Archive for 2月, 2011

  • <世見> 2011/2/20

    Date: 2011.02.20 | Category: 世見 | Response: 0

    中国に抜かれてしまったGDP
    この次は何が起きるのか?
    すぐ近くに インドが来ています。
    ブラジルも追い上げてもいます。
    生産を人件費の安さから中国に移した企業が 日本に大きな打撃を与えている事を 本当に分かっているのだろうか。
    これからが この答えの本番がやって来る。
    今迄 鼻高々でGDPの高さを世界にアピールしてきたが 戦後 アメリカのシナリオの下に動いて来た政治のツケは大きい。
    今の民主党政権の味方をするつもりはないが 60年独裁政治をやって来た自由民主党の事を忘れてはいけない。
    世間から見ると 独裁政権には映らなかったかもしれないが 私が見せられる世界はまさにその様に映る。
    だからと云って政治家が悪いのではない。
    日本国民の政治に対する興味のなさの結果が現在です。
    選挙には行って下さい。
    それからです 日本の立て直しは!
    ただ マスコミにだけは踊らされないように 気を付けて下さい。

  • 身近に

    Date: 2011.02.20 | Category: 照の日記 | Response: 0

    面白い話って 意外と身近で聞く事って出来るのですネ
    「世の中には金持っているのだネ~ 札幌に出張で行って来たのだけど 月極(げっきょく)って云う人の駐車場があったのだよネ・・・」
    それって 月極(つきぎめ)の事でしょう!
    「私 今 好きな魚があるの」
    「何ていう魚?」
    「めざしって云うのよ」
    それって 目を差して 干したから 目ざしって云い 鰯って云うのですよ!

  • <世見> 2011/2/19

    Date: 2011.02.19 | Category: 世見 | Response: 0

    「ハリスの日本での使命は皆様が考えている以上の事でした。
    本来はペリーの側近で 来航した事のある人物が領事としてやって来る予定でしたが日本人は 大男に弱い事と 威圧感にはノーと言えないのを知っていた為と 組織の問題の変化で出向前 突然にハリスに変わったのです。
    「フリーメイソンを ご存知ですネ」
    私は頷いてみせたが フリーメイソンって謎めいていて私は避けたい課題です。
    それとフリーメイソンの事を書いていいのだろうか との思いもありますが どこかで好奇心が湧き 自然に任せる事に致しました。
    フリーメイソンを語るときには イギリスを知る必要があります。
    (The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland) これが原名です。
    グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国がイギリスです。
    イギリスはBC6~4世紀ケルトン人が侵入し その主力のプリントン人がイングランドの主要部を占領 その後 4世紀半ばにはゲルマン人が侵入し その主力はアングル人とサクソン人が平野部を占領してからは アングル人の国と呼ばれるようになったのです。
    8~9世紀には 統一王国が誕生します。
    11世紀には ノルマンディー公ウイリアムに征服され その後 百年戦争や ばら戦争で 諸侯の多くが没落。
    1485年にはチューダー王朝による統一 16世紀前後には 第一次エンクロージャを契機に資本制生産が16世紀後半 エリザベス朝の隆盛期を作り上げたのです」
    「少しゆっくりとお願いします」
    私は大きく息を吸い込んだ。
    自分が何を書いているのかさえ 分からなくなっているが イギリスの歴史である事だけは分かります。
    「これからが面白いところなのですから 頑張って付いて来て下さい。
    その後 スチュアート王朝では絶対主義が破綻し 1649年プロテスタントの一派でありカトリック的アングリカンチャーチに反抗しカルピニズムを教えとし 娯楽は罪悪で 華美・ぜいたくは以ての外 僧俗の別を立てる事なく 清浄な生活をする事を主義に挙げる ピューリタニズムを掲げた清教徒達が占める議会派がチャールズ1世の専制に起こした市民運動(清教徒革命)が勝利し1649年 国王を大衆の面前で処刑し 国王の下で王党派だった貴族や侍従達も国王と並び多くの血を流したのです。
    次に登場するのがクロムウェル(Oliver Cromwell)彼は1955年東部の郷紳の出身で 熱烈な清教徒でした。
    清教徒革命では議会軍のトップとして活躍 王党軍を破った後 護国卿となり 独裁共和制を敷くが 直腸癌の為に死去。
    厳格主義と独裁に対する批判から政情が安定していなかった時の死だけに 後に護国卿になった長男は政治能力のなさも手伝い 8か月で辞職するのですが 清教徒の中では中心自分とし 影の実力者となるのです。
    力の莫大な遺産がものをいい 1712年に亡くなる前にフリーメイソン(Free mason)の組織の基本を作るのです。
    それから5年後の1717年イギリスで結成されたのです。
    彼らはコスモポリタン的な自由主義の団体を作ったのです。
    彼らの活動資金はクロムウェル公(護国卿)の全財産です。
    彼らは反カトリック的考えを持ち 超人種的である事 超国家的考えを持ち 平和人道主義を信奉している集団です。
    今は世界中に散らばり ある人は国のトップになり 又ある人は大財閥になり政治家 美術商 我国では2000人のフリーメイソン会員がいます」

