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気仙坂

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政治家は姿勢を正せ
☆★☆★2011年03月11日付

 政治資金規正法で禁止されている外国人からの献金を受けていた問題で、前原誠司氏が外相を辞任した。ポスト菅の呼び声が高かった重要閣僚の突然の辞任は、支持率が急落する菅内閣に深刻なダメージを与え、政権崩壊の様相が強まっている。
 「献金を受けているとの認識はなかった」。問題発覚を受け、前原氏はそう言い訳したが、「中学2年生の時から親交がある在日の方。政治を志してからは支援をしてもらっていた」という知人からの、政治資金収支報告書にも記載されている複数年、複数回の献金を「知らなかった」では済まされまい。外交の責任者という立場、小沢氏の「政治とカネ」の問題に厳しい姿勢を示してきたことからも、辞任は当然のことだったと思う。
 政治資金規正法は、外国人や外国法人から政治活動に関する寄付を受けることを禁じている。政治が外国の勢力から影響を受けることを防止するためだ。国会議員であれば、当然、肝に銘じておくべき禁止規定である。
 前原氏から引責辞任の申し出があったことに対し、菅首相は「ミスか不注意はあったかもしれないが、このことで辞めることは必要ないのではないか」と慰留したというが、事務的なミスや不注意による違反が問われないなら、政治資金規正法は何の意味もない。外国人からの政治献金を禁止している意味を、首相は本当に理解しているのか。
 もうひとり、民主党の岡田克也幹事長は7日の記者会見で「在日外国人の方からの少額の献金ということで、果たして辞めなければいけない事案なのか疑問だ」と述べた。法律違反が明らかな事案に対してのコメントだが、これは少額なら万引しても許されるのではないか、と言っているのと同じだ。献金額の多寡が問題なのではない。法律に違反したことが問題なのだという認識を、岡田幹事長は持っていないらしい。
 同幹事長はさらに、「インターネット献金の場合、こちらから(献金者の)国籍を確認する手段がない。面と向かって直接献金を頂くときも、いちいち国籍を聞くのかという問題もある」とも語ったが、普通に考えて聞かないほうが問題だろう。法律で外国人からの献金が禁止されているのだから、いちいち聞くのが政治家の責任であり義務だ。それができないというのなら、献金を受けるべきではない。
 今回の前原氏のケースのように、献金する側が規制法の禁止事項を知らないこともある。「外国人だと違法になるので」と国籍を確認するのは、相手に迷惑をかけないための対応としても当たり前のことであり、難しいことでもない。実際、日本国籍を持っているかどうかを重ねて確認し、献金を受けている議員もいるのだから、岡田幹事長の詭弁≠ヘ通用しない。
 インターネット献金についても、献金者の国籍を確認する手段がないというのなら、禁止すればいい。制度の不備を認めながら、政治家はそれを放置し、改めようとしない。きっと、不完全な制度のほうが、献金を受けるのに都合がよいのだろう。
 前原氏の辞任を受け、岡田幹事長は「(法律違反を)なくすために、各党間でよく話し合うことが必要だ」と、与野党間の協議を呼びかけた。政治資金規正法の見直し(規制緩和?)を念頭に置いた発言とみられているが、法律違反をなくすために見直すべきは法律ではなく、政治家の姿勢ではないか。
 難しいことではない。規制法の立法の趣旨に則り、政治家としての責任と義務を果たせばいいだけだ。言い訳は無用。それができなかった政治家には、国政の場から黙って退場してもらうしかない。(一)

