
「
鄭明析先生は、ひたすら神様への愛と命への愛という純粋な信仰を志し、
神様の御心をより具体化して実生活に成し遂げていくために
1980年代から文化、芸術、スポーツ等を通しての
文化交流活動を進行しており、
今は世界40ヶ国余りの国々と、真の世界平和のための
国際的な文化交流活動である『国際平和文化連合大会』を支援しています。」
(写真の説明)
1.生家の様子
2.昼間は耕し夜は読書(聖書)に励んでいた祈祷窟
3.テドゥン山での祈り
4.ベトナム戦争に参戦して
5.上京後、シンチョンの十字路にて
6.草創期の御言葉の証
7.草創期、弟子たちと共に
8.牧師按手式
9.月明洞(ウォルミョンドン)の開発の先頭に立つ
10.月明洞の大集会
11.平和サッカー大会の後、世界の人々と情があふれて
12.地球村平和文化連合を創設
13.哲学博士学位授与式
14.全国連合伝道集会、福音の証
1945年2月3日の明け方、先生は、忠南道クムサン郡チンサン面月明洞にて生まれた。
誰も教えてくれなかった「神様」を6歳の時から求め、人生の根本の問題に対する答えを探し始め、5年生の時からイエス様の声を聞き始めた。ひどい貧しさで人生に絶望していた先生は、誰より切実にイエス様の降臨を待った。山での祈りに没頭するようになり、昼には農作業を、夜には山の中の廃鉱の洞窟で、祈りと聖書を読むことに勤しみ、熱い信仰の火をくべた。
先生は、15歳の時からテドゥン山で修道生活を始めた。数年間、夜の間ひどい寒さに耐えながら祈っていたトクスリ峯の一株の千年松は、寒さに耐えられず凍って枯れるほどだった。
20代に入って本格的な路傍伝道に乗り出し、以後1年に1万人を超える人々に福音を伝え広めた。
1966年から1969年まで、ベトナム戦争の生きるか死ぬかの境で、命の貴重さと天の愛を自ら体験した。戦争の惨状を自らの目で目撃し、人生の虚しさと命の尊厳性を骨身に沁みて感じ、神様が守って下さったおかげで生死の境を数十回越え、一生天のために生きようと誓った。
1970年、ベトナムから帰って来た先生は、150年以上経った土壁の家を壊して新しい家を建てた後、「信仰の世界もこのようにしなさい」という悟りを得て、自分が通っていたソンマック教会を信者たちと共にもがいて再建した。教会を建てながら作った借金を返そうと事業を始めたが、他人に借りた事業資金を詐欺師に全て奪われるという悔しい出来事に遭った。
その後、京畿道カンジュで祈る期間を送った。特にここでは40日の断食の祈りに続いて30日の節食の祈りと、70日も特別な霊的な時間を持った。この期間にそれまで受けた真理についての天の御心を悟り、準備するようになった。この期間は食べるものがあって断食したというより、食べるものがなくて食べなかったという期間であった。
1975年に再び故郷へと下り、両親の農業の仕事を手伝いながらテドゥン山やタリコル、カッラム山等々を巡って祈りの生活を続けた。この時、町の路傍を行き来しながら伝道もし、気の毒な病人やけが人を祈って治したりもしてあげ、乞食たちを連れて来て一緒に生活したりもした。そうしながら、それまで悟った真理を人々が易しく理解できるように図表に描く作業をした。田舎、都市を問わず福音を伝えながら、イエス様の行なわれたことをさらに悟るようになり、6千年間の辛い天の心情も知るようになった。それで聖書の悟った御言葉を分類して編集し、30個論として教えるようになったのである。
1978年6月1日、先生は上京する。片手には御言葉の図表が持たれていた。まともに食べることもできず、ラーメンとうどんを食事としながら、2年間も御言葉を伝えたが、悟ってついて来る人はいなかった。
1980年8月、イエス様の導きに従って、ソウルのシンチョンへ住まいを移した。そこで何人かの弟子たちが先生のことを悟ってついて来始め、1982年3月、MS宣教会(現キリスト教福音宣教会)を設立するようになる。
周囲の既成の牧師たちの勧めにより、ウェスレー神学を学ぶようになり、教団の構成と組織をより細分化し、体制を立てた。教会の急成長によって、周りの教団から異端という汚名を着せられたりもしたが、先生は揺らぐことなく時代の福音を伝え、数年で数万人の弟子たちがついて来るようになった。
多くの人を収容するために基盤が必要だった。
1989年、切に求めた末に先生は、神様の啓示を受けて故郷である月明洞の開発を始めるようになる。
10年余りの間、血と汗のにじむもがきによって自然聖殿が造られ、メンバーたちの信仰は活気を増し、国内と国外の多くの人々の訪問が続き、より宣教的な発展を成すようになった。
1999年1月、先生は世界宣教の途に就いた。ヨーロッパとアジアへ渡って行き、様々な文化と芸術を通して、毎年平和の行事を開催した。これを通して数千人の世界の人々が互いの文化を理解し交流しながら、平和の精神によって一つになった。それだけでなく、CGM奉仕団を設立し、国際文化交流を繰り広げ、世界の若者たちに神様を中心とした愛と平和の思想を植えつけた。
また、この25年間、不治の病や難病、精神病等、現代医学では治すことのできない病気を、ひたすら神様に対する信仰と祈りによって治療してきたことでも有名だ。2002年、先生は世界的な博士である江本勝や、世界のホテル王と呼ばれるホリデイ・インのケモンズ・ウィルソン会長を輩出した、スリランカの「ユネスコ傘下オープンインターナショナル大学(The Open International University for Complementary Medicines)」から哲学博士の学位を受けた。この大学は、医学と心理学の博士学位を取得した人にだけ哲学博士学位を授与しているが、異例的に他の学位授与式を経ないですぐに哲学博士を授与したことによって、先生が医学と心理学の分野の専門家であることを認めた。
今も先生は、世界50カ国のメンバーたちと共に、世界平和の実現と人類の救いのために、休みなく、力強く走っている。