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【社会】

「救世主に」接近2メートル 涙の消防隊員「家族に感謝」

2011年3月20日 07時03分

東京電力福島第一原発3号機への放水について記者会見する東京消防庁の佐藤康雄警防部長(右)と第六方面消防救助機動部隊の冨岡豊彦総括隊長=19日午後10時55分、東京・大手町の東京消防庁で

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 「日本の救世主になってください」。危険な現場に向かうことを告げる夫に、妻はこう返した。東京電力福島第一原発3号機への放水作業。被ばくの危険にさらされながらの任務を終え、無事帰還した東京消防庁のハイパーレスキュー(HR)の隊員が十九日夜、同庁で記者会見し、命懸けの活動を振り返り、心配を掛けた家族への思いを語った。

 大変だったことは何か。そう問われた第六方面消防救助機動部隊の冨岡豊彦総括隊長(54)はしばし絶句。ほおを震わせ、見る間に目に涙が浮かんでくる。言葉を振り絞るように「隊員は士気が高かった。残された家族にはお礼とおわびを申し上げたい」と、困難な任務を支えた隊員と家族への感謝を述べた。

 隊員は十七日午後十一時半、車両やホースの設置のため、四十人で原発敷地内に突入。毎分三トンの放水を続けた屈折放水塔車を3号機まで二メートルの至近距離まで接近させた。

 海水を送る「スーパーポンパー」のある岸までホースの全長は八百メートルに達した。

 直径十五センチのホースは、一本の長さが五十メートル。重さは百キロにもなる。隊員は、がれきに足を取られながら、手作業で七本をつないだ。現場の放射線量は最大六十ミリシーベルト。被ばくの危険の中、なかなか作業は進まない。事前訓練では八分で終えた作業に、四倍近い三十分もかかった。

 当初は、海側から放水する予定だったが、現場は津波でがれきや流木が散乱していた。このため海側からは、屈折放水塔車の設置や車両通行は難しいと判断。陸側からに切り替え、戦略を見直して再チャレンジした。

 沈着冷静な戦略の背景には、地震発生翌日から、都内の河川敷で続けてきた訓練があった。出動命令が来た時に備え、放水方法を検討してきたという。

 会見した第一陣の総隊長を務めた佐藤康雄警防部長は放射能という「目に見えない敵と戦う」ことが大変だったと振り返る。「ガラ場の中で、隊員総出で一生懸命に(ホースを)延ばしました」

 冨岡総括隊長は「このメンバーであればクリアできると思っていた」と仲間への信頼を語った。

 出動命令が出た時、高山幸夫・第八方面消防救助機動部隊総括隊長は、勤務中だった。妻に「帰ってくるから安心しろ」とメールを送ると、「信じています」と返ってきたという。佐藤部長の妻は、夫のメールに「日本の救世主になってください」と返した。

 最後に今何をしたいか問われた高山総括隊長と、佐藤部長は「今はゆっくり眠りたい」と口をそろえた。

(東京新聞)

 

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