「壁」を越えた先に面白さ
☆★☆★2011年03月10日付

 最近、家族で楽しく見ているテレビ番組がある。岩手朝日テレビで毎週月曜午後7時から放送している「お試しかっ!」。ほぼ毎週「帰れま10」として、お笑いコンビのタカアンドトシやゲスト出演者が、ファストフード店やレストラン、居酒屋などで人気を集めるメニューの順位を予想する。
 数十種類ある中から、それぞれが予想した1種類ずつを食べ続け、10位まで全て当てないと終わらない(帰れない)。我が家でも出演者同様に予想し、順位が発表されるまでは顔の前で両手を組みながら待ち続ける。10位以内に入った時には、ハイタッチを交わすほどの盛り上がりとなる。
 コンビニエンスストアで販売しているスイーツ菓子が取り上げられた時、その後人気だった商品を1種類ずつ買い、実際に食べる日々が続いた。これは我が家だけの事情と思うが、自分は買う係で、その財源はおこづかいであるにもかかわらず、妻と娘は残すことなく食べ切り、感想だけを報告してくれた。
 ある時、この番組を見ていて、大学時代に授業として受けたメディア・リテラシー講座を思い出した。授業では、一般住民がマスコミからの情報に対して受け身になり続けるのではなく、主体的に情報を読み解くためのノウハウなどが学習テーマとなった。
 教授は、一つの番組を例に挙げ、視聴者心理との関係性を解説した。平成5年から6年間にわたりめんこいテレビなどで放送された「料理の鉄人」だった。
 挑戦者が3人の「鉄人」の中から対戦者を選び、指定された食材を使って味のバランスや独創性を競った。調理場を動き回る料理人の様子をカメラで追い、素人では考え付かない調理法や終了時間前の慌ただしさを、実況中継のような演出で伝えた。
 キーワードは、調理師と客の間にある「壁」だった。レストランでは、客が厨房に足を踏み入れることは難しい。壁の向こう側で調理されたメニューが、テーブルに並ぶ。実際に目にすることが難しい光景をカメラが捉え、対決色をあおる演出を加えながらまとめている――といった解説だった。
 住民側が実際に現場の様子を知ることが難しい分野は結構ある。医師が奮闘する医療現場、犯人を追う刑事、マグロを求めて海に出る漁師たち…テレビ番組として定番化されているものが多い。
 人気メニューの順位も、客側に対して企業が気軽に教えてくれるものではない。商品は身近であっても、売り上げのデータを知ろうとすれば「壁」が存在する。
 10年以上前となった大学時代、自分を含む受講者の多くはあくまでも、情報の受け手としてのメディア・リテラシーだった。マスコミなどの送り手は少数派だったが、今は違う。インターネットの普及によって、ホームページやブログ、ツイッターなど、誰もが送り手となる環境が整いつつある。
 目の前で起こった出来事を伝えるニュースだけでは、受け手の関心を保ち続けることはできない。マスコミ側も、一般住民は越えることが難しい「壁」の向こう側にある世界をどう伝えるかが、信頼をつなぐ重要性として今後さらに求められると思う。
 一方、取材先では「自社ホームページで何を伝えればいいのか」といった悩みも聞く。商品を手にしただけでは伝わらず、社内でしか知られていない「秘密」はないだろうか。例えば従業員の人柄や、どのような分野に興味を持っているかなどを知ることは難しい。
 我が家のスイーツ事情のように、順位発表が購入につながるケースもある。あえて厨房をガラス張りにして、調理の醍醐味を伝え、目で楽しませる飲食店もある。情報をどう伝えるか、難しい問題ではあるが、常に考え続けなければならない。誰もが発信者になり得る今だから、独自の工夫が求められている。(壮)

スポーツの効力いかに
☆★☆★2011年03月09日付

 県内45例目、気仙では初となる「総合型地域スポーツクラブ」の「カムイくらぶ」が2月、住田町の上有住地区で旗揚げされた。上有住の語源の一つとされるアイヌ語「カムイアンルス」から名付けられたもので、スポーツを通じて活力ある地域づくり推進を図っていくという。
 現在、各地で設立が進む総合型地域スポーツクラブは、地域が運営主体となって幼児から高齢者まで幅広い年代がさまざまな競技を楽しめる環境を整え、生活の身近な部分にスポーツを組み入れようとの狙いを持つ。
 子どもたちの多様なスポーツニーズへの対応、一般・高齢者への運動機会提供、自分に合った技術レベルでのスポーツ参加など、生涯スポーツの普及につながり、単一の世代・種目で構成されることが多い既存団体にないメリットが見込めるとされる。
 こうした形のスポーツクラブ展開は、ヨーロッパが先進地という。ドイツにはおよそ9万ものクラブが存在、日本でいう部活動がないこともあり、子どもたちから高齢者まで国民の3人に1人が所属。単一種目から20以上の種目を持つものまで、多様なクラブ形態があり、一般会員とともにプロ選手がトレーニングを行う環境もあるのだとか。
 わが国では、文部科学省が平成12年に「スポーツ振興基本計画」を策定、成人の週1回以上のスポーツ実施率が50%(2人に1人)となることを目指し、そのために「国民が日常的にスポーツを行う場を」と全国展開を最重点施策として方向付け、16年には同省から委託を受けた日本体育協会が「総合型地域スポーツクラブ育成推進事業」をスタート。
 以降、全国各地で取り組みが活発化しており、文科省による22年度上半期のデータでは、全国1750市区町村中、クラブ創設済み、または創設準備中は1249市区町村。二つの数字を合わせた育成率は71・4%に達しているという。
 住田町では平成20年、「創ろう住みたい町の元気なクラブ」をスローガンに体育指導委員を中心に町教委や県体協などと連携しながら地区公民館を核としたクラブ設立を目指してきた。公民館や体協、地区計画推進協議会、小中学校PTAなどによる運営体制が整った上有住地区が、モデル的役割も果たそうと設立に至った。
 県体協によると県内では、19市町村で44クラブが設立済みで、カムイくらぶで45クラブ目。9市町で22クラブが設立準備段階といい、気仙では大船渡市で体協が中心となって設立を目指している。未創設は5市町となっており、現段階で表だった動きのない陸前高田市はここに位置付けられている。
 県内ですでに設立済みのクラブをみると、NPO法人化したうえ体育施設の指定管理者として、そこを拠点とした定期的な各種スポーツ教室や大会を開催するなどしているところも多いことがうかがえる。
 産声を上げたばかりのカムイくらぶでは当面、地区公民館内に事務局を置き、同館はじめ町教委や単位競技協会などによる事業と連動させながら、年齢や性別問わず多くの人が集まりやすいスポーツの場づくりを進めることにしており、その取り組みは新年度から本格化する。
 国によるクラブ創設の主導は、たんに国民の運動不足解消にとどまらず、少子高齢化が主な要因とされる地域コミュニティーの衰退に歯止めをかけようとの一面もあるのだと聞いた。
 少子高齢化の波にもまれる地域に対し、総合型クラブはどのような作用をもたらすことになるのか。気仙の先進例として、カムイくらぶが今後具体的にどのような活動を繰り広げていくか、注目していたい。(弘)

