Mon, March 21, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告】桜井淳の2011年(CY)における新聞・テレビからのインタビュー対応など(途中2)

テーマ:ブログ

マスコミ対応の感想1

震災者であったため、最初の1日の出足の遅れが大きく影響しました。地震の影響で自宅の電話が不通になり、携帯電話もかかりにくくなっていたため、マスコミの依頼をすべて受けることができませんでした。テレビ出演依頼も多く受けましたが、オバーラップする時間帯の番組であるため、どちらかを優先しなければならず、今回は、これまでの関係からテレビ朝日を優先しました。新聞・テレビ・週刊誌・週刊誌からのインタビュー時間は、1件当たり、数分で済むものもあれば、30分か1時間におよぶものもあります。それでも、わずか、数行のコメントが掲載されるに過ぎず、それどころか、記者が記事をまとめるためのダシにされ、氏名すら載らないことが多く、コメント掲載の機会はわずかで、大部分はダシになっています。マスコミ界とは、そのようなものかといつも無念に思うばかりです。テレビでも同じで、1時間録画しても、放映時間は、わずか数秒とか、長くても30秒くらいです。その他の情報はキャスターの説明のための原稿になっています。世の中とはそのようなものです。

マスコミ対応の感想2

事故の何日後であったか、早朝、テレビ局で読んだ「東京新聞」には、田中三彦氏のコメントが掲載されていました。その主張内容は、「自身は、このような事故について、よく分かっているが、テレビで解説している原子力専門家は、その表現からして、分かっていない」という主旨でした。自身の無知に恥を知れ。バブコック日立で数年間、原子炉圧力容器の応力解析をしていた程度の人間で、そのような主張をするのは、おこがましく、何も分かっていないのは、田中氏です。と言うのは、事故の定量的なデータが公表されていない段階で、大学の先生などのように、ひかえめに表現する人間にとって、歯切れが悪く、口ごもり、断定的に言えないのは、当然のことであって、さらに、被災者の心理を考え、不安を与えてパニックにならないような配慮もしなければならず、ただ、厳しいことを言えばよいと考えているのは、田中氏が住んでいる子供の世界の話です。テレビでは、CMの時間、厳しい表現や言い過ぎたことに対して、ディレクターから、「もう少し被災者のことを考えて冷静に、冷静に、・・・、つぎに、もう少し補足して、解決策があることを示して、安心させてください」という指示が出ます。

マスコミ対応の感想3

経産省原子力安全・保安院の記者会見の内容、原子力安全・保安院の把握事項を基にした政府の危機管理を代表する枝野官房長官の記者会見の内容とも、素人くさいぎこちなさが感じられました。しかし、それは、進行中の大惨事に対して慎重になっているためと受け止めました。経産省や政府には原子力専門家の顧問がおり、的確な一般データと最新情報を有しています。事故発生からずっと、炉心の情報だけで、同時に進行していた使用済み燃料貯蔵プールの情報が出なかったのは、東京電力が気づかなかったのでも、原子力安全・保安院が把握していなかったわけでもなく、枝野官房長官がミスをしているわけでもなく、彼らは、みな、初期の頃から問題を把握していたが、被災者がパニックを起こすことを恐れ、政治的危機管理からして、意識的に、情報を伏せたものと推察します。政府の危機管理では、すべての情報を開示せず、自身の管理に都合のよいデータしか公表しません。それが政治的判断というものです。



事故の感想メモ1

まだ、各原子炉の制御室記録、機器・構造物の状態(ゆがみ・変形・損傷・破壊状況)、原子炉格納容器内で観測された加速度応答スペクトル、土地汚染、被曝などが分からないため、学術的・定量的評価はできません。いまは、概要だけで、詳細なことは何も分かっていません。溶融した炉心の観測など、直接的な証拠が必要ですが、そのような情報は、スリーマイル島事故のように、早くて1年後になるでしょう。

事故の感想メモ2

今回、非常用ディーゼル発電機が機能喪失したことを知った時、「原発のどこが危険か」「原発システム安全論」の2冊の内容を思い起こし、関係する原子炉と使用済み燃料貯蔵プールの燃料は、すべて、溶融すると感じていました。残念ながら、そのとおりになりました。まだ、使用済み燃料貯蔵プールの問題が表面化していない15日に、優先的に、日本経済新聞社大阪本社の青木記者に、ことの重大性に着目するように警告しました。