  • 生きている

    Date: 2011.02.19 | Category: 照の日記 | Response: 0

    名を後世に残す人がいますが 特別選ばれた人のイメージは私にはありません。
    生まれたる時代や 環境や立場など 様々な要因が重なり 時の人になったのだと思いますが「自分が生きている」この思いを人一倍多く持っていたのではと思っています。
    人は権力を持つと その権力を確かめたくなるようで 人々の尊い命をも弄ぶ事も 歴史を見れば歴然としています。
    私は最近 こんな事を良く思うようになりました。
    経営者も 人を雇う以上 権力を持ち その人の命をも預かりし人と・・・
    それ故に経営者は何かに選ばれ市人である事を自覚してこそ 縁ありて働く人々の上に立てるのだと。
    だからと云って 働く人も毅然とした態度と 生きている自分の自覚を忘れずに過ごさないと 人生が淋しい事になります。
    どうか どんな立場の人も 明日を輝かす為にも今 生きている事を いつも忘れずにいて下さい。

  • <世見> 2011/2/18

    Date: 2011.02.18 | Category: 世見 | Response: 0

    サァ 今日は何を教えて下さるのだろうか?
    最近 原稿用紙に向かうと ワクワクします。
    私にとっては未知との遭遇のような感覚です。
    皆様は楽しんで下さっておられますか?
    私は書きながら 驚く事ばかりです。
    知識のある方なら当たり前の事も あるかも知れませんが 私と一緒に真実を見られるかもしれない旅に今日もご一緒して下さい。
    「あの日 海には霞がかかっていたが今迄見た事がない黒い物が幽かに見え 目がおかしいのかと良く見たが やはり何かが沖にいる様に思えて 漁師仲間を呼びに走り 戻ってみると黒い物が先程よりはっきりと見えて 仲間と顔を見合わせて 又見たら何となく船に見えるもので 大声で人を呼んだんだァ」
    ここまで聞こえたが 次の言葉が聞こえては来ない。
    「今のは 皆様がよくご存じの アメリカ軍インド艦隊司令長官ペリーが指揮する蒸気軍艦を見た人の声です」
    今日は 昨日の人とは違う声です。
    このペリー来航がいずれ 幕府と対峙する力を蓄える 雄藩を育てる事になるのです。
    もう この時には全てにアメリカの計画が潜んでいたのです。
    水戸藩主の徳川斉昭の意見をもう少し聞いていたら 我国は今の歴史が変わっていたと思います。
    徳川斉昭の「開国拒否」「主戦論」そのものが正しいと云うのではなく あまりにも黒船の威圧に恐怖心を持ち「開国やむなし」いわゆる「無条件降伏」の気持ちに各藩大名や幕臣がなってしまった事が後々 アメリカ総領事ハリスの言いなりになる結果になってしまったのです。
    ペリーは日本の国を海上から見て「ビューティフル」と言ったくらい 彼の眼には絵のように映りました。
    彼は この国だけは力で抑えたくないとも思ったのです。
    その事の日本が純なる澄みきったオーラで包まれていた事を 日本に住む人々は気が付かなかった事でしょう。
    日本気質が日本をあの時 気と云うオーラを漂わせ 戦争をさせずに 日本を守ったのです。
    ただ あの時 ペリーが長身でなかったら 林復斎らは もう少し凛と出来たとは思いますが 153~156㎝しかない日本側と185㎝もある大男 それも 相手は何人も大男が揃っているのですから 武士の意地は最後の自刃しかなく それも出来にくい雰囲気で 始めから終りまで飲まれていたのですから アメリカの思うがまゝです。
    商取引を拒否するのがやっと出来た事だったのですが この度の目的は商取引ではなかったので すぐに受諾をして見せたが 領事の派遣を日米和親条約に抜け目なく入れていたのです。
    鎖国を200余年もの間 していた日本だけに外国の腹の内など読めず 日本はこの日から配下に収まるシナリオが出来上がったのです。
    もし 日本が鎖国をしなかったなら もっと世界観を理解出来たかも知れませんが 265年も江戸時代は続かなかった事でしょう。
    歴史と云うのは生き物です。
    それはまさに人間一人 一人の人生と同じで 考え方 捉え方で流れが変わるものです。
    もし仮に あの時 林復斎 井戸覚弘が会見に臨まず 別の人が全権を任じ 会見に臨んでいたら 又々 歴史は変わっていたかもしれない。
    徳川斉昭だったら どうだろうか?
    もしかすると 植民地になっていたかも知れません。