金で釣ろうなどとは…
☆★☆★2011年03月08日付

 少子高齢化は先進国が通らなければならない茨の道で、生活水準が上がると出生率が下がるというそんな逆比例の洗礼を欧州は一足先に受けている。
 生活が豊かになって心のゆとりが生じると、人々の関心が多方面にわたるようになるのは自然の理で、家事に追われて自分自身の時間が取れないような生活は当然敬遠され、とりわけ心身共に負担の大きい育児にかけられる時間を省こうとする傾向は、結果として少子化をたどるというパターンこそ、先進国となるための避けて通れない呪縛と言えよう。
 この問題を扶育補助という、ほとんど金銭による支援で解決しようという国策が児童手当であり、子ども手当などの類である。少子化とは養育のために金がかかるからこその結果であるという観点からの政策だが、1人2万円前後の手当をあてにして、子どもをつくるという発想はほとんどの女性が持つまい。すでに子どもがいるから、養育の足しになる手当はありがたいぐらいの受け止め方しかされていないはずである。だから少子化対策の支柱に金銭支援を据えるのは、決して的を射たやり方ではないと小欄は考えている。
 ではどうすれば少子化に歯止めをかけ、多子化、あるいは人口増加を図ることができるか?とっくの昔に人口の激減を経験し、高福祉高負担のくびきに悩まされてきたスウェーデンは、国策を転換して現在年々人口を漸増させることに成功している。しかしそれは決して出生率が増えての自然増によるものというよりは、海外からの移住者が増加しているための社会増に負うところが大で、国民の福祉負担を軽減するためにこうした変化を甘受するという合意が国民になければ不可能な選択といえよう。わが国が同様の政策をとり、移民をどんどん受け入れるということには根強い抵抗があるだろうから、同国の例は参考になりがたい。
 では、自然増つまり反少子化を進めるためにはどんな妙案があるのだろうか?それがあれば苦労はしない。しかし結婚はしても子どもは要らないという家庭はまずあるまいから、最低1人はほしいという「非強制的ひとりっ子政策」が現代の主流になっている一面を考えると、それを最低2人という「義務出産」と、3人以上という拡大「再生産出産」に浮揚していき、そしてそれが可能となるような政策を推進していくことが政治の喫緊の課題だと思うのだ。
 だが、賢明なる日本国民はそのような政治の厄介になる前に自前で考え出し始めているという気がする。というのも、メディアを通じて毎日目にする国際社会の変化、動静の中で、親たちは自然本能的に「種の保存」という命題を突きつけられてきているからである。すなわち、ひとりっ子というのは安定した社会状況の中でこそ許される選択であって、しかも病気という厄災は想定の中から除外されているのである。まして一歩外へ出ればどんな不運が待ち受けているかまったく予測不可能なのである。早い話がニュージーランドへの語学留学が物語ろう。もし犠牲者の中にひとりっ子がいたとしたら、いやその話の先は考えないようにしよう。
 別の観点から親たちは考え始めた。気がつけば子どもたちは帰ってこず、残されたのは自分たちだけ。「これが家族というものか」という空しさを味わうのは、少子化ゆえのことである。長男は家に残り、次男三平は外へ出るというかっての大家族制度が保っていたぬくもりが恋しくなってきておかしくはない。
 このように少子化がもたらす問題の本質を考えると、子どもは多い方がいいという結論に帰着する。多分世の中はそうなっていくだろう。つまり人間の本能に訴える政策こそが少子化を食い止める最良の方法なのであるまいか。(英) 

