑われたような気がする。
 でも、これまで私をこんな風に撫でてくれたのは優しいカミサマたちだけだった。
 私はカミサマに拾われたのだろうか。


 そんな誰かの行動のせいか、どうやらこの場にいる皆が、私が起きた事に気づいたらしい。
 いくつかの視線が向けられたのを感じる。

 暢気な視線、警戒した視線、期待の視線、無機質な視線。

 ここまで雑多でわかりやすい視線というのも珍しい。
 私はこれほど様々な視線を向ける者たちの顔が見たいと強く思った。
 耳が少しは回復しているのだから、もしかしたら目も少しは見えるかもしれない。
 おそるおそる、相手を刺激しないようにゆっくりと目を開ければ、ぼやけてはいるが人の形をした者たちが見えた。
 小さいのが二つ、中ぐらいのが一つ、大きいのが二つ。


 小さい赤いのが何かを言っている。
 声は感じられるのだが、何を言っているのかはまだはっきりと聞き取れない。
 ただ、私に何かを問いかけているということは何となくわかった。

 それに答えを返せないのがもどかしい。
 どうしたものかと考えて、せめて敵意がない事くらいは示しておかねばと思い立った。
 必死に横たわったまま動かない体に鞭打って腹ばいになろうとしたが、失敗。
 首や足がほんの少しばかり動くだけに留まった。

 もう一度とばかりに力を込めようとしたら頭を叩かれた。
 まるで小さな子に言い聞かせるように優しくぺしり。
 何とか動かせる目を上へ向けると、緑の大きなのが居た。

 ふわふわと頭を撫でられる感覚と共に、先ほどの無理が祟ったのか私の意識は落ちていった。





「また眠っちゃいましたねぇ」

 先ほどまでの優しく撫でる手つきとは打って変わって、もしゃもしゃと毛並みを楽しみながら緑色の変わった中華服を着た女性が笑う。
 その手つきは狼が眠った途端に遠慮が無くなった。

 最初に触れた時の気配から、とりあえず害はないと判断。
 必要最低限の警戒以外はあっさりと解いてしまう豪胆さ。

 暢気な彼女にとって今の最優先事項は、多少荒れてはいるものの立派にもふもふとした毛皮を楽しむこと。
 仮にこの狼が自分に何か危害を加えようとしても、それに対応する程度の事はできる。
 とりあえず今は毛並み。
 もふもふ。
 ……ぐぅ。





 外を歩き続けていた狼が小奇麗になっているのは、吸血鬼が狼を館に持ち込んで、魔女が真っ先にしたのが身体浄化だったから。
 その後に最低限の生き延びるための治癒魔法をかけ、周囲に漂う治癒に必要な要素を少しずつ取り込ませる魔方陣の中へ放り込んだ。
 土や草の臭いに始まり、獣独特の臭いが酷かったからと、浄化を優先した時の事は先ほどまで揉めていた。

 その間に死んだらどうするのか。
 そんな簡単に死にはしない。

 普段はカリスマだとか貴族の嗜みだとか口にするくせに姦しく騒ぐ吸血鬼をあしらいながら、更には本を読みながらも狼に対する警戒を緩めない辺り、器用な魔女。
 傍に控えていたメイド長が音も無く紅茶の満たされたカップを二つ用意して、二人に挟まれているテーブルへと置いた事でしばらくは沈静化したものの、時間と共に再燃。
 あの狼が一瞬目を覚ましたのはこの一方的な言い争いが原因なのではないだろうかという考えがメイド長の頭をよぎった。

 メイド長自身はこの狼に対しては特に何を思うわけでもなかった。
 元々自分も拾われたようなものだし、この狼を拾ってきたお嬢様の様子からすると館に置くことになりそうだ。
 暇だからと歯ごたえのある敵を持ち帰ったわけでもなく、純粋に興味からのようで好戦的な色は感じられなかった。

 この紅魔館に住むことになる狼。
 そこまで思考して、何を思うわけでもなかった狼に対して少しだけ思うところができた。
 狼はイヌ科だ。
 イヌ……悪魔の犬の座を取られるのは少々癪だ。
 いや、まだ私にはパーフェクトメイドの肩書きが残っている。
 普段と何ら変わることの無い微笑の下でそんな考えが渦巻いていた。





 どこか混沌とした場が終わりを迎えたのはその次の日の夜のこと。
 人間の基準で考えれば長いものであっても、そこは悪魔の館。
 その程度の時間でどうにかなるほどやわな存在はこの場に居なかった。

 唯一の人間であるメイド長を除いて。
 彼女だけは自身の能力を以って人知れず休んだものの、それ以外はまるで堪えた様子もない。
 今日は昼寝をしなかった、程度の問題としか感じていない様子。
 流石に眠っている狼の様子を見るだけというのには飽きたのか、図書館から持ってきた様々な本を片手に紅茶を嗜みながら。

 ゆるりと時間が流れるそんな場所で、ようやく眠っていた狼が目を覚ます。
 耳がぴくりと動いた。
 続いてかすかに鼻をすんすん。
 そうしてようやくうっすらと目を開けた。

 その場に居た皆の視線が狼に集まる。

 狼は再びゆっくりと目を閉じて鼻から息をふすー。

「寝るな!!」

「!?」





 つい瀟洒ではない突っ込みを入れてしまった自分は悪くないと思う。
 寝ている狼を見るだけというのも飽きていたのだから。
 狼はお腹の辺りにしがみついて眠っていた美鈴もなんのそのと言わんばかりに雄雄しく立ち上がって固まった。

 しぶとく毛並みにしがみついて眠りをむさぼる者の姿もあって、非常に絵にならない。

 しかし立ち上がったはいいものの、どう行動していいのか悩んでいるような気配がする。
 まるで置物のように微動だにせず、そのくせ目線だけはこの場に居る者たちの間を激しく行き来していた。

 その視線が私に向けられた瞬間ぴたりと止まる。

 何やら怯えているような視線を向けられている。
 失礼な。

「咲夜、そんなに睨んでいたら怯えちゃうじゃない」

 お嬢様に窘められて、ようやく今の自分の目つきを自覚する。
 どうやら自覚している以上に苛立っていたらしい。

「嫉妬でもしているんじゃない?大方『私のお嬢様がとられてしまう』といった所かしら」

 パチュリー様にまでからかわれた。
 これでは完全で瀟洒なメイドの名折れである。
 止まった時の中でむにむにと顔をほぐしてから、さらりといつもの微笑を浮かべてから動きのある世界へと戻る。
 傍目には過程をすっとばした変化に見えるだろう。
 そのせいか怯えた視線の強さが増した。
 失礼な。

 相変わらず美鈴は起きないし、そろそろナイフでも投げてやるべきだろうか。
 そんな事を考え始めた私をお嬢様とパチュリー様が笑っているのが更にその衝動を加速させてくれる。

「さて、あなたはどこのどなた?」

 お嬢様は私の内面の観察に満足がいったのか、私に怯えた視線を向けたまま微動だにしない狼へと問いかける。
 この狼への都合二度目の質問。
 一度目は答える事無く眠りに落ちてしまった。
 でも、その問いかけに困ったような雰囲気を滲ませながら私を見ないで欲しい。
 きゅんきゅん鳴かれても私には狼の言葉はわからない。

「あら、喋れないのかしら?」

 どこか驚いたようなお嬢様の言葉に、狼はわが意を得たりとばかりにぶんぶんと首を縦に振っている。
 喋れはしないものの、言葉は理解できているらしい。
 色んな意味で都合のいいことだ。

 お嬢様がその事について考えをめぐらせている姿をどうとったのか、おろおろとしている狼の姿は面白い。
 あ、腹ばいになった。
 美鈴、敷かれているけど重くないのかしら。

 ……とりあえず言葉はわからないまでも、敵対する気がないのはわかった。
 だから怯えたような視線を私に向けるのはやめて欲しい。
 私が一体何をしたというのか。

「……咲夜、だからそんなに睨まないであげなさい。
 ほら、あんなに怯えているじゃないの」

 またやってしまったらしい。
 再び先ほどの作業に移る。

 むにむに。

 また怯えた視線を向けられた。
 イラっとする。

「顔は笑っているのに黒いわね」
「困ったものだわ」

 ひどい言い様ですね、お嬢様がた。
 ……今度ストリキニーネでも混ぜた紅茶をお出しして差し上げようかしら。
 変わったお茶シリーズその108とでもいう名目で。
 お嬢様はどう転んでもその程度で死にはしないし、たまにある当たりを楽しんでらっしゃるから許されると思う。
 仮に、万が一それで動けなくなったら、それはそれで私のお楽しみタイムがやってくるだけだ。

「お嬢様、今はそれよりもあの畜生の扱いを決めるのが先ではないでしょうか」
「畜生って……」

 そんな事を考えながら口を開いたせいか、つい本音が漏れてしまった。
 お嬢様から向けられる『咲夜、疲れているのよ貴女』という視線が痛い。
 どうにも今日は調子が狂っている。
 びーくーるびーくーる。

 そんな風に自分を戒めていると、いつの間にかお嬢様がひれ伏す狼に近づいてその目を見つめていた。
 じーっと馬鹿みたいに大きな狼を見つめるその姿は、まるで無邪気なちびっこの様。
 ああ、何てお可愛いらしい!



 しばらくそんな状態が続いた後、おもむろにお嬢様が口を開いた。

「あなた、私達と敵対する意思はある?」

 狼と見つめあいながらの言葉に、問われた狼は首を大きく横へ振る。
 やはりしっかりと言葉は理解できているようだ。



「じゃあ、私達が怖い?」

 狼がちらりと横目でこちらを見た。
 私に視線を向けるな。

「咲夜を除いたら?
 あ、咲夜っていうのはあの凄い目で睨んでいる人間ね」

 ちょ、お嬢様……!?

 狼は少し考える素振りを見せてから、再び首を横に振る。
 後で覚えていなさい。
 この館で暮らすことになるであろうあなたの食事は私が握っているのよ?
 自分でも黒いと思う考えを浮かべると、狼はがくがくと震えた。




「じゃあ次が最後の質問ね。ここに居たい?」

 それまではどこか楽しげに問いかけていたお嬢様の雰囲気が変わった。
 否とは言わせない。
 否と言える日本人?そんなものは都市伝説だ。
 そう言わんばかりの雰囲気を滲ませながらの問いかけは、最早脅迫以外の何物でもありません。

 ああ、流石お嬢様!
 カリスマが溢れていらっしゃいます!!
 相手が日本人ではなく畜生だというのを除けば完璧です。
 あぁ、日本人のくだりは私の想像でした。
 完璧です!パーフェクトです!!お嬢様!!!

 ……今回は顔にも口にも出していないはずなのに、パチュリー様から呆れた視線を向けられた。
 ついに読心魔法でも身につけられたのでしょうか。
 その対策を考えながらお嬢様と狼へ視線を戻す。
 最後の問いかけ以降動きが見られない。
 未だ縦にも横にもその首は振られていない。

 目線だけがゆっくりとこの場に居る者たちの間で動いている。
 ……あ、居たのね小悪魔。

 一周、二周。

 何度か目線が動いた後に、狼はお嬢様の顔色を伺うかの如く、おずおずと首を縦に振った。

 その時にようやく敷いたままだった美鈴に気づいたようで、一瞬びくりと体が揺れる。
 気づくのが遅い。
 どうやら似たもの同士らしい。

 それからズレた視線を目の前のお嬢様に戻して、どうやら再び顔色を伺っているようだ。
 上目遣いに『いいのかな、大丈夫かな』と、そんな考えが透けて見えるような様子だった。
 お嬢様もお嬢様で、そんな狼の目をじっと見つめ続けている。



「よし、ここに住むことを許可しましょう。
 その体が回復しきるまで、しばらくは好きにするといいわ」



 半ば出来レースのようなものだったとはいえ、これで狼は正式に紅魔館の一員となったわけだ。
 喜べ畜生。

 お嬢様の許可からこちら、ピタリと動きを止めた狼に再びお嬢様が問いかけを口にした。

「ところであなた、名前はあるの?」

 どこか呆然としたままふるふると頭を力なく横に振る狼に、顎に手を当てて思案を開始するお嬢様。

「なら私がつけてもいい?」

 ゆっくりと、しかし何度も首を縦に振る。

 うむ、お嬢様の意向に逆らわなかった点は評価してあげましょう。
 食事は残り物の骨に、ほんの少しだけ肉をつけてやろう。

「待ちなさいレミィ。
 貴女のネーミングセンスじゃ私達が呼びたくないような名前になるわ」

 おっとパチュリー君突っ込んだ!!

 待て待て、落ち着け私。
 ……何故だろう、今日に限って思考が異常だ。
 これはいくらなんでもおかしい。

 確かに私は猫をかぶることが多い。
 犬なのに猫とはこれ如何にと思わないでもないが、それは自覚している。
 しかし、猫の中身がここまで酷いのは初めてだ。

「パチェ、それはいくら何でも……」
「あの、お嬢様、私もそう思いますっ」
「……あぁん!?」
「ぴぃ!?」

 いつもパチュリー様の後ろに控えて微笑みを絶やさない小悪魔がお嬢様に意見した。
 小悪魔がお嬢様へ意見する事なんてこれまで一度たりとも無かったというのに。

「落ち着きなさいレミィ。
 古来よりペットの名前は家族全員で決めるものと相場は決まっているのよ」

 パチュリー様の言動も少しおかしい気がする。
 普段なら呆れたように半目で見やる程度で留めるというのに。

 それに、何故美鈴は未だに目を覚まさない?
 普段から居眠りが多いとはいえ、ここまで酷くは無い。

「私が拾ってきたんだから、私が名前をつけてもいいじゃない!」
「じゃあ何て名づけるつもりなの?」
「蘇る銀狼」
「名前ですらない」

 これはひどい。
 確かに名前ですらない。

「それ、この間貸した小説のタイトルじゃない。
 もっとましな名前を考えなさいよ」

 お嬢様、私もこれはパチュリー様の意見に賛成です。
 目の前の狼の顔が面白いことになっています。
 狼の顔色なんてわかるはずもないのに、何故か泣きそうになっているのがわかる程に。

「ならパチェは何て名づけるのよ!代案無き否定は認めないわ!!」
「ハティ」

 さらりと即答を返すパチュリー様に、お嬢様の気勢が一瞬殺がれた。

「……月に大きな影響を受ける私が居るというのに、その名前か」
「じゃあスコール」
「北欧神話繋がりで?」
「ええ」

 ハティは月を、スコールは太陽を追い立てる神話の狼。
 吸血鬼であるお嬢様の事を考えるなら、大仰な名前だがスコールは悪くない。
 おそらくそれをわかっていながらハティの名を先に挙げるあたり、パチュリー様もいい性格をしている。

 しばらく考え込んだ後に、お嬢様はふむと一つ頷いた。
 納得がいったらしい。
 狼に向かって尊大に胸を張りながら口を開く。

「このレミリア・スカーレットがお前に名を与えよう。
 これよりお前の名はスコール。
 その名に恥じぬよう、我が敵を打ち払う牙となれ」
「厨二病かしら。
 最近外の世界で子供たちに流行っている難病らしいわよ?」

 すばらしい合いの手だった。
 今日のパチュリー様は一味違う。
 ピキリと固まったお嬢様のお姿を横目に、先ほどから動こうとしない狼へと目を向ける。

 ………見なければ良かった。

 じっと伏せたまま、どこか泣き出しそうな雰囲気を滲ませて呆然とお嬢様へ目を向け続けている。
 ようやく悲願を達成して、やっと実感が伴ってきた者のような様子。
 先ほどまではどこか夢心地といった風な狼だったが、しかし、今現実としてそんな狼がそこに居た。

 あぁ、少々まずいかもしれない。

 こう見えて割と涙脆いのよ、私は。
 とりあえず時を止める準備だけはしておこう。
 泣いた顔を見せるのはお嬢様にだけでいい。

 そんな事を考えた直後、館を揺るがす程の鳴き声が響き渡った。
 泣いているような、喜んでいるような。
 この上なく強い様々な感情が込められているのがありありと感じられる。

 タイム、自分の世界へしばし退避。

 私がここに受け入れられた時の事を思い出してしまった。
 不覚。












[20830] 二話 Patchouli
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2010/11/25 02:14



 まるで夢のようだ。
 一体何処からこれほどの力が沸いてくるのか自分でも不思議なほどの活力が私を満たしている。

 やっと、やっとだ!
 私はついに辿り着いた!

 私の終着点は、カミサマたちに感謝したあの満月が覗く緑の中ではなかった!
 ようやく私は居場所に辿り着いたのだ!

 その上名前まで貰えた。
 これ以上の幸せなど無い。

 私の体からはその喜びが形になったかの如く声が溢れてくる。
 止められない。
 止めてしまったらこの夢のような喜びが消えてしまいそうだ。
 夢なら覚めないで欲しいと切に願う。





 鼓膜が破れるかと思う程の鳴き声を上げている狼が目の前に居る。
 これでもかという位にうるさいけれど、でもこれは止めてはいけないものだと感じた。

 レミィがこの狼を拾ってきた時、この狼に外傷はただの一つもなかった。
 あるのはひたすらに積もり積もった疲労のみ。
 何を求めてそれほどまで疲労を積み重ねたのかはわからないけれど、元々強靭な肉体を持つ妖獣が死に至る程の疲労を積み重ねたのだ。
 並大抵の事ではないだろう。

 鳴き続ける狼を見ながら、先のやり取りから考察を始める。

 狼の様子が大きく変わったのは、居場所や名前の話題になってから。
 となると求めていたのは家……居場所?

 ああ、言葉がわからないのは不便ね。
 判断材料が足りなさ過ぎるわ。
 いっそ狼の言葉がわかるような翻訳魔法でも作ろうかしら。
 意思疎通の魔法を応用すれば作れない事もないだろうし。

 いや、あの狼は言葉を理解しているのだから文字盤の様なものでもいいかもしれない。
 まぁその辺はあの狼に選ばせてやろう。
 折角作っても使われないのでは意味がない。
 使われなかったのであれば、そこにどれだけの時間を費やしたとしても、それはただの無駄でしかない。

 しかし終わらないわね、この鳴き声。
 いったいどれだけの肺活量があるのだろうか。
 目の前に置かれた紅茶のカップが、中身ごと揺れ続けている。

 ……あ、ようやく終わった。
 レミィ、何かピクピクしてるけど耳大丈夫?
 偉そうに腕を組んだまま仁王立ちしてるからそうなるのよ。
 貴女が斜め上の発言や行動をするのはいつもの事なんだから、いい加減に突っ込みに対する耐性を持ちなさいよ。

 あぁ、そういえばあそこまでストレートに突っ込んだのは今日が初めてだったかしら。
 今日はどうにも自分の言動がおかしい気がする。
 咲夜も小悪魔も、レミィですらも。

 ……考えられる原因は当然この狼か。
 とりあえず警戒は緩めないでおこう。









 ようやく鳴き声が止んだ後に訪れたのは耳鳴りを感じる程の静寂だった。
 まるで世界に存在する全ての音が死んでしまったかのような錯覚さえ覚える。

 鳴き声でようやく目を覚まし、またその鳴き声を間近で聞いて目を回している美鈴を尻目に、狼が大きな体を揺らして足を踏み出した。
 私は反射的に警戒を強め、咲夜も僅かに重心を落として即座に動ける態勢を取った。
 レミィは相変わらずピクピクと震えながら仁王立ちしたままだ。

 元よりそれほど離れていなかった狼とレミィの距離。
 狼が一歩踏み出せば、最早彼我の距離は無きに等しい。
 無いとは思うが、手を出すには十分な距離だ。



 そんな私達の警戒など知らぬとばかりに、狼はゴロゴロと喉を鳴らしながらレミィに優しい頬擦りを一つ落とす。
 まるで御伽噺のように、騎士がお姫様の手にキスを落としているかのようだ。
 どちらもご婦人に分類されるのがちょっと減点対象だけど。
 さらに言うなら、雰囲気を取り払えば犬にじゃれ付かれる幼女にしか見えないのも減点。
 まぁ、野暮な事は考えないでおきましょう。
 悪い絵じゃあないわ。



 少々観察していると、ふわりふわりと頬をくすぐる毛並みにレミィの頬が緩んでいった。
 羽もぱたぱたと忙しなく揺れている。

 そんなに気持ちいいのかしら。

 たまらず、といった風にもしゃりとレミィが狼の首に抱きつけば、それに反応して狼の尻尾がゆらゆらと揺れる。
 どうやら喜んでいるらしい。
 このロリコンめ。
 そもそもあんた雌でしょう。



 ……いけない、また妙な方向に思考が飛び立ってしまった。
 もしかしたらあの狼、精神干渉系の能力でも持ってるのかしら。
 これからはそちら方面に警戒を向けておこう。

 吸血鬼のレミィならまだしも、私はあの牙で噛み砕かれれば間違いなく即死する。
 あれだけの体躯なら引き倒して息の根を止めるなどという悠長な事をせずに、ただ噛み付くだけで容易に私を絶命へと至らしめる事ができるはずだ。
 準備をした上でやりあうならいくらでもやりようはあるが、無防備な所を狙われれば話にならない。
 見るからに狼にその気は無さそうだと感じるが、まだこの段階では警戒するに越したことは無いわ。





 狼にじゃれ付く幼女、じゃれ付かれる狼。
 それに羨ましげな目を向ける門番とメイド長。
 どちらが何に対して羨望を向けているのかは言わぬが華だろう。
 しばらくそんな状況が続いたが、狼が優しく顔を離した。

 レミィ、そんな悲しげな顔をするんじゃないの。

 そんなレミィの顔にもう一度頬擦りを残して、再びのそのそと今度は咲夜の下へ歩を進めて行く。
 警戒を緩めないままの咲夜の様子など知ったことではないとばかりに、機嫌よさげに再び頬擦り。

 触れられるまでは警戒を緩めなかった咲夜が、陥落した。

 なん……ですって……!
 あの咲夜まで陥落したというの?
 おのれ、あの狼の毛並みは化け物か!

 ああ、化け物よね、妖怪だもの。
 ……咲夜にあの手のペットに対する耐性が無かっただけというのも大きいかもしれない。

 次は……美鈴?
 あ、進路変更した。
 これはどうやら私みたいね。
 美鈴、何滂沱の涙を流してるの。
 貴女さっきまであれだけしがみ付いていたじゃない。

 もっふーんすりすり。

 そう表現する他なかった。
 ………悪くないわね。
 うん、悪くない。
 あ、こらちょっと!離れるんじゃないわよ!
 待て毛皮!!



