19日正午に全線開通した北関東自動車道の波志江パーキングエリア(PA、伊勢崎市)で、一組の家族が再会を果たした。東京電力福島第1原発の事故で福島県浪江町から避難した原英雄さん(72)、啓子さん(73)夫妻と、千葉県に住む長女(44)夫妻、長野県在住の次女(42)夫妻。福島県内の避難所を車で脱出してから4時間半。「娘たちと会えてほっとした」。6人は手を取り合って喜んだ。【奥山はるな】
11日の大地震発生時、原さん夫妻は、自宅の茶の間でくつろいでいた。突然の揺れに驚き廊下に逃げたが、左右の壁に手を突っ張って体を支えるのがやっと。食器棚やタンスが次々倒れた。余震が続き、避難所となった高校の体育館に向かった。
この避難所は700人の被災者であふれていた。天井の照明は落下し、停電で夜は真っ暗。水もトイレもない生活が続いた。被災者同士が自宅から持ち寄った茶菓子などを分け合って飢えをしのいだ。
娘たちの携帯電話に、ようやくつながったのは2日後の朝。次女は、英雄さんの電話を受けた瞬間、「涙がボロボロ出た」という。それまで姉妹で手分けして福島県内の避難所に電話をかけ続けたがつながらず、不安でいっぱいの日々を過ごしていた。
避難所は同原発から約35キロ。自宅に戻る選択肢はなく、原さん夫妻は娘を頼って19日朝、自家用車で出発した。栃木県を南下し、北関東道波志江PAにたどり着き、再会したのは午後1時半ごろ。当分の間、次女の家に身を寄せるという。
両親の無事を確かめに駆け付けた長女は「原発事故が重なり、行方不明者の捜索が遅れているのではないか。被災地は首都圏の電力を担っているのに見捨てられたようで悔しい」と語った。
この日、北関東道の全線開通を祝う記念式典は中止され、自衛隊車両や救援物資を積んだ車が北関東道経由で東北地方に向かった。
毎日新聞 2011年3月20日 地方版