事故の感想メモ3

今回の事故を考えてみると、審査指針も、東大や原研や原子炉メーカーの軽水炉安全性研究も、幼稚で、未熟な物でした。当時、何度も矛盾や疑問に突き当たりましたが、私は、それを正せる立場にはいませんでした。いま考えると、そのことが残念でなりません。原研が甘いから、日本独自の安全技術が育たなかったのです。今回の事故によって、今後、本物の指針・安全審査・安全技術が育つ契機になればよいと期待しています。

事故の感想メモ4

きわめて厳しい事故の内容にもかかわらず、原子炉圧力容器と原子炉格納容器の機能により、大部分の放射性物質が閉じ込められ、環境に放出されたものは、驚くほど少なく、土地汚染や住民の被曝が奇跡的に少なかったと感じています。これまでに公表されている住民の被曝の最大値は一般健康診断の時の胸部エックス線撮影の2回分か3回分くらいです。きびしい事故の内容からすれば、チェルノブイリ並みかそれ以上の放射性物質の環境への放出があっても不思議ではありません。このままうまく収まれば、やがて、「日本の奇蹟」どころか、「世界の奇蹟」と位置づけられるようになると思います。奇跡的なくらい幸運な結果でした。それは、偶然でなく、現場の人達の思考錯誤の操作の結果でしょう。

事故の感想メモ5

2007年7月16日の新潟県中越沖地震の1ヵ月後、柏崎刈羽発電所を訪問した時、いくつかの疑問を感じ、東電の人達に考えていることを投げかけてみました。非常用ディーゼル発電機と10時間分くらいの燃料の軽油タンクが原子炉建屋地下1階に設置されていました。1週間分の軽油タンクが頑丈な野外施設の中にあり、そこから地下配管とポンプで原子炉建屋に送られていました。熱機関の非常用ディーゼル発電機の除熱には海水が海水取水口からポンプと地下の配管をとおって原子炉建屋に送られていました。野外地下の配管や施設は、いくらAクラスの耐震設計がなされていても、地震や津波の影響を受けやすいため、大丈夫なのかという不安を投げかけてみました。今回、福島第一発電所1-3号機の非常用ディーゼル発電機の機能喪失の原因は、本体でなく、野外の海水冷却系の機能喪失と言われているため、当時、もっと、問題点を徹底的につめればよかったと反省しています。もっとも、今回のように、想定をはるかにオーバーした地震や津波になれば、どのように耐震設計しても、壊れて機能喪失するでしょうから、どうしようもない世界です。

事故の感想メモ6

福島第一発電所の事故による放射能(正しくは放射性物質)が近隣5県の水道水から検出されました。核種はヨウ素131やセシウム137です。1ℓ当たりの放射能量は3Bqくらいです。自然や食物は、自然界に存在する放射能や核実験による放射能によって、汚染されています。1kg当たりの野菜や肉には、少なくとも、0.3-1Bqくらいの放射能が含まれています。水道水1ℓ当たり3Bqということは通常流通している食物に含まれている放射能の3倍くらいと推定してよいでしょう。場合によっては数倍に上がるかもしれません。しかし、国が定めている安全基準では、それがよいか悪いかは別にして、300Bqです。ですから、水道水から検出された放射能量は、安全基準値の百分の一くらいで、少ないに越したことはありませんが、その程度ならば、妥協できる数値でしょう。

事故の感想メモ7

福島第一発電所の事故を考える時、お世話になった日本の代表的な原子力安全論者3名の顔が浮かんできます。東大大学院工学研究科で学位論文作成の指導をしていただいた近藤駿介教授、原研での直属上司だった佐藤一男副所長(当時、後に、原研理事、原子力安全委員会委員、原子力安全委員会委員長、原子力安全協会理事長)、石川迪夫副所長(当時、後に、北大教授、原子力発電機構顧問、日本原子力技術協会理事長、日本原子力技術協会最高顧問)です。彼らにはお世話になりましたが、その後、同じ道を歩まず、原子力界とは一定の距離を保ったまま、彼らとは異なる独自の安全論で客観的な世界で生きることを決意し、ひとり逆境の中、今日に至っています。職位とカネを手にした彼らの人生がうらやましいと感じたことは一度もありませんでした。彼らは、日本でも代表的な原発推進論者ですが、いま、彼らの人生を否定されるような福島第一発電所の事故の光景を目にした時、どのような思いが去来しているのでしょうか。彼らと日本原子力学会の人達が、今後、どのような言い訳をするのか、ぜひ、耳を傾けてみたい心境です。本物の安全論に到達することなく、すでに、人生70-80歳に達している3人に対し、袂を分かつたとは言え、複雑な心境で過去の出来事を思い出しています。石川氏は、これまで、記者会見や著書の中で、根拠なき中傷・誹謗を繰り返してきましたが、福島第一発電所の事故後も、もう一度繰り返す気力があるのでしょうか。そうしたとしても、福島第一発電所の事故の前に、まったく、リアリティがありません。聞いていても、悲しく、哀れでしかないでしょう。彼らには、人間としても、安全論者としても、何の魅力も感じていません。独自の安全論に自信を強めていますが、反面、部分的に反省すべき点があることにも気づいています。