 名残惜しさと共に次の相手へと目を移せば、そこには小悪魔が。
 ……居たのね小悪魔。
 狼が近くまで寄ってくると、小悪魔は先手必勝とばかりに狼の首に飛びついた。
 当たってる?違うわ、当ててるのよ。
 そう言わんばかりにもふもふと毛並みを楽しんでいるらしい。

 狼がきゅんきゅん困ったように鳴きながら咲夜を見ている。
 あれ程怖がっていたのに、何故咲夜なのだろうか。
 あの子は犬っぽいからかしらね?
 どうにも怖いけど、それでも……というところか。
 く、悔しくなんて……ないわ。



 いつまでも抱きついていては話が進まないという空気を読んだのか、ようやく小悪魔が狼を開放した。
 あれだけ抱きつかれたというのに、律儀に小悪魔にも頬擦りを一つ。
 小悪魔、貴女また抱きつきかけたでしょう。
 手が一瞬震えたわよ。



 大きな体のくせに足音をほとんど立てず、再びレミィの前に戻った狼。
 これからよろしくお願いしますといった風にぺこり。
 どうやら礼儀はわきまえているようだ。
 うむ、ぱっちゅんポイントを加点してやろう。喜べ。



 狼は挨拶回りが一段落して『私これから何すればいいの?』とばかりに首を傾げている。
 その仕草にまたレミィがやられたらしい。
 今までペットらしいペットを傍に置いたことがなかったからこちらも耐性が無いんでしょうね。

 再び飛びつこうとしたので、ぼそりと『カリスマ』と言ってやった。

 どうやらちゃんと聞こえたらしく、微妙な態勢で固まった。
 もう皆にばれてるから偉そうに咳払いをしても遅いわよ。





 レミィが抱き付きたそうにしながらもこれからの取り決めを進めていった。
 要約すると、先に言ったとおりしばらくは好きにしなさいという事にするようだ。

 貴女の部屋はここねと今いる部屋を示した時、狼は居心地が悪そうに部屋を見渡した。
 どうやら勿体無いと言いたい様だ。
 わかりやすい狼で助かる。
 でもそんな狼の考えはレミィが強権を持って押し切った。
 まぁ館の広さは咲夜の能力でおかしな事になってるから、別に問題はないでしょう。

 狼が生活するに当たって必要となる機能については私が魔法で整える事になった。
 人用の設備は狼の体では使えないから仕方が無い。

 ちなみにその魔法の維持に使う力は狼から。
 効率は悪いが、随時妖力を魔力にコンバートして使用する形に。
 この程度の魔法ならば高が知れているので問題はないだろう。



 一通りの取り決めが終わった後は、レミィお待ちかねのフリータイム。
 馴染む!馴染むぞ!!と言わんばかりに腹ばいになっている狼の背中で毛並みを満喫していた。
 咲夜もそれを緩んだ顔で眺めながら狼の尻尾をにぎにぎ。

 嫌だけど言い出せないといった風な狼の顔を楽しみながら紅茶を嗜む。
 自分にサドの気があるとは思っていなかった。
 中々に面白い発見だわ。
 いえ、これくらいなら誰にでもあるかしら。

 そんな事を考えていると、ずりずりと腹ばいのまま前進してきた狼に足元から見上げられた。
 どうやら尻尾を握る咲夜をどうにかして欲しいようだ。

 懇願するような目がたまらない。
 咲夜にもっとしてやるように言った瞬間のあの顔はしばらく忘れられないだろう。
 まぁもう少しくらいは遊ばれてなさい。





 そんな時間も終わりは来る。
 さすがに眠くなってきたので解散しようという事になった。

 なのに、解散を宣言したレミィがこの場を離れようとしない。
 様子を見る限り、どうやら毛並みを楽しみながら眠りたいらしい。
 今までの行動を見てれば危険はないんでしょうけど、警戒を緩めすぎじゃないのかと思う。

 ……まぁあの毛並みならわからなくもない。
 良い寝台兼枕になることだろう。
 今度私もやってみようかしら……いや、ソファ代わりにして本を読むのも良いかもしれない。
 まぁ今はそれよりも睡眠だ。

 狼ベッドはレミィに譲ってやる事にして私は自分の部屋へ戻って行く。
 どこか寒々しい雰囲気の漂う、本の要塞と言わんばかりの部屋。
 そろそろ読み終わった本が溜まって来たし、図書館に戻さなければ。
 頼むわね、小悪魔。
 ……こあーっ!?なんて泣いてもダメよ?

 さて、おやすみなさい。

























 ……今日みたいに、全員揃って騒ぐなんて事は久しく無かったから、元々広いベッドが更に広く感じてしまう。
 小悪魔、扉の隙間から枕を抱えて覗いてないで入ってらっしゃい。
 仕方のない子だわ、全く。
 ええ、仕方ないから抱き枕にして眠ってあげましょう。

 おやすみなさい。






[20830] 三話 Remilia
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2011/01/12 00:08



 初めて家の中で眠った。
 体を撫でる風も滴る夜露も感じないのは少し落ち着かないけれど、これは快適だ。
 それに、ここに居ていいと言ってくれた主人も一緒に眠ってくれている。

 小さな体を丸め、私に抱きつくようにしてくぅくぅ眠る姿は可愛らしい。

 ときおりもぞもぞと寝心地のいいポジションを探すかのように身動きされるのはちょっとくすぐったいけど。
 こんな主人が、昨日寝る前に少し聞かせてくれたのは自分が500歳の吸血鬼だっていう事。
 500歳なのにこれ程可愛らしいのは詐欺だと思う。

 胸を張りながら話をしている時も、威厳よりも前に可愛らしさを感じてしまった。
 そんな風に思いながら話を聞いていたら、どうやらばれてしまったらしい。
 吸血鬼だからだろうか、思わぬ力強さで鼻をつままれた。
 鼻がもげるかと。

 それでも、その程度の事なんてこの幸せに比べれば些事としか言いようがない。

 あぁ、僅かに空が白み始めた。
 部屋にある小さな小さな窓から見える空には雲もないし、今日はよく晴れた日になるだろう。

 そんな事を考えながら白み始めた空を眺めていると、いつの間にか目の前にメイド長さんが居た。

 イザヨイサクヤさん。

 顔は笑っていても、ちょっと怖い雰囲気の人。
 睨まれるのは苦手だ。

 これからよろしくお願いしますと挨拶をした時は頭を優しく撫でてくれたけど、しばらくしてからまた元の雰囲気に戻ってしまった。
 どうすればいいのだろう。
 とりあえず顔色を伺ってみる。

 何やら色々緩んでる。

 サクヤさんの目線を辿れば、そこには幸せそうに眠る主人の姿。
 どうやらサクヤさんも主人の姿を可愛いと思っているようで。

 そこまで考えて、ふと昨日聞いた事柄を思い出した。
 吸血鬼は日光に弱いらしい。
 あの小さな窓から入るだろう光は体に悪いのではないだろうか。

 でもこんなに気持ちよさそうに眠っているのに起こすのは可哀想だ。
 そんな思いを込めた視線をサクヤさんに向けると、彼女は微笑を浮かべながら心得ているとばかりに一つ頷いた。

 頷いた瞬間にお腹に感じていた主人の重みが消えたのには驚いたけど、サクヤさんが何一つ慌てていないのだから、彼女がが何かしたのだろう。

 あぁそうだ、とりあえずは朝の挨拶をしておこう。
 信じられないほどに軽く感じる体を起こし、サクヤさんの前に座って頭をぺこり。
 おお、撫でてくれた。
 思わず喉が鳴ってしまう。

「日が昇りきったら朝食の時間。
 それまでは好きにしていなさい」

 ぱたりと嬉しさから尻尾を揺らす私に苦笑しながら、最後に頭を一撫でしてくれる。
 そして、瞬きを一つしたら目の前からサクヤさんが消えていた。

 これは心臓に悪い。
 音もしなかったし、きっと超スピードとかそんなチャチなものじゃないのだろう。
 どうやってるんだろう?





 狼が与えられた自室で首を捻っている頃、寝場所を移された吸血鬼はそれまでと違う寝心地から目を覚ました。
 寝ぼけ眼で辺りを見回すと、そこにあるのは窓の無い豪奢な部屋。

 ああ、私の部屋か。

 スコールと一緒に眠ったはずなのにこちらに居るという事は、咲夜が移動させたのだろう。
 日が昇るような時間になっているという事か。
 ちょっと生活時間が狂ってしまっている。
 まぁいいかと一つ伸びをすれば、いつの間にか目の前には私の着替えを手に持った咲夜の姿。

「おはようございます、お嬢様」

 うん、相変わらず良い仕事をする。
 一つ頷いてみせると、服が変わった。
 うん、良い仕事だ。

「朝食の準備は?」
「整っております」

 メニューはハニートーストに砂糖アリアリのスクランブルエッグ、咲夜の能力でいつまでもフレッシュな血液らしい。
 好物ばかりじゃないの。
 褒めてつかわす。

「お嬢様、朝食の後の歯磨きをお忘れなきよう」

 ええい、余計なお世話よ。
 そこまで子供じゃないわ。

 ……今ナチュラルに子供だというのを認めかけたけど、これは若さゆえの過ち。
 私は子供ではなく淑女よ、ええ。

 クッ。

「咲夜、今笑わなかった?」
「何の事でしょうか」
「笑ったでしょ?」
「笑ってなどおりません」
「笑った」
「お嬢様への愛ゆえに微笑みは浮かべております」

 ……まぁ良い事にしておきましょう。
 こうなった咲夜から本当の所を引き出すのは並大抵の労力じゃない。
 それよりも今は朝食よ、朝食。

 大きなテーブルへ着いた途端に、食事が目の前に出現する。
 ふわりと漂うハチミツと血液の香り。

 よきかなよきかな。

 そんな朝食に手を伸ばしかけて、スコールの事を思い出した。
 ここに来てから初めての食事になるのだ。
 一緒に食べるのもいいわね。

「咲夜、スコールは?」
「先ほど昨日の夕食の際に出た骨を与えてまいりました」
「……骨だけ?」
「いえ、肉もついております」

 ……ほんの少しだけ。

 最後にそう聞こえた気がした。
 しかし初めての食事がそれだと可哀想じゃないの。
 あれだけの体なんだから、それだけで足りるはずもないでしょうに。

「喜んで食べていましたよ?アバラ骨をまるでクッキーのようにぼりぼりと」

 可愛らしく首をかしげながら言っても駄目。

「昨日は子牛を一頭まるまるバラしたので、骨だけでも結構な量になるのですが」

 中身もついでに、とか笑うな。
 いくら吸血鬼の私と言えど、そちらは守備範囲外。
 食事時に聞かされて気分の良いものじゃないわ。

 そんな私の考えを読んだかのように、一礼して後ろに下がる辺りは良く出来たメイドだ。
 でも昨日からどうにも行動がおかしい気がする。

 いや、おかしいのは元からか。

 でもどこか、どこか違う。
 そういえば私の言動も少しおかしいか。
 考えられる原因は、やはりスコールだろう。
 昨日から、となればそれしかないし。

 後でパチェ辺りに狼用翻訳魔法でも作らせて話を聞いてみよう。
 こちらからの問いかけだけではこの問題を解決できないでしょうし。



 ……あぁ、やってしまった。
 考え事をしながら食事なんてするものじゃないわ。
 折角の好物だったのに、それほど味わう事無くいつの間にか食べ終えてしまった。
 ハニートースト……!!

「お嬢様、お代わりでございます」

 くっ……その『仕方ないですね、全く』という笑みは何よ!?
 私は何も言っていないわ!

 ……でも出されたのだから食べてやろう。
 ハニートーストに罪はない。
 うん、いい出来だ。





 朝食を終えてすぐにスコールの所へ行こうとしたら、咲夜から冷たい視線を感じた。
 くっ、歯磨きをすればいいんでしょう?わかってるわよ!
 自慢の牙を念入りにしゃこしゃこ。
 う……歯磨き粉を少しばかり飲み込んでしまった。

 咲夜、笑うな。
 鏡に映ってるわよ。

 そんな思いを視線に乗せて咲夜を睨むと、口の端が更に吊り上った。
 この辺はそのうち躾けなおさなければならないと思う。
 何だかんだで逃げられそうな気はするが、それでもよ。



 キラリと光る牙が眩しくなってから、ようやく目的の場所へ足を運べた。
 扉を開けて中の様子を伺うと、昨日寝るときは部屋の真ん中に居たスコールが何やら部屋の角で丸まっている。
 そんなスコールの前には馬鹿でかい大皿が一つ、空っぽで鎮座していた。

 部屋の中央から何かを引きずったような跡が絨毯についているから、恐らく自分でその皿をはしっこまで引きずっていったんだろう。
 広い部屋の中央という場所に落ち着かなかったのかしら?

 そんなスコールをしばらく観察していると、皿の周りに小さな白い粉の様な物が飛び散っているのに気がついた。
 そこでようやく、皿に乗っていたであろう物が何か確信した。

 咲夜、貴女本当に骨をあげたのね。
 それもあんな大皿を使うくらいの量の。
 でもそんな量の骨をぺろりと食べちゃうなんて中々やるじゃないか、スコールよ。
 それでこそ私の狼だ。

 ちょっと得意げに部屋へと足を踏み入れると、それまで丸まっていた毛玉がもそりと動いた。
 う……!ね、眠たげな目で首をかしげながらこちらを見るな!

 気がつくと、毛玉の中心へフライングボディープレスを敢行した後だった。

 もふりとお腹に抱きつくと、私を包み込むかのように体を丸めてくれる。
 これはいい、毛並み革命だ。
 この毛並みなら世界を狙える。

 まるで泳ぐかのようにもふりもふりと毛並みを堪能していて、ふと思い出した。

 私は誰と一緒にここに来た?

 残像が残るほどの速さで後ろを振り向くと、そこには鼻にハンカチを当てて恍惚としているメイド長の姿が。
 瞬時にそのハンカチは消え、いつも通りの微笑を浮かべた咲夜がそこには居たが、私の目はごまかせない。
 貴様、見ていたな!

「私は何も見ておりません」
「まだ何も言っていないわ」
「私は何も見ておりません」

 おのれ咲夜め……!
 赤くなった顔を隠すかのように毛並みに顔を埋めると、スコールがそんな私に頬擦りをしてくれた。
 ああ、慰めてくれているのね。
 本当に良い子だわ。
 スコールへ顔を向けずに持ち上げた手だけで頭を撫でてやると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
 どうも撫でてもらうのが好きらしい。

 ようやく顔の赤みが取れたようなので起き上がると、この部屋に居るのは咲夜だけではなくなっていた。
 パチェ、小悪魔、その笑みは何?

「昨夜はお楽しみだったみたいね?」

 オーケィ、わかったよ親友。
 お前も私をからかうのか!
 ちょっと小悪魔、なんで赤くなるのよ。
 ……いやんいやん頭を振るな!

 そんな私の悔しさを感じたのか、スコールが私を庇うように更に丸くなって、きゅんきゅん鳴きながらパチェを見ていた。

「あらあら、一晩で狼を手篭めにするなんて流石はレミィね?」

 どうしてもそちらの方向に持って行きたいのか、親友!
 ここでの私の味方はスコールだけのようだ。

「スコール、私はレミィを苛めているんじゃないの。
 ほら、レミィだって本気で嫌がっていないじゃない」
「そうですわ。
 本当に気に食わない時のお嬢様は問答無用で実力行使に出ますもの」

 こらスコール!こちらを向いて『そうなの?』とばかりに首を傾げるな!
 き、きゅんきゅん鳴いても許してあげないんだから!
 すりすりするな!あ……あぁ……!?

「陥落したわ。ちょろいわね」







 いつの間にか眠っていたようだ。
 私の横ではパチェがスコールに背を預けながら本を読んでいる。
 スコールはその本に興味があるのか、しきりに首を伸ばして覗き込んでいた。
 寝ぼけ眼で観察していると、パチェが本を変えるたびに覗き込んでは落胆したように目を離している。
 本を変えるたびに、って事は何か読める言葉でもあるのかしら。

「とりあえず英語、仏蘭西語、独逸語、中国語は駄目だったわ」
「趣味と実益を兼ねた検証でございました」

 にやにやしながら言うパチェと咲夜。
 私が眠ったから、いじる対象をスコールに移したらしい。
 そう言われてようやく気がついたのか、スコールがどうにも拗ねているのを感じた。
 尻尾がぱたぱたと床を叩いている。
 こんな時にこの子が喋れればどんな風に文句をつけるのだろうか。

「パチェ、意思疎通の魔法とかないの?」
「あるわよ」

 あるんかい。
 だったら出すもん出しなさいよ!

「でもちょっとばかり面倒だし、スコールは私たちの言葉を理解できてるんだから文字盤のような物でもいいかと思ってね」

 それで読める文字を確かめていたの、と続けたパチェ。
 先のやり取りを見る限り怪しいところだと思うけど。
 ただ単にスコールをいじって楽しんでいただけじゃないのかと。

「まぁ無駄じゃあなかったわよ。
 中国語で少しばかり反応を示していたから、大方日本語あたりが読めるんじゃない?」
「なら試しなさいよ」
「ここには日本語の本を持ってきていなかったの」

 言葉を理解できているんだから、読めるかどうか聞けば済む話じゃないの。
 現に貴女の後ろでぶんぶん首を縦に振っているわよ?

「私の目には文字しか映っていないわ」
「私の目にはお嬢様しか映っておりません」
「お前ら自重しろ」

 私の目には、と言いたげだった小悪魔を無視して言葉を返してやった。
 あら、拗ねたみたいね。
 スコールのヒゲで遊び始めてしまったわ。

 ……嫌そうに頭を振るのが面白いらしい。
 やめてあげなさい、可哀想でしょ。





 この後も何だかんだとぐだぐだになったが、スコールの意向に沿って文字盤ではなく意思疎通の魔法を使う方向で決定した。
 とは言ってもスコール自身に魔力はないし、詠唱もできない。
 これは任意で妖力を魔力へ変換する魔法陣と意思疎通の計二つの魔方陣を刻んだ何かを身につけさせればいいという事で解決。
 なら身につけさせる物は何にするかという話になったが、これについては特に意見の対立は無かった。

 首輪。

 色は?

「紅」
「紫」
「銀」
「こぁ」

 とりあえず笑顔でふざけた事を言い放った小悪魔の後ろ頭を殴った上で審議開始。
 頭を抱えて悶えている小悪魔を尻目に、するすると話が進んでいく。

 結果、紅色の布を紫の糸で縫い、銀色の金具を使うという事で決定した。
 デザインを詰めていくうちにスカーフのような物になってしまったが、まぁいいだろう。
 どこぞで見た狐の石像も赤いスカーフを巻いていたし。

 完成予定は?あぁ今日?早いわね。




 決まった後にそそくさと動き出したのは小悪魔のみ。
 材料の調達、頑張るのよ。




[20830] 四話 Flandre
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2010/11/25 02:15



 材料集めを任された時はどんな無理難題を言われるのかと思いましたが、どれも人里で手に入る物だと安心したのも束の間。

 人里から必要な材料を買ってくると、赤い布を見たお嬢様から『これじゃ紅さが足りない』と駄目出しされ。
 赤より紅い布を買ってくると、今度は先ほど買ってきていた紫色の糸を確認したパチュリー様から『太さが足りない』と駄目出しされ。
 太めの紫色の糸を買ってくると、今度は咲夜さんから『金具が弱い』と駄目出しされ。

 四度人里を訪れた私に同情的な視線と暖かいお茶をくれた裁縫店のお婆ちゃんに感謝しました。
 これがなければ私はくじけていたことでしょう。
 ちょっと悪ふざけをしただけなのにこの仕打ちはひどいと思います。





 朝方から動き出した事もあって、作成自体は昼過ぎに終わり。
 さぁそれじゃあ部屋で寝ているスコールへ渡しに行こうかという段になって問題が起りました。

 ずん、と地下深くから腹に響くような低い音。
 そうです、地下深くから。
 ついでに寒気を通り越して笑うしかない程の妖力のうねりを感じます。

 ま ず い !

 地下ですよ地下。
 考えられる理由なんて一つしかありません。
 紅魔館の最終鬼畜妹……ああ違う、フランドール・スカーレット様のおなーりぃーですよ。
 初めてその存在を感じた瞬間『やばい死んだ』という思考が頭を駆け巡った程のお方です。

 駆け出していったお嬢様達を見送り、ほとんど無意識で、放置されたスカーフのような首輪を皺にならないようにたたみたたみ。
 なんてタイミングなんでしょうねぇと息を吐いた瞬間、図書館の扉が吹き飛びました。

 ええ、文字通り吹き飛びました。
 これ作ったやつ頭悪いだろうというくらいの大きな扉がまるでフリスビーのようにくるくるズドン。
 すわ妹様来襲かと恐る恐る見てみれば、そこには頭から血をしたたらせたスコールの姿が。

 頭から突っ込んだんですか。
 いやいや、問題はそこじゃない。
 こちらも何てタイミングですか……!

 こちらの原因は先ほどの音と妖力のせいでしょうけど。
 辺りを見回し、私一人だけなのを確認するときびすを返し駆け出していってしまいました。

 ……ま、まずい、ですよねコレ。

 あの様子だとお嬢様達を追って行ったんでしょうし、場所の方も狼なんだから匂いを辿れるはず。
 つまり妹様の部屋へゴールインですよ。
 ここでスコールが死ぬような事になれば、妹様への対処がこれまで以上に厳しくなる事はうけあい。
 妹様の事情をそれなりに知っている身としては気分の良くなる話ではありません。

 でも私が行っても何も出来ないしなぁ……でもなぁ……。

 うわ、また揺れた。
 何か音が近づいてきてる気がするんですが。

 えーと……うん、スコールには悪いけどここは静観する事にしましょう。
 私が行ったってミイラ取りがミイラになってしまいます。
 こちとら所詮は小悪魔。
 暴れる夜の支配者を相手取って死なない確率なんて、天文学的数字がでてきそうな勢いなんです。

 ですから、大人しく皆が帰ってくるのを信じて紅茶の準備でもしておきましょう。
 私に出来ることなんてそれくらいです。
 てことで皆さんさっくり帰ってきてください。
 ここでの生活は非常に気に入ってるんです。

 さぁ、まずはとっておきの紅茶の葉を用意しましょう。
 それから、それから……。









































 こわい。

 耳鳴りがするほど静かな部屋がこわい。
 突然ぴしりときしんだ音を奏でる家具や部屋もこわい。
 忽然とテーブルの上に出てくる食事もこわい。
 少し前から感じている、私の中へうっすらとよくわからない何かが入ってくる感覚もこわい。

 こわい こわい こわい。
 こわいから、にげなきゃ。

 意識する事無く体が動いた。
 腕が上がり、世界を隔てる扉へ。
 よくわからない魔法の力を感じるけど、そんなものは関係ない。
 手の中に感じる何かを握り潰して、私と世界は繋がった。

 ガラガラと崩れ落ちる扉や部屋の破片。
 それが巻き起こす埃が収まってから足を踏み出したところで、お姉さま達がやってきた。
 相変わらず速いなぁ。
 見たことのない人間もいる。

 でもちょっとだけ、こわくなくなった。

「フラン、部屋へ戻りなさい」
「やだ」

 なのに、お姉さまはまたあのこわい場所へ私を押し込めようとする。
 何でだろう。
 こわいのは嫌だ。

 そんな風に思いながら何も言えずにいると、お姉さまの目が細められた。

 こわい。
 にげなきゃ。

 また体が動いた。
 お姉さまに向けられる腕、握られる手。
 でも、その手が握られることはなかった。
 あれ……私の手がない。
 腕からごぽりと溢れた血が、すぐさま元の手を形作った。
 ……私の体がこわい。
 にげなきゃ。
 ……でも、私から逃げるってどうやればいいんだろう?

 また体が動いた。
 お姉さまたちが天井に立ってる。

 また体が動いた。
 お姉さまたちが地面に戻ってきた。

 こわい。
 にげなきゃ。

「待ちなさいフラン!」

 お姉さまに怒られる。

 こわい。
 にげなきゃ。

 目の前に続く長い階段を必死に駆け上る。
 途中で足をとられた。
 私の下に何か描かれている。

 こわい。
 にげなきゃ。

 また体が動いた。
 地面に向けられる腕、握られる手。

 びきりと呆気なく壊れた地面がこわい。
 にげなきゃ。

 階段が終わった。
 目の前には左に伸びる通路と、右に伸びる通路。
 どちらに行こう。
 早くしないとお姉さま達がやってくる。

 ……左から何かが来る。
 速い。

 ジャカ、と聞いたことの無い音を床から響かせてその何かは私の前で止まった。
 白?銀?よくわからないや。
 何か大きなふわふわが揺れてる。

 こわい?
 ……わからない。

 何かが私の中に入ってくるあの感覚が強くなってる。

 こわい?
 ……こわくない。
 なんで?