  • 地球は

    Date: 2011.02.18 | Category: 照の日記 | Response: 0

    「トンガ王国」って どんな国なのでしょう
    太平洋に浮かぶ島くらいは思い出しますが この国って世界で一番初めに新しい日付になる国だって ご存知でしたか。
    トンガ王国が元旦を迎える午前零時 日本は前日の午後8時 西サモアは12月31日が始まったばかりです。
    地球はやっぱり 動いているのですネ!

  • <世見> 2011/2/17

    Date: 2011.02.17 | Category: 世見 | Response: 0

    1937年と云う年は 中国にとっても運命の年でもありましたが 日本も 又 闇の時代の幕開けの年でもありました。
    7月7日 北京郊外の盧溝橋付近で日本と中国の軍隊が衝突した事件とされる最悪の日中戦争が一発の銃弾から始まりました。
    この本当の真相はいずれ こうして書いて行く内に教えて戴ける事でしょう。
    今 私の心によぎるのは 日本が中国に侵略しなければ現在の中国が存在しなかったのではとの思いが どうしてもあります・・・
    毛沢東に戻しましょう
    毛沢東は日中戦争が起きると抗日民族統一戦線を提唱して国共合作を実現させ 戦争中は国民党の攻撃を受けながらも統一戦線を保ったのです。
    この頃の毛沢東は生きる事に燃えていた事でしょう。
    かたや蒋介石は 1926年の北伐にあたって 国民革命軍総司になり 次の年の4月には国共分裂の指揮を取り 南京国民党と国民党の全てを手の中に治めたのでした。
    蒋介石が人生の中で一番力量を発揮し 輝きに満ちていた頃でもありました。
    此処まで書いて 私は思います。
    我国は何故 満州侵略をしたのか?日中全面戦争に突入しなくてはいけなかったのか?太平洋戦争の意味は?第二次世界大戦は避ける事が出来なかったのだろうか?
    急に あの頃の日本を知りたくなりました。
    私が鉛筆を止めると シューベルトのアヴェ・マリアがヴァイオリンの音色とマッチして 我家を居心地の良い場所にしてくれています。
    すると どこからともなく懐かしいメロディーがアヴェ・マリアと変にマッチして 名曲になっていましたが 臨場感いっぱいに明治を十分思い起こす
    「ピーヒャラ ドンドンドン・・・・・」
    笛と小太鼓がアヴェ・マリアを抑えて 部屋を包みます。
    この間亡くなられた細川俊之さんのような 良い男の声が
    「265年も続いた江戸幕府は1867年薩摩・長州を中心とした西南の雄藩と多くの下級武士出身の若者と 土佐の坂本龍馬達が 江戸幕府に終止符を打ったのでした と申し上げたき事なのですが この年の7月 今の愛知県豊橋市で 伊勢神宮のお札が 梅雨が明け夏の日差しが地面を熱くし始めた7月 天からお札が舞い降りたと騒ぐ 男衆がお札を頭の上にかざし道行く人々に身振り手振りで「ええじゃないか」と歌いながら見せて回ったのです。
    場所は昔の三河吉田 民衆はそれを見て 江戸幕府の終わりを心の中で受け止めると同じくして 男衆達の身振り手振りをマネして「ええじゃないか ええじゃないか」と一人増え二人増えしながら 乱舞した民衆の輪が広がっていったのです。
    その乱舞は人々の心の不満に火を付け「世直し」を訴える運動へと各地に広がって行く事になるのです。
    江戸幕府が終わりを告げる事になった主役は この「ええじゃないか」の乱舞であり 民衆の世直し運動でした。
    では 誰がこの事を仕掛けたのか?
    お札を頭の上で振り振り踊った 8人の男衆達の目的は何だったのか?又その時 民衆は何を思い踊りに参加したのか?ただ この踊りを踊る8人衆は どことなくあの阿波踊りに似ている気がしてならず 答が潜んでいるようにも思えるのですが 三河吉田から始まった「ええじゃないか」は翌年の春まで続き西は広島 東は当時の江戸まで広がり 幕府が手を付けられない間に討幕運動が進んで行ったのは 間違いのないところです。
