2011年03月20日

癒しの力・・・七十人定員会 菊池長老

癒しの力

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七十人定員会 菊池長老

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わたしたちが主の言葉と贖あがないに頼れば,救い主は傷ついた心や誤解,
憎しみを癒すことがおできになります。

?1978 年8 月,わたしは韓国のソウルにおけるステーク
大会に出席する割り当てを受けました。神権指導者会の後で廊下にいると,
60 歳ぐらいの一人の姉妹が日本語でわたしの耳に
「わたしは日本人が嫌いです」とささやきました。
わたしはその言葉に驚き,ショックを受けました。わたしは振り返って日本語で
答えました。「それは大変残念です。」どんな経験をしたためにそのような
気持ちになったのだろうと思いました。わたしの同はら胞からが彼女の同胞に
どんなひどいことをしたのでしょうか。
ステーク大会の夜の部会で,わたしは救い主の贖いと大いなる犠牲
について話しました。ステークの会員たちにニーファイの物語を分かち合い,
ニーファイが主の御み霊たまによって高い山に連れて行かれたことを話しました。そこ
でニーファイは父リーハイが見た命の木と幼おさな子ごイエスを見ました.
( 1 ニーファイ11:1 − 20 参照)。
それから天使がニーファイに,父が示現で見た木の意味を知っているかと尋ねました。
ニーファイは答えて言いました。
「はい,その木は人の子らの心にあまねく注がれる神の愛です。だから,どんなものよりも
好ましいものです。」 天使は続けて言いました。
「そのとおり。それは人にとって最も喜ばしいものである。」
( 1 ニーファイ11:22 − 23)

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「慰め主キリスト」カール・へンリック・ブロック画。
「盲人を癒されるキリスト」サム・ローラー画


神の愛により,あらゆる偏見と誤解を克服することができます。わたしたちはまことに
神の子であり,望めば神の愛を自らの魂に取り入れることができるのです。
われ 主を愛してその道進まん奉仕の業なしみ力悟らん 1裁きを慎む
予定していなかったのですが,わたしは自分と韓国とのつながりについて話し始めました。
韓国人のいとこが9 人いて,一緒に育ったのだと会衆の皆さんにお話ししました。
韓国人のいとことわたしたちきょうだいは互いの家をよく行き来していました。
韓国料理を食べ,韓国の歌を学びました。
わたしのおばがすばらしい韓国人男性と結婚したのです。二人は日本の
わたしの育った町で子供たちを育てました。
話の途中で,わたしは韓国で最初のステーク会長を務めた李
イ虎ホー男ナム会長と韓国の民謡を歌いたいのでだれかピアノで
伴奏してくれるようにお願いしました。それから李会長に,少年時代以
来歌ったことのない韓国の国歌を一緒に歌ってくれるようお願いしました。
韓国人のおじから教わってから長い年月がたっていましたが,歌詞を思い出すことが
できました。それから,会衆に一緒に歌うよう招きました。全員が立ち上がり,美しい国歌を
歌いました。多くの人が涙を流し,わたしも歌うのが難しくなりました。
すばらしい雰囲気がその場に満ちていました。
わたしはステークの会員にこう述べました。
わたしは韓国人のいとこたちを愛していると同じように会員の皆さんをも
愛しています。わたしたちは皆神の子であり福音の兄弟姉妹であるからです。
そして神がわたしたちを愛しておられるからです
( 1 ニーファイ11:22 ,25 参照)。

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まことの弟子となる
「民族や人種について侮
辱する言葉や名誉を傷つ
ける言葉が時折会員の間
で聞かれるという報告が
入っています。皆さんに
申し上げますが,自分と異
なる民族や人種をけなす
ような話をする人は,キリ
ストのまことの弟子とは
言えません。そのような
人はキリストの教会の教
えに従っていると言うこ
ともできません。……
わたしたちは主の教会
の会員です。自分や人に対
してだけでなく,主に対し
ても義務を負っています。」
ゴードン・B・ヒンクレー大管長
(1910 − 2008 年)
「さらに親切になる必要性」
『リアホナ』2006 年5 月号,58,60


わたしたちは皆,主の永遠の愛を感じ,会衆のほとんどの人が涙を流しました。
わたしは彼らに「わたしは皆さんを福音の兄弟姉妹として愛しています」
と言いました。
夜の部会が終わると,ステークの会員たちがわたしにあいさつしようと長い列を
作りました。列の最後には廊下でわたしに話しかけた60 歳の韓国人姉妹がいました。
彼女は目に涙を浮かべてわたしに謝罪しました。主の御霊が強く感じられました。
救い主の翼にある癒しによってわたしたち全員が癒され,平安が会衆に語りかけました。
会衆と一つになったと感じました。