 このふわふわな何かを、入ってくる何かを、私はこわがってない。

 こわくない。
 なんで?

 ふわふわした何かが不思議そうな目を私に向けてくる。
 私も不思議なんだから、そんな目を向けないでほしい。

 お姉さまたちが近づいてきた。
 でもこのふわふわな何かが何故か気になって、体は動かない。





「スコール!離れなさい!」

 私とふわふわの間を縫うように飛んできた紅い槍と同じくらいの速さで、お姉さまが叫んだ。

 スコールっていうのかな、このふわふわ。
 お姉さまと私の間で視線が行ったり来たり。
 何か困ってるみたい。
 きゅんきゅん不思議な声を出してる。

「スコール!」

 びくりとふわふわが揺れた。
 お姉さまをこわがってるみたい。
 私と一緒だ。

 一緒?
 こわくない?

 じーっとふわふわを見つめてみる。

 ……こわくない。
 やっぱり、こわくない。

「こわくない?」

 私がふわふわにそう聞くと、ことんと首を傾げてからふわふわな何かは頷いた。

 こわくないんだ。

「……フラン?」

 体が動いた。
 足が前に出て、両手が持ち上がる。

 本当に、ふわふわしてる。
 わ、ごろごろ音がした。

「………」

 こわくない。
 こわくなくて、何だろう。

「こわくない」
「……こわく、ない?」
「うん」

 あれ、なんでだろう。
 さっきからお姉さまがいつもと違ってこわくない。
 目を細めないし、このふわふわがさっきしていたみたいに、小さく首を傾げてる。
 こわくない?

「怖くないって、どういう事?何を怖がっていたの?」

 何て言えばいいんだろう。
 ただ、こわかった。

「フラン?」

 お姉さまがまた少しこわくなった。
 ふわふわがお姉さまと私の間に入ってきてきゅんきゅん鳴いている。

「……レミィ、この状況は何?」

 魔女が追いついてきた。
 遅い。

 さっき見た人間も一緒だ。
 こわくなって、思わずふわふわにすがりつく。

「まるでいじめっこといじめられっこね」
「人聞きの悪いことを言うな!!」

 表情を変えないまま口を動かす魔女に、お姉さまが怒ってる。
 ちょっとこわい。
 またふわふわが鳴いた。

「フランが、怖くないって……」
「レミィ、意味がわからないわ」
「私だってわからないわよ!」

 だって、このふわふわはこわくない。

「ふわふわ」

 ふわふわからお姉さまたちに顔を覗かせて私が口を開くと、皆が私へ目を向けた。
 ちょっとこわい。

「……フラン、ふわふわがどうしたの?」
「こわくない」
「ふわふわが、怖くない?」

 こくりと頷くと、お姉さまたちは首を傾げあった。

「お姉さまたちは、こわい。
 でも、このふわふわは、こわくない」

 びしりとお姉さまがかたまった。
 しばらくしてから、不思議な顔を私に向けてくる。
 今まで見たことのない顔。

「……やっぱりいじめっこといじめられっこじゃないの」
「むぐっ!?」

 お姉さまの羽がぱたぱたと揺れてる。
 あんなお姉さまは見たことがない。

「……あの、妹様」

 さっきから一言も喋らなかった人間が口を開いた。

「怖かったから、逃げたんですか?」
「……うん」
「それで、スコール……そのふわふわが怖くなかったから、逃げるのをやめたんですか?」
「うん」
「なら最初に逃げ出した、その怖かったものは、何だったんですか?」

 さっきもお姉さまに聞かれた事だ。

「だって、こわかった」
「…………」

 人間はゆっくりと頷いて、私が答えるのを待っているらしい。
 お姉さまや魔女も何も言わずに待っている。

「音のしない部屋……」

 まだ待っている。

「怒るお姉さまも、いきなり出てくる食事も……」

 お姉さまと人間が揺れた。
 こわいけど、こんな風に話を聞いてくれるのは初めてだ。
 自分の中から少しずつ言葉が出てくる。

「……扉から感じる魔法の力も」

 今度は魔女が揺れた。

「でも、最初にこわかったのは」

 居心地悪そうにしていたお姉さまたちが止まった。

「お父様から、この部屋に居なさいって言われて、扉を閉められたこと」

 お姉さまの顔が凍った。

「こわかった」

 私の言葉が終わってからも、お姉さまは動かなかった。
 このスコールというらしいふわふわがそんなお姉さまと私を交互に困ったように見比べるだけで、他に動くものはいない。

「こわかった」

 もう一度口を開くと、お姉さまの目から何かが零れ始めた。
 人間がどこからともなく白い布を取り出して、少し迷っているような動きをしている。
 きゅんきゅん鳴く声がすぐ傍から聞こえてきた。
 音の元を見上げるとふわふわが私の顔を拭うように頬を寄せてくる。
 そこで私はようやく、自分の顔を何かが伝っている感触に気がついた。

 体が動いた。
 頬を触ると、手には水がついている。
 何だろう、胸が痛い。

 体が動いた。
 ふわふわに縋り付くようにして顔を押し付ける。
 ここはこわくない。
 ……あたたかい。






[20830] 五話 Remilia
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2010/11/25 02:15



 私たちが動けずにいる中、フランは静かに涙を流し続けた。
 その姿は私に罪の重さを感じさせる。
 ああ、私の眼から流れ落ちる涙よ、枯れ果てなさい。
 私はそれをこの子への贖罪の一歩としよう。



 誰も喋らない世界は、フランが泣き疲れて眠ってしまうまで変わらなかった。
 スコールの毛並みを握りしめていた手を優しく解き、眠ったフランの体を横抱きに抱え上げれば、腕に感じるのはわずかな重み。

 なんて軽いんだろう。
 なんて小さいんだろう。

 こんな体で何百年も恐怖に苛まれてきたのか。
 私は私自身にこの上ない憎悪を抱いた。

 ああ、ああ。
 もう手放すものか。

 たとえフランに殺されるような事になろうとも、決して手放してなどやるものか。
 愛する妹だと思いながらも、この胸に恐怖を抱き続けてしまった私の、ちっぽけな意地だ。

 もう手放してなどやるものか!









 自室へ戻り、フランを抱きしめながらスコールに体を預ける。
 そんな私たちを守るかのように、スコールは体を丸めて私たちを包み込んだ。

 その暖かさにまた涙がこぼれる。
 この子は今までこんな暖かさを感じる余裕などなかっただろう。
 それは私の罪だ。










 フランに物心がつく頃、既にこの子を取り巻く環境は冷え切っていた。
 父の憎悪すら入り混じった冷たい視線や、そんな父に引きずられるようにして周りからも向けられた同種の視線。
 程度の差こそあれど、好意的な視線など無かった。

 私でさえ、母が残した言葉がなければその一員になっていたかもしれない。

 私の子なのだから愛さずにいられるはずがない、と。
 フランの顔を覗きこむ私に、お姉ちゃんなんだから優しくしてあげなさいね、と。
 フランを胸に抱きながら、優しく私の頭を撫でて母は私にそう言った。

 私はその時、妹に母を取られたという悔しさのようなものを感じながらその言葉を聞いていた。
 でも、母の胸の中で眠る妹の姿を眺めれば眺めるほど、そんな悔しさは彼方へと消えていく。



 うっすらと見える私とは違う綺麗な金色の髪。
 まるで蜂蜜を溶かし込んだようなその色が綺麗だと思った。

 私とは違う、様々な色に輝く羽。
 母の髪飾りについているきれいな宝石のようだと思った。

 小さな私より、更に小さな手。
 それは私に守るべきものだと感じさせた。



 しばらくして、母は命を使い果たしたかのように死して灰となった。
 事実、使い果たしていたのかもしれない。
 フランの身に宿る力は、生まれた時には既に父と肩を並べていたのだから。

 母の言葉を胸にして妹を愛した私とは対照的に、父はそんなフランをとにかく嫌った。

 人の中で語られる吸血鬼像の体現と言っていいほど傲慢だった父だが、母に対してだけは並々ならぬ愛情をもって接していたのだ。
 父の目にはフランが愛する伴侶の命を吸い尽くした化け物のように映っていたのかもしれない。

 更にそれに追い打ちをかけたのは、フランの能力の発現が早かった事と、その能力そのもの。
 純粋な破壊の力。
 ありとあらゆるものをフランはいとも簡単に握りつぶしてしまった。

『あれは災厄の枝だ!破壊と破滅を撒き散らすためだけに生まれてきたのだ!!』

 フランを地下へ押し込める直前、父はありありと憤怒を込めたその言葉を繰り返した。
 私はそんな父を恐れ、また、そんな父が恐れたフランをも恐れてしまった。

 今になって思えば、私も父も何と子供であったことか。

 力は罪ではないというのに。
 しかし、その時の私は妹への愛情を恐怖というフィルターに通してしまった。
 一度かかったフィルターは、母の死によって精彩を欠き始めた父が人間に滅ぼされてからも外れはしなかった。

 愛おしいのに、怖い。

 そんな歪んだ私を、フランは恐れる。
 そこからすれ違ったままの数百年が始まった。

 怖いから暴れるし、逃げようとするフラン。

 歪んだ私はそんなフランの心を理解してやれなかった。

 小さなすれ違いだったはずなのに、今それが正されるまでかかった時間は数百年。
 最早言葉になどできようはずもない。
 再び後悔が私の中で荒れ狂い、フランを抱きしめる手に力がこもった。

 これを許して欲しいなんて絶対に言わない。
 それを言うのは、これまでの年月が許さない。

 だから、私は姉であろう。

 腫れ物に触るような接し方などするものか。
 良い事をすれば褒め、悪い事をすれば叱り。
 喜ぶべき事があれば共に喜び、悲しむべき事があれば共に悲しもう。
 そんな姉であろう。
 何度失敗しても、そんな姉であり続けよう。

 そんな決意を胸に、フランの額へ誓いのキスを一つ落とす。
 そう、私は姉だ。
 これまで果たしていなかった姉の本分を果たして見せよう。





 そんな私の傍らで、フランは眠り続けた。
 ようやく目を覚ましたのは草木も眠る丑三つ時の頃。

 それまで身動き一つしなかったフランの睫毛が揺れる。
 ゆっくりと開かれていく目は、まるで夢を見ているかのようにしばらく辺りを彷徨っていた。

 その視線からは諦観のようなものを感じる。
 それに気づくと同時に、思わず力の限り抱きしめてしまう。
 諦観が驚きに染め抜かれていくのが嬉しかった。

「……夢じゃ、ないんだ」
「ええ、夢じゃないわ」

 おどおどとした手つきで私の背にフランの手が回される。
 触れたら壊れてしまうのではないかと思っていそうな手つきだ。

 その手に少しばかり力が込められた。

「……ねぇ、お姉さま」
「なぁにフラン?」
「私、あの部屋に戻る」

 ……何?

「こんなに優しくしてもらえたから、もういいよ」

 こわいけど、我慢する。
 フランはそう言って手を離していく。

 そう。
 でもね、フラン。

「お姉さま?」

 同じように手を離さずに、私はフランを抱きしめる腕に力を込め続ける。
 私はもう貴女を手放したりなんてするつもりはないの。
 貴女が本心から笑って、もういいよと言えるようになるまで手放してなどやらない。

「貴女はもう地下に戻らなくてもいいの」
「じゃあ、私はどこに行けばいいの?」

 捨てられた子犬のように顔が歪んだ。
 勘違いをするんじゃないの。


「私の傍に居なさい」


 日々下らなくも愛しい喧騒が支配する、そんな私の傍に。

「一緒に眠って、一緒に食事をして、一緒に遊んで、また一緒に眠るの」

 呆然と目を見開くフランを正面から見据えて言葉を繋ぐ。

「今までの私は、肩書きだけの姉だった」

 怖がって、怖がらせる姉だった。

「でも、もうそんな姉であるつもりはないわ」

 覚えておきなさい、フラン。

「もう貴女を手放すような真似はしない」


 私は傲慢なの。


「……私、ここに居てもいいの?」
「ええ、そうよ?地下に戻りたいなんて言ったら、鎖で縛ってでもこちら側に引きずり出してやるんだから!」
「……それは、こわい」
「ええ、だから私の傍に居なさい」

 掻き抱くようにしてフランの頭を胸に。
 反論なんてさせてやるものか。
 もう、こわがらせなどするものか。

「……ぅ…ぁ」

 胸の辺りが濡れる感触がする。
 再び背中に回されたフランの腕が私を締め上げた。
 痛いけど、痛くない。

 ああ、涙って枯れ果てることはないのね。
 まただわ。



































 一方その頃、魔女は酒精と戯れていた。
 曰く『速さが足りない』と。



[20830] 六話 Sköll
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2010/11/25 02:15



 私のお腹の上で仲直りをしたレミリアさんとフランさん。
 それからの日々は何と言うか、レミリアさんがフランさんにべったりでした。

 フラン、フラン、フランと常にフランさんの傍に居て世話を焼き続け。
 その甲斐あって、最近ではフランさんがよく笑うようになったのは本当に嬉しい。
 レミリアさんの弛まぬ努力が実った結果です。





 初めてフランさんが笑った時は大変な事になったのを思い出した。
 レミリアさんがパチュリーさんにからかわれて悔しげに唸るっているのを見て、口の端が僅かに持ち上がるだけの小さな笑いだったけれど、確かに笑い。
 それを見たレミリアさんがやれパーティーだ、祝いの品を用意しなければと大騒ぎ。

 その日は一日中飲めや騒げやの大騒ぎでした。
 ちなみにレミリアさんよりもフランさんの方がお酒に強かったのには驚きました。
 顔を真っ赤にして涙目になるレミリアさんに対して、いくら飲んでも全く顔色が変わらないフランさん。
 ちょっと面白かったですね。

 この頃から、フランさんがどんどん変わり始めた気がします。
 乾いた砂が水を吸収するかのように、一日毎の成長が目に見える日々。
 日に日に怖がることが減っていったし、色んな事に興味を持ち始めたし、自分から誰かに関わっていく努力もしていたようで。
 喋り方だって、それまでの片言じゃあなくなりました。



 ああ、本当に色々ありました。



 いつだったか、皆の『妹様』という呼び方に不満を持って、名前で呼ぶように駄々をこねたりもしましたし。
 自分という存在を見てくれていないように感じてしまったそうで。
 そんな事、あるはずもないのに。
 でも心の中を覗くことなんてできないんですから、仕方がない事でしょうか。

 ちなみにレミリアさんはこれに便乗して、私の『ご主人様』というレミリアさんへの呼称を改めさせました。
 レミリアさんは似たような事をサクヤさんにも言っていましたけど、こちらはさらりとかわされ不満げに羽をパタパタ。

 サクヤさん曰く、これは私のアイデンティティです、だそうで。

 他にも色々と理由を言っていましたけど、納得しようとしないレミリアさんへの最後の決め手としてガトーショコラを投入。
 ケーキ一つで陥落する姿は大変可愛らしいものでした。

 まるでリスのように頬を膨らませてもごもごと咀嚼する姿には、カリスマとやらのかけらも感じられなかったのを覚えています。
 しばらくしてから今の自分の姿を自覚して唸っていたのも、また可愛らしいものでした。

 そういえば常に傍に居ようとするレミリアさんに対して、フランさんが苦笑を浮かべるようになったのもこの頃でしたか。
 初めてそんな表情を向けられた時のレミリアさんの様子は凄いものでした。

 まるで世界が終わったかのような表情を覗かせましたからね。
 すぐに取り繕ってはいましたが、これっぽっちもごまかせてはいなかったのが印象的でした。
 だって羽が忙しなく揺れていたし、ちょっと涙目になっていたし。
 意地を張っている子供みたいな姿は非常に可愛らしかった。



 事ある毎に可愛らしい可愛らしいと言う私の歳は一体いくつなんだとフランさんに問い詰められた事もありました。
 この頃になると、初めて会った時のフランさんと今のフランさんは本当に同一人物なのかというくらい、フランさんはよく笑う子になっていた気がします。

 とはいえ私も自身の歳なんて知らなかったので、思い出せる限りの事柄をスカーフの魔法を通じてパチュリーさんに伝え、おおよその生まれた年代を割り出してもらいました。
 色んな事柄を伝えましたけど、記憶が前後している事も多々あって少々難航しましたが。

 妖怪だらけの四角い町があった、という記憶がその中で一番古いものだったようで。
 家の上でケタケタ笑う妙なナマモノが居たからこれはよく覚えていました。
 何やら槍のような矢で射抜かれていましたし。
 これは平安京とかいう町だそうです。

 この時、日本の事なのにさらりと判別したパチュリーさんは凄いと思いましたよ。
 そして年齢は秘密ですと頭を掻くメイリンさんを除いて、何気に私が最年長だったらしいです。
 ちょうどメイリンさんを除く皆の年齢を足したくらい。

 しかしそれがわかったからといって、私に対する皆の態度は何一つ変わりませんでした。
 変わらないで居てくれるのは本当に嬉しいものでした。
 頭を撫でてくれるのは嬉しいし、毛をブラシで梳いてくれるのは気持ちがいいし。
 私に体を預けて一緒に眠ってくれるのだって嬉しい。
 変わらなかった皆がこの上なく愛おしかった。



 私が何をしてきたのかフランさんがよく聞いてくるようになったのもこの頃でしたっけ?
 むぅ、良く覚えていません。

 とりあえず歩き続けてきた中で経験した色んな事を話しました。
 怖かったカミサマたちの話の時には怒ってくれて、優しかったカミサマたちの話の時には笑ってくれたのは嬉しいものでした。

 雪に埋もれてそのまま春になるのを待った時の話をすると呆れられたのはちょっと悔しい思いをしましたが。
 一回埋もれてみるといいと思います。
 もこもこと雪の中を掘り進むのはすぐに飽きますから。
 拗ねる私の尻尾を引っ張りながら謝るフランさんは可愛かったけど、ここで甘い顔をしてはだめだと思ってしばらく拗ねたふりをしてみました。
 ……あの時拗ねるのをやめたのは、サクヤさんから食事抜きにしますよと脅されたからではありません。
 断じて。



 ……あぁ、本当に色々ありましたねぇ。



 そんな日々が続いていく中で、フランさんの騒動からどこか沈んだ空気を漂わせていた家の中が、日に日に華やいだ空気に変わっていくのは本当に嬉しい事でした。
 せっかく貰った居場所が沈んだ空気でいるのは酷く悲しい事でしたから。

 笑い声が絶えずに、いつも何かしらの騒動が起こる日々は楽しかったですよ。
 今首に巻いているスカーフが最早何代目かわからなくなるほどの騒動ばかりの日々でしたけど、それでも今を思えば軽く笑い飛ばせてしまいます。
 こんなに幸せな場所に居ることが出来て、本当に私は幸せ者ですよ。
 この家の皆が愛おしくて仕方がありません。

 私に色んなものを与えてくれたレミリアさんや、成長を見続けてきたからかまるで私の子のようにすら思えるフランさんも。
 相変わらずちょっと怖いけどどこか抜けていて面白いサクヤさんや、いつも私をソファ代わりにして本を読みたがるパチュリーさんも。
 コアクマさんやメイリンさんも……








「ねぇスコール。横でそんな事を考えていられると、流石にちょっと恥ずかしいんだけど……」

 そうフランさんから声をかけられてはたと気がつけば、レミリアさんと一緒に私に寄りかかって本を読んでいたフランさんの顔が少し赤くなっていました。
 レミリアさんも少しばかり居心地が悪そうで。

 どうやらスカーフにかけられている魔法が起動していたようです。
 強い思考に反応する仕様ですから、考え事をしている時にはいつの間にか起動してしまいますからね、これ。

「私たちの軌跡を感慨深げに思い返される事が、これ程居心地の悪いものだと思わなかったわ」
「だよね…」
「しかも嬉しい、愛しい、可愛らしいって事あるごとに思っているのがわかるんだもの……」
「照れちゃうよね……」

 仕方がないことだと思う。
 本当に、掛け値なしでそう思っているんですから。
 これは胸を張って言えます!

「だから、そういう風にストレートに思われると、その……」

 その、何ですか?
 照れちゃいますか?

「照れちゃいます」

 持っていた本で顔を隠して羽をパタパタ揺らすフランさんが可愛らしい。
 僅かに覗く顔が赤く色づいているのが見えた。
 下から見上げるようにして顔色を伺うと更に赤くなっていく。
 ああ、本当に可愛らしい。

「うぅー……!」

 唸るフランさんも可愛らしい。
 あの時からたった数年でこんなに可愛らしくなるなんて……もう何と言えばいいのでしょう。
 言葉が見つかりません、感無量。
 ……って泣かないで!?
 フランさんに泣かれると、その、あれですよ。

「スコール」

 あぁぁぁ……!
 今ばかりはレミリアさんの方を振り向きたくありません。
 きっとすごく『いい』笑顔を浮かべているはず。

 仕方のない事だとはわかりますけど、いくらなんでもレミリアさんは姉馬鹿すぎると思う。
 もうフランさんだって一人前になったのに!

「一人前になろうと二人前になろうと関係ないわ!フランを泣かせるんじゃないの!」

 レミリアさんの右腕が一瞬二本に見えました。
 残像?
 そうですか、それほどの速さで私の尻尾を捕まえたんですね。

 ……落ち着いた振りをするのはもう無理です。

 痛い痛い痛い!ちぎれる!

 ばたばたと私が暴れた事で、体を預けていたフランさんが宙を舞ってしまいました。
 ぱたりと羽を動かして、逆さになったまま浮かんでこちらへ驚きの目を向けてきます。

 へるぷ!
 ぷりーずへるぷみぃー!!
 尻尾が冗談抜きにちぎれそうです!

「ちょ、ちょっとお姉さま!?」
「大丈夫。加減はしているわ」

 できてない!できてないですよ!!
 痛いぃー!!

「むぅぅ……スコールを苛めるお姉さまなんて嫌い!」
「!?」

 ちょ、ショックを受けたのなら握る力を緩めてくださいよ!
 私の尻尾がエマージェンシー!

「離してあげて」
「あの、フラン……」

 フランさんが頬を膨らませてレミリアさんを睨んでいます。
 可愛らしい。

 あ、赤くなった。

「……余裕があるわね、スコール?」

 ……いえ、私の尻尾は既にエマージェンシー。
 ですので、また力を込めていくのはやめて下さい!
 痛い!!

「お姉さま?」

 あ、フランさんの声のトーンが下がった。

「フ、フラン!違うのよ!!」
「何が、違うの?」

 慌てるレミリアさんを、先ほどまでとは打って変わって静かなフランさんが見据え。
 それまでフランさんの胸に両手で抱かれていた本が、右手に握られ。

 それ、まさか鈍器代わりにするつもりですか?
 割と洒落にならない厚さの本ですけど。

「うん、お姉さまったら口で言っても聞いてくれないんだもの」

 仕方ないよね、と一つ頷いてぐおんという音と共に本を振りかぶるフランさん。

 最早本を振りかぶる音じゃないと思いますよ。
 そもそも本は振りかぶるものでもないし、鈍器でもないけれど。

 私の尻尾を握っている手から震えが伝わってきます。
 然もあらん。
 あれはきっと洒落にならない威力でしょう。
 止めた方が……

「お姉さまの馬鹿ぁ!」

 ……遅かった。
 酷く鈍い音が部屋中に響き渡ってしまいました。
 思わず閉じてしまった目を恐る恐る開いていくと、そこには本を振りぬいた姿のまま肩で息をするフランさんの姿が。
 爛々と赤い目が光る姿はちょっと怖い。



 ってあれ?
 レミリアさんは?



 ……あぁぁレミリアさんの首が!?
 パチュリーさん!!サクヤさぁぁぁん!!





































