福岡都市圏を中心に、九州・山口5県で約1200人が死傷、家屋約1万棟が被災した福岡沖地震が発生したのは、2005年3月20日のことだ。突然の災害に被災者は打ちひしがれたが、全国各地から寄せられた物心両面にわたる支援は復興に向けて大きな励みとなった。
あれから6年、これほど巨大な自然災害が東日本地方を襲うとは、誰も想像だにしなかったであろう。いまだに被害の全容は判明せず、宮城など8県で約38万人が避難所で窮乏生活を余儀なくされている。いまこそ、私たちはあの時に受けた恩に報いなければならない。
福岡沖地震では、約7割の住宅が全半壊した福岡市西区の玄界島が最大の被害を受けた。全島民が島を離れ、避難生活を余儀なくされた。それだけに、今回の大震災には「今度は支援する番」との思いが島民に強く、発生直後から島全体で被災地への募金活動に取り組んでいる。
自治協議会や島の地域おこしグループなどが中心となり、全島民に募金を呼び掛けている。グループの代表者は「震災から復興した私たちが率先して動くことで、少しでも被災者を元気づけることにつながってほしい」と話す。
福岡県太宰府市の水城小学校では、児童自らの発案で自分の小遣いを持ち寄って募金することを決めた。こうした子どもたちの温かい気持ちも、被災者の人たちを必ずや勇気づけることだろう。
残念なこともある。募金をかたって住宅を訪問し、現金などをだまし取る事件も福岡県などで相次いでいるという。許し難い犯罪だ。十分に注意したい。
災害社会学の専門家は「遠くにいても募金や救援物資、節電などできることはたくさんある。被災地の闘いはこれから5年、10年と続く。それぞれの段階で、できる支援もある。いまの思いを長い間持ち続けてほしい」と言う。肝に銘じたい言葉である。被災地が復興を果たすまで、息の長い支援に取り組みたい。
「恩返し」という意味では、災害に強い町づくりに向け、私たちが決意を新たにすることも忘れてはならない。
福岡沖地震では、津波による被害はなかった。しかし、四方を海に囲まれた日本では津波災害はどこでも起こり得るのである。ましてや、福岡市をはじめ九州には海岸沿いの都市も多い。にもかかわらず、各自治体はあまりにも津波に対して無防備ではないだろうか。
東北地方の三陸沿岸は過去に何度も津波災害に遭っており、住民の防災意識も高かった。それでも甚大な被害が出た。
玄界島では福岡沖地震から6年となる20日、急きょ、津波災害を想定した訓練を行うことにした。被災地への支援とともに、今回の震災から得られた教訓も、今後の防災に生かしていきたい。
=2011/03/20付 西日本新聞朝刊=