おのれの罪,咎とが
なぜに見えぬか
心を探りて
弱きを悟らん

あなたのメッセージで考えが変わりました
1977 年,わたしは七十人定員会の会員に召されました。
それ以来,数百のステークを訪問する特権に浴してきました。
ユタ州テーラーズビルでのある神権指導者会の後,大柄な男性がわたしに近づき,
耳もとで,自分の兄が第二次世界大戦で戦死したので日本人を憎んでいると言いました。
しかし,大会の後,その男性が目に涙を浮かべてわたしのところへやって来ました。
喜び,涙しながらわたしを抱き締めました。それは,わたしが自分の改宗談と
アメリカの人々への愛について話したのが,彼の心に触れたからでした。

別のときにはアメリカ合衆国ジョージア州でのあるステーク大会で,
一人の姉妹がやって来て,父親を第二次世界大戦で亡くしたと言いました。
しかし,集会の後で次のように言いました。「謝らなければなりません。父
が日本人に殺されたので,ずっと心に憎しみを抱いてきたのです。」
そして言いました。
「あなたのお父様も戦死したのに,あなたは後に福音を受け入れ,
それによって人生が変わったと話してくれました。
そして今では,わたしたちを愛していると言っています。ほんとうに恥ずかしいです。
教会で生まれ育ったのに,今まで日本人に対して憎しみを抱いてきたのですから。
でも,あなたのメッセージで考えが変わりました。」
わたしはこのような経験をたくさんしました。
わたしは多くの人々に会ってきましたが,福音のおかげで互い
に愛し合い,理解し合うことができているのです。


罪の意識はすべて取り去られた
それから数年たち,わたしはアダム・オンダイ・アーマンを訪問し,
その後に開かれたファイヤサイドで,その地域の奉仕宣教師のスーパーバイザーから
改宗談を分かち合うよう頼まれました。依頼されたとおりに話し,
ファイヤサイドに出席していた夫婦宣教師たちに,子供たちを備えて伝道に出し,
わたしのような福音を待つ人々の家まで差し向けてくれたことを感謝しました。

皆さんと握手をし,帰る準備をしているときに,スーパーバイザーが口を開きました。
「この会を解散する前に,個人的なことですが告白したいことがあります」
と言ったのです。正確な言葉は覚えていませんが,おおよそ次のようなことでした。
「御存じのように,わたしは若いときに海兵隊員として従軍し,祖国のために戦いました。
その間,多くの日本人兵士を殺しました。わたしは祖国に忠実に奉仕したと
思っていましたが,アジア人,特に日本人を見かける度にひどく気持ちが落ち込むように
なりました。時には正常に行動できないこともありました。教会の指導者と話したり,
専門のカウンセラーに自分の気持ちを打ち明けたりしたこともあります。

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蛇にかまれた
イスラエルの民を癒いやされたように,
主はわたしたちも癒してくださいます。
「傷ついた心を癒す」のは
「喜びをもたらす神の御み言こと葉ば」であり,
「彼の鞭むちの打ち傷によって,
わたしたちは癒されている」のです。

今きょう日,菊地長老と姉妹とご子息を目の前にして,
一瞬記憶がよみがえりました。しかし,それから菊地長老の証あかしと改宗談を聞き,
主と福音に対する愛とわたしたち一人一人への愛を表明する言葉を聞きました。
長老はアメリカ人とアメリカの兵士を憎んでいたのに,主の癒しの力を通して
福音が自分の生活を変えてくれたと言いました。
その言葉を聞いたとき,主の声が聞こえたような気がしたのです。
『もう終わったのです。もう大丈夫です。』」

スーパーバイザーは手を広げて高く揚げて,目に涙を浮かべながら言いました。
「罪の意識はすべて消え去りました。重荷が取り去られたのです。」
彼は歩み寄り,わたしを抱き締めました。
それから,妻たちが近づき,皆で抱き締め合い,涙を流したのです。
わたしは,主の言葉と贖いに頼れば,救い主が,傷ついた心や誤解,憎しみを癒すこと
がおできになることを学びました。蛇にかまれたイスラエルの民を癒されたように
(民数21:8 − 9;1 ニーファイ17:41;アルマ33:19 − 21 参照),
主は同じ方法でわたしたちを癒してくださいます。
「傷ついた心を癒す」のは「喜びをもたらす神の御み言こと葉ば」であり
(モルモン書ヤコブ2:8),
「彼の鞭むちの打ち傷によって,わたしたちは癒されている」のです
(イザヤ53:5;モーサヤ14:5)。