「歩く観光」に磨きを
☆★☆★2011年03月06日付

 「水平線や早春の海岸、椿の花を眺めながら三陸のみちを歩きませんか」──。NPO法人夢ネット大船渡が呼びかけて、「三鉄支援ウオーク」が今月12日(土)に行われるという。
 大船渡市三陸町越喜来の甫嶺駅から三陸駅まで約6・5`を歩く行程で、三陸鉄道の利用促進と活性化を促しながら、地元の景観を楽しんでもらおうという企画だ。
 三鉄盛駅から列車で甫嶺駅まで行き、そこから泊漁港で浜の景観や暮らしをながめ、三陸まるごと体験館などを見て回る。昼食にはワカメのしゃぶしゃぶなど春の旬を味わうこともできる。
 三陸鉄道が誘客アップの目玉の一つにしている「三鉄健康ウオーキング」。JR東日本の企画ですっかりおなじみとなった「駅からハイキング」もそうだが、近年、歩いて楽しめるまちづくり、観光客をじっくりと楽しませる企画づくりが注目されている。
 この「歩く観光」の展開に期待しているのが、ジェイティービー(JTB)。同社の清水槇一常務は、この春、『岩手の観光戦略の課題と展望』と題して県議会の県政調査会の場で講演した。その要旨に触れる機会があり、はっと気づかされるものがあった。
 確かにこれまでのような物見遊山的な団体旅行から、個人やグループによる滞在型へと旅のスタイルが変化している。それなのに「岩手は急激に変化している観光客の動向やニーズに十分な対応ができていない」と指摘する。
 しかも、岩手の宿泊客の減少が東北一で、しかも宿泊率もが全国最低ランクに位置しているという。自然や風景、温泉の周遊観光、団体依存度がいまだに高いことなどをその理由に挙げている。
 名所旧跡など地域と乖離した観光地をめぐり、みやげ物にお金を落とすこれまでの観光スタイルから、自分の町に誇りを持つ住民のの暮らしや歴史、伝統、文化、食などを体験し、楽しむ観光への転換が求められている。
 そのキーワードが「歩く観光」。脱観光施設、脱周遊観光の中で、歴史や町並み、文化を歩いて楽しむ観光が人気を集め、市場や商店街など、生き生きとした地域の暮らしにあこがれを持っている旅人がなんと多いことか。
 観光には「食」も大きなポイントとなっている。グリーンツーリズムやブルーツーリズム、農林水産業の参画など業種を超えた横断的な連携も欠かせない。今までの観光資源にとどまらず、地域資源と捉え、有機的につながっていかないと観光は成り立たない。
 「歩く観光」はイギリスが発祥とされる。「フット・パス」が語源で、本来、観光地でない、普通のありのままの自然や農村の集落をゆったり歩いて楽しむことが始まりという。都会の雑踏に疲れた人たちが、何の変哲もない田舎の情景に癒しや憩いを求めているのかもしれない。
 以前、取材を兼ねて「三鉄健康ウオーキング」に参加したことがあった。歩いたところは、秋の三陸町綾里路。たわわに実る小枝柿の下、鮮やかな紅葉や不動滝の美しい景色を楽しみながら心地よい汗をかいた。
 綾里大権現が豪快に舞い、綾里保育所の園児たちが権現様を披露した。海産物の焼き物や鍋物も振る舞われ、見知らぬ人との会話を楽しみながら交流を深めるハイカーたち。都市部から参加したという親子の笑顔が印象的だった。
 仙台市から来たという初老の夫婦から「地元の人しかわからない、1〜2時間で楽しめる道ははないか」とたずねられた。もう一度、サクラの季節に三陸路を訪れてみたいという。
 われわれにとっては、いつも見慣れた風景でも、磨けば光る田舎道もあるかもしれない。都会から多くの人が来るとなれば、地元の人たちにとっても「価値のある場所なんだ」と、自信につながるはずだ。(孝)