    明治時代を作り上げたのは 名を残した人々ではなく民衆の力があってこそを忘れてはいけません。
    今の世を色々と批判をする前にあの時代に生きた人達の心を知る事が大事です。
    今は選挙にもいかない人々が多くいる国の在り方を今一度 見直さない限り 日本が良くなるはずはありません。
    民衆の力がどれほど強いか分からないと 日本の先はありません。
    江戸時代は現代より もっと人間らしさに溢れていました。
    世界に誇れる秩序があり 江戸では塵ひとつない リサイクルが出来上がってもいましたし 文書行政が徹底されて 寺小屋が開設され 1町内には2~3人の手習い師匠がいましたし 全国には50万もの寺小屋があり 読み書きを覚えさせる事に加えて 算盤も学ばせたのです。
    その一方で 女子には華道・茶道・裁縫を習わせ 往来物と云われる地理・歴史・道徳等の出版書は7000種を優に超えてもいたのですから 人々の学習意欲は随分と高かった国でもあった事は間違いがありません。
    幕末には日本識字率の高さは世界有数の域に達していたくらいですから
    ただ 農民にとってはまさに今の北朝鮮のようでした。
    飢饉に苦しむ日々を送ってもいたのですから いつ一揆が起きても誰も止められない時代でもありました。
    江戸時代は 民衆運動を語らずしては分からない時代だったのですよ!
    百姓達の一揆は幕藩領主への「訴」であり 新しい社会作りの一歩でもあったのです。
    1787年の江戸の騒ぎは凄かった。
    数日間に渡る 無政府状態を民衆が作り上げたのですから 江戸幕府もこの時民衆の力を思い知らされた事になるのですからネ
    「打ちこわし」「世直し」は江戸の米屋1000軒への襲撃事件を起こし この事件は後に「天明の打ちこわし」と云われ 幕府にはその事が重い傷を残す事になるのです。
    80年後の「ええじゃないか」に繋がった事を知る人は本当に少ない事でしょう。
    この暴動事件が起きる前には 度重なる飢饉がありました。
    天明の飢饉は1782年から1787年にかけての大飢饉でした。
    特に奥羽・関東地方は冷害で その上に疫病が広がり90万人以上の死者を出したのです。
    その上に浅間山は1783年大噴火を起こし 溶岩流は2万人もの人の命を奪う事になったのです。
    この大噴火が冷害に拍車を掛け 北に行く程ひどくなり 弘前藩では餓死者は1年間で8万人 仙台藩は4万人にものぼりました。
    その後も この冷害は日本各地を襲いました。
    天保の飢饉は1833年から7年間も続いたのです。
    人はどこまで我慢が出来るのだろうか?
    民衆が我慢の限界を超えた時 歴史が大きく変わる時なのです。
    この大凶作が徳川幕府を崩壊の道へと進めていたのは事実です。
    歴史は人間が作り出す記録ですが 民の力の大きい事を忘れ易く ヒーローやヒロインを人は好んでしまう。
    歴史を知る事がどれ程 今後に役立つのかは私の語る話をどう受け止めるかで違いがでるものです。
    では 今日はこれくらいで終わりにしましょう。
    照も疲れたようだし・・・」

  • 生きて

    Date: 2011.02.17 | Category: 照の日記 | Response: 0

    この地球上には多くの人々が生きています。
    これ程 多くの人々が生きているのですから 自分と同じ気持ちの人が 今 きっといる様に思えて仕方がありません。
    この様に考えると今 悩みをお持ちの方も 自分だけが苦しいのではない事が 分かると思います。
    人って 自分だけが何故と思った時 一人ぼっちになったようで淋しいのです。
    でも 60億人もいるのですから 同じ思いの人もいるはずです。
    だから 頑張って!