「その程度で吸血鬼がどうにかなるのなら、遥か昔に十字教徒たちの手で滅ぼされ尽くしてるわよ」

 あと、本は大事に扱いなさい。






[20830] 七話 Sköll
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2010/12/25 10:41



 今日は久しぶりに散歩に繰り出してみました。
 そして早々に後悔してしまいました。
 今度から行く場所はちゃんと選ぼうと思います。



「ねぇねぇ走ってみて!!」
「ずるいよ!次は私の番なんだから!」

 散歩をしていると道端に泣いている女の子が居たので、人の匂いがたくさんする所へと乗せてきてあげたのが運の尽き。
 到着した時は皆遠巻きにこちらを伺っていたのに、いつの間にかわらわらと集まってきた子供たちのせいで身動きがとれなくなってしまいました。
 子供の十人や二十人くらい振り払うのは簡単ですけど、そんな事をするわけにもいかないし。
 かなり加減しないと文字通り空を飛んでしまいます。
 とりあえず大人の皆さん。
 すまんなぁなんて視線はいらないので誰か助けてください。



「早く代わってよぉ!」
「やだ!まだ乗ったばっかりだもん!」

 しかし、たかられるだけならまだしも耳元で叫ぶのはやめて欲しい。
 これでもそれなりに耳はいいんです。
 あぁきんきん響く声のせいで頭が痛くなってきた。
 それに騒ぎを起こしたくないから仕方のない事とはいえ、勝手に背中に乗られているのは気分が悪いですよ、ええ。

「うわぁぁぁぁん」
「な、泣いたって代わってやらないぞ!」

 あぁぁあもうやめて!
 頭に響く!!

「あーあーなーかしたぁー!せーんせいにーいってやろー!」
「こいつが勝手に泣いたんだよ!」

 子供特有の高い声が次々に私の耳へと突き刺さり続けます。
 私の事など知った事ではないとばかりに毛を引っ張りながら騒ぐ子供たち。



 …………もういいですよね、私こんなに我慢しましたもの。
 うん、今乗ってるのは男の子だから振り落として逃げよう。
 男の怪我は勲章ですよってメイリンさんも言ってましたし。

 もう知るものか!





「こら、お前達何をしているんだ!」

 私がそう決意を固めていざ行かんと四肢に力を込めたとき、空からそう怒鳴られて思わず中途半端な態勢でかたまってしまいました。
 怒鳴った女性はふわりと着地して、腰に手を当てて子供たちに睨みを利かせています。
 ちょっとこわい。
 あ、子供達が静かになった。

「……とりあえず降りなさい」

 今まで私の背中にしがみ付いて一番叫んでいた子がそそくさと降りていくのを感じた。
 あぁようやくすっきりしました。

 これまでの鬱憤を込めて鼻から息を吐き、身を震わせて毛並みを整え……ようとしましたが。
 遠慮の欠片も無く掴まれていたせいで、妙な癖がついてしまっていますね。
 それでなくとも私の体が大きいせいでブラッシングが大変なのに、こんな癖をあちこちにつけられれば言わずもがな。
 サクヤさんに怒られる……

 横で子供達がお説教をされているのを尻目に疲れた足をのそりと一歩を踏み出し。
 すこーる おうち かえる。

「あぁちょっと待ってくれ」

 気分も毛並みもしょんぼりとしながら帰途に就こうとした私を、先ほどの女性がひき止めてきました。

 何ですか?
 疲れたのでさっさと帰らせて下さいよ。

 首だけそちらへ向けてじとりと睨みながらそう答えるものの、目の前の女性は特に何も反応しません。

 ……あぁスカーフの魔法を起動してない。
 先日パチュリーさんにオンとオフの切り替え機能をつけてもらったのを忘れていました。
 ……いいやもう面倒くさい。

 確認のように言葉はわかるのかと聞かれたのでとりあえず頷きだけ返しておく。

「子供達が迷惑をかけたようなのでお詫びをしたい。だから少しだけ待ってくれ」

 言いながら子供達に謝るように促して、自分も一緒に頭を下げてきました。
 できた人だ事で。

 ……周りの大人たちも口々にすまなかったなと言うものだから居心地が悪いことこの上ないですよ。
 どうしてこうなった。

「ほら、お前達は家に帰りなさい。今度からはするんじゃないぞ」

 そう言われた途端に、それまで神妙にしていた子供たちがまるで逃げ出すように走り去っていきます。
 全くもって元気なことでとやさぐれながらそれを見送り、こちらへ近づいてくる女性へ目を向けて観察。

 妙な帽子をかぶった不思議な匂いのする人。
 少しだけ妖怪の匂いが混じっているので、純粋な人間ではないようですね。





「すまなかったな。知らせを受けてから急いで来たんだが……」

 どうやら遅かったようだ、と癖がついた毛並みを見て言葉を濁し。

 ああもう、身振りで伝えるの面倒くさい。
 パチュリーさん謹製の意思疎通魔法起動。
 考えるだけでオンオフを切り替えられるの便利だなぁ。

「あぁ申し遅れたが、私はこの人里の守護をしている上白沢慧音と言う者だ。寺子屋の教師もやっている」

 それはそれは。
 どうりで子供達の反応が早いわけで。

「……なんだこれは?」

 意思疎通の魔法ですよ。
 口で喋ることができない私に家族が作ってくれました。

「成る程。いいご家族だな」

 ええ、自慢の家族です。
 私を拾ってくれて、大事にしてくれるんですから。

「ふむ。どこに住んでいるか聞いても?」

 紅魔館ですよ。

「……吸血鬼のいるあの館か?」

 ええ、そうです。
 ご存知で?

「あー……たまに人里に来るメイドや司書を知っているだけだな。実際にそちらへ足を運んだ事はない」

 左様で。

「…………」



 淡々と返答していると、ケイネさんが黙ってしまいました。
 こちらが不機嫌なのを隠そうとしなかったせいではありますが、何となく気まずい。
 いいや、もう帰ろう。

 ぺこりと一つ頭を下げて立ち去ろうとすると尻尾を掴まれてしまいました。
 私のような尻尾のある妖獣にこんな事をするなんて、喧嘩を売られているんでしょうか?

「あぁぁすまない!よかったらここで少し休んでいかないかと言おうと思ったら帰ろうとしていたもので……
 その、反射的に」

 左様で。
 でも尻尾を掴むのはやめて下さいね。

「悪かった、以後気をつける。
 それで……その、どうだ?」

 しゅんとして上目遣いでこちらを伺うケイネさんを見ると少々断りにくい。
 まぁ夕飯時までに帰ればいいわけだし、時間はあるけれども。
 どうしたものか。

 しばらくお見合いをしていると後ろから『そこだ、ぐっといけ先生!』なんて声が聞こえてきました。
 変わり身が早いぞ、何やってんの。
 というか子供達は解散したのに何で大人はほとんど残っているんでしょう。
 こっち見るな!

「ほ、骨!昨日捌いた鳥の骨とかあるぞ、うん!」

 何『こんなに応援してもらったんだ!がんばらねば!』みたいな顔してんですかあーた。
 しかも骨って。

「先生!なんだったら昨日俺んちで出た牛骨も持ってきな!」
「私のところの豚骨もどうぞー」
「あの狼さん、魚の骨も食うのかね?」

 骨ばっかりですか!
 もうやだこの人里。
 ケイネさんは先ほどまでのしゅんとした雰囲気など彼方へ投げ飛ばして鼻息荒くしてるし。

「ど、どうだ!?」

 ごめんなさい。

 そんな私の簡潔な答えを聞いてケイネさんは膝を折って打ちひしがれてしまいました。
 先に謝られた時とは違う意味で、どうしてこうなった。
 そこ、女は根性よだとか声援送るな。

「ならせめて土産を持っていってくれ!」

 俯いた顔を上げると、怖いくらいに目が爛々と輝いていました。
 何か食われそうな印象を抱いたんですけど、私の気のせいですか?

「うん、何がいいかな。
 さっき八百屋の親父さんが言っていた牛骨にするか、それとも米屋の奥さんが言っていた豚骨にするか……」

 また骨ですか!

「……なら何がいい?」

 うわ、何か周りからの視線が強くなった。
 もう、やだ、この人里。
 何か貰わないといけない雰囲気じゃないですか。
 でも骨はいらない。
 むー……?

 そうして私が悩む間も、刻一刻と強くなっていく視線。
 どうしてこうなった!
 悩む私の脳裏に浮かんだのは、先のお土産という言葉。
 ……ああそうだ、お土産じゃないか。
 いつも皆が食べている物を考えれば、悪くない。

 和菓子をください。
 家で出るのは洋菓子ばかりなので家族へのお土産にします。

 自分でもいい考えだと思う選択。
 いつも目にするのはケーキだとかクッキーばかりなので、和菓子はいい土産になるはず。

「まかせろ!おやっさん頼む!!」
「任せな先生ィィィ!!」

 私がそんな要望を出した瞬間、まるであらかじめ打ち合わせをしていたかのように声を張り上げたケイネさんに驚いてしまいました。
 でもそれ以上に……今あのおじさん人垣を飛び越えませんでしたか?
 人の匂いしかしなかったのに、あの人もまさか妖怪の血が混じっていたりするんでしょうか。
 人里怖い。

「うん、しばらく待ってなさい。あのおやっさんの所の甘味は美味いぞ」

 ……左様で。

 何か疲れましたよ、もう。
 早く帰りたい。

「持って来てくれるまで少し休もうか、うん」

 ケイネさんがそう言うと、人垣が割れて茶屋への道が開かれていきます。
 その先に居るのは、着物にエプロンという妙な格好をした女性。

「いらっしゃいませぇ~いらっしゃいませぇ~美味しいお茶ありますよ~お団子もありますよぉ~」

 貴女さっき女は根性とか言ってたお姉さんでしょう。
 変わり身……いいやもう。
 ……もう、やだ。






























 無駄に疲れた体を引きずりながら持って帰ったお饅頭やきなこ餅は喜んでもらえました。
 でもフランさん、また貰って帰ってきてねというのは承諾しかねます。
 人里怖い。






[20830] 八話 Sakuya
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2010/11/25 02:16



 私の握る大きなブラシが踊るたびに、ごろごろと気持ちよさげな声が聞こえてくる。
 いつの間にかこのブラッシングは私の密かな楽しみになっていた。
 ブラッシングをやり始めたばかりの頃は手間をかけさせるなとイラついていたのに、私も変わったものだ。
 散歩で人里に行ったという日のブラッシングは大変だったが、ごめんなさいと謝りながらも喉を鳴らすスコールの姿には毒気を抜かれて笑みがこぼれた。



「よし、終わったわよ」

 ぽふりと頭を一つ撫でてやると、途端に擦り寄ってきて感謝を伝えてくる。
 スコールはやたらと誰かに触れていたがるから、こうして頬を寄せられるのにも慣れてしまった。

 ここに来るまでの経緯を聞いているので仕方のないことだとは思うけど、仕事の途中にそんな事をされた時は正直困ってしまう。
 今は忙しいと切り捨てるのは簡単だけど、それをした時の寂しそうな気配には何ともいえない気分にさせられる。
 そうしていつの間にかついつい甘やかすようになってしまった。
 出してやる食事も段々上質な物になっていったし、それを申し訳なさそうに食べるスコールを怒ったこともある。

 うん、私も変わったものね。

 ブラシを持ったまま苦笑していると、スコールが不思議そうにこちらを見ているのに気がついた。
 何でもないという意思を込めて撫でてやると、また喉を鳴らしている。

 あぁ、今日はスコールと過ごすのもいいかもしれないわ。
 掃除は朝のうちに済ませているし、お嬢様たちは就寝中だし。

 気分によって生活時間を変えられるので、合わせるのは少しばかり大変だったりする。
 こうした機会はいつも突然降ってくるものだから、いつも何をしようか迷ってしまう。
 とりあえず日課のブラッシングをしたのはいいが、次にする事が思い浮かばなかったところだ。

「今日はお嬢様たちも寝ている事だし、一緒に散歩に行ってみる?」

 そうお誘いをかけてみると、即座に行きたいという意思が返された。
 タイムラグはコンマ数秒だろう。
 こんな反応をして貰えるとちょっと嬉しい。

「準備をしてくるから玄関で待ってなさい」

 言うやいなやまるで風のように走り去ってしまった。
 これはこれは、急いで準備をしなければ玄関で泣いていそうだ。

 時間を止めて、僅かに早足になるのを自覚しながら自室へ戻る。
 いつものメイド服でもいいけれど、折角なので気分を少し変えてみよう。
 クローゼットを開けて、滅多に着ることのない紺のノースリーブのブラウスと白のロングスカートを取り出す。
 ついでに外歩きのためのブーツも用意しておく。
 いそいそと着替えながら、柄にもなく気分が高揚しているのを感じた。

 そういえばスコールは誰かと一緒に散歩に行くのは初めてになるのかしら。
 誰かが一緒に居られる時はその傍を離れようとせず、散歩に行くのはどうしても暇だった時だけのようだし。
 どうりであれほど喜んでいたわけだ。

 外見ではわからないようにナイフを身につけて、クローゼットの中に仕舞われたまま殆ど使われる事のない日傘を手に取る。
 軽く鏡の前で確認をするが、いつもメイド服ばかりを着ていたせいで違和感がある。
 まぁたまにはいいでしょう。

 食堂で軽く摘める程度の食べ物を詰めたバスケットを用意して、止まった世界の中でことん、ことんと何時もとは少し違う足音を響かせながら玄関へと歩を進める。
 言い方は変だが、私がこうして時間を止めるまでの時間は僅かなものだったはずなのに、既にスコールは玄関で座っていた。
 相変わらず速い。

 スコールの傍に寄る最後の一歩で動いた世界に戻ると、途端にスコールが期待の視線を向けてきた。
 私がいつものメイド服ではないのに少し驚いたようだったが、似合ってますねと言ってくれる。
 愛いやつめ。

「さ、それじゃあ行きましょうか」

 夏真っ盛りの日差しと言うには少しばかり早いが、からりと晴れ渡った空から降ってくるそれは強い。
 さらりと肌を撫でる風と肌を焼く日差しを感じながら、館の外へと一歩を踏み出した。








 少し歩いた後、背に乗りますかというスコールの申し出を折角だから受けてみた。
 厳密には散歩ではなくなってしまったが、まぁいいでしょう。
 スコール自身は機嫌よさげに歩いていることだし。

 重さなど全く感じさせない足取りで紅魔館の前の湖を迂回し、林を抜け、草原を横切り。
 当て所なく、特に何があるわけでもない散歩なのに、妙に楽しく感じた。

 この足取りはスコールの持つ『あらゆるものを軽くする程度の能力』の恩恵。
 初めてこの能力の事を聞かされた時の騒動は面白かったなと思い出した。

 私たちの言動がどこかおかしくなっていたのはそのせいか、とパチュリー様が言ったのに対して、きょとんとして首を傾げたスコール。
 スコール自身は自分の重さに対してのみ効果があるものだと思っていたらしい。
 そこからは興味を持ったパチュリー様が実験だ検証だとスコールを一日中引っ張りまわしていた。

 普段は図書館で静かに本を読んでいるパチュリー様がそうなったのだ。
 その行動がそのまま検証結果になったのはある意味皮肉だった。

 そして普段殆ど動かないのに張り切ったものだから、翌日ベッドの上で筋肉痛と戦う羽目になっていたのには皆が笑った。
 本人は『やられた……』なんて言いながら赤くなった顔を布団で隠そうとしていたけど。





 丁度いい具合に芝の生えている木陰で小休止を取って、持ってきていたバスケットを開く。
 夕飯が控えているので量は少ない。
 スコールと二人で話をしながらゆっくりと食べて、風に揺れる景色を眺めた。

 こんな景色を見たのはいつ以来かしら。
 小さな子供の頃だった気もするし、つい最近だったような気もするし。

 段々と落ちていく瞼に抗わずに、スコールに背を預けてそんな事を考えていた。





 ふと目を開けて太陽の高さを見れば、それほど時間は経っていないようだった。
 スコールはいつからそうしていたのか、ゆらゆらと尻尾を揺らしながらじっと私を見ている。

「……レディの寝顔を眺めるのは趣味が悪いわよ?」

 軽く叩く振りをすると、器用にも前足で鼻を庇うスコール。
 間抜けな絵面だ。

 思わずくすくすと笑いをこぼすと、スコールが拗ねるのを感じた。
 狼の顔色なんてわからないし、スコール自身は何も言っていないのに、何となくわかる。
 それでも焦りなんて微塵も生まれない。
 いくら拗ねたって、いつだって頭を撫でればすぐに機嫌を直した。
 それがスコールだった。

 ちょっと卑怯だなと自覚しながら頭を撫でてやる。
 所々黒が混じる銀色の長い毛は、日々のブラッシングの成果もあってさらさらと指通りがいい。
 不機嫌そうな小さな唸り声がすぐに気持ちよさげなそれに変わった。

 相変わらずだ。
 でもそれが嬉しい。
 私だってこれでも人間なのだから、相手に喜ばれれば嬉しいと思う。
 ……だからこんな小さな事でいつも喜んでくれるスコールをいつの間にか気に入ったのだろう。

 ぽふりと合図のように頭を優しく叩くと、私が何が言いたいのかを理解してもそりと起き上がる。
 私よりも遥かに長生きなくせに単純で、それでいてこういった機微には聡い。
 大きな体を揺らしながら伸びをしている。

 私も立ち上がってスカートについた草を軽く払った。
 スコールは私が乗りやすいように背を傾けて待ってくれている。
 腰掛けるように体重を預ければ、普段感じることのない独特な浮遊感と共に視線が高くなった。
 二度目だけれど、子供のように心が躍るのを感じる。

 私がしっかりと乗っているのを確認してから、またあのふわりとした足取りで歩き始めた。
 森を抜け、また草原を横切り、人里に行きかけてきびすを返し。
 スコールの背でふわふわと揺られながら、普段は見向きもしない景色を楽しみ続けた。
 いつの間にか、空が赤く染まり始めている。





 あら?





「ああああああああ!?」

 私がこうして散歩に出ていたのは、お嬢様たちが眠りについていたので仕事がなかったから。
 しかしこんな時間ともなれば間違いなく起きている事だろう。
 早く戻らなければお嬢様たちのお世話が……!

「スコール!全速力で紅魔館に帰るわよ!!」

 何が何だかわからないという思いは伝わったが今はそれどころではない。
 ぐっと身をかがめてスコールにしがみ付くと、戸惑いながらも速度を上げ始めた。
 まるで水で押し流されているかのように世界が滑っていく。
 草原を割り、林を揺らし、あれほど長く感じた道程を一瞬で踏破していく。
 紅魔館が見えたかと思えば、瞬きほどの間にその門前まで足を進めている。
 急停止。

 その慣性に逆らわずに空を舞い、時を止めながら着地、疾走。
 急いでもこの時の中では変わらないとわかっていながらも、体は止まらない。
 自己新記録を樹立する勢いで着替え、こっそりと居間を伺う。
 口を尖らせているお嬢様と苦笑している妹様が見えた。

 あぁぁやっぱり起きていらっしゃる。
 不覚。
 パーフェクトメイドという肩書きの危機だ。

 ……お嬢様好みの砂糖、ホイップクリームたっぷりのケーキでも作ればごまかせないかしら。
 ええい、ごまかせないでどうする!
 ごまかせてこそのパーフェクトメイド!!

 食堂に足を運び、いそいそと砂糖の袋を開ける。
 仕方がない、仕方がないのよ。
 それをそのまま全てボウルに注ぎ込んで、次の材料に手をかける。

 そうしてできたケーキを、私は決して自分の口へ運びたくなかった。
 多分これ太るどころの話じゃないと思う。





 そのケーキを切り分けて、紅茶と共にお嬢様の前にセット。
 妹様の前には同じ見た目の普通のケーキと紅茶。
 頭を下げた状態で流れる時の中へと戻っていく。

「申し訳ありませんお嬢様」
「随分と遅かったじゃないか、咲夜」

 次の言葉を待ち構えるが、いつになってもやって来ない。
 ちらりと伺えば、最早私の事などそっちのけでケーキを頬張るお嬢様の姿。
 私は今、きっと凄く悪い顔をしているだろう。

 しかしお嬢様……あの量の砂糖を使ったケーキをそんな風に食べますか。
 私も甘いものは好きですが、さすがに胸焼けが。



 お嬢様はケーキをワンホール分綺麗に完食して紅茶を口に含んだ時にようやく私の事を思い出したらしい。
 赤くなりながら文句を口になさるお嬢様は大変お可愛らしゅう御座いました。
































 後ほど妹様から『咲夜も大変だね』と声をかけて頂きました。
 ……お嬢様、もしかして妹様と精神年齢が逆転しはじめていませんか?






