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高野山真言宗総本山金剛峯寺の奥之院に建立されている「六地蔵尊燈籠塔」の修復開眼法要が、地蔵尊の縁日の二十四日、飛鷹全隆高野山三寳院上綱・法会部長を導師に厳修された。建立から四十五年、六体の地蔵尊および飛天、龍、鳳凰などに彩色が再び施され、高さ約八メートルの塔が往年の姿を取り戻した。
同塔は、奥之院の一之橋から約一〇〇メートル、司馬遼太郎文学碑、関東大震災犠牲者供養塔を経た参道分かれ道に、遠目にも見える大きさで立つ。故・草繋全弘三寳院住職を建設委員長に、故・野村晃圓尼(横浜市)が発起人となり、昭和三十九年十二月に落成した。鉄骨コンクリート製で、モルタル仕上げ。六体の地蔵尊はセメントで型抜きされ、高さ約二・五メートル。基壇部は約一・七メートル。屋根の頭頂には宝珠が安置されている。作者は和歌山県かつらぎ町出身の工芸作家、故・角田蘇風氏。
以前は青の下地に白の地蔵尊が組み込まれていたが、修復に当たりグレーの下地に塗り替えた。周囲の景観に溶け込み、より地蔵尊が浮かび上がるようにした。
開眼法要は午前十一時から厳修され、晃圓尼の孫・野村英弘舊城寺住職(神奈川支所)が参列。三寳院地蔵講の信者らも同席した。理趣経、九條錫杖を唱え、修復を祝い加護を願った。また施工業者の左官アート・品川博氏(兵庫)、丸昇塗装・佐古昇氏(和歌山)に感謝状が贈られた。
飛鷹上綱が「舊城寺さんから修復の申し出を受け、業者さんを探していたが、いいお仕事をしていただいた。高貴な気品あるお姿によみがえった。このお地蔵さんは人々の高野山信仰を見守ってくださってきた。これからも参詣される方々が足を止め、礼拝していただくお地蔵さんであってほしい」と喜び、「昭和三十年代、私は小僧だったが、三寳院から(全盲の)晃圓さんの手を引いて、よく奥之院にお参りしていた」と回想した。