連載とともに夢も完結
☆★☆★2011年03月05日付

 『モスバーガーを創った男 気仙に生まれし櫻田慧の物語』もあす6日付の150回をもって完結する。読者の皆様には拙い文章を3年もの長きにわたりご愛読いただき、心から感謝申し上げたい。
 私は櫻田氏を敬愛を込め、「櫻田会長」と日頃お呼びしてきた。ここでもそう呼ばせていただく。
 改めて述べるまでもなく、櫻田会長は大船渡市盛町に生まれ育ち、幾多の挫折と苦難を経て東証一部上場企業の潟cXフードサービスと同社が展開する一大ハンバーガーチェーン『モスバーガー』を築き上げた方である。
 私が初めてお会いしたのは昭和62年4月に盛町で開かれた凱旋講演≠フ取材の折。30年を超す記者人生を振り返っても、あの時以上に衝撃を受け、心を動かされた講演はない。取材をきっかけに櫻田会長とのご縁が生まれた。
 そして、櫻田会長の生前は半生記を、死後は伝記を書かせていただくことが私の夢となった。「それこそが新聞記者としての『卒業論文』」と心に期し、日々研鑽を積んできたつもりである。
 あれから四半世紀近い歳月が流れ、ようやく私の夢が完結する。
 取材では東京や神奈川、埼玉、千葉、大阪、愛知、山梨と駆け回り、通常なら叶わないような方々ともお会いする機会に恵まれた。
 不覚にも取材中、幾たび涙を流したことか。櫻田会長やともに歩んでこられた方々の苦難、心に響く言葉を聴き、自然と涙があふれてきた。帰社してのテープおこしで再び涙し、文章を書きながらまた涙する。自分で校正しながらさらに、まぶたを濡らした。新聞記者としては失格であろう。
 私がいただいた感動の何分の一かでも、果たして読者の方々にお伝えすることができただろうか。それができなかったとすれば、まさに記者失格である。
 櫻田会長ゆかりの方々は誰もが脳裏に刻まれた貴重な思い出を隠すことも、余すこともなく語ってくださった。私であれば初めて訪ねてきたどこの馬の骨とも分からない人間に警戒心を抱き、表面的な話でお茶を濁すに違いない。
 不思議に思い、尋ねてみた。
「どうしてここまで包み隠さずに話してくださるのですか?」
「モスが紹介してよこした人に悪い人間はおりませんから」
 この一言にまた、泣けた。
 信頼に応えるため、手を抜かず息も抜かず完全燃焼≠キることを自分に課し、取材と執筆で4年近い歳月を全力疾走してきた。
 連載が100回を過ぎたあたりからは、さすがに読者の方からも「長すぎるのでは」「飽きてきましたね」といったお言葉も頂戴した。これも書きたい、あれも書きたいという思いからついつい長くなってしまった。全ては私の非力さゆえとお許しいただきたい。
 連載が大過なく、しかも一度の休載もなく無事に終えられるのはひとえに、力添えくださった方々のおかげである。特にも縁の下の力持ちとして私の至らなさを何度もカバーしてくれた社内のレイアウト担当や校正担当、写真製版担当には感謝するばかりだ。
 あすの「終章」に私の、そして櫻田会長ゆかりの方々の思いが込められている。お汲み取りいただければ幸いである。
 前述したが、『モスバーガーを創った男』はいわば、私の新聞記者としての「卒業論文」である。
 長年の夢だった櫻田会長の伝記を書く機会にたまたま恵まれ、それまで連載してきた住田町の戦後農業史『生きるに値しないのか』の中断を決意。お世話になった住田の方々にお詫びし、ご理解を願った。その時、ある方がありがたいことにこう言ってくださった。
「卒業論文が終わっても、修士論文が残っていますからね」
 先のことは私も定かではない。少し時間を頂戴し、まずは使い切ったエネルギーを蓄えさせていただきたい。今は全ての方々にただただ感謝あるのみである。(下)