[20830] 九話 Patchouli
Name: デュオ◆37aeb259 ID:326a5a07
Date: 2011/01/12 00:09



 ここ最近、図書館で一人静かに本を読む事が減った。
 レミィやフランは昼間に寝ている事が多いので、その間暇を持て余したスコールが入り浸るようになったのだ。
 季節は夏真っ只中であり、外へ出ればまるで体中を焼かれているような気分を味わえる。
 そんな季節だから、常に一定の気温・湿度に保っている図書館の中が気に入ったらしい。
 ふらりとやってきてはいつもごろごろと私の周りで寝そべっている。

 おかげで愛用の安楽椅子の使用頻度が激減した。
 暑くもなく寒くもないこの空間で、近くに寄りかかれば気持ちのいいもふもふなナマモノが居るのだ。
 寄りかからずにいられるだろうか。
 いや、いられまい。

 スコールのお腹の前にクッションを敷いて腰を下ろし、背を預ける。
 咲夜の手入れのおかげか、前にも増してふわふわとやわらかい毛並みを感じながら本を読むのは気分がいい。
 スコール自身は誰かと一緒に居られればそれで満足との事で、特に何をするでもなく惰眠を貪っていたりする。

 今日も今日とてやってきたスコールに背を預けて本を開いていた。
 いつも通りの時間が過ぎて、夜になったら寝る。
 そうなると思っていたが、今日はどうやら騒動が起こるようだ。
 パタパタと誰かが走る音が聞こえてくる。
 この足音の軽さを考えると、レミィだろう。
 最近ではフランの方がレミィより落ち着いた行動を取るようになったし。

「パチェ!!」

 うん、やっぱりレミィだった。
 そんな走るほど私を探していたのはわかるが、見つけるなりタックルのようなハグをかますのはやめて欲しい。
 誰が言ったか、紫もやしの異名は伊達ではないのだ。
 体の貧弱さには定評がある。
 吸血鬼の力でそんな事をされると当然のように


 グキ


「パチェェェェェェ!?」

 こうなる。
 私の背骨がエマージェンシーコールをけたたましく鳴らしてるわね、うん。
 ………私の仕返しは108式まであるわよ、レミィ。

 そして私の視界は暗転した。





 とりあえず意識を取り戻してから即座に日の魔法をお見舞いしてやった。
 ぷすぷすと煙を上げているがこの程度でどうにかなるほど柔な存在ではないからどうでもいい。
 ぽふぽふと煤けた帽子を叩いているレミィに事の次第を問いただそう。

「それでは、殺人未遂の罪に問われているレミィ被告」
「殺人未遂って……」
「被告」
「いや、だから」
「ひ こ く」
「……はい」

 口を尖らせるんじゃないの。
 後ろにいるフランが口の動きだけで謝ってきてるわよ。
 どっちが姉なんだか。

「私を殺そうとした理由は?」
「……最近流行ってるらしい弾幕ごっことかいう遊びをやろうと思ったわけよ」
「ふむ。それで?」
「ルールを聞いた感じ、この館でできそうなのは限られてるな、と」
「で?」
「その限られた中の一人であるパチェを誘おうと思って探してたんだけど……」
「なるほどね」

 笑顔で返してやると、ほっとした表情を見せてからレミィも笑顔を浮かべた。
 勘違いするでない、吸血鬼。
 この素晴らしく貧弱なボディにこれほどのダメージを与えたのだ。

「お花摘みには行った? 神様に呪いは? 部屋のスミでガタガタふるえて命ごいをする心の準備はOK?」
「え、ちょっと……えぇ?」
「あぁ、そういえば貴女は月の光が好きだったわね。さっきは日の魔法だったから、今度は月の魔法にしてあげる」

 私の周りに浮かんだいくつもの魔道書がぱらりぱらりと死刑宣告のように捲られていくのを見たレミィの顔が面白い。
 あぁフラン、こんなお馬鹿さんな姉にでも手を合わせてあげるのね。優しい事だわ。
 もう貴女が姉でいいんじゃないの?
 ここ数年で信じられないくらいに成長したものね、貴女。
 もうレミィより専門的な話が通じるようになったし。
 学ぼうと言う意思が大事だとよく言うけれど、貴女はそれに加えて驚くほどに飲み込みもよかったものね。
 全く、これほどの才能を地下に埋もれさせていたなんて勿体無い事この上ないわ。

「わ、私が滅びても第二、第三のスカーレットが!」
「貴女のすぐ傍にいるわね。うん、よかったじゃないレミィ? 後釜の心配はしなくてもいいわよ」
「へ……?」
「本当に良く出来た後釜が、すぐ傍に居るじゃない」

 ハッとしてフランへと視線を向けるレミィに、フランはもう一度手を合わせてそそくさと距離をあける。
 いつの間にか私の前に一人取り残される形になったレミィに最後の一言を贈ろう。

「目には目を、歯には歯を」
「ハンムラビ!?」
「最期に素晴らしい教養を見せたわね、レミィ」

 部屋に被害を出さないように範囲を極小に絞って、行使。
 収束されて放たれた魔法が眩い光を撒き散らす。
 ぷすりぷすりと煙を上げながら床に崩れ落ちる紅くて小さい何かが見えるけど、見ていない事にしておこう。

「悪は滅びたわ」
「パチュリー、生きてる生きてる」
「悪は滅びた」
「生きてるって」
「悪は、滅びた」

 横で突っ込みを入れてくるフランに優しく微笑みながら言い聞かせてあげると、泣きそうな顔を向けられた。
 失礼な。
 ぱっちゅんスマイルはレアだと言うのに。

「まぁ今回はどう考えてもお姉さまが悪かったんだから仕方ないか」
「Exactly(そのとおりよ)」
「背骨、大丈夫?」
「しばらくは安静にしておくわ」
「ごめんね……」
「貴女が謝る事じゃないでしょうに」

 レミィは基本的には傲慢なのに、ここ数年ずっと傍にレミィが居たフランがよくもまぁここまで素直に育ったものだ。
 朱に交わって赤くなるんじゃなくて、反面教師にでもしたのかしらね。

「それでフラン。レミィがやりたがってた弾幕ごっこって何?」

 これはレミィに聞くより、多分フランに聞いた方が早い。

「一言で言うなら、弾幕を張り合って先に被弾した方が負け」
「ふむ」
「弾幕に使うのは霊力弾でも妖力弾でも、そこらに転がってる石でもいいんだってさ」
「とりあえず弾にできるものなら何でもいいのね?」
「うん。でも相手を殺してしまうような弾はダメみたい」
「加減して殺さない程度に留めろって事ね」

 それもそうだ。
 ごっこと言うくらいなのだから、あくまでも遊びの範疇を出ないのだろうし。
 相手によって使う弾の威力を変えておかなければ、大妖が本気で放った弾なんて下手な木っ端妖怪程度は跡形もなく消し飛ばしてしまえる。

 その後は細々としたルールや、目玉であるスペルカードの説明などを受け、時には質問を返して概要を把握した。
 レミィがいつもするわけのわからない断片的な説明よりは遥かにわかりやすい。
 頭が悪いわけではないが、自分と相手の知識の差を軽視して話すものだから、意味が捉らえづらいのだ。
 フランに倣って一言で言うなら、思いやりが足りない。

「細かい部分の融通が利くというなら、ウチでやる前に一度話し合いをしなきゃいけないわね」
「そうだねー」

 単純なようで、かなりやり込めそうな遊びだ。
 気晴らしにもいいかもしれない。

「それなりに興味も沸いたし、今やりかけの実験もないから付き合ってあげるわ」

 横で話を聞いていたスコールもやりたいらしく、先ほどから私も私もと意志が伝えられている。

「スコールもやってくれるなら6人だね」
「6人?」
「私、お姉さま、咲夜、パチュリー、スコール、美鈴」
「……皆、何気に暇を持て余しているものね」

 ちなみにこの弾幕ごっこの話を人里から持ち帰ってきた小悪魔は辞退したらしい。
 基本的におっとりした子だから、こういうのは苦手なのかしらね。

「皆がスペルカードを作ってからやってみようね?」
「頭を捻るのは魔法使いの得意分野。楽しませてあげるわよ?」
「なら、見習い魔法使いは師匠を超えられるように頑張らないと」

 師匠、ねぇ?
 飲み込みが早いものだからついつい興が乗って色々教えはしたけど、そんな風に思われてるとは。
 これは遊びだからと言って簡単には負けてあげられなくなったわ。
 敬ってくれるのであれば、その敬意に見合うだけの結果を示さねばなるまい。



 ……うん、とりあえず弱点属性で攻めよう。
 弱点を突くのは基本よね。
 というか、弱点を突かなければそうそう勝てそうにない。
 いくらそれなりに平等な土俵の上に上がるとはいえ、こちらとは身体能力の差がありすぎる。
 瞬きほどの時間で数十メートルを駆け抜ける吸血鬼と、瞬きほどの時間では一歩踏み出せるかどうかという私。
 勝負にならない。
 勝てば官軍とか言うらしいし、いいわよね、うん。




















「そういえばスコールって体の大きさがあるから不利だよね」

 ……なんたる落とし穴!!
 パチュリーさん、小型化の魔法とかないんですか!

「あるけど教えない」

 折角の勝てそうな芽を摘み取るなんて……私にはできないわ。
 許さなくてもいいわよスコール。






[20830] 十話 Sköll
Name: デュオ◆37aeb259 ID:d93c0945
Date: 2011/01/12 00:09



 皆で弾幕ごっこの練習を始めたものの、私は早々に諦めることとなりました。
 大体小さな逃げ道なんて私の体で通れるはずがないですよね。
 私の体の大きさに合わせた逃げ道なんて作ったら、それはもう皆が楽々通れる大穴になってしまいます。
 そこらの牛より大きいんですから、自分でもちょっと育ちすぎじゃないかと思いますが…
 パチュリーさんが存在を匂わせていた小型化魔法も実際の所は複雑な魔方陣の上でしか実現できないようなもののようで。
 なんというか、私詰みました。
 戦わずして負けました。

 そういうわけで、弾幕ごっこの準備を進める皆とは違って私は以前と大して変わらない生活を続けています。
 とはいえ流石にいつまでも一人でぐうたら食っちゃ寝をしているというのも気分が悪いので、自由な時間が増えた事を利用してちょっと外に出てみる事にしました。
 そう、私にできる数少ない事の一つであり、ある意味私が最も得意としている事。
 うふふふふふ……私の今日の晩御飯は豪勢ですよ。
 じゅるり。










 獲物の臭いを探しながらふらりふらりと歩いて、辿りついたのは何度か足を運んだ事のある草原。
 私の目を以ってしてもわずかに霞むほど先に、群れからはぐれたらしい中々の肉付きをした鹿が一頭。
 これが木々の生い茂った森の中であるというなら、小回りが利かずに逃がす可能性というのも無きにしもあらず。
 しかしながら幸いにも獲物が居るのは開けた草原のど真ん中。
 のんきに草を食んでいる相手を逃すほど落ちぶれてはいません。

 一人ぼっちになった所を襲うのは少々可哀想ではありますが、弱肉強食は自然界の掟です。
 群れからはぐれてしまった己の迂闊さを恨みなさい。

 心の中でそう呟きながらぺろりと鼻を湿らせて静かに重心を落とし、地を踏みしめる四肢へと力を込めて足場を確認。
 硬すぎず柔らかすぎず、中々の感触です。
 これならいい滑り出しができることでしょう。
 それにしても、久々の狩りだからかもしれませんがやたらと気分が高揚しているのを感じます。
 幸いにもそれなりの距離があるのでこの気配を獲物には気取られていないようですが、単独で狩りをする獣としては及第点に遠く及ばないでしょう。
 気配を殺しきれないようでは、成功して然るべき狩りも失敗してしまいます。


 しかし止まらない、止められない。
 久々の狩りなんです。
 館での生活はこの上なく幸せですが『それはそれ、これはこれ』といったところでしょうか。
 こうして獲物を狩るために伏せている状況は胸が高鳴ります。
 生きていると実感できる瞬間の一つですからね。
 いやはや、こんな自分は嫌いじゃないですよ。


 全身に力が漲るのを感じながら、最小のリスクで確実に仕留められるチャンスを待ち続けます。
 集中しているせいか、体感している時間の流れがおかしなことになっていますが、これも久々の感覚だなと再び胸が高鳴りました。

 そうして待ち続けた末、獲物がふと私とは逆の方向を向いた瞬間に体が自然とスタートを切ります。

 音すらも置いていく気勢を以って数歩で最高速へ到達、後はそれを維持して最短の道筋を駆け抜けるのみ。
 伏せていた草原を割りながら一直線に獲物との距離を詰めます。
 十間ほどの距離になった時、ようやく獲物がこちらへ振り向きましたが時既に遅し。

 牙を使ってしまうと持って帰った時に血で家を汚してしまうので、今回はシンプルに体当たり。
 体当たりと言っても当たる瞬間に私の能力を切って自重を戻してしまえば、それまでの加速も相俟ってそれなりの威力は出ます。
 サクヤさん曰く、乙女の体重は最重要機密事項との事ですので言及はしませんが。
 なんにせよ相手が鹿程度なら余裕で行動不能にできますとも。

 逃げ出そうとして足を踏み出しかけた獲物目掛けて下から抉るように体当たり。
 衝突の瞬間、どずんと鈍い音を響かせて鹿が空を舞いました。

 おお、思いの他いい距離が出てしまいましたよ。
 ……やりすぎて骨が砕けてそうな感じですね、アレ。
 何かぐにゃぐにゃ妙な曲がり方です。
 ま、まぁ良い事にしましょう、うん。
 その辺りの肉は私が食べるようにすればいいですし。

 体当たりの勢いのまま走り抜けながら空中でキャッチ。
 しっかりと仕留めているのを確認した上で背中へ。

 背中に感じる重みや肉の感触からいって、予想通り中々の獲物のようです。
 恐怖を感じさせる程の間も与えずに一撃で片をつけたので、肉の味も落ちてはいないはず。
 怖がらせてから殺すと肉の味が落ちてしまいますからね。

 満足と共に鼻からふすりと一息ついて、一路紅魔館へ。
 背中に乗せている獲物を落とさないように、ついでに鮮度も落とさないように。
 少々やりすぎた感のある部分もありますが、この種の満足感は久々ですよ、ええ。




 ぐきゅるるるるる。




 …………私じゃありませんよ、今の。
 出発前にサクヤさんからオヤツを頂きましたし。

 音のした方へ目を向ければ、そこには呆然と立ち尽くした黒く細い二股尻尾の化け猫さんが。
 鹿に集中していたとは言え、気づいていませんでした。
 反省反省。
 こんな事じゃいかんとです。



「今日の……晩御飯……」




 ぐぎゅるるるるるぅ。




 何ですか、この罪悪感。
 よだれ拭きなさい、はしたないですよ?

 言われてから気づいたのか、ごしごしと白いブラウスの袖で口元を拭う化け猫さん。
 威圧感も感じませんし、仕草も子供ですので年若い妖獣なのでしょう。
 私のようにいつまでも人型を取らずに歩き続けていたような例は特殊らしいですし。
 ある程度年経た妖獣は効率よく人を襲うために人に化けたりするらしいですが、生憎と私はそんなつもりもなかったので。

 そういえばこの話をした時に、よく今まで存在が薄れなかったわねと呆れられたのを思い出しました。
 いやはや、不思議不思議。

 あぁ、今はそんな事よりもこの子の事です。
 形はどうであれ、この子の晩御飯を先に獲ってしまったのは事実ですし。
 早い者勝ちと言えばそれまでですが、私よりもかなり若そうな子のご飯を取ってしまうのはちょっと気が引けます。

 自分の口からぽろりと漏れてしまった呟きが何を意味しているのか自覚したのか、今更慌て始める化け猫さん。
 どうしよう、どうしようという考えがまるで目に見えるかのような慌てっぷりです。

 ……うん、やっぱり罪悪感が。
 私はちゃんと晩御飯を出してもらえるからいいでしょう。
 絶対に必要というわけでもないし、機会がこれっきりというわけでもなし。
 今日ふと思い立ってやっただけの事ですし。
 また獲ればいいだけの話ですよね。



 そんな考えの元、どうぞ持って行きなさいと化け猫さんの前に鹿を横たえると驚いた視線を頂きました。
 普通はそうでしょうねぇ。
 わざわざ狩った獲物を知りもしない子に渡すなんてそうそう無い事ですし。

 鹿と私の間で忙しなく視線を行き来させる化け猫さんに、頑張りなさいと意思を込めて一つ頬擦りをしてから再び別の獲物探しへ。
 居なかったら居なかったで次の機会を待ちますよ。
 最近は時間も余ってますし。



「あの、この鹿……」

 ふすふすと鼻を鳴らしながら別の獲物の臭いを探し始める私を、混乱の抜けきっていない化け猫さんが見つめてきます。
 立ち直りが遅いですね。
 こんな事じゃ先が思いやられますよ、いや本当に。
 驚いた後の回復の早さで生死が分かれるなんてザラですし。

「あの、先に獲ったのは貴方だし」

 おや、素直な子ですね。
 妖獣は割と自己中心的な傾向が強いと言うのに。
 私とか私とか私とか。
 パチュリーさん曰く、元が獣だから当然との事ですが。



 いつまでも迷っている様子を見せているので、ここは一つ背中を押してあげることにしましょう。
 ある意味ご同輩なんですから、たまには年長者らしい振る舞いをしてみるのも一興ですよね。
 普段はこんな事をする事も余りありませんし、ちょっと楽しい。
 いやはや、私もまだまだ子供ですねぇ。

 もそりと座りながら、気になるならまたいつか会った時に何か返してくれればいいですよと伝えてみる。
 お互いそれなりに長寿な存在ですし、何事も無ければまた会うこともあるでしょう。
 幻想郷というらしいこの地は結界で区切られているようなので、ふとした事で行動範囲が重なる可能性も高いはずです。



「でも……」

 いいから持って行きなさい。
 お腹、空いているんでしょう?
 さっきからずーーーっと鳴ってるじゃないですか。



 そう言われてお腹を押さえながら頬を赤くする姿はちょっと可愛らしかった。
 素直な子は好きですよ、うん。
 本当に可愛らしい。

 言の葉を重ねれば重ねるほど赤くなっていく化け猫さん。
 頬を染めるのを通り越して顔中が真っ赤になってしまいました。
 面白いなぁ。

「うぅー!」






 しばらくそうやって楽しんでいましたが、流石に化け猫さんが可哀想になってきたので切り上げ。
 少々やりすぎた感があります。
 まぁ、この獲物の分って事で勘弁してもらいましょう。

 のそりと腰を上げて再び一つ頬擦り。
 先ほどもそうでしたが、あっさりと頬擦りを許すこの子の将来が少し心配になってしまいます。
 このままがぶりといってしまえばそれで終わりなのに。

 踵を返してその場を去る私の背中にかけられたのは感謝と再会の願い。
 いやはや、本当に可愛らしい限りですよ。

 さ、次の獲物を探しましょう。
 まだまだ日は高いですからやってやれないことはありません。

























 そう思っていた頃が私にもありました。
 そんな今の私の気分は、幻想郷怖いの一言に尽きます。



 熊を見つけたかと思いきや、熊の前に居たのはもろ肌を脱いだ一人の人間。
 何事かと見ていれば、そのまま素手で熊と殴り合って傷一つ無く勝利をおさめているんですよ?
 幻想郷怖い。
 熊と素手で殴り合って勝てる人間って何ですか。



 多少げんなりとしながらも次の獲物を探して、見つけたのは虎。
 ……何でも居るんですね、幻想郷。
 そしてそんな虎の前には再び一人の人間。
 私の中に湧き上がるいやーな感じの予感は見事に的中しました。
 飛び掛る虎の腕を取って流れるように地面に叩きつけた後に、馬鹿げた速度と力を以って絞め殺していました。
 ……にん、げん?

 何か最近私の中の人間の基準が急速に壊れていっていますよ。
 筆頭はサクヤさんですけど、人里に行ったときのお菓子のおじさんやらさっきの熊狩りのおじさんやら……
 そして今、目の前にいるこの虎狩りのおじさん。

 幻想郷怖い……

















 家に帰ってから皆の前で今日あった事を話すと、サクヤさんからそんなのと一緒にするなとお叱りを受けました。
 時間操作なんてする人が言う台詞じゃないと思います。

 本当に、幻想郷は、怖い。






「そう、明日の食事は抜きでいいのね?」

 ごめんなさい!









[20830] 十一話 Flandre
Name: デュオ◆37aeb259 ID:35f2779b
Date: 2011/01/12 00:10



 スコールは気まぐれだ。
 私たちが傍に居る時はそうでもないけれど、ふと独りになる時はいつも違うことをしてる。
 散歩に出かけたり、家の中をひたすらうろうろしていたり、美鈴とフリスビーやボールを使って飼い犬ごっこをやっていたり。
 昨日なんて妖精メイドと鬼ごっこをしていた。

 狩猟本能なのか、それとも勢い余ってかはわからないけど、一匹まるっと頬張ってから慌てて吐き出してるのを見て思わず噴出してしまった。
 吐き出された直後はほうけていたけど、何が起こったか認識して泣き出す妖精メイドを必死にあやしている姿は、少なくとも齢千年を超える妖怪には見えなかった。

 私やお姉さまの倍以上生きているのに、無邪気で好奇心旺盛で活動的。
 スコールから聞く昔話のほとんどはハッピーエンドじゃないのに、何でそう在れるのか不思議で仕方がない。
 居つこうとしても追い出されたり、出て行かざるをえなくなったり。
 そんな状況で歪んでしまわなかったのは本当に不思議だと思う。
 普通の妖怪はある程度の所で見切りをつけて……というか、最初から力ずくで居場所を作るもののはずなのに。

 でも、私はそんなスコールが好きだ。
 私がこうしてお姉さま達と穏やかに過ごせるようになったのもきっかけはスコールだったし、私がどういう存在か知っても変わらず接してくれた。
 毒のない、ともすれば本当に妖怪なのか疑わしくなるほどのその性質は稀有と言うほか無いだろう。

 スコールは私がいつも感謝の念を込めて接しているのに気づいてくれているだろうか。
 変わらないでいてくれる存在が、どれほど嬉しかったか気づいてくれているだろうか。

「スコール」

 もふもふとしたスコールの背中でうつぶせになったまま呟くと、いつの間にか眠ってしまっていたらしく返事はなかった。
 規則的に体が上下するだけで、寝息の音はほとんど聞こえない。

「……スコール?」

 ぴくりと耳は動いたが、起きる気配は無い。
 今は深夜で、私達吸血鬼の時間だから仕方がない事かもしれない。
 狼は基本的に夜行性らしいけど、スコールは昼の方が好みなようで昼間に動き回ることが多いし。
 私達に合わせて夜に行動することもあるけれど、そういう時は大抵近くで寝転んでいたりしてあまり動かない。





 反応がないので、もふもふとした毛並みに埋もれながら自然と思考の海へと分け入っていく。
 今夜は珍しい事にお姉さまは用事があると言って外出している。
 何でも八雲の大妖とちょっとした会談があるとの事で、サクヤやパチュリーも連れて。

 そう、八雲の大妖と。
 前に一度だけ会ったが、あのスキマ妖怪はどうにも苦手だ。
 私の経験が浅いという事もあってか、気味が悪い程にこちらの内面を見透かしてくる。
 苦手だな、と思った次の瞬間には『よく言われますわ』なんて扇子で口元を隠しながら笑われたし。
 あれは怖い。

 それにあの妖怪が使うスキマも苦手だ。
 開く瞬間に、まるで世界に亀裂が走ったような感覚に襲われる。
 この世界を構成している根幹の部分が揺らぐあの感覚は、できる事ならもう体験したくない。
 お姉さま達にこの話をした時は首を傾げられたけど、実際にそう感じたんだから仕方がないと思う。

 自分に対してあの能力を向けられた時、平静でいられる自信はない。
 多分あのスキマは壊せると思う。
 ちゃんと目は感じられたのだから。
 でもそれを壊した時に何が起こるのか、そこが怖い。
 ただスキマが閉じるだけならいいけれど、先の感覚を考えると、そのスキマが存在する空間そのものが壊れてしまうような気もする。
 空間の消失が世界にどのような影響を与えるのか。
 私の内側から沸いてきた感覚を信じるのであれば、試してはいけない事だ。

 もしお姉さまに何かあった時は、何としてでもあのスキマを打倒してやるという気持ちはある。
 しかし実際にそういう事態になった時、それを成して良いものか。
 それ以前に、成せるかという疑問もあるけど。



 …………やめよう、うん。
 だんだん気分が落ち込んでいくのを自覚して、思考を打ち切る。
 パチュリーなんかは『常に最悪を想定しなさい』と言うけれど、いつも最悪ばかりじゃ楽しく生きていけない。

 そう思っても何も無しにはすぐに気分が上向くことはない。

 八雲の能力について考えをめぐらせてしまった事から派生して、もしもお姉さまたちに何かあったらどうしようという考えが頭をかすめてしまったから。
 一度考え始めると、止まらなかった。

 無意識にスコールの毛並みを楽しんでいた手に、少しばかり力を込める。
 痛くはないだろうけど気にはなる程度に。
 ワガママだと思うけど、今はスコールと話をしていたかった。
 あらゆるものを軽くするという、その能力の恩恵を受けたかった。



 もぞもぞと揺れた後、眠たげな目がこちらに向けられる。
 そこに眠りを妨げられたという不快感が感じられなかったのは嬉しい。
 今そんな思いを向けられたら、落ちるところまで落ちてしまいそうだし。

 何も言わずにしがみつく私を、スコールは背中を揺すってお腹の方へと落としてから体を丸めた。
 大きな体だから、私を丸ごと包み込んでしまっている。
 首筋に当たる毛がちょっとくすぐったいけど、それ以上に安心感が私の中に満ちていった。

 私の胸辺りに置かれたスコールの頭を両手で抱きしめると、すりすりと頬ずりをしながら大丈夫ですよと言ってくれた。
 そこでようやく自分が泣いていたことに気がつく。

 まだまだだなぁ。
 外に出てから色んなことを知って変わったつもりになっていたけど、根っこの部分はこんなにも弱いままだ。

 スコールには悪いと思ったけれど、ふさふさの毛並みに顔を埋めて涙を隠す。
 ……ああ、この場所は本当にあたたかい。
 初めて会ったあの時と同じで、本当にあたたかい。

 久しぶりに流した涙を、スコールは何も言わずに受け入れてくれた。

















 日が昇る直前という時間になって、ようやくお姉さま達が帰ってきた。
 私がもう泣かないように、ずっとスコールが今まで楽しかった事の話をしてくれたおかげで、涙を見せずに済んだのは本当に良かったと思う。