事故の感想メモ8

福島第一発電所の事故は自民党政権の残した悪しき置き土産によってもたらされたものです。関係者だけの馴れ合い体制(具体例については「桜井淳著作集第5巻安全とは何か」参照)での安全審査に終始してきたため、工学的安全対策のみならず、津波対策など、欠くことのできない安全確保策が欠落していました。女川発電所は、震源に近く、地震や津波の影響をいちばん受けやすいにもかかわらず、安全に停止しています。女川発電所は、牡鹿半島の付け根に位置し、津波の直撃を受けにくい地形で、さらに、影響を緩和できる入り江にあり、なおかつ、日本の他の発電所と異なり、海抜15mという圧倒的に高い位置に建設されました(津波対策として、意図的だったのか、それとも、偶然なのか、東北電力に確認してみます)。これらのことが福島第一発電所との明暗を分けた要因です。いまの安全審査体制は、電力会社の監督官庁が関係しており、それも、研究者でも技術者でもない行政官・官僚が審査して実権を握っている受け入れがたい体制です。これからは、原子力安全委員会と原子力安全・保安院と原子力機構軽水炉安全性部門を再編成して、電力会社の監督官庁から離れた独立性の高い組織とプロフェッショナル・エンジニア制度の下で、本当の意味での客観性・実効性のある安全審査体制の整備を早急に進めるべきです。

事故の感想メモ9

原子力施設の事故時における放射能(放射性物質)放出量について吟味してみます。

①1957年 英国 ウインズケール原子炉事故 ヨウ素131 25000Ci, セシウム137 600Ci,

②1979年 米国 スリーマイル島原発2号機 希ガス 2500000Ci, ヨウ素131 15Ci,

③1986年 旧ソ連邦 チェルノブイリ原発4号機 ゼノン133 180000000Ci, ヨウ素131 48000000Ci, セシウム137 2300000Ci, ストロンチウム90 270000Ci, プルトニウム239 400Ci,

よって、どの核種に着目するかによって異なりますが、代表的なヨウ素131に着目すれば、福島第一発電所からの環境への放出量は、数十Ciと想定すれば、チェルノブイリの百万分の一以下になると推定されます。福島第一発電所の事故は、極めて厳しいものがありましたが、環境への放射能放出量という視点から吟味してみると、奇蹟的なぼと少ないことが読み取れます。

事故の感想メモ10

九大の吉岡斉氏は、ごく内輪のサークル誌「科学・社会・人間」2008年4号の39頁において、「それにしても気になるのは、上澤氏の事故想定のリアリティのなさである。なぜ使用済み核燃料貯蔵プール破壊のような、ほとんどありそうもない想定を行うのか。・・・・もし使用済み核燃料貯蔵プール破壊のシナリオが現実的であるというなら、原子炉の過酷事故の代表ケースとして、冷却材喪失事故などと並んで、それを取り上げて然るべきであろう。・・・貯蔵だけを行う静的な施設の事故発生確率は非常に低いというのが、推進派の論者たちが共通して指摘する所である。・・・」と記しています。吉岡氏の考え方は、間違っていると、昨年、メールで助言しておきました。福島第一発電所で何が起こり、何が問題になったか考えれば、吉岡氏の間違いは、明白なことではないでしょうか。吉岡氏の原子力安全論には、多くの間違いがあり、まったく、信用できません。素人の原子力論議に過ぎません。

事故の感想メモ11

吉岡氏は上記文献40頁においても不可解な議論を展開しています。プルサーマル炉の事故の際、プルトニウムがどのくらいの範囲で放出されるかという問題に対して、原子力資料情報室の発行した報告書、それに、小出裕章氏や小山秀之氏の主張を否定して、何の実験的データも示していない、主観だけで主張している東大の大橋弘忠氏と九大の出光一哉氏の主張を正しいと受け入れています。福島第一発電所3号機はプルサーマル炉です。3号機の炉心は、溶融しているものの、原子炉圧力容器と原子炉格納容器が健全であったため、幸運にも、外部への放射能放出は、奇蹟的に少なかったのですが、大量放出するような事故の際、どのような結果になるか、今回のデータから推定することができそうです。吉岡氏は、「原子力の社会史」(朝日選書)において、中曽根康弘の原子力政策論を肯定的に論じ、それに対して、安全論者の武谷三男氏を否定的に論じていました。上記文献においても、高木仁三郎や原子力資料情報室、反原子力論者の主張をことごとく否定して、何の根拠もない東大の先生の主張に盲従しています。以上の根拠から、吉岡氏は、一部の人達の中で位置づけられているようなリベラルでなく、自民党的思考に留まっている保守派であると受け止めています。そのような傾向は原子力委員会市民懇談会委員になってから著しく感じられます。せいぜいガバメントの立場で生きたらよいでしょう。そのような人生がうらやましいとはまったく思いません。

