【コラム】村上春樹とチョン・イヒョン、オバマ大統領
「五日間、彼女は一日中テレビの前で過ごした。銀行や病院のような大きな建物が崩れ落ち、商店街が火の海に包まれ、鉄道や高速道路が寸断された風景を、黙って見詰めるだけだった。ソファーに深く身をうずめ、口を固く閉ざし、小村が話し掛けても答えなかった」(『神の子どもたちはみな踊る』より)
韓国の作家、チョン・イヒョンの文学的な故郷は、三豊デパートだ。94年6月29日、三豊デパートが崩壊し始める十数分前まで、チョン・イヒョンはデパートの中にいた。この告白を文学という形で実現したのは10年後、文芸季刊誌に自伝小説を発表したときだった。
「その日、エアコンは作動しておらず、室内はとても暑かった。汗が雨のように流れた。いつの間に夏になったんだろう。5時40分、1階ロビーを歩きながら、私はつぶやいた。5時43分、正面入り口を出た。5時48分に家に着いた。5時53分、シマウマ模様の日記帳を開いた。私は今日、と書いたところで、ドーンという音が聞こえた。5時55分だった。三豊デパートの崩壊だった。1階が崩れるのにかかった時間は、わずか1秒だった」(『三豊百貨店』より)
新聞やテレビ、インターネットが光のようなスピードで日本の大地震を生中継し、被害に関する数字を続々と伝えている今、文学は果たして何ができるのか。
実は、私たちは災難が日常化した世界の中で生きている。文学評論家のチョン・ヨウル氏は、これを「破局のマンネリズム」と呼んだ。毎日のように繰り返される事件・事故や、発生のたびに規模が大きくなる自然災害が、過去の数字を塗り替えてしまう。メディアは24時間生中継を続けているが、そのときだけだ。今はこの恐ろしい数字に圧倒されているが、いつ間にか何も感じなくなっている自分を発見することになるはずだ。
村上春樹の小説には、地震の直接の被害者は一人も登場しない。主人公は、その残酷な地震によって心にぽっかり穴のあいた人たちだ。家が崩れた人だけでなく、心が崩れた人にも、生き抜く力が必要となる。三豊デパートの惨状を見て心の片隅が崩れ落ちた韓国人たちも、チョン・イヒョンの文学を通じ、傷を癒やすことができるはずだ。
日本で大地震が発生した日、米国のオバマ大統領が述べた見舞いの言葉には、目を引く表現が一つあった。そのメッセージには、他国の大統領の言葉にはない文学的表現が込められている。「今日の出来事は、われわれの命がいかにはかないものかを改めて悟らせてくれた」
「誰が、いつ、どこで、何を、どうやって、なぜ」の単なる5W1Hではなく、共感や慰めの言葉を持つ文学は、傷ついた人々を治したり建物を建て直したりすることはできないが、こうして人々の心を癒すことができるのだ。
文化部=魚秀雄(オ・スウン)次長待遇