 お姉さまは私に何かあると周りが見えなくなってしまうみたいで、そういう時に被害を受けるのは大抵スコールだ。
 パチュリーやサクヤは要領よく逃げるので、いつも最後に残っておろおろしているスコールが最終的に被害を受けてしまう。
 不安がっている私のために気を使い続けてくれたスコールをそんな目にあわせるのは気が引けるどころの話じゃない。

「お帰りなさい、お姉さま」
「ただいま、フラン」

 スコールと一緒に挨拶をこなして笑顔を見せる。
 でも、お姉さまからはどこか困ったような顔を向けられた。
 その事に首を傾げると、私の傍まで来たお姉さまがゆるりと指先で私の頬を撫でる。

「泣いてしまう位に不安がらせてしまったみたいね」

 言われて、泣いた後に顔を洗っていないのを思い出した。
 慌ててスコールの毛並みに顔を隠してしまったけど、この行動がそのまま肯定に繋がるということに気がつく。
 顔を隠したままどう行動したものか悩んでいると、不意にくすくすと笑い声が聞こえてきた。

「フラン、そんなに心配しなくても私は居なくならないわ」

 お姉さまはそう笑いながら言う。

「死の運命を感じた時は、何としてでもその運命を捻じ曲げて帰って来る。
 私はこの館の主で、可愛い可愛い貴女の姉だもの」

 私のすぐ傍にかがんで、ふわりと髪を撫でてくれた。

「いざとなったら恥や外聞など知ったことではないわ。
 私は必ず、帰って来る」

 だから心配しなくていいのよ、と言外にそう言いながら髪を撫で続ける。
 その言葉にまた涙が流れ出た私は、顔を上げることができなかった。
 ああ、本当に、私は弱い。
 ありがとうの一言も返すことができず、ただ頷く事しかできないのだから。






「貴女には会談の内容をしっかりと話しておくべきだったわね。
 そこは私の落ち度だわ」

 そうして語られた内容は、一瞬何を言っているのか理解ができなかった。

 八雲紫曰く『異変を起こしてみない?』との事。

 幻想郷の管理者として、その一言はどうなのだろうと思う。
 安定を見せている幻想郷に、わざわざ一石を投じて乱す必要があるのか。

 そうした私の疑問を予想していたのだろう。
 お姉さまはするするとその裏側を語っていく。

 前提となるのは、安定しているが故に妖怪が緩やかに力を衰えさせているという状況。
 それを打破するために必要なのは妖怪と人との争い。
 しかしまともに正面から相対すれば、人間たちは大妖怪単体にでも全滅させられるだろう。
 そしてこの幻想郷に居る人間と妖怪双方の数を考えれば、つりあいなど取れるはずもない。

 ならばどうするか。

 そこで目をつけられたのが最近流行りのスペルカードルール、弾幕ごっこ。
 博麗の巫女が考えたこのルールの中での決闘を、妖怪と人の争いとする。
 これならば人間側にも勝ち目があり、一方的な虐殺ではなく争いの形を取れる。
 どちらも目減りせずに、遊びの中で問題が解決できるというのだ。
 今回は実験的な意味も強いらしいけど。

 人の側は妖怪退治の専門家、博麗の巫女が。
 そして今回、妖怪の側として声をかけられたのが紅魔館だった。

 幻想郷における妖怪側の勢力バランスの一翼を担う場所であり、それにつけて最近とみに落ち着いている事。
 そして、スペルカードルールを好意的にとらえていること。
 その他もいくつかの理由が重なって、今回白羽の矢を立てられたらしい。

 プライドの高いお姉さまが、そういった理由で提案されたものを素直に呑んだのが驚きだ。
 それも楽しみにしているのがありありとわかるような喋り方でこの事を語っているから、更に驚きだ。

「お姉さまはそれでいいの?」
「さぁ、どうでしょうね?」

 …………あれ?

「私が起こした異変を、博麗の巫女が解決しに来る」
「うん」
「八雲はわざと負けてやれと一度も口に出さなかった。
 争うだけ争って、適度な所で切り上げて終わらせてくれとは言ったけどね」

 あれ?

「仮に私が負けたとしても、それはそれで一興。
 弾幕ごっこ、お遊びの中での負けよ?
 またお遊びの中でリベンジすればいいだけの話じゃないの」

 プライドと遊びを楽しむのは別物だと、お姉さまは語った。
 とはいえ、遊びと言えども争いは争い。
 本気でやるのに変わりはないらしい。

「今回の異変が弾幕ごっこを以って決着とされる。
 我が家の門番からこちら側を、弾幕ごっこで倒した場所だけ通れるようにしてやればその事を自ずと相手も理解するでしょう」

 そして終着点、異変の黒幕は私とお姉さまは楽しそうに笑う。
 ここまで来れればそれはそれで楽しむし、途中で落ちれば治療を施して神社に放り込んでくるつもりらしい。

「漠然とだけど、これから楽しくなる、そう感じたのよ。
 だったらやるしかないじゃないの!」

 …………博麗の巫女が可哀想になってきた。
 勝っても負けてもこれから大変になるんだろうなぁ。
 ご愁傷さま。

「さぁ、どんな異変にするか決めないとね!
 被害が大きすぎず、小さすぎないもの。
 それに誰から巫女と遊ぶのか。
 あぁ面白くなってきたわ!」

 何と言うか、どんどんヒートアップしていくお姉さま。
 そういえば私のためにスコールが能力を使ってくれてるんだよね、この場所。
 もしかしたらそれもあって、どこかくすぶっていた不満の部分を投げ捨ててしまったのだろうか。
 いや、良い事だけど。

「フラン、貴女はどんな異変がいいと思う!?」
「いきなりそんな事を言われても思いつかないよ……」

 確信した。
 どこか逝っちゃってるテンションなお姉さまを見て確信した。
 スコール、能力使用はもういいから何とかして。
 ちょっと、こわい。

「ねぇフラン!?」
「……耳元で叫ばないで」
「!?」

 いけない、ついポロリと本音が出てしまった。
 さっきまであんなに心配だったのに、何と言うか、その……

「うー!」

 これは、ないよ……お姉さま。
 妹に抱きついてうーうー唸りながら涙目になるってどうなの?









「こ、これは……!」

 し、知っているんですかサクヤさん!?

「吸血鬼奥義、きゅっとしてうー。
 500年という長きを生きながら幼女の姿である者にのみ使うことが許された幻の奥義」

 な、なんですって……!?

「きゅっとしてうーを見たサクヤは鼻血を噴いて死ぬ」

 サクヤさん!?サクヤさぁぁぁぁん!?



 スコールと咲夜はこないだ小悪魔が拾ったという漫画のパロディーをやってるし。
 咲夜、お願いだから鼻血を拭いて。
 すごい良い笑顔で鼻血を流す美少女の姿とか見たくなかったわ……







[20830] 十二話 Sköll
Name: デュオ◆37aeb259 ID:35f2779b
Date: 2011/01/12 00:10



 これはどうだ、ええい、ならこれは!
 そんな風にレミリアさんが半ば暴走しながら次々と提案していく異変候補の中で、最後に残ったのは紅い霧で幻想郷を覆うというもの。
 霧は吸血鬼という種族そのものが持つ能力の応用で作り出すらしい。

 ……色々凄いですよね、吸血鬼。
 蝙蝠や狼に姿を変えたり、霧になったり。
 一回頼み込んで狼の姿になってもらった事がありますが、あれは可愛らしい事この上ないものでした。
 思わず母性に目覚めかけてしまいましたよ。

 だってレミリアさんとフランさんが二人して小さな狼の姿で私にのしかかってきたんですよ?
 しかも二人ともこちらを上目遣いに見上げてくるしで、可愛らしすぎて悶えてしまいました。
 皆でごろごろ喉を鳴らしながらじゃれ合っているとサクヤさんから羨ましげな視線を頂きましたけど。

 ああ思考が脱線してしまいました。
 話をちゃんと聞いておかねば。
 弾幕ごっこができないがために今回の異変で私が博麗の巫女の前に立つ事はないものの、何かがあった時のフォローは私の仕事です。



 博麗の巫女に最初に相対するのは門番のメイリンさんなので、そこで弾幕ごっこを以って決着とする事を示し。
 従うならば以後一人ずつ相手をして、レミリアさんが打倒されるまで順番に。
 従わないならばその時は実力を以って即座に黙らせろとの事。
 そうなった場合は万が一の事態を想定し総力をを以って事に当たれ、だそうです。

 そんな運命は感じないから大丈夫とレミリアさんは笑っていますが。
 しかしながら備えあれば憂いなし、という事での取り決め。

 ……この面子で総力戦となると、人間では荷が勝ちすぎるどころの話ではない気がします。
 フランさんの破壊なんて防御無視ですよ?
 しかもフランさんを瞬時に倒さない限りは基本的に回避不能。
 そして吸血鬼を瞬時に倒すだなんてよほどの好条件を揃えない限りは非常に困難と、ハードルが高すぎます。
 相手にしてみれば凶悪としか言いようのない戦闘向けの能力ですよね。
 最近では制御や速度に磨きがかかって、その気になれば認識とほぼ同時に破壊できるようになってるようですし。
 フランさんは優しいから、そうそうこの力を振るう事はないでしょうけれど。

 そんな事を考えながら、博麗の相手をする順番について意見を出し合っているのをしっかり聞いておきます。
 館内でやっていた弾幕ごっこの強さの順になりそうな流れですね。
 順番に相手をするという形なら順当な所でしょうか。


 ちなみに弾幕ごっこが一番強かったのはフランさん。
 それに一歩譲る感じで次にレミリアさん。
 この二人は吸血鬼の反則じみた身体能力がある上に、妖力や魔力も潤沢。
 形振り構わず全力で弾幕を展開すると、他の人たちに比べて何と言うか密度が異常でした。
 ほとんど壁ですよアレは。

 そして正確に動けて、さらに時間操作というアドバンテージのあるサクヤさん。
 投げられたナイフが遅くなったり速くなったりする上に、時間を止めてナイフの配置までやってしまいますからね。
 ある意味、傍から眺めていて一番面白い弾幕ですね。

 次に来るのは多彩な魔法を扱うものの、動きの遅さで水をあけられたパチュリーさん。
 七曜の名の通り様々なタイプの魔法を使えるものの、体力的な意味で弾幕ごっこに向いていませんでした。
 攻めると強いのですが、守ると避けきれないという。
 勿体無い。

 ………最後にどうにも弾を撃つという事に慣れなかったらしいメイリンさん。
 近接戦闘ならと嘆きながら弾幕を張る姿は涙を誘いました。



 今回の異変はレミリアさんが起こすという形になっているので、フランさんの位置を決めるのに時間がかかっているようです。
 本人は寝ちゃってますけど。
 レミリアさんがヤクモさんとやらの所から帰って来るまで、ずーっと心配しっぱなしでしたから疲れたのでしょう。
 この話し合いが始まる少し前に眠ってしまいました。

 私のお腹の上で。

 膝を抱えるように丸くなって眠っている姿はまるで子猫のようです。
 ああ可愛らしい。
 これが吸血鬼の魅了とやらでしょうか。
 いや、もう何でもいい。
 思わず頬擦りをするとくすぐったそうにふわりと笑みを浮かべてくれた。
 ああ、嗚呼!

「フランが可愛いのは全力で認めるけど、和んでないで何か意見を出しなさい」

 そんなフランさんをじーっと見ていると、いつの間にか皆から視線を向けられていました。
 レミリアさんは私のすぐ傍にしゃがみ込んでフランさんを見ながらの発言でしたが。

 しかしながらどう答えたものか。
 本人が寝てしまっているので何とも言えないというのが本音ですけれど。
 フランさんの性格を考えるなら、弾幕ごっこで遊ぶよりもお喋りがしたいとか言いそうです。
 …………うん、あれですね。

 本人に聞いてください。

「起こしたくないから言ってるんでしょうが」

 ごもっとも。
 でも今日全部決めてしまわなくたっていいじゃないですか。
 レミリアさんやフランさんが一番力を出せる満月の夜は半月も後ですし、フランさんが起きてからにしましょうよ。

「思い立ったらすぐに行動しないと気がすまないしね、レミィは」
「拙速は巧遅に勝る」
「急がば回れ」
「……ああ言えばこう言う!」
「それが私の持ち味だもの」

 パタパタを羽を忙しなく揺らし始めるレミリアさんに、口の端が上向いているパチュリーさん。
 いつもの光景ですね、ええ。

 チラリとサクヤさんに視線をやると、心得たとばかりに頷いてくれます。
 最近は言葉に出さずとも私の言いたいことをわかってくれるので嬉しいですね。

 瞬きをすれば、サクヤさんの手には香り高い紅茶とケーキの乗ったお盆が。
 流石です。

「お嬢様、ケーキと紅茶は如何ですか?」
「食べるぅ!!」

 今きっと皆の心が一致したと思う。
 ちょろい。











 サクヤさんの活躍によって結局うやむやになったこの話し合いの場は、その日の昼に再び持たれました。

「私はスコールと一緒でいいよ」

 即座に終わりましたけど。
 レミリアさんは残念そうな顔をしていましたが、私としては嬉しい結末でした。
 フランがそう言うならとしぶしぶ細部を詰め始めたのですが、大筋は今日の朝の内に出来上がっていたのでそれもすぐに終わり。
 追加されたのは私とフランさんが道案内も兼ねるという事くらいなものでした。

 ………何と言うか、異変と言うよりも客を招いた弾幕大会みたいな感じになってしまってますよね。
 皆が楽しめればそれでいいとは思いますけど。
 しかしこうなると、博麗の巫女さんが勝った場合に何か賞品を用意してあげたっていいくらいです。

 そんな事を言ってみると、意外なことにレミリアさんが乗ってくれました。
 曰く『八雲の思惑から外れてやるのも面白いじゃないか』との事。

 どうせなら欲しがっているものをくれてやれと、小悪魔さんが調査に派遣される事になりました。
 私の発言から調査員決定まで30秒もかかっていません。
 頑張ってくださいと小悪魔さんの肩を前足で叩くと、どこか達観したような笑顔と共に人里へ出発して行きました。
 強く生きてください。
 いや、本当に。



 巫女さんのために用意する賞品の選択を残し、話し合いは終了。
 皆が思い思いの行動に移ります。
 ある者たちは私の上に寝転がり、ある者はそれを見て和み、ある者は私に寄りかかって本を読み。
 大人気ですね、私。
 嬉しい限りです。
 しかしですね、皆さん。


 ぐぅぅ……


 私、お腹空いてるんです。


 私のお腹の上に居たフランさんとレミリアさんが二人して顔を見合わせてくすくす笑っています。
 ちょっと恥ずかしい。

「スコールの盛大な主張もあった事ですし、お昼に致しましょう。
 メニューのご希望は御座いますか?」

 何時になく恭しく頭を下げながらのサクヤさんの問いかけ。
 多分、あれは下から顔を覗き込んだら笑い顔が見られるんだろうなぁ。

 そしてこの問いかけにレミリアさんが真っ先に口を開いた。

「ケーキ」
「……お姉さま、お昼ご飯だよ?」
「…………ケーキ!」

 フランさんに斬って捨てられてもめげなかったレミリアさん。
 痛みに耐えてよく頑張りましたね……感動しました。

 あ、私はたっぷり野菜のサラダとお勧めのお肉で!

「私もそれで」
「私はそれの肉抜きで」

 フランさんとパチュリーさんが私の発言に続き、レミリアさんのケーキが一人だけ浮いてしまう事態に。
 多分フランさんとパチュリーさんはわざとでしょうけど。

 それを聞いたレミリアさんがうーうー唸りながら悩み始めました。
 小食なので、食事を取ると純粋にケーキを楽しめないというジレンマと戦っているようです。
 おや、両手で帽子を掴んでしゃがみ込んだ……!新技ですか!

「うー……うむぅ……け、ケーキ!」

 おお、貫いた。
 ちょっと涙目になってますけど。

 そんなレミリアさんに皆が顔を見合わせ、苦笑を浮かべています。
 一様に感じるのは仕方ないなぁという感情。
 ……まぁ、何度か同じようなやり取りをしていますからね。












 昼食を終えた後は、小悪魔さんが帰って来るまで特にする事もなく自由行動の流れに。
 レミリアさんは眠るようですし、フランさんとパチュリーさんは一緒に図書館、サクヤさんは掃除。
 サクヤさんの邪魔さえしなければ、誰と一緒に居てもいいんですけど……どうしたものやら。

 しかし悩んでいたのもつかの間、先の小悪魔さんが少々可哀想だなと思ってしまったのでお迎え兼お散歩に繰り出しましょう。
 人里に行くのは少々怖いですが。
 しかしいつまでも怖がってばかりじゃいけないですよね。
 便利な場所であるのは間違いないでしょうし。

 玄関に歩を進める途中でサクヤさんに会ったのでこの事を伝えると、ついでに野菜を買ってくるように言われました。
 レタスの在庫がそろそろ心許なくなってきたのだとか。
 私のためにあつらえられた首かけの鞄にお財布を入れて、悪いけど頼むわねと首にかけ。
 ぽふぽふと頭を撫でてくれる手に頬擦りを返し、いざ出発。



 ……あー、ちょっと足取りが重い。
 怖いなぁ人里。



 そんな事を思いながら歩いて、人里近くへ差し掛かってから小悪魔さんの臭いがまだ人里に残っているのを確認。
 小悪魔さんと一緒に居ればそうそう妙な事にはならないかもしれませんね。
 ごくごくたまに暴走しますけど、基本的には人間ができていますし。
 悪魔ですけど。

 子供が寄って来る前にと、小悪魔さんの臭い目掛けて人里の中心を軽く走り抜けます。
 いくつか角を曲がりようやくその姿を捉えたのですが、何やら小さな子と和やかに会話をしていました。
 子供は苦手なんですが……うーん……

「あれ、スコール?」
「おや?」

 あぁ、気づかれました。
 ちょっと後ずさって角から目だけを覗かせていたのに。

 おいでおいでと小悪魔さんが手招きするので、すごすごと歩を進めます。
 小悪魔さんを挟んで子供と相対する形になるように移動して、小悪魔さんの肩越しに子供を観察。
 先のときの子供たちとは違い、随分と落ち着いた様子の子ですね。
 稗田阿求と申します、と丁寧なお辞儀付きで自己紹介をされました。

「貴女のお話はそちらの小悪魔さんからよく聞かせてもらっています」

 おや、それはそれは。

「それに昔この人里に来たときの一件は有名ですからね。
 慧音先生がぶっ壊れた騒動だとか、甘味どころの主人が超人になった騒動だとか……」

 な、何ですかそれ……

「いえ、慧音さんは普段とても落ち着いた方ですから、豹変振りが語り継がれたわけですよ。
 それに甘味どころのご主人も普通の人なのに、あの時ばかりは凄かったらしいですし」

 あー……そういえば能力切るの忘れてた気がします。
 何ですか、あのどうしてこうなったという思いは自業自得ですか。
 ……どうしてああなった!

「私自身、お会いしたいと思っていたので僥倖でした」
「大きくてまったりとした気持ちのいいもふもふ、って言ったら凄い食いつきでしたもんね」

 何て説明ですか、まったく。

「事実じゃないですか」

 くすくす笑いながらぽふぽふと肩越しに頭を撫でてくる小悪魔さんですが、どうにも釈然としません。
 肩に頭を乗せて体重を少しかけながら抗議をすると、阿求さんにまで笑われました。

「お話どおりの方のようですね。
 どうです?我が家でお話でもしていきませんか?」
「いいですねぇ」

 私をさらりとスルーして話を進め始める二人。
 まぁ子供たちに絡まれたり、大人たちの中で妙な空気に晒されるよりはマシでしょう。

 他愛もない世間話を交えながら歩き、辿りついたのは人里の中でも一際立派なお屋敷。
 落ち着いた子だとは思っていましたが、いいとこのお嬢様でしたか。

「ささ、どうぞ遠慮なさらず」

 出てきた女中さんが私の姿を見て一瞬驚くものの、すぐに得心のいった表情を浮かべて水の入った桶と手ぬぐいを持ってきてくれました。
 丁寧に足についた土を落としてくれたので、お礼に頬擦りを一つ落とすと穏やかに微笑みながら頭を撫でてくれます。
 どうやら優しい人のようで何より。


 案内された部屋で自己紹介の続きをしたり、求聞史紀とやらの話を聞かせてくれたりと会話に華が咲きました。
 色々と驚かされる事を聞きましたが、それ以上に驚いたのは阿求さんの変貌振り。
 私に触りたそうにしていたので、どうぞと言ってみると、初めこそ恐る恐るといった風だったもののすぐに体全体で抱きつくような形に。
 割とすました子だと思っていましたけど、これでもかというくらいに顔を緩ませて頬擦りやら抱きしめやら。
 いつの間にか小悪魔さんも一緒になって私の毛並みを堪能しはじめて、もうお話などそっちのけな空気が漂い始めました。

 何と言うか、このパターンにも慣れてしまいましたけど。

 そんな風な時間も日が傾いたのでお開きとなり、またおいで下さいという阿求さんに頬擦りを返してお暇させて頂きました。
 あ、レタスをまだ買ってないや。
 八百屋さん開いてるかなぁ……














「おう、狼のお使いとは珍しいじゃねーか!
 珍しいもんを見せてくれたお礼にオマケもつけてやろう!!」

 幸いな事に、店を閉める準備をしていた所へ滑り込む事ができ。
 鞄に入るだけ、レタスくださいと言うと先の台詞と共に、レタスのスキマに流し込まれるトマトの山。
 いいんでしょうか、コレ。

「かまわんかまわん、もってけ。
 ただし、これからもウチを贔屓にしてくれよ?」

 ニヤリ、と笑いを浮かべて私の頭を勢いよくがしがし撫でてくれるご主人さん。
 ちょっと荒っぽいけど、こういう気風の良い人は嫌いじゃありません。

 そいじゃ、また来てくれよと最後に肩を叩いて手を振るのに一つ頬擦りを返して八百屋を後にします。
 普通の人で安心しましたよ、いや本当に。
 パンパンに膨れ上がった鞄に小悪魔さんと二人で笑いながら帰途に着きます。
 初めて小悪魔さんを背中に乗せて歩きましたが、お気に召して頂けたようでずーっと機嫌よさげに私の上で鼻歌を歌っていました。
 横座りになったり、寝そべったりと私の背中を満喫する小悪魔さんを乗せて、ゆらゆらと紅魔館へ。











「あ、そういえば巫女の欲しがってるものを聞いたんですけどね、これがもう何と言うか……」

 ふと小悪魔さんが思い出したように口にしたのは、思わず涙が出そうになる一言。

「珍しく巫女さんと交流のあったお茶屋さん曰く『いっつもお腹空かせてるから、食料でもあげればいいんじゃないの?』だそうで」

 何でも巫女さんは面倒くさがりな性格らしく、人里に降りてくる事も、人里から神社まで護衛をする事もほとんど無いのだとか。
 神社までの道程に妖怪が出る林があり、里の人たちはそうそう神社へ行けない。
 つまり、ほとんどお賽銭が入らない。
 お賽銭がない、つまりは収入がないから、巫女さんは人里へ行かない。
 見事な悪循環ですよねと苦笑している小悪魔さんに同意してしまいます。

 妖怪の私が言うのもなんですが、妖怪退治でもしてお金を稼げばいいのに。
 ……あー、もしかして面倒くさがってそれすらしないのでしょうか。

「もう賞品は米俵とかにしちゃうべきなんですかね?」

 どこか気の抜けたような呟きをこぼす小悪魔さん。
 正しい選択な気もしますけど、悪魔の館で主を打倒した賞品が米俵。
 ……締まりませんねぇ、何だか。






[20830] 十三話 Reimu
Name: デュオ◆37aeb259 ID:35f2779b
Date: 2011/01/12 00:10



 ここ最近、妙な紅い霧が幻想郷を覆っている。
 動くのが面倒くさくて放置してたけど、お茶を買いに行った人里の様子を見てそうも言っていられなくなった。
 皆が皆どこか疲れたような顔をしていたし、通りを歩いている人の数も減っているし。
 行きつけの茶葉屋の敷居を跨げば、いつも表情らしい表情を浮かべない淡々とした店主までもが疲れたような顔をして力なくいらっしゃいと一言。

 これはまずい、これは。
 私の生活の九割九分を担っていると言っても過言ではないお茶を買うことのできるたった一つの場所、茶葉屋がこの調子なのだ。
 このまま放っておけば茶葉屋どころか、その茶葉の仕入先もやられてしまうだろう。
 そもそもこの霧のせいで葉が育たないのではないか。

 そんな事を考えながらとりあえず家に帰り、仕入れてきたばかりの茶を楽しむ。
 どう動いたものか、ひとまずそれを考えるために。

 ずずーと音をたてながらお茶をすすり、霧にけぶる青空を眺めることしばし。
 妖怪の気配がすぐそこまで迫っているのに気づきながらも、とりあえず悪意を感じないので放置しておく。
 今はそんな存在よりもお茶よ、お茶。


 あのー、巫女さん?