  • <世見> 2011/02/16

    Date: 2011.02.16 | Category: 世見 | Response: 1

    今 家を買おうとしておられる方に 申し上げたい事があります。
    もしも 35年のローンを組もうとされておられるのなら 今から書く事を頭の中に入れて よく計算をなさって購入して下さい。
    1946年生まれの私は64歳です。
    私達 戦後直ぐの生まれの人達は 今の平均寿命なら多くの人が生き残れる事でしょうが 現在の40代50代の人々が私の歳になる頃 この平均寿命は少し下がっているように思います。
    今の30代になると また一段と平均寿命が下がっていると思えて仕方がありません。
    今 30歳の人が 私の64歳になった時 私達年代の殆どの人は今世にいない事でしょう。
    ここなのですよネ
    30歳で35年ローンを組んでいると どうなるかの現実です。
    もうその頃には日本の人口も9千万人くらいしか日本には住んでいないと思います。
    もしかすると もっと少なくなっている気さえします。
    4千万もの人が日本から姿を消すのです。
    この死は大災害による死ではなく 病気による死が殆どです。
    今 50代の人達はまだ気力がありますが 40代の人達は私達の年代から見ると人間力が低下している為に 自分達で切り開くパワーが多くの人から見る事が出来ません。
    今から生きる為の頑張力を蓄えておかないと 70代を迎える事はかなり難しいと思われます。
    この様に考えますと 私が後25年も生きたとして 89歳の頃には目で見ても人口が減少しているのが分かり始めると思うのです。
    それと シャッター通りのように 空き家も多くなっているのも見えています。
    マンションも歯抜けになっています。
    都内の家賃も今よりはかなり低く バブルが弾ける前と今と違うように 住宅問題は借り手がなく建設関係は 新築も少なく 苦難の道が待っています。
    まだ先の事です。
    今日 明日の問題ではありませんが 人生は アッと云う間です。
    私だって 未だに学生時代がつい この間のように思っています。
    35年ローンを考える時の参考にして下されば 幸いです。

  • <世見> 2011/2/16

    Date: 2011.02.16 | Category: 世見, 地震・自然災害 | Response: 13

    中国に付いて 教えて戴いた事をお伝えしている途中ですが 地震が気になり始めましたので地図を広げる事に致します。
    パキスタンと云う国は地震が歴史を変えたと云っても過言ではありませんが 我国も関東大震災で歴史を大きく変えたと私は思っています。
    「災害は忘れた頃にやって来る」
    こんな言葉がありますが 実に的をえた 名言です。
    いつ どこで どんな災害が起きるか分かりません。
    どうか「備えあれば」をお忘れにならないようになさって下さい。

    やはり太平洋側は動く気配がムンムンしています。
    「陸前高田」と云う地名が声にならない会話を 自分にしています。
    どこにあるのだろうと 探してみると 見付かった。
    指で感じ取ろうとしたが 期待ほど感じなかったが 釜石辺りが赤く見えた。
    東和と書かれている場所辺りが気になった。
    今度揺れると広範囲に思える。
    岩手・秋田・山形・宮城・福島・茨城 これだけ書けば当たるだろうと思える県名だが 書かずにはおれない思いになります。
    目の前に5の数字が先程から見えて仕方がない。
    千葉も 神奈川も近く揺れると思われるし 東京・埼玉も「なんだこれ」私がおかしいのか群馬も 栃木も 長野も いつ揺れてもおかしくない事を地図は語ってくれているだけに 私自身 今日は地図を見る力が薄れているのかと 心配になってしまうくらいだ。
    もしかすると近日中に何回か揺れを感じるか かなり広範囲なのかもしれないと思った。
    もっと他も見ないといけないのだろうが これ程の県名を書いた後だけに見る気がなくなったが 心の中で「揺れる・揺れる」と言っている自分がいた。
    又 改めて見てみますが 気を付けて下さい。
    大きな揺れを感じる私が ここにいます。

  • 穏やかな

    Date: 2011.02.16 | Category: 照の日記 | Response: 0

    静かな時が流れています。
    時は 自分の感情とは関係なく流れているのですが 心が穏やかだと時の流れ方も どこか静かです。
    今日は一日 この思いが続く事を願ってしまいました。

  • 富士山

    Date: 2011.02.15 | Category: 照の日記 | Response: 1

    東海道新幹線で大阪に向かう時 私は進行方向右側の窓側を選びます。
    その理由は 富士山です。
    でも この所 見事な富士山を見る事が出来ません。
    見られないと凄き残念な思いになります。
    富士山はいつも同じ場所にあるのに 姿も雰囲気も 角度でも表情が違います。
    もしかすると私達も 同じなのかもしれません。
    きっと 心の中の思い方や 考え方で 見る人も捉え方が変わるのでは・・と