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互いに愛し合う
「生涯の大半をインドの貧民街で暮らしたカトリックの修道女
マザー・テレサは,深遠な真理を語っています。
『人を裁いていたら,愛する時間がなくなってしまいます。』
救い主はこのようにお教えになりました。
『わたしのいましめは,これである。わたしがあなたがたを
愛したように,あなたがたも互いに愛し合いなさい。』
質問します。互いを裁いていながら,互いを愛し合うことができますか。
答えはマザー・テレサと同じです。『いいえ,できません。』」
トーマス・S・モンソン大管長
「愛はいつまでも絶えることがない」
『リアホナ』2010 年11 月号,124


兄弟守りて
その傷癒さん
迷いて疲れし
子羊訪ねん

10 分だけですよ
わたしは日本の北にある北海道という島の小さな村で生まれました。
5 歳のとき,父がアメリカ軍の潜水艦攻撃で亡くなりました。
幼心にアメリカ人に対して敵意が芽生えました。
戦争に至った経緯など詳しく知らないまま,わたしはそのような
感情を抱いて成長したのです。

中学校を卒業したとき,家族は困窮していました。母にはわたしを
高校にやるゆとりがなかったので,わたしは働きながら進学する道を選びました。
住んでいた小さな村には仕事がありませんでしたが,家から9 時間離れた母のふるさと,

室蘭の豆腐工場に就職することができました。
室蘭では毎朝4 時半に起き,正午まで豆腐を作って,午後6 時まで様々な店への
配達をこなしました。仕事が終わると着替え,食事を済ませて,夜間学校まで
走って通いました。夜の10 時半ごろに帰宅し,11 時に床に就きました。
このような厳しいスケジュールで,わたしは間もなく疲労困こん憊ぱいし,
病気になってしまいました。

当時豆腐店の主人の家に住んでいたのですが,わたしは仕事を辞め,
おじに頼んで高校の1 年を終えるまで同居させてもらうことになりました。
薬を飲んでも,具合がよくなりません。わたしは途方に暮れ,絶望し,死ぬ
かもしれないと思い始めました。それで,熱心に祈りました。
「もし神がいらっしゃるのなら,元気になれるように祝福してください。」
それから,おこがましくも「もし治ったら,お返しをしますから」と祈りました。

おじの家にいたある夕方,二人の外国人が訪れ,玄関のドアをたたきました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師たちでした。
一人はアメリカのアイダホ州にあるセントアンソニーで農夫をしていた先輩同僚の
ロー長老,もう一人はソルトレーク・シティー出身の新任のポーター長老でした。
雨が降っていて寒い日で,暗くなってきたので,長老たちは
もうアパートに帰ろうとしていました。しかし,なぜか粘り強く家々のドアを
たたき続けたのです。

彼らがドアをたたいたとき,わたしは独りでした。わたしは玄関に出て
「けっこうです」と断りました。

二人の若者は謙虚で,なかなかあきらめようとしなかったので,
もう1 度「けっこうです」と繰り返しました。
そして「あなたたちアメリカ人が父を殺したんだ」と付け加えました。
まだ敵意をぬぐい切れずにいたのです。

あきらめずに,アイダホ出身の長老がわたしの年齢を尋ねました。
わたしは言いました。「年齢が何の関係があるのですか。帰ってください。」

彼は次のように答えました。
「あなたと同じ年ごろの少年が,あなたの天の御父とあなたの救い主
イエス・キリストを見た話をしたいんです。その話を聞いてほしいんです。」
わたしは玄関で,まるで凍ったように立ちすくみました。

わたしは「10 分だけですよ」と言いました。

この10 分がわたしに深い感動を与え,人生を変えることになったのです。
宣教師たちが分かち合ってくれた話は非常に深遠で美しいものでした。
わたしは自分が神の子であり,神のもとからやって来たことを知りました。
長老たちは病気で家にいるわたしのところへ毎日やって来ました。

レッスンを通して宣教師たちは輝かしい回復の福音を教えてくれました。
福音が希望と生きようとする決意を与えてくれました。
宣教師が訪れてから2 ,3 週後にわたしはバプテスマを受けました。

兄弟愛して主にならい行き
光と力を天より受けん
われ主に仕えて従い行かん

神の癒しの力は崇高であり,深遠で美しいものです。
主の憐あわれみと愛と奇跡的な癒しの力に感謝します。
救い主の贖いが現実のものであることを主に感謝します。
贖いは,主の恵みにより「罪を洗い清め,癒し,永遠の
命を授ける力をもたらします。」2
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モルモン書でアルマがゼーズロムに語った言葉が真実であると証します。
「キリストの贖いを信じるならば,あなたは癒しを得られます。」
(アルマ15:8)■

2011年リアホナ3月号より転載







posted by 美ら at 23:44| Comment(0) | リアホナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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