「うっさい」


 何やら頭に響いた声に対してとりあえずその一言を返しておく。
 今はこの異変に対するやる気の充電をしているのだ。


 わ、わーわーどんどんぱふぱふー!

「うっさい」


 あからさまに気を引こうとする声に同じ一言を返しておく。
 これ以上邪魔するようなら実力行使も辞さない……けど、面倒くさいなぁ。


 折角お腹一杯になれるかもしれないお話を持ってきたのに……

「よし話を聞かせなさい」


 にっこりと笑顔を浮かべて空から声の主らしき者へと視線を移す。
 そこに居たのは今まで見たことがない程、大きな大きな狼だった。
 ふっさふさの銀色の毛に、見るからに仕立ての良いスカーフのような赤い首巻と首かけの鞄。
 狼から感じる力はそれなりだというのに、見た目が伴っていないというか、ちぐはぐというか。


 えー……?

「何よ、その反応は」

 本当に食べ物で釣れるとは思ってませんでした。

「まだ釣り上げきれてないわ」

 左様で。


 私の前までするりと寄って来て、ごそごそと器用にも鞄の中から封筒を取り出して渡してくる。
 敵意や殺意をカケラも感じなかったので特に何もしなかったけれど、こうして近くまで寄られるとその大きさに改めて驚かされた。
 今まで見かけてきた妖狼などとは比べ物にならない。

 とりあえず手紙を受け取って裏表を確認してみた。
 やたらと赤い封筒にこれまた赤い蝋印が押してある。
 趣味が悪い。
 ちらりと目の前にいる狼にそういう意思を込めた視線を送ってやると、困ったように尻尾をぱたぱたと揺らしながら明後日の方へ視線を漂わせた。
 何だかんだで結構苦労してそうなヤツだ。

 どことなく疲れた雰囲気を醸し出す狼の鼻面をぽんぽんと撫でてやった後、蝋印を切って中身を取り出した。
 予想はしていたが、中のカードまで赤い。
 赤い紙に黒いインクで文字が書かれているため、読みにくい事この上ない。

 無駄に目を疲れさせながら読んでみると、何と言うか溜め息しか出なかった。

『この異変は私が起こしてる。
 解決したくば弾幕ごっこで私を倒して見せろ。
 でも、夜以外に来たら相手はしない』

 簡潔に表現するならたったそれだけの文章。
 それがやたらと遠まわしで尊大な書き方だったために解読に時間がかかった。
 とりあえずその憤りを込めて目の前の狼を睨んでみる。


 裏、裏!

「あん?」


 言われるがままにぺらりと裏返しにしてみて、私の異変解決へ向けてのやる気が憤りと面倒臭さを上回った。
 そこに書かれていたのは首謀者の打倒をなしえた場合の賞品目録。

 米一俵 最高級茶葉一年分 我が家自慢の料理人による洋風・中華風どちらかの食事一日分


「夜ね?」

 へ?

「夜に、行けばいいのね?」

 ああ、はい。
 その時は私が館まで案内します。

「それじゃ今夜行くことにしましょう。
 首を洗って待っていなさい、米一俵と最高級茶葉」

 あの、待ってるのは弾幕ごっこ……

「お米とお茶よ」

 ……食事も思い出してあげてください。

「頭の片隅にくらいは残ってるわ」


 パターン作りごっこは得意だ。
 事この遊びであれば、そこらの大妖にだって遅れを取るつもりはないし、取ったこともない。
 妖怪退治ではなく、遊びで異変解決ができるなら言う事はないし。

 どこか疲れたような雰囲気を滲ませる目の前の狼の頭を賞品への期待を込めて撫でてやる。
 良い話を持ってきてくれたものだ。
 異変も込みでというのは少々頭に来るが、色んな意味で美味しい話だ。

 もしゃりもしゃりとやたら指どおりの良い毛を堪能する。
 ……いいわね、これ。


「貴女の毛皮も賞品についてこない?」

 きません!!

「なら冬の間だけでもウチに来ない?」

 私の家は紅魔館だけです。

「あら残念」


 つんとそっぽを向いた狼だけど、そのくせ私が撫でやすい位置に頭を置いたままなのはどういう事か。
 顎の下を擽ってやると、そっぽを向いたまま気持ちよさげにごろごろと喉を鳴らしている。
 面白い。

「ほれほれ」

 わしゃわしゃと首の周りの毛をかき回したり、耳の後ろを擽ってみたりとひとしきり遊んでみる。
 喉を鳴らしながら頬擦りをしてきた。
 やばい、これ楽しい。



 ほとんど無意識に、お茶請けに用意していたおせんべいを手に取る。
 それをびしりと狼の目の前に突きつけて、そのまま境内へ向けて全力投球。
 我ながら素晴らしいフォームでの投擲だったように感じる。
 びゅんと音を立ててくるくる回りながら飛んでいくせんべいに向けて、目の前の狼がまるで風のように走り出した。
 音らしい音も立てずにぐんぐんと加速して、せんべいが落下を始めた瞬間に跳躍、キャッチ。
 静かな境内にぱりーんと気持ちの良いせんべいの割れる音が響き渡った。



 どこか誇らしげに顔を上へ向けて、ぼりぼりとせんべいをかじる狼。
 妙な絵面だ。

「それがここに手紙を持ってきたお駄賃よ」

 まいどー!

「それじゃ、また夜にね」

 おせんべい、ありがとうございました。

「お米とお茶に比べれば安いものだわ」

 ひらりと手を振って、雨戸を閉めていく。
 これから夜へ向けての仮眠を取るのだ。
 誰にも邪魔はさせるつもりなどない。

 雨戸を閉めて、障子を閉めて、結界を張って。
 いそいそと巫女服を寝巻きへと着替えて布団へ潜り込む。
 ああ、夜が楽しみだ。
 待っていなさい、お米とお茶。



 ぐぅ。



























 というわけで、今夜巫女さんが来てくださるそうです。

「……また早いわね」

 これでもかってくらいに食料に釣られたような感じでしたけどね。

「そいつ本当に巫女なの?」

 神社に居たので多分……?
 妙な形でしたけど、紅白の巫女服っぽいものを着てましたし。

「悪魔から疑われる巫女って何よ……」

 大きな溜め息をつきながらくしゃりと帽子を握り締めるレミリアさん。
 珍しくカリスマとやらのカケラが垣間見えた。

「ま、いいわ。
 皆も今夜に向けて準備なさい」

 ひらひらと皆に手を振りながら寝室へ向かうレミリアさんと、一様に溜め息を吐く皆さん。
 何というか、巫女さんの相手をする悪魔の館の面子としては正しいのですけれど、その理由がズレてる気がします。
 いやはや全く、妙な事で。

「それじゃ、私もスペルカードの最終確認でもしてくるわ」
「私は何時も通りに。
 何か御用があればお呼びください」
「スコール、暇だから遊ぼう!」

 一人だけ方向性が違った。
 フランさんは私と同じく今回の異変兼弾幕ごっこ大会の大筋には絡まないので、暇を持て余してしまったようです。
 ふわりと私の背中に飛び乗って、私の頭の上に自分の頭を置く形。
 傍から見たら物凄いだらしない格好になってそうですね、フランさん。

「庭に行こう、庭に!
 美鈴とやってたやつがしたい!」

 あのボールとかフリスビーをキャッチするやつですか?

「うん」

 ふふん、私がキャッチできないボールやフリスビーなんてありません!

「私が全力で投げても?」

 ……キャッチできないものなんてあんまりありません!

 フランさんの言葉を受けてあっさり前言撤回。
 何だかんだでメイリンさんは上手に力加減をしてくれていますから、これまで取れなかった事はありませんけど……
 フランさんが全力で投げたりしたら、冗談抜きにボールとかフリスビーが凶器になる勢いで飛んで行っちゃいますよ。
 特にフリスビーとか、下手したら木に刺さるんじゃないでしょうか?
 流石にそれに追いつくのは骨が折れそうです。

「咲夜!」
「はい、ボールとフリスビーです」

 相変わらず仕事が速いですねサクヤさん。
 庭に行こうとフランさんが言い出した時にはもう後ろ手に持ってましたよね、それ。

「小悪魔も行く?」
「いいんですかっ!?」

 私がサクヤさんの仕事の速さに感動していると、フランさんが私のすぐ横に居た小悪魔さんにお誘いをかけていました。
 小悪魔さんの反応からすると、期待の視線でもフランさんに向けていたのかもしれません。
 普段落ち着いている分、そういう視線とか仕草が際立つんですよね……


 とりあえず小悪魔さんも背中にどーぞ。


 ずりずりとフランさんが前に詰めて座れる場所を開けたのを感じて声をかけてみる。
 わざわざそんな事をしなくても乗れるだけのスペースはありましたけど、そうなると乗り心地の悪い場所になっちゃいますからね。
 いやはや、フランさんたら小さな心配りのできるいいお嬢さんになったものですよ。

「それじゃ失礼して……」

 どっかりと跨るように座るフランさんとは違い、横座りで腰掛けるように座る小悪魔さん。
 私としては跨られた方が動きやすいのですけれど、そこはあれですよね、淑女の嗜み。
 見た目がモノを言うといった所でしょうか。
 見た目からして小さな小さな少女のフランさんやレミリアさんに対して、小悪魔さんやサクヤさん、パチュリーさんたちは少女と言うよりも女性と言った感じですし。
 パチュリーさんは見た目と言うよりも雰囲気が、ですけど。
 疲れたような半目とか、あまり感情を表に出さない所とか。

「スコール、今日の夕飯は一品抜き」

 何故に!?

「私だって少女ですもの」

 目の前に居たサクヤさんに今考えてた事が見事に読まれていました。
 私の夕食が……!
 今日は確か肉のコースだったはず。
 一体何が抜かれるんだろうか。
 まさかメインディッシュのお肉なんて事はないですよね?

「どれがいい?」

 私の考えをまるで手に取るように把握していそうな笑みを向けられます。
 たまにサクヤさんはこうして嗜虐趣味に走るんですよね。
 もう尻尾を丸めて後ずさる事しかできません。

「なんて、冗談よ。
 私だって見た目の事くらい自覚してるわ」

 どうしたものかと悩んでいると、あっさりと口の端を吊り上げるだけの笑みを仕舞いこむサクヤさん。
 遊ばれてたわけですか、そうですか。
 ぐぬぬ、いつかお返ししなければいかんとです。

 内に秘めていた反骨心を精一杯振り絞り、鼻先でぽすんとサクヤさんのヘッドドレスをずらしてそのまま逃げるように庭へ。
 何か後ろでサクヤさんとパチュリーさんに笑われてる気がしますけど、今の私にはこれが精一杯。
 胃袋を握られてしまってはこれ以上の事なんて恐ろしくてできません!

「弱いなぁ……」
「弱いですねぇ……」

 あーあー聞こえない!


































「フォーーーークボーーーーゥル!」
「おお、落ちた!」

 小悪魔さん、それ反則ですよ!?

 目の前でかくんと見事に落ちたボールを悔しげに眺める私を、ニヤリと笑いながら眺めるお二方。
 ぐぬぅ!



[20830] 十四話 Sköll
Name: デュオ◆37aeb259 ID:35f2779b
Date: 2011/03/20 01:04



 ふと目が覚めた。
 何とはなしに、あの銀狼が言っていた時が近づいているのを感じる。
 何かが起きる時はいつもこうだった。

 頭はまだ霞がかっているというのに、体はまるで何かに突き動かされるかのように布団から抜け出て身支度を整えていく。
 普段は寝ている時間といっても、十分に仮眠を取った後という事もあって体は軽い。
 着慣れた巫女服を身にまとい、退魔札や針などを袖や懐へと納める。
 最後にお払い棒と陰陽玉を手に取り、雨戸を開け放った縁側へどっかりど座り込んだ。
 ああ、今日は気持ちの悪いくらいに大きな大きなまんまるい月が出ている。

 深夜だというのに怖いほど辺りを明るく照らし出す月を見上げながら、これからの行動に考えを巡らせる。
 相手は妖怪で、それも間違いなく大妖と言われるようなレベルの存在だろう。
 昼間に使いに来た銀狼でさえ、そこらの木っ端妖怪とは比べ物にならないモノだった。
 ……気配というか、威圧感というか……その辺りが備わっていればあの狼自身も大妖の中に分類されるだろうけど、そう思えない辺りがある意味凄い。
 何にせよ、そんな存在を使いにやれる時点で既に相手が楽観的に見て同等、普通に考えるならそれ以上なのは確定。
 今回は結果的に食料に乗せられる形で話を終えたが、全くもって面倒くさいの一言に尽きる状況だ。
 ついでに、手紙に書かれていた内容が真実である保障など何処にもありはしない。
 まぁ元々やらなければならない事だったわけだし、淡く色がついたと考えるしかないか。
 はてさて、どうなる事やら。

 そんな風にしばし考えを巡らせたものの、まぁなるようにしかならないという結論と呼ぶには少々無理のある結論を出して、ゆるりと月を見上げる。


 …………ぉん


 月を見上げる私の耳へと遠吠えが響いた。
 まだかなり距離があるようで、少々途切れ途切れではあるけれど。
 ただ何となく、あの銀狼のモノだろうと感じた。


 ……ぉぉぉん


 しばらくそのままで居ると、立て続けに二度三度と聞こえてくる。
 その遠吠えからは、まるで楽しげに駆け回る子供のようなそんな印象を受けた。
 あちらからすれば、待ちわびた遊びの日なのだろうか?
 わずかに口の端がつり上がるのを感じた。

 遠吠えの聞こえてきた方へ感覚を向けると、近づいてくる銀狼がありありと感じられた。
 先の遠吠えの間隔や大きさから考えると、まるで風のような速さで地を駆け抜けているらしい。
 遠吠えをしながらこれだけの速度を維持し続けるとは、いやはや中々どうして。

 結局、最初の遠吠えから大した時間を置かずに銀狼は私の前へとたどり着いた。
 文字通り息一つ乱さずに、昼間と同じように私の前に佇んでいる。
 いや、多少目を丸くしているだろうか?
 狼の顔なんてよくわからないけど。
 銀狼は私の反応を見て、まるで人間のように口端を少しばかり持ち上げた。


 おや、起きていましたか。

「あんな素敵な遠吠えが聞こえたんだもの、それは起きるわ」

 それは失礼。
 でもこんなに綺麗な月夜なんですから、遠吠えをあげるのは狼として当然の事。
 そして何よりも、楽しい楽しい遊びが始まるんですから!
 これはもう楽しまなければ損をするだけですよ?


 遠吠えで起きたのでは無いことくらい判っているだろうに、楽しげに答えを返してくる。
 こちらもその雰囲気に当てられたかのように気分が高揚してくるのを感じた。
 あちらさんは『お遊び』と言っているのだから、まぁ間違っていないと言えば間違っていないか。



 さあ妖怪退治、異変解決の始まりだ。






























「よーこそ、紅魔館へ!」
「いらっしゃい!」

 メイリンさんとフランさんの歓迎っぷりに、私と一緒にやってきたレイムさんが驚いているのをひしひしと感じます。
 何せレイムさんの目がまんまるですもの。
 先ほどまで何だかんだ言いながら張っていた緊張の糸が、この歓迎でぷっつり切れてしまったようです。
 仕方のないことですよね、これじゃ。

「……あれ?」
「外しちゃいましたかね?」

 精一杯の歓迎を披露した二人は、両手に持った小さな旗をぱたりぱたりと揺らしながら首を傾げ合い。
 旗に書かれているのは『ようこそ紅魔館へ』『博麗の巫女さん歓迎』『ゆっくりしていってね』『今夜は寝かせない』等々。
 あれ絶対半分は小悪魔さん作ですよね。
 本人曰く『一応サキュバスですから、私』との事で、ふとピンクな方向に暴走する事がありますし。
 普段あれだけ、あれだけ落ち着いた人……いや、悪魔なのに。

 少々白けた空気の漂う中、とりあえずフランさんの下へ歩を進めて寝そべっておきます。
 最近のフランさんは私の背中の上がベストプレイスらしいですから、乗りやすいように。
 そうした途端に感じる軽い軽い重さがちょっと嬉しい。


「やっぱりここが一番落ち着くなぁ」

 それは何より。
 私も最近はフランさんが乗っていないと背中が寂しく感じるようになってしまいましたよ。

「相思相愛?」

 ある意味間違っていません!


 そんな風に私とフランさんとで笑い合っていると、正面と横から呆れたような視線を感じました。
 レイムさん、メイリンさん、その視線の意図は何でしょうか。

「ごちそうさま」
「異変の空気じゃないですよね、これ……」

 ひらひらと手を振りながらおざなりに口を開くレイムさんと、腕を組んで深い溜め息を吐くメイリンさん。
 でもメイリンさんは自分もその空気をぶち壊した一人でしょうに。



「……紅魔館の門番、紅美鈴です」

 そんな私の抗議の視線から目を逸らし、あからさまに話題を変えたメイリンさん。
 いきなり自己紹介に入ったものだから、レイムさんがまた驚いた顔をしているじゃないですか。

「博麗の巫女、博麗霊夢」

 とりあえずといった風に自己紹介を返したレイムさん。
 簡潔な自己紹介を終え、『あんたらは?』と言わんばかりにこちらへ視線を向けてきました。
 えーと……?
 …………あ、れ?

「紅魔館主の妹、フランドール・スカーレット!」

 あ、フランさんも自己紹介を済ませてしまいました。
 いや……でも、私……あれ?

「………どうしたの?」

 私の上から不思議そうに聞いてくるフランさんには悪いのですが、返事を返そうにも、その……。
 あー、これはどうしたものでしょうね。
 今になって思えば、紅魔館での私の位置づけって一体何?
 最初にレミリアさんから言われた『しばらく好きにするといい』以降、特に身の振り方について言われた事はありませんし。

「もしかして自己紹介の肩書きが無いから、とか?」

 悩む私に向かって、ずばりと飛んできたメイリンさんからの指摘が私の胸にくりてぃかるひっと。
 あっさりと図星を突かれたせいで、返す言葉が何ら頭に浮かんできません。
 ああ困った、いやはや困った、どうしよう困った!



「……えーと、飼い狼?」
「自宅警備員?」

 メイリンさん、フランさん……お二人とも、そんな私を見かねて助け舟を出してくれたのは嬉しいのですけれども、船の形は嬉しくありません。
 まるで何もやっていないかのような肩書きは流石に……さ、さすが……に?

 しーんと静まり返った、綺麗な月夜。
 静かさがいたたまれない。


 ……い、居候のスコール、です。


 無い頭を絞って何とかひねり出した肩書き。
 ええ、ええ、自分でもわかっていますとも、現実逃避だって。
 だからレイムさん、そんな私の苦悩を見て苦笑いを浮かべながら生暖かい視線を送らないでください。



「スコール……居候なんかじゃなくて家族だよ?」

 どうしようもない状況な私の頭を、小さな腕でぎゅっと抱きしめてくれるフランさん。
 ああ、こんなに良い月夜だからか、涙が零れちゃいそうです。

「……今度一緒にお伺いを立てに行きましょうか」

 そしてぽふりと鼻先を撫でてくれるメイリンさん。
 でも今は優しさが痛いんですよ。
 わかってください。

 ろくな返事も返せずに、足取り重くのそのそと紅魔館を囲む高い塀へ向かって一直線。
 そのまま塀へ向かってだらりと地面に転がります。
 ああ、何かもうやだ。
 自己嫌悪ひゃほーい。



「……拗ねちゃったわよ、スコールとやらが」
「あ、あはは、は」
「…………」
「…………」
「始めましょうか」
「あ、それじゃ今回のルールを説明しておきますね」


 一人勝つ毎にカードを進呈、全部集めれば賞品ゲット!
 そんな胡散臭い雰囲気の漂う文句を聞き流しながら、自暴自棄の海へすこーるインしたお状態。
 あは、あはっは……はぁ。




























「スコォーーーゥル!」

 はいっ!?


 いきなり耳元に響いたフランさんの叫びに、思わず直立不動の姿勢を取ってしまいました。
 ……あれ?

「寝てましたね?」

 後ろから不満げなメイリンさんの声も響いてきます。
 …………あれ?

「しばらくそっとしておこうと思っていましたけど……」
「途中から気持ちよさそうに寝てたよ」
「へぇ、そうなんですか?」
「うん、だって頭を撫でたらふすーふすー言いながらゴロゴロ喉鳴らしてたもん」

 壁を向いたまま、どうしようと悩んでいる私を追い詰める事実が突きつけられました。
 こうなってしまっては仕方がありません。
 むかーし小さな眼鏡をかけながら本を片手に小悪魔さんが教えてくれた、こういう時の対処法そのいちの出番ですね、これは!



 ……てへ♪



 困った時は笑ってごまかせ!
 えーと、とりあえず笑ってごまかせ!
 そしてそのままフェードアウトすべし!



「……その毛皮、刈り取って私のマフラーにしてもいいですか?
 冬に外で門番やってるのって結構寒いんですよねぇ」

 その言葉を受けて、じわりじわりと逃げるために立ち上がろうとしていた体が反射的に動きました。
 その場で180度ターンをかましてから、これまたむかーし小悪魔さんから教えてもらったスライディング土下座とやらを敢行。
 私がやっても伏せにしか見えないと評判だったこの技を以ってしても許してもらえないなら、本当にもう逃げるしか手は残っていません。
 いやでも、きっと後から暖かい物の差し入れでもすれば許してくれるはず!

 その状態からそーーっと上目遣いにメイリンさんの様子を伺うと、冷ややかな視線を頂きました。
 許して下さい後生です、という思いをじーっと目で訴えかけても、相変わらず冷ややかなままでした。
 無意識のうちにじりじりと後ずさる私の体でしたが、そもそもの場所が塀の前。
 すぐにぽすんとお尻が塀にぶつかって、もう後ろには下がれません。



「……スコール、私に何か言う事は?」

 ご、ごめんなさい。

 謝罪への反応も無しに、じーーーーっと目を見つめられるだけっていうのはつらいです、メイリンさん。
 何か、何か言ってくださいよ、ねぇ?

「これから一ヶ月、私の所に来てもオヤツはあげません」

 !?

「小籠包も餃子も焼売もあげません」

 なん、ですって……!?

「貴女が好きだった熱々の緑茶も出してあげません」

 そ、そんな!?