  • <世見> 2011/2/15

    Date: 2011.02.14 | Category: 世見 | Response: 1

    今月に入って皆様にこうしてお伝えしている事は私が不思議な世界の方から 教えて戴いた事や見えた事 聞こえた事を頭の中で整理する事無く書いている事です。
    勿論 真実の裏付けは何一つありません
    ただ 私達が知り得ている事が本当に正しいかは 教えて戴くと戴くほど 疑問が湧いてきます。
    どこまでお伝え出来るのかは分かりませんが原稿用紙に鉛筆が走る事 走る事
    もしかすると 自分の意識とは違う意識が働いているのかもしれません。
    では 今日も目的地が分からぬ旅に出て見る事に致します。
    毛沢東(マオツォートン)は湖南省で生まれました。
    2500gの小さな男の子でした。
    幼い頃は歌が上手?で 人を笑わせるしぐさが周りの大人たちからは可愛がられる存在でもありました。
    又 物覚えが良く 頭の良い子と云う印象をも人々に植え付けていましたが 母親からは愛情豊かには扱ってはもらえませんでした。
    どこからともなく 朗読しているかのように 女性の声がします。
    彼は 省立第一師範学校では持ち前の明るい語り口で人気者になってはいましたが どうしても一人の人間には学力も 体力も又 人を近付ける力も 勝つ事が出来ませんでした。
    だが 彼には人の気を読む力だけは誰にも負ける事はなく 先輩達や上の人間に取り入る能力はずば抜けていました。
    そして1921年 湖南省の代表として中国共産党創立大会に参加を果たします。
    この頃の彼は 未来に夢を抱く好青年でした。
    彼の輝かしい人生は この党創立大会の参加から始まりました。
    1927年 江西省の井岡(セイコウ)山に活動の場を作るまで正義感に燃え 農民運動に紛争する日々を送っていました。
    1928年の春 良き友である朱徳と共に紅軍第四軍を結成し 朱徳は軍長になり 毛沢東は党の代表とし活躍を始めます。
    人生とは実に面白いものです。
    どなたがシナリオを書いておられるのか 振り返ると どこか納得がいく様な変な思いにさせられます。
    毛沢東を語る時 蒋介石(チャンチエー)を外す事は出来ません。
    蒋介石はご存知の通り 日本の陸軍士官学校に21歳で入学していますが 中国革命同盟会に 留学中に加入もしていました。
    彼も又 この時 志を持ち正義感に燃えていたのです。
    1924年 黄埔(コウカ)に軍官学校を国民党が建てた時 彼は校長になっています。
    蒋介石は1887年浙江(セッコウ)省奉化県で生まれました。
    毛沢東が1893年生まれですから 蒋介石は6年早く生まれています。
    蒋介石が37歳で軍官学校の校長になり 35歳で毛沢東は党の代表になっていました。
    彼らはこの時すでに 見えない糸で操られながら 歴史を作って行くのでした。
    1927年 根拠地を作ってからの毛沢東は蒋介石から5回にも渡る包囲攻撃を受け 1934年も終わりの頃 中華ソビエト区を離れる決心をし 湖南→貴州→雲南→四川→甘粛省→延安に辿り着くまでの3年間は運が勝手に毛沢東にやって来たようでした。
    ソ連軍軍事顧問の軍事方針の批判は幸運をもたらすのに充分だったのです。
    この頃の毛沢東は見事でした。
    矛盾論 実践論とマルクスが乗り移ったように マルクス主義を実情に応じて中国で発展させた理論体系を毛沢東流に作りだし 中国の歴史を作り上げていくのです。
    この頃はまだまだ中国を良き国にしようと燃えていた44歳でした。

  • 不安な心は

    Date: 2011.02.14 | Category: 照の日記 | Response: 0

    自分が気にする程 人って 自分の事を見てもいないし気にもしていないものです。
    親・兄弟・子供でも同じです。
    ただ 自分に関わる何かが起きた時 一方的な愛から生まれるものか 幸福を願う相手として 身近な人ゆえの思いもあるでしょうが 大きな出来事(問題)が起きない限り ご自分も相手も 気になどせずに 日々過ごしているのです。
    ご自分の気持ちを振り返って下さい。
    平穏に暮らしていると 特別気にもならないし 人が自分の事をどう思っているかも気にならないものです。
    今 気になる相手がおられる方は先ず ご自分がその方と どうなりたいのか考えて見て下さい。
    意外と どうしたいのかどうなりたいのか 分からない事の方が多く ご自分の心が理由なく不安がっていただけと云う答が出る事があります。