多額のごみ処理費
☆★☆★2011年03月04日付

 高度経済成長の昭和30年代以降、企業や一般個人から出されるごみの量が増えている。これは使い捨て型商品の普及やライフスタイルの変化によるところが大きく、大量生産と大量消費の時代を反映。各自治体は処理経費の増加に頭を悩ませている。
 人が生活する上で必ず出てくる「ごみ」。たとえ焼却処分したとしても灰が残ることから、灰を埋めるための最終処分場が必要となる。そこで、最終処分場を長く使用するためにも、また経費を節減するためにも、燃えるごみと資源ごみを分別するなどの減量化が必要となっている。
 陸前高田市は平成19年4月から指定ごみ袋を導入するなど、減量化に取り組んでいる。各家庭などから出されたごみは、委託業者が各地のステーションを巡回しながら収集し、高田町字大隅にある市清掃センターへ搬入。可燃ごみはすべて同センターで焼却処理。残りかすや灰は竹駒町の最終処分場で埋め立て処分している。
 その経費をみると、平成21年度(市職員の人件費含まず)は▽清掃センター維持管理費526万円▽可燃物処理事業費1億4393万円▽不燃物処理事業費3313万円▽廃棄物再生利用事業費3341万円▽最終処分場維持管理費1567万円。合計約2億3100万円で、単純計算すると市民1人当たり年間約9400円を負担したことになる。
 ごみを多く出せば、その分経費が上積みされるが、同市では18年度から21年度まで、可燃ごみの量が年々減少していた。ところが、本年度は夏場に一気に増加。担当する市職員は「例年にない猛暑が続き、体を冷やそうと飲食物の消費が伸びたこたとが影響した」と分析している。
 具体的に、市清掃センターへ搬入されたごみの量(収集と持ち込み)を月別にみると、本年度(速報値)の7月455d(前年同月比16・1d増)と8月531d(同48・2d増)、11月393d(同19・5d増)が前年度よりも大幅に増加。累計では、残り2カ月を残した1月末の時点で前年を54d上回っている。
 今後、可燃ごみに関しては23年度から広域(同市、大船渡市、釜石市、大槌町、住田町)で処理される。経費は20年度から23年度までのごみ処理量に応じて5市町で負担。各自治体の負担金は、ごみの量が減れば負担金も減ることから、財政面からも減量化の取り組みが必要となっている。
 個人的に、ごみ問題を考える時いつも思い出すのが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という米国のSF映画だ。というのも、映画の中で主人公の乗る車型タイムマシン「デロリアン」に燃料を補給する際、ごみ箱からバナナの皮や空き缶を取り出してタンクに入れるシーンがある。
 もちろんフィクションではあるが、「物づくり大国・日本」の名に懸けて、いずれはどのようなごみでも燃料にしてしまうようなマシンを国内の技術者が開発してくれることを願っている。そうなれば、多額のごみ処理経費で頭を悩ませることはなくなるというものだ。(鵜)

自炊初心者、必携の書?
☆★☆★2011年03月03日付

 うーん、懐かしい。思わず感慨に浸ってしまった。
 小紙27日付の「自炊チャレンジ教室」の記事。春から一人暮らしを始める高校3年生を対象に炊事の基本をレクチャーする─というもので、読んだ途端、一瞬で18の春へと引き戻された。
 進学のため上京した13年前を「昨日のことのように」思い出す(こんな常套句を使うしかないほど、記憶は鮮やかだ)。自分だけの調理道具を買い揃えるのがうれしく、1畳にも満たないキッチン…というか「流し」…に立つだけで大人気分を味わえた。地元で見るより大きな「ゴ」のつく生き物には、かなり閉口させられたが…。
 当時よく、サークル仲間をアパートへ招きごはんを作っていた。だが、あるとき同級の男子から「君の作る食事はボクにはしょっぱすぎる」と文句が飛び出した。
 彼は愛知出身。名古屋以西にしか住んだことがないという、私にとっては初めて接する西の人=B「出汁こそ料理の命だろう?君の味付けは塩気が濃くて品がない」(本当にこう言われたのだ)。
 何かにつけ意見が合わず度々衝突していたものの、このときは「一文も払わず口だけ出すたァ、一体どんなお育ちだい!」と怒るより、「西の人は本当に薄味好みなんだぁ」と食文化の違いにノンキな感動を覚えるほうが先だった。いかに故郷では塩分過多だったか知れたし、良い機会だったと思う。
 だがいずれ、独居時代は食のバランスなんて構っていられない。腹が満たされさえすればいいし金もないから、自然、ご飯とおかず1品で済ませることが多くなる。先のような人寄せをするときは品目にも気を使ったが、毎日のことでないため身には付かなかった。
 就職してからは帰りが午前様になることがほとんどで、自炊すらせず。さて、しわ寄せがきたのは結婚後である。何と何を並べれば「一般家庭の食卓」として合格点なのか、最初はぜーんぜん分からなかったのだ。
 母の手料理や定食屋のラインナップ、果ては給食の献立まで必死で思い返し、「正しい食事とはなんぞや」と毎日うなされていた。こうならないためにも一人暮らしを始める人は、今からしっかり食の「バランス感覚」を養っておいたほうが良い。絶対に良い。
 そこでとある料理マンガにご登場いただこう。「これさえあれば百人力」「こんな私さえ救ってくれたメシア」「まさに家庭のバイブル」と、思いつく限りの賛辞を込め、ご紹介したい。よしながふみ作『きのう何食べた?』(講談社・モーニングKC)を。
 主人公は、都内に住むゲイの男性(と言っても生々しい話は一切ない)。仕事から帰ってサッと夕飯を作り、恋人と食卓を囲む毎日である─という、筋らしい筋もない(なくはないが)物語だ。
 毎回のメニューも平凡である。「サケの炊き込みごはん」や「具だくさんそうめん」、「ナスとトマトと豚肉のピリ辛中華風煮込み」「ぶり大根」…それに汁物、煮びたしといった副菜、時にはジャムなど…話の軸となるのはこれらの調理と段取りだ。
 ただし、世に料理マンガは数あれど、同作が抜きんでている点は「1話に1食の献立が丸っと出てくる」ことにある。主菜・副菜・汁物があまからすっぱい≠フバランスも絶妙に登場。何も考えずとも作中通り作れば、どこへ出しても恥ずかしくない庶民の食卓が完成してしまうのだ!
 さらに、ハズレ≠ェないのも凄い。世の料理本には「2度目はないな」と思うレシピも多いが、同作の料理は完璧なまでの実用本位、身の丈に合ったご家庭仕様なのである。
 分量が大雑把なのもいい。大概の主婦は「目分量」という経験則スキルで料理しており、大さじ1杯が15tでなくても問題にならないことを知っている。同作にはこの主婦感覚が顕著で、調味料や食材を多少変えたり、家庭のローカルルールを適用させやすい。食材の使い回し術もさりげなく描かれ、大助かり。もはやマンガではなく実用書だ。
 さあお父さんお母さん、我が子のまともな食習慣と経済観念育成に、『きのう何食べた?』は最適ですよ。既刊の4巻セットを、子どもの荷物にこっそり忍ばせてやってはいかがでしょうか。(里)

