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東日本大震災:「生きていると信じて」弟の漁師、兄が知人らと捜索--普代村 /岩手

 消防庁の12日午後11時現在の発表で、14人が行方不明になっている普代村。村内の堀内地区に住む山崎由雄さん(68)も、弟で漁師の岩男さん(61)が近くの漁港に向かったまま、行方が分かっていない。港付近では、津波で大破したとみられる岩男さんの軽トラックが見つかったが、山崎さんは「絶対に生きていると信じたい」と、余震が続く中、知人らと連日捜索を続けている。

 山崎さんによると、岩男さんは地震直後、自分の漁船の様子を見るため、近くにある堀内漁港に向かった。だが、11日夜になっても帰宅せず、今も行方が分かっていない。何度も余震が起きる中、山崎さんは翌12日から漁港に向かい、岩男さんを探した。

 捜索に向かった漁港は、係留されていた100台近くの漁船がすべて水没し、荷捌(さば)き場や以前使われていた木造の加工施設などが崩壊。周囲には漁具や流木などが足の踏み場もないほど散乱していた。港の背後にある林の斜面は、10メートルほどの高さまで地面が海水で黒く染み、木々には浮きや網が引っかかっていた。津波を高台から見ていた山崎さんの知人男性(62)は「波の壁が、あっという間に港をのみ込んでしまった」と当時の様子を話した。

 港脇の道路では、岩男さんが普段乗っていた軽トラックが見つかったが、原形をとどめないほど車体がひしゃげ、横転していた。近くからは、岩男さんが当日着ていたズボンも見つかったという。

 付近では、養殖ワカメの収穫を3月下旬に控えていた。父親の跡を継ぎ、20代半ばで漁師になった岩男さん。山崎さんは「ワカメの収穫に備え、弟は体力を充電している時期だった。まさかこんな大津波に遭うとは」と、悔しそうに話した。13日の捜索で見つかった岩男さんの車のナンバープレートを脇に抱えながら、山崎さんは「状況を考えると不安が増すが、なんとか早く弟を見つけてやりたい」と話し、いつまでも海を見つめていた。【村松洋、小坂剛志】

毎日新聞 2011年3月15日 地方版

 
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