事故の感想メモ12

国の安全審査で津波に対する審査が不十分であったことは否めません。むしろ、ミスか欠陥と言えるでしょう。

事故の感想メモ13

中部電力は、浜岡発電所に対し、東海地震M=8.6を想定して、1000ガルで耐震評価していました。東日本大震災の教訓として、東海地震や南海地震の同時発生やその他の地震発生メカニズムの不確実性まで含めると、高さ12mの津波防護壁の設置だけでなく、M=9.0-9.4くらい想定して、耐震評価の見直しもした方がよいでしょう。日本の他の原子力発電所に対しても、東日本大震災の地震と津波を想定し、安全評価し直す必要があるでしょう。

事故の感想メモ14

福島第一発電所3号機は、最近、プルサーマルを開始したばかりの原子炉です。過去に、福島第一発電所と福島第二発電所に、それぞれ、2回ずつ訪問しました。前者には、20年前、それに、シュラウド取り替えの時でした(「東京新聞」文化欄に訪問報告)。後者には、3号機の再循環ポンプ事故の時(「原発事故学」に現場写真掲載)と一昨年でした。東京電力に対しては、できるだけ早い時期に、福島第一発電所の原子炉建屋内に入れて欲しいとの要望を出しておきました。いま、発電所の構内が汚染しており、関係者以外の出入りが禁止になっています。原子炉建屋、特に、原子炉格納容器内がどうなっているのか分かりませんから、安全確認できるまで、かなり先になるものと思います。

事故の感想メモ15

東海地震が発生すれば、人口密度の差を考慮して東日本大震災の被害状況から、数倍以上の死者を出すと推定されます。いままでに1万人の死者と1万人の行方不明者が報じられています。津波に無防備な地域に東海地震が発生すれば、大惨事になることは確実です。東日本大震災の現実を直視することです。日本という社会は何という生ぬるい社会でしょうか。

事故の感想メモ16

原子力賠償法には、「電力会社等は保険会社と契約しなければならない、さらに、政府と契約しなければならない、保険会社が支払う上限額は150億円とする」という主旨の記載があります(上限額は米国よりひと桁少ない)。今回のような原発災害が発生した場合、保険会社は、東電に150億円支払います。しかし、東電が被災者に支払わなければならない実際の補償額は、兆の単位であり、その差額は、東電が負担するというよりも、東電のような公的役割の大きなものに対しては、政府が公的資金を注入してまでも、保護してやらなければなりません。「電力会社等は政府と契約しなければならない」という意味は政府の公的資金の注入を受ける契約です。政府の公的資金とは税金のことです。ですから、原発災害が発生すると、電力会社が被災者に支払わなければならない保障金の大部分は、国民が分担して負担する制度になっています。では、なぜ、そのようになっているかと言えば、国策として原発推進によるエネルギー政策を掲げるには、電力会社等に有利な政策を策定しないと、そのような推進政策を実現できないからです。政策とは、水が流れやすいように、高低差を設けてやることです。

事故の感想メモ17

最近の10年間、サイクル機構、原研とサイクル機構の統合体の独立行政法人原子力機構、日本原子力学会などは、原子力推進のために、「リスクコミュニケーション」「科学コミュニケーション」「サイエンスカフェ」なる手法を採用していますが、それらは、しょせん、手を変えた広報活動に過ぎません。米国では、はっきりと、広報分野の研究・活動と位置づけています。福島第一発電所の事故に直面し、それらの広報活動がいかに的外れなものであったかがよく分かります。政府や原子力機構は、STS研究者を取り込み、広報活動に力を注いでいますが、STS研究者は、福島第一発電所の事故を見て、これまで自身がしたことに、軽さと恥ずかしさを感じているに相違ありません。なんと軽い人達か。今後も政府の飼い犬として、省庁のゴミ箱の残飯でもあさっていてください、最初からそのような卑しい人生を選択したのでしょうから。

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