  • 女性って

    Date: 2011.02.13 | Category: 照の日記 | Response: 0

    人は自分の事を 一番知り得ていると錯覚しているようです。
    この年になっても自分は か弱い女だと信じ切っていましたが 自分はどんな困難でも乗り越えられる強い女なのだと自覚して 意外とホッとしています。
    どうも女性は 自分が強い女性である事を認めたくないようです。
    それはきっと 心の何処かで男性に見守られたい思いがあるからなのでしょう。
    でも 女性は本来 生きる事にかけては強い生き物なのですネ
    今日は女性の皆様に エールを送ります。
    「強い女」に目覚めて 頑張って下さい。

  • 輝くのは

    Date: 2011.02.12 | Category: 照の日記 | Response: 0

    どんな人も 輝いたものが必ずあります。
    ある人は その人が輪の中に入ってくれているだけで特別目立つ事はされなくても 和む雰囲気を作ってくれます。
    この事も その人の輝きです。
    又 ある人は 集まりの席で気遣いを発揮し 食事を取り分けたり お酒を注いだりと 集まりが潤滑に進むような 心遣いを見せます。
    人はほんの少しでも 人の事を気遣う思いを持っていると 輝けるのです。

  • <世見> 2011/2/11

    Date: 2011.02.11 | Category: 世見 | Response: 1

    今日書く事は きっと月曜日には皆様の目に留まる事でしょう。
    今日はご存知の通り 祭日
    明日は私の文をパソコンで打って下さっている方が出張
    その次の日は日曜日です。
    私がこうして皆様に お伝え出来るのも 支えて下さっている方々のお蔭です。
    今日は関東地方も雪が積もるそうです。
    昨日に続き「毛沢東」について書きたいと思っていますが 目的は次なる中国のドン習近平(シー・チンビン)なのだが 毛沢東から見て行かないと私には 中国が見えてこない。
    毛沢東・鄧小平・江沢民・胡錦濤・温家宝 私が気になる人は未だいる。
    曾慶紅それと李克強 私は彼ら一人一人を頭の中で集中させて 私流の性格や感性を見てみたいとも思っています。
    何故ならば これからの世界はこの中国に踊らされる事になるのだから どうしても 避けては通る事が出来ない。
    我国は今迄 アメリカの手の中にいた。
    思い出してほしい事がある。
    どんなに酒飲みでも 自分の酒の量を知っている。
    体調の良い時 悪い時はあっても 酔う量は分かっているものです。
    あの朦朧会見で失脚した中川昭一元財務大臣 私は嵌められたと見ている。
    と云うより「まァー 一杯」と勧めた人物が見えたからだ。
    その勧めた相手は日本人だった。
    中川氏はワイン一杯くらいで酔う人間ではない。
    水代わりのつもりが仇となったのだ。
    その中には 薬が入っていたのを 私はハッキリと見た。
    だが 彼は 日頃からアルコール依存症を世に知らしめていた為に 疑われる事なく 政界からも 民衆からも見放されたのだ。
    アメリカに対する中川氏の決断が何であったのか 私には分からないが アメリカを怒らせたのは事実のようだ。
    こうして見ると 正義感に燃えても 愛国心を見せても アメリカに目を向けていないと我国の政治家は失脚させられるように 私には映る。
    又 それよりもなによりも アメリカとパイプが繋がる輩が官僚の中に多い事 多い事。
    彼らは 出世欲に燃え アメリカとの繋がりに心の中で自分の事を誇らしいとさえ思っているのだから あきれる。
    我国の今後より 我が身の保全を重視している人が 我国では出世するようだ。
    武士道の様な美学は官僚の世界では見る事は出来ないのかと悲しくなる。
    さぞや 中川氏は無念であったことでしょう。
    2009年10月3日 中川昭一元財務大臣は今世を去られたが 私の書いた事で少しは心が晴れてくれると嬉しい。
    中川氏がワイン一杯飲んだ後 石段の様な所に座り込み「やられた」と意識が朦朧とする前に 心で呟いたのを 私はハッキリと聞きとっている。
    だが その後の記憶が と云うより その薬は記憶をも麻痺させるもののように私にはみえた。
    それと 鼻の横にイボの様な黒子の様なもののあるアメリカ人が何故か中川氏の後ろで笑っているのが不気味に 私には見えたのです。
    勿論 今書いている事は私が見せられた世界で 何一つ根拠はありませんが 足寄町役場と少しだけ縁を持つ事が出来た一人として 中川昭一氏に対して 特別な感情が湧いたのも事実ですが 見せられれば見せられるほど 私達はメディアに心を奪われ 真実を見る力を奪われている気がしてならないのです。