「人が人外巫女を相手に奮戦してる横で、なに呑気に居眠りをしているんですか!」
「でも美鈴、終始押されっぱなしで良い所は全く無かったよね?」


 メイリンさんの怒りの咆哮に対するフランさんの突っ込みで、沈黙が訪れました。
 それまでの勢いはどこへやら、ぴたりと止まったメイリンさん。


 ……あれ?
 いい所が、なかった?

「うん、だって巫女さんはスペルカードを一枚も使ってないもの」
「うぐ!?」

 ……め、メイリンさんだって仕事できてないじゃないですかっ!
 あんなに私に怒ってたくせに!

「私はちゃんと頑張りましたよ!?」

 パチュリーさんがいつも言ってるじゃないですか!
『結果の伴わない努力なんて時間の無駄よ』って!

「何言ってるんですか!
 結果なら伴ってますよ」

 何処にですか?

「巫女の札と針を消耗させました」

 胸を張って自慢できなさそうな事を堂々と言い放つメイリンさん。
 ある意味潔いですけど……えー……?

「悪いけど、さっき使ったのは小手調べのための古いヤツだから、実際の所あってもなくても大して関係ないわよ?」

 そんなメイリンさんに現実を突きつけたのはレイムさん。

「……全然?」
「あっても邪魔になりかけてたやつだから、処分としては丁度良かったけど」

 そんな言葉を受けて、腕組みをしながら天を仰ぐメイリンさん。
 様になっているんですけれども、ちょっと違った意味で物悲しい雰囲気が漂ってますよ。
 いや、気持ちはすごいわかりますけど。
 だって、サクヤさんが……ねぇ?
 こうして言い争っても、結局二人仲良くナイフの餌食になる事はうけあい……現実は非情です。


「……うん、この問題は終わりにしましょう。
 私は何も見なかったし、何も言わなかった」

 ……そうですね、私もメイリンさんの奮戦をこの目で見ていました。

「そう、それでいいの、それがいいの」


 今この瞬間、メイリンさんと心が通じ合った。
 サクヤさんのナイフ怖い。
 下手な妖怪なんかより、よっぽど怖い。








































「いえ、見ているんですけどね?」
「……見逃してあげなさい」
「……かしこまりました、お嬢様」

 館の窓辺での一コマ。
 やたらとにこやかに『門番』と書かれたカードを巫女に手渡す門番や、それをじっと見守る狼や、苦笑いをしている可愛い可愛いフランなんて見ていない。
 それに対して心底呆れた顔をしている紅白巫女なんて見ていない。
 そう、決して見ていない!

「レミィ」
「……何よ?」
「ここ読んでみて」

 私と同じテーブルについて本を読んでいた魔女が、テーブルの上に積み上げられていた本の中の一冊を私の目の前に開いた。
 ここ、と白く細い指先が示した一文は……

「ふむ……『戦わなきゃ、現実と』?」
「こういう時は逃げちゃ駄目だってひたすら唱えるものらしいわよ」

 抑揚をつけずに淡々と紡がれたその言葉を受けて、夜空に浮かぶまんまるな月を眺めながら一つ頷く。

「……咲夜、紅茶をお願い」
「お砂糖とミルクは?」
「アリアリで」
「かしこまりました」



 うん、忘れよう。



[20830] 十五話 Sköll 結構加筆。幾ら何でも、ダッタヨ。
Name: デュオ◆37aeb259 ID:9d84472a
Date: 2011/03/21 00:58


 咲夜さんの能力で、広さがおかしな事になっている紅魔館。
 長い廊下を抜けるとそこは知識の海でした。

「何で雪国のパクリ?」

 パクリじゃありません、オマージュです!

「何でもいいけど、次の相手はどこよ」



 こんな三人が三人とも方向の全く違うテンションの中、ひたすらに続く本棚の間をすり抜けてパチュリーさんの指定席を目指します。
 このだだっ広い図書館の中で唯一、ぽっかりと開けた場所にあるテーブルには偉大と言ってもなんら差し支えの無いはずの七曜の魔女が!

 ……居なかった!


「……何、この机と椅子が次の相手とか言わないわよね?」
「悪魔の館って言っても、流石にそれは無いから……」

 ちょっと慌てながら辺りを見回すフランさんと、とりあえずパチュリーさんの香りを探す私ですが、一向に見つかる気配がありません。
 気配も香りもしないので何かおかしいなと思っていたらこれですよ!
 本を読みながら気だるげに視線を上げるパチュリーさんの姿がある事を願っていたのにっ……

 どうしたものやら。
 ああどうしたものやら。

 フランさんが『私がパチュリーよ!』だとか言って場を和ませてくれたり……して欲しくないですよね、ええ。
 むかーし小悪魔さんがやらかした『ふらんちゃん魔法少女化計画』は非常に痛々しい歴史を刻んでしまいましたし。
 ふりふりの沢山ついたピンクのドレスに、これまたやたらとピンク色でハートマークな杖を装備させられたフランさんの様子にはもう『ご愁傷様です』の一言しか。
 小悪魔さんが乗りに乗って考えた台詞を言わされてた時なんてもう顔が真っ赤で。
 涙目になりながらようやく呟いた台詞にレミリアさんがお持ち帰りプレイをやらかしてしまいました。
 ああ、おもしろ……痛ましい事件でしたね、ええ。


 想定外の事態にそんな現実逃避しながらも、レミリアさんにお伺いを立てるべきかと思い始めたその時、私たちの入ってきた扉が開く音が響き渡り。
 本来なら音も立てずに開くはずの扉らしいですけど、レミリアさん曰く『様式美』とやらで重苦しい蝶番の音が響く、あの大きな大きな扉。
 この状況であの扉が開く音が響くという事は……!



「あら、早かったわね?」

 早かったわね、じゃないですよ!

「なら『あら、門番は何をしていたのかしら?』とでも言い直しましょうか?」

 何、って……

「もしかして『何もできなかった』何て事は……無いわよね?」



 遅れた事など毛ほども気にした様子も無く、いつも通りに佇む我等が魔女様。
 とりあえず現れてくれた事自体は良かったものの、ちょっとばかりいやーな事実が判明。
 にやにやと意地悪な笑みを浮かべながらのこの言葉で、確信しました。
『ああ、見られてたんだな』って。

 はい、ナイフと食事抜き確定コースでございます。
 メイリンさん、諦めましょう。
 きっと、きっといつか良い事があります!
 ですから地道にサクヤさんの弱みを探しましょう!

 あー……弱み、あるんでしょうか?
 いや、ありますよね、サクヤさんだって人の子ですもの!
 パーフェクトだとか言われても、まだまだ年若い女の子です!
 早いところ見つけて私の食事だけでも確保しなければ。




「まぁ『目を瞑る』との事だから蒸し返さないように」

 お、おおぅ……?
 さーいえっさー!

「私はいつから男になったのかしら」

 いえすまむ!

「よろしい」


 悩む私に対して苦笑しながら言葉を投げかけたパチュリーさんに、これまでの考えなんてどこ吹く風とばかりに態度を変えてみます。
 背中からも苦笑の気配を感じますが、あえて気づかない振りを敢行。
 弱みを探ろうなんてそんな怖い事考えても居ないんです。
 過去を振り返ってばかりじゃ未来なんて訪れませんから!

「ね、一つ言ってもいい?」

 はい?

「その……ね?
 スカーフの魔法、入りっぱなし」

 ……何時から、でした?

「雪国もどきの時から」

 魔法少女ふらんちゃん、も?

「今回は目を瞑るけど、次に言ったらきゅっとしちゃうよ?」

 肝に銘じておきまする。


 背中の方を振り仰げば、可愛らしい、それはもう可愛らしい笑みを浮かべながら右手を『きゅっ☆』っとしているフランさんの姿。
 でもね、すこーる、こわい。
 ……前に怒らせてしまった時の部分ハゲの悪夢が。
 皆さん、覚えておきましょう。
 口は災いの元。

「だから魔法入りっぱなしだってば」

 オフ!全力でオフ!!
 ええい静まれスカーフよ!










「というわけで、そこの紅白巫女」
「紅白言うな」
「お帰りはあちらの扉よ」
「まずはカードを寄越しなさい。話はそれからよ」
「……強盗巫女を退治する方法は」
「そんな事が本に書いてるわけないでしょう」
「叩きのめして、簀巻きにして、レミィの餌に」
「……ああ、そういう事。上等だわ」

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら私たちのやりとりを見ていたパチュリーさんでしたけれど、私が黙ったのを確認した途端に挑発を開始。
 突然流れが変わった事に面食らいながらも、それに含まれる意図を理解した上でお返しとばかりに好戦的な笑みを浮かべるレイムさん。
 意外な事に別段ギスギスとした空気が流れるわけでも無く、このやり取りからはお互いに楽しむような雰囲気を感じさせられます。
 いやはや、本当に意外や意外。



 何だかんだ言いながら楽しみにしてたんですね、パチュリーさん。
 動きたくないとか言うと思っていたんですけど。

「これが終われば新書を大量入荷させる事をレミィに約束させたしね」

 ……そういう裏がありましたか。
 ですよね、そうですよね。
 裏も無しにやる気なパチュリーさんとか無いですよね。

「そういう評され方に言いたい事が無いわけじゃないけど、まぁ否定はしないわ」

 というかこれ以上まだ本を増やそうって言うんですか?

「今度の本はこれまでとは少しばかり毛色が違うのよ」

 ほほう、具体的には?

「まだ秘密。
 ああ、新書の種類から予測しようとしても多分無駄よ?
 そちらはあくまでも付属品だから」

 ……嫌な予感しかしないのは気のせいでしょうか。

「まぁ逃げられないから安心なさい」

 レイムさん!早くこの魔女をやっちゃって下さい!

「味方を売るなんて躾けがなってないわ」
「ああ、何かあんたがどういうヤツかってのがわかったわ」
「煩いわよ紅白」



 その言葉を境にしばしの沈黙が流れた後、示し合わせたようにパチュリーさんとレイムさんが動き出して。
 両者とも場を宙へと移しながら小手調べとばかりに弾のばら撒き合いが始まりました。
 突然始まった弾幕ごっこの札や針、色とりどりの魔力弾が入り乱れる光景が広がるのを確認しながらそそくさと本棚の影へ退避。
 本棚から顔を半分だけ出して今度はしっかりと観戦の体勢に。
 パチュリーさんの魔力弾はまだいいんですけど、針とか刺さったら絶対に痛いですもの。

「スコール、見えない……」

 そんな考えに基づいた行動だったわけですが、背中に乗っていたフランさんが見えづらそうにしていたので、結局は本棚の影から半身を晒す形に。
 ああ怖い。
 どうか流れ弾が来ませんように!
 行動に支障が出る事はないでしょうけど、痛いものは痛いんですから。









 ―――火符「アグニシャイン上級」


 もぞもぞと良い感じのポジションを確立する事に精を出していると、静かな声のスペルカード宣言が聞こえてきました。
 先に攻めに回ったのはパチュリーさんのようで。
 手始めにとごうごう燃える炎弾を綺麗に配置して放って行くものの、顔色は優れません。
 そりゃそうですよねぇ……何ですか、あの変態軌道。
 って熱っつい!?


 逃げ回りながら観察を続けていると、所狭しと広がる炎弾を事も無げに回避するレイムさんを見たパチュリーさんの頬が引き攣ったのがよくわかります。
 もうあらかじめ打ち合わせをしていたかのように炎弾の波をすいすいすり抜けて、その都度お返しとばかりに札を投げつけるって何ですかもう。

 一言で言うならアリエナーイ。
 二言で言うなら巫女さんアリエナーイ。
 三言で言うなら以下略!

 これはメイリンさんもあっさり落ちちゃうわけですよ。
 元々苦手な弾幕ごっこで相手がコレだなんて、えーと……能力も持っていない人の子が竹槍でレミリアさんに向かっていくくらいの絶望感が。


 ―――SpellBreak


 アリエナーイアリエナーイなんて繰り返し考えている内に、パチュリーさんはこのまま続けても勝ちの見えない状況にあっさりと見切りをつけたらしくスペルカードの破棄宣言。
 そのまま牽制の弾幕を張りつつ同時に次のスペルカードを準備。
 身体能力の関係上、基本的には守りに入ったら落とされるからと常に攻めの姿勢ですけれど、これは幾らなんでも早すぎる気が。
 パチュリーさん自身もそれは良く理解しているようで、苦々しげな表情と共に掲げられるスペルカード。
 最初に火を持ってきたので多分次はあの痛そうなスペルのはず。
 五行だったか、火は土を生むっていうのを汲んでの順番とか言ってた気が……


 ―――土符「トリリトンシェイク」!


 あ、ちょっと宣言に力が篭った。
 ……そりゃそうですよね、自分が頭を捻って考えたスペルをあれだけすいすいと避わされれば。

 予想通りのスペルカードでしたけれども、先ほどの炎弾とは違って見た目はただの色つき魔力弾。
 本来なら岩弾のはず……って人間相手にそんなもの使ったらまずいですものね。
 当たり所によっては治療する間もなく即死コースが見えますし。
 質量があると、そこら辺が不便な所。
 サクヤさんには問答無用で使ってますけども。
 人間のはずなんですけどねぇ……?

 そんな事を考えながら見ていると、結局は先ほどの焼き直しに近い結果となってしまいました。
 相手に対しての動きがそれなりにあるスペルでしたが、レイムさんはその弾を引き付けてさらりと回避、お札で反撃。
 スペルのさわり部分を見ただけでこの行動とかないですよ。
 しかも必要最低限の動きで、掠るかどうかという域での回避。
 先の炎弾と違って近寄るだけで影響のある弾じゃないからでしょうけど、何ですかもう。
 変態ですか?変態ですよね?
 巫女さんっていうのは変態にしかなれないものでしたか。
 いやぁ、怖い怖い。

 サクッ

 ……ひぎゃぁぁぁああああ!?
 ちょ、何するんですかっ!
 気を抜いてる観戦者にまで手を出すなんて酷いですよ!?

「失礼な事を考えられてる気がしたからね」

 ……やだ、何この子……怖いっ……!
 人の考えまで読むんですか、巫女っていうのは!





 ―――SpellBreak


 私への攻撃が為された事もあってか、先ほどよりは粘ったものの再びスペル破棄宣言。
 驚くしかない程にスペルの回転が早い。


 ―――火&土符「ラーヴァクロムレク」


 驚きを与えられた所へ更に驚きを叩き付けられてしまいました。
 間を置かずに次のスペル宣言が来るとは。
 早すぎるとしか言いようが無いという。
 今度のスペルは先ほど使った二つのスペルの発展型、パチュリーさんの真骨頂とも言える二属性の混合魔法。
 ここからがパチュリーさんの本気という事になるわけですけど……んーむー……パチュリーさんには悪いですけどレイムさんが落ちる気が全くしない。

 本棚の天辺に前足をひっかける感じで頭だけを出しながらの観戦スタイルになった事で、流れ弾や私を狙った凶弾の危険性こそ下がったものの未だに怖い事には変わりなく、恐々としながらの見ているわけですけれども……いやはや。
 弾の軌道変化が激しくなって、レイムさんの動きが先ほどに比べるとだいぶ鈍くなっているように見えます。
 掠るかどうかの回避が掠っての回避になっていたので、これならばと思ったのも束の間。
 軌道の種類が違う弾だらけだと言うのに最早弾に目を向ける事すらしなくなってきて、しまいにはお札や針での苛烈な反撃までも見せ始める始末。
 尋常じゃない早さで適応していくその様は最早賞賛しか浮かびません。
 やっぱり変態です……てひぎゃぁ!?

「仏の顔も三度まで。後何度仏で居られるのかしらね?」

 カチ割るぞ駄犬、と言わんばかりの素敵な笑顔を向けられました。
 尻尾がどんどん丸まっていくのがよーく判ります。
 こわ……何も考えないようにしましょう、ええ。
 あと一回の猶予を無駄にしちゃうわけにはいきません。
 集中!集中するんですよ!
 もう毛ほどの変化も見逃さないくらいにっ!
 そうすればきっと失言なんてしないはず。

 そうして気づいた驚くべき事は、相対しているパチュリーさんまでもが驚愕を通り越しての微かな微笑みを浮かべているという状況。
 先ほどまでは苦々しいと驚きを混ぜたような表情だったのに。
 レアな表情です、これでもかと言うくらいにレアな表情です。
 ええい何故こんな時にし、し……しナントカさんは居ないんですかっ!
 いつも呼ばなくたって沸いて出てくるくせにっ!








 ―――SpellBreak!


 先の2スペルよりは遥かに行使時間の長かったスペルの破棄を宣言したパチュリーさんですが、何故かそこから動きがありません。
 僅かに俯いて肩を震わせながら、ただ笑顔ばかりを零し続けているその様子はちょっとばかり怖い。
 相対するレイムさんは少しばかり警戒した表情を浮かべていますが、何度も見てきた私だってこれは初めての事。
 しばらくそんな妙な状態が続きましたけれど、突然レイムさんを見据えて、その数瞬の後に開かれた口から漏れたのは純粋な賞賛の言葉。

「素晴らしい、という言葉を贈らせて?」
「それはどうも」
「野暮な感情を交える隙間すらなく、ただただ素晴らしい。
 こんな思いを最後に抱いたのは何時以来でしょうね!」

 紅魔館の面子にスペルを破られる事はあっても、ここまで見事に『攻略』されたのは初めての経験のはず。
 此処に至って感じられるのは本人の言葉の通り、ひたすらに賞賛。
 小悪魔さんが読ませてくれたマンガによくあるアレですね。
 強敵と書いて『とも』と読む!的な。

 まぁ実際、敵対していてもそういう感情を抱くのは珍しくない事らしいですし。
 私は基本的に逃げてばっかりでしたから、その話が出た時の皆の経験談を聞いただけですけれども。
 特にメイリンさんはそういうの多かったみたいです。
 年若い頃に自称『無敵超人』なお爺さんと戦った時なんて人間に対しての常識を黄河の流れへ投げ捨てたとの事。
 技術的なものだけならまだしも、純粋な膂力ですらあっさり負けたらしく、曰く『清々しすぎて笑いしか出なかった』と。
 いやー、怖い怖い。
『また会ってみたいけれど、もう生きていないでしょうねぇ』何てからから笑ってましたけど……私だったら匂いを嗅いだ瞬間に逃げ出したくなるに決まってます。


 ―――日符「ロイヤルフレア」!!


 強敵についての考えと恐怖を頭の中で展開していると、宙から降ってきたのはスペル宣言。
 先の思いに後押しされてか宣言に篭められる声が更に強くなり、常のスペルカードの順番までも変えて。
 次はどう避けてみせるのかと、それを楽しみにしているのがありありと判るパチュリーさんの姿は、知識と日陰の少女などという渾名が嘘にしか感じられない程に活き活きとしていて。
 眼前で放射状に広がる圧倒的としか言いようのない炎の壁を前にして表情一つ変えないレイムさんの様子に、さらにその表情の輝きを増して……

 ある意味怖いけれども、新鮮で良いんじゃないでしょうか。
 元々のパチュリーさんを知っている分、違和感が物凄いですけれども、それが無ければ十二分に『アリ』です。
 ちょっとだけ眼福。
 しゃしんきとやらを持てぃ!
 肉球でも押せる一番良いやつを頼む!








 ―――SpellBreak!!


「これで未だ人の範疇にあると言うのだから、笑うしかないわ!」
「失礼な」
「別段能力を使ったわけでも無いのにここまで見事に破られたんだもの。
 そうとしか言えないわ」


 ―――火水木金土符「賢者の石」


 テンションが有頂天と言わんばかりのパチュリーさんと、対照的にテンションの全く変わらないレイムさん。
 そんな二人が短いやり取りを終えて成されるのは、静かに、確かな賞賛を込めた声でのパチュリーさん最後の宣言。
 それは本人は語ろうとしなかったものの、小悪魔さん曰く『到達点の一つ』である物を用いてのスペル。

 パチュリーさんの周囲に煌びやかな五色の石が展開され、それぞれから空間を埋め尽くさんばかりに放たれる弾の数々。
 単一での完全ではなく、敢えて分化させる事によって五行による増幅までも取り入れたその弾幕は時を経る毎に勢いを増して。
 先ほどまでは自重していただろう岩弾も、これまで見せてはいなかった水も、木も、金も。
 常に無いほど五色の弾が整然と力強く舞う光景は思わず目を奪われてしまいました。
 ここで何か評価をしようなんて、そんなのは野暮な事ですよ。
 ああ、でも……







 避けきって見せなさい。
 避けきれないなんて、そんなのは嘘。
 さぁ!さぁさぁさぁ!

 この上ない程に輝く弾幕の中心に居るパチュリーさんは、そう言わんばかりの満面の笑みを浮かべてその全てを叩き付けていく。
 日ごろの面影などまるでない無邪気な少女の様子は、ただただ眩しく感じた。

 ああ、ああ。
 いいなぁ。
 でも、あれは逃げてばっかりの自分じゃできない顔だ。
 理由をつけては逃げてばっかりの自分じゃあ、できない。






 でも、それでも。
 それ程の思いに後押しされたスペルすらも。
 これまでとは比べ物にならない密度で展開されて、空間そのものを埋め尽くさんばかりだったそれすらも。
 パチュリーさんの秘奥すらも、レイムさんは、踏破してみせた。


 ―――SpellBreak





































 ……フランさん。

「凄かった、ね?」

 それに尽きますよね。

「うん、何てデタラメなんだろう。
 私たち吸血鬼ほどの身体能力も、咲夜みたいな反則級の能力も使っていないのにさ?
 あの巫女さんは成し遂げたんだよ。
 パチュリーが言った通り、ただ純粋にスペルを攻略してみせた。
 それもスペルカードでの相殺すらせずに、完璧と言っていい形で」

 パチュリーさんも常に無いほどの興奮ぶりでしたねぇ。
 満面の笑みなんて初めて見ました。

「私だって初めて見たよ。
 でも野暮な事を言うなら、普段とのギャップが酷いかなぁ」

 眠たげで、疲れた風ですからね、いっつも。

「ねー?」

 でも、いいものを見る事ができたなぁって……
 私としてはそれが一番でした。
 いろんな意味を込めて、ですけど。





「そこ、人が余韻に浸ってるのに空気をぶち壊さないでくれる?」
「あ、聞こえてたんだ」
「当たり前でしょう」

 地上へ降りてきて、はぁとため息を零すパチュリーさんは先ほどまでの興奮はどこへやら、すっかりいつものような表情に戻ってしまいました。
 ああ勿体無い、あんなに可愛らしかったのに。

「失態……いえ、そういう訳でも……ああでも」

 先の弾幕ごっこの中で見せた言動は本人にもいろんな意味で大きかった模様。
 ええ、本当に良いものを見せていただきました。
 胸を張ってもいい……というよりも張るべきです。

 あー……今ふと思い出しましたけど喘息は大丈夫なんですか?

「……ゲフッ」

 あああああああ小悪魔さぁぁぁあん!!!
 えまーじぇんしー!えまーじぇんしー!!

「とりあえず逝くならカードを渡してからにしてよね」
「うわ、鬼だ……鬼巫女が居る……!」

 先生!重症患者が一名です!!



 私のぽろりと零した一言で自覚してしまったのか、それまでヒューヒューと嫌な音を微かにさせていたパチュリーさんが地に落ちました。
 興奮でそれすらも忘れていたんですね。
 ああ、いいなぁそういうの……ってそんな場合じゃないですよ!


 果たしてパチュリーさんは助かるのか!?
 Dr.LittleDevilは間に合うのか!?

 来週は以上の二本をお送りします!

「スコール、混乱してるのはわかるけどね。
 ちょっと自重しよう?」
「何気にコイツが一番酷いんじゃないの?」
「ちょっと否定できないかなぁ……」

 な、なんですって!?







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