笑顔と楽しさの大切さ
☆★☆★2011年03月02日付

 仕事柄、各地で開かれる講演や講話の席にお邪魔することが多い。その中では、うなずきや気付きをもたらす言葉との出合いもあり、改めてその大切さを考え直す機会になっている。
 先日、陸前高田市内で行われた「もてなしの心」向上研修会。現代礼法研究所のマナーデザイナー・熊澤厚子氏が「信頼と好感を築くおもてなしの心」と題して講演した。
 ここでは、「サービスとは、一人ひとりの心が相手に伝わっていること」「お客様と接するときは、誰もが企業の代表。応対が企業の評価につながる」などと説明。中でも、筆者にとって印象的だったのが「笑顔」の話題だった。
 周りの人はその人の表情を見て、言葉として情報を得ていなくても健康状態や機嫌が分かる。そこで、「落ち込んでいても笑顔にしてみるように」とのアドバイスがあった。それは自分自身で調整できるという。
 そこで紹介されたのがウイスキー≠ニいう言葉を発し、笑顔をつくる練習。熊澤氏は「健康状態、精神状態が良くないとき、周囲に心配をかけたくないと思ったら、鏡を見てウイスキーの連発を」と呼びかけた。
 数日前から風邪を引き、この日もせきや鼻水に悩まされ、マスク姿で取材をしていた筆者。久々の本格的な風邪で、心身共にしんどい。マスクの奥では、常に口元がへの字になっていた。
 だからこそ、笑顔の話はいつもより余計に心に響いた。出席者に交じってウイスキーと発し、口角を上げてみる。すると、それまでのつらさが何となく和らいだ気がした。そんな気分の変化もあり、笑顔の力の大きさを改めて感じる場となった。
 続いて、気仙中学校で開かれたキャリア学習会でのひと幕。各業種で活躍する市民らが中学生に講話を行ったのだが、この中で耳にした言葉が胸を打った。
 「今の仕事は忙しいが、それが苦にならないのは楽しいから。好き≠謔閧烽烽チと続くのは楽しい≠ニ思っていること。楽しいと思うものは続けられるし、幅が広がる。今から楽しいと思うものをどんどん見つけてほしい」
 その言葉を聞いて、目から鱗が落ちる思いがした。筆者も中学生に話をしたことがあるが、「好きなことを見つけて」までしか言えなかったのだ。
 好きをきっかけに物事に取り組むのは、簡単なこと。しかし、中には壁にぶつかったり、嫌いになりそうなほどつらくなってしまうこともある。好きだけではふとした折に一度手放してしまうと、その思いを感じられなくなったり、継続が難しくなってしまう。
 でも、楽しいと思えると別だ。傍目からは大変そうに見えても、休めないほどの忙しさ、肩こりや筋肉痛に悩まされても、楽しいことなら何とか突き進んでいける。
 なぜこんな単純なことに気付かなかったのだろう。そして、自分自身も楽しいと感じられる物事にもっと出合いたいと素直に思った。
 楽しいと思うことは続けられるのはもちろん、おのずと笑顔もこぼれる。その逆もある。多少しんどくても、笑顔をつくってみることが楽しさへの入り口につながりはしないだろうか。
 楽しさを見失いがちになり、気付けば仏頂面になってしまう毎日。ちょっとした心の持ちようで、笑顔を大切にするとともに、小さな楽しさを積み上げていきたいものだ。
       ◇
  2月2日付の本欄「悩ましいしもやけとの戦い」に対し、読者の方から「気仙で採れる季節の食べ物を中心とした食生活を」とのアドバイスを記したお手紙をいただきました。匿名であったため、紙上にて御礼に代えさせていただきます。ありがとうございました。(佳)