  • 叱るのではなく

    Date: 2011.02.11 | Category: 照の日記 | Response: 2

    親は子供を叱る時 叱られる理由がハッキリとしていないと 後でご自分が 子供の事で悩む原因になるのをご存知ですか?
    子供はどんなに幼くても 自分が親に叱られた時に 理由は理解しているもののようです。
    理由が分からずに 叱られる事が多いと 親の考えが子供は分からなくなり 物事が少し分かり始めると 親に対する信頼感が薄れ やがて反抗期には親は子供の考えが見えなくなる原因になります。
    子供に注意する時は「叱る」のではなく「教える」を心掛ける様に なさって下さい。

  • <世見> 2011/2/10

    Date: 2011.02.10 | Category: 世見 | Response: 0

    6日は ふぐ料理にお腹を幸福にして来ました。
    そのお席には室谷信雄さんもおられて 間寛平さんのアースマラソンで逢えた時の心が温かくなるお話を 耳を研ぎ澄ませて聞かせて戴きました。
    喉頭癌で 声を無くした室谷さんの一言 一言には重みがあります。
    皆様も13日午後9時 紳助さんの行列が出来る相談室に出演される室谷さんを見て下さい。
    私達がいつも気にせずに話せる事が 如何にありがたい事か分かります。
    室谷さんから この日 自分達が話せる幸福を味わって戴きたく思います。
    5日間もご無沙汰致しました。
    私がお仕事で大阪に行くと申し上げますと ご相談のお仕事をしていると 思われておられる方も多いようですが 経理を主に担当しています。
    26年間株式会社サミーと云う食品加工機械会社でどこにでもいる事務員さんをしているのです。
    皆様も一度は私が働かせて戴いている会社のフライヤーで揚げた品を食べて戴いた事があると思います。
    「今夜一杯 大型居酒屋で」なんて思っておられる方は 私どものフライヤーで揚げた品を召し上がって戴けるかもしれません。

    では 4日からの続きを始めます。
    日本国民はメディアにマインドコントロールされている事を 多くの人は知らずにいる。
    亡くなった明治生まれの母は 国を信じ テレビから流れる事を全て信じ切っていました。
    この様に書く私も 随分と前までは同じでしたが 不思議な世界の方々の一言 一言は心の中に真実の深さを感じずにはおれません。
    不思議な世界の方々は 誰一人として起きた事を これが真実だとは話されませんが 心の目が本物を捉えた思いになります。
    歴史を振り返ると 権力を手に入れた者の考え方ひとつで 尊い命も消しゴムで消すより酷い仕打ちで今世を 去りし事を 私達はいつまでも記憶に残しておかなくては あまりにも犠牲に遭った人々が悲し過ぎます。
    「レッドクリフ」の映画を見ていると主役が善人のようにも映りますが あの三国志の中でも 名もなき人々が血を流しました。
    時を越え 建国の英雄と云われた一人の男が 中国で生きていた。
    その名は「毛沢東」彼の罪名は殺人 それも 殺人鬼と云っていいだろう。
    彼の手に掛かった人の数 1億人
    毛沢東は あの世は平等な世界であろうと思われる事から 大変な立場で暮らしている事だろう。
    1966年から 始まった文化大革命 あの10年間はまさに地獄の日々だった事でしょう。
    彼は自分が実権を取り戻す為だけに 1億人もの人を殺した。
    彼は1958年 大躍進政策の大失敗で5800万人もの人を餓死もさせている。
    どれ程の人が 毛沢東によって人生を終わらされた事か。
    毛沢東(マオツォートン)は 中国の革命家であり政治家と本当に言えるのだろうか?
    サァー 中国を知ろうではありませんか
    これからの中国を知る為には この毛沢東を読み取る事が早いと 私は不思議な世界の方 風呂敷おじさんからのお話から感じ取りました。

  • 感謝

    Date: 2011.02.10 | Category: 照の日記 | Response: 0

    寒椿が咲き終わると 咲いてくれたお礼に 幹の廻りに肥を蒔くと 次の冬には いっぱい花を咲かせてくれます。
    このお礼肥は 私達人間にしか出来ない感謝の現れです。

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