東日本巨大地震:地方道走破700キロ、被災地入りルポ

 東京から仙台まで普段は新幹線でわずか1時間半の距離だ。12日に東京の羽田空港に降り立ち、空港、鉄道はストップし、高速道路も使えないため、レンタカーで仙台へ向かうため国道、地方道を経て、千葉、埼玉、群馬、栃木、福島、山形という六つの県を通過した。走行距離は700キロを超えた。

 羽田空港から最初に向かったのは、千葉県市原市。火柱に包まれたコスモ石油千葉製油所が目的地だった。しかし、千葉に向かう高速道路の電光掲示板は「地震で通行止め」という赤い文字で埋め尽くされていた。

 高速道路を出ると、商店には「断水でトイレ閉鎖」という表示が掲げられていた。運転手の中には外で用を足す人もいた。プラスチック容器を持った市民が吸水場所に指定された小学校前で数百メートルの列をなして並んでいる姿も見られた。

 東京と本州最北端の青森を結ぶ国道4号を走ろうとしたが、道路は至る所で寸断されていた。仕方なく片側1車線の狭い地方道をひたすら走った。

 夜を徹して車を走らせる間、余震が相次いだ。地震で営業を中断したホテルが多く、宿泊場所は見つからなかった。午前2時半ごろ、駐車場に車を止め、4時間ほど休んだ。

 午前9時ごろに到着した福島市内は、静寂に包まれていた。飲料水を求める人だけが列をなしていた。栃木県北部から山形県南部にかけて、営業しているガソリンスタンドはほとんどなかった。ガソリン10リットルを入れるのに1時間半も並んだ。水を流せるトイレもなかった。

 4.2メートルの巨大津波に襲われた茨城県大洗町も事情は同じだった。住民は13日、100年前に使用していた井戸のふたを開けた。電話、電気、ガス、水道がすべて途絶えた状況で、住民たちは必死だった。水を溜めるおけがないため、1.5リットル入りのペットボトルが使われた。陸地に打ち上げられた漁船が、スクリューを空に向けたままひっくり返っていたが、そのような光景を気に掛ける人はいなかった。

 コンビニエンスストアで商品を購入するのも大変だった。地震直後に着の身着のまま家を出てきた人々のポケットにはお札しか入っておらず、コンビニではつり銭の小銭が足りなくなった。店員は「小銭の準備を」と叫んでいた。記者は120円の缶コーヒーを買おうと列に並んだが、1万円札しか持っていなかった。つり銭をくれとはとても言えないので、缶コーヒー5本、たばこ3箱、ごみ袋を買い、勘定を3000円に合わせた。

東京-仙台間=廉康洙(ヨム・ガンス)記者、金真明(キム・ジンミョン)記者

【ニュース特集】東日本巨大地震

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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