食の失敗数々ござる
☆★☆★2011年03月01日付

 普段洋食など滅多に口にすることがないのに、わけあって海外へ行くことになったグループが「テーブルマナーの初歩ぐらいは勉強しなければ」ということで、にわか勉強をすることになった。海外経験の豊富な人物を講師に招き、参加者全員が真剣になってその一挙手一投足をじっと見詰めていると、突然講師が誤って床にスプーンを落とした。一同はそれを見て一斉にスプーンを落とした。
 テーブルマナーについて語られる時にかならず紹介される笑い話だが、他人事と笑い飛ばせない食に関する失敗は日常よくある。特に洋食がそうで、手を洗うフィンガーボウルを飲用と勘違いして飲んでしまったなどは、和食オンリーの民族がやりかねない失敗だ。洋食が日本に入ってきてたかだか150年そこいらでは、味はもちろん食べ方などが一般に普及、浸透するになおも時間が必要だろう。
 小欄にも同じ失敗の類がいくつもあるが、そんな失敗も洋食と言えばカレーライスかハヤシライス、フライなどわずかのメニューしか認知されていなかった時代に育ったればこそのことで、当時とを比較し世界各国の食と出会える現在はまことにいい時代だなと痛感することしきりである。
 マカロニグラタンというものを初めて食べたのが上京したてのはたち前のこと。レストランでメニューを見ても知らぬ料理ばかり。そこで話だけには聞いていたこのパスタ(こんな用語はむろんなかった)を注文、運ばれてきたそれをうやうやしく口にする段になって、まずは和食流に皿を持ち上げようとしたところ指先に高熱が走った。「あっちち」と思わず指をなめていたのは自然に身についたやけどへの対処法である。
 皿ごと熱するというグラタンの調理法、イタリア料理の基礎知識を知らなかったための失敗だが、ウエートレスが「熱いですよ」と注意してくれればやけどなどせずに済んだものをと恨んでも仕方がない。相手はこちらがグラタンのなんたるかを熟知しているはずという前提で、オーブンから取り出したばかりの皿を差し出したのである。イタリア製の西部劇を「マカロニウエスタン」と呼ぶようになったその前後のあたりのことだろうか。
 時代ははるかに下って、これは地元でのことである。遊びに来た都心に住む甥と姪を誘ってあちこちを案内し、昼時になったので、都会っ子だからと「食堂」ではなく「レストラン」を選んで昼食をとることになった。メニューには馴染みの料理だけではなく、見たことも聞いたこともないような文字がいくつか並んでいる。そこに「○○リゾット」とあるので、試しに注文することにした。その折「ライスを一つ」と追加したのは、リゾットとは何かをまったく弁えていなかったためであることはむろんである。
 テーブルにそのリゾットやらが並べられ、わきにライスの皿が添えられている。甥、姪は怪訝な顔をしていたが、その理由など知るわけがない。やがてこの料理の正体を知ることになったのは、下側に米粒が潜んでいることを自分の目で発見したからである。
 「何で教えてくれなかった?」と2人に聞くと「分かってて頼んだと思ったから」と大笑いされた。公式の場でのことでなくて良かった。
 これは食の専門家に東京の、食材が何でも揃う店を案内してもらった時のこと。調理の道具や調味料、添加物などクッキングブックでは目にしても、実際に当地では販売していない、すぐ手に入らないような垂涎の対象がこれでもか、これでもかと並んでいる。そこで主に未知、未試のハーブやスパイス、調味料などを何種類も買い込んだ。
 意気揚々として帰ってきたはいいが、そのほとんどがいまだ出番が与えられぬまま手つかずで残っている。賞味期限も、消費期限もとっくに過ぎて…。
 つまり、食とは近くにありて思うもの―なのだろう。苦心して作ったスペイン料理より芋の煮っころがしの方が喜ばれるのが現実なのである。(英)


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