ごめんよ、早く見つけられずに--。がれきが散乱する大地で、軍手にジャージー姿の男性がぼうぜんと立ち尽くしていた。目を赤く腫らし、力尽きたようにひざまずくと、硬直したまま横たわる一人息子の頬を泥だらけの指でなぞった。大津波に襲われ、約1万人が安否不明とされる宮城県石巻市。今も肉親を捜し続ける被災者がいる。
男性は小長谷(こながや)金之さん(58)。長男和之さん(29)は1年前に親元を離れ、海に近い石巻市南部の2階建てアパートで新婚生活を始めた。先月、男の子を授かった。妻は出産のため帰っていた実家から今月中旬アパートに戻り、親子3人の生活が始まるはずだった。
地震直後、和之さんは職場から約2キロ離れた金之さん宅に駆け付け、両親を気遣った。だがすぐに自分の黒いワゴン車に乗り込み、「ちょっと、家さ戻る」と出ていった。直後に津波が襲来し、行方不明になった。
「命より大事なもんねえのに、なんで出てったか」。金之さんは悔しさを胸に押し込み、どこかで生きていると信じて、いくつもの避難所を歩いて回った。アパートがあった場所はなかなか海水が引かず、ようやく入れたのは16日。その光景に息をのんだ。
アパートは消え、代わりにどこの家のものか分からない瓦や食器、家財が散らばっていた。家も車もすべてが内陸部へ押し流され、積み重なり、燃えて黒焦げになっていた。本来は建物で遮られ、見えるはずがない約1キロ先の石巻湾が見渡せた。
19日、アパートから約100メートル北の民家1階に右半分を突っ込んだ黒いワゴン車を見つけた。恐る恐る車内をみると、後部座席に横たわる和之さんの姿があった。
「これからって時に……こんなことになるなんて……」。金之さんの声は、上空を旋回する自衛隊機の爆音にかき消され、消え入りそうだった。駆け付けた友人が手で顔を覆っておえつした。遺体搬送を手伝った自衛隊員が板戸に横たえた遺体に手を合わせている間、無線機が次の遺体発見を告げていた。【重石岳史】
毎日新聞 2011年3月20日 10時24分(最終更新 3月20日 10時48分)