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世迷言

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☆★☆★2011年03月11日付

 国民の負託を受けた国会議員が、その負託を裏切るような行為をしたのだから、これは責任を取って辞めていただくほかはあるまい。この人物、あろうことまいか、竹島の領有権を放棄するよう日本政府に訴える韓国の主張に同意し、共同宣言に署名していた。信じられない▼与党の議員であり、しかも衆院政治倫理審査会会長という要職にありながら、竹島は日本固有の領土とする政府方針に逆らったのは民主党の土肥隆一衆院議員。先月末ソウルで日本の朝鮮統治下独立運動を記念する集会が開かれた際、日韓キリスト教議員連盟の日本側会長として出席、問題の共同宣言に署名した▼それが「日韓の未来をともに拓こう」という主旨ならまだしも、竹島の領有権主張は後世に誤った歴史を教える云々などの文言が盛り込まれた、韓国側の一方的主張がちりばめられた内容だったため、土肥議員は事実上国益を放棄した。最初こそ「個人的には竹島は日本の領土とは一概に言えない」「緻密な歴史的検討をやらねばならない」などと述べた同議員だが、途中から「日本固有の領土」と発言を修正したのはなぜか?▼それは「韓国の言い分が圧倒的になり、議論の余地がなかった。そんなに大きな問題を引き起こすとは思わなかった」という弁明がすべてを物語っている。その場の雰囲気に飲み込まれ、気圧されてノーと言えなかったのだ。情けない▼野党はむろん、与党からも責任を問われて政倫審会長を辞任した同議員だが、個人としての倫理もわきまえないような人物が政治倫理など問えるわけがあるまい。

☆★☆★2011年03月10日付

 沿岸養殖漁業に大被害をもたらしたチリ地震津波の襲来から1周年を数えたばかりの昨日昼前、今度は三陸沖を震源とする地震が発生、太平洋沿岸に津波注意報が発令された。同沿岸に押し寄せた津波の最大が大船渡で60aというその規模はともかく、「発生」したということ自体が今後への警鐘だろう▼昭和35年、海の向こうのチリからはるばる押し寄せた〈初代〉は、沿岸各地に甚大な被害を与え、特に気仙沿岸は最大の被災地となった。その後50年経った昨年2月28日、再びチリから〈2代目〉が訪れ、養殖施設などに外見の潮位からだけではうかがわれない深刻な爪あとを残していった。それから1年後のまた〈招かれざる客〉である▼地震国日本では、地震の脅威から逃れようにも逃れきれない宿命を負っている。沿岸部はそれだけでなく津波の派生を余儀されかねない宿命をも併せ持っている。それがいやなら内陸部へ移り住めばよさそうなものだが、少なくとも津波を理由に移住したという例を寡聞にして聞かない。いかなる不安も海の魅力の前には抗えないのである▼もっとも列島を襲う台風や低気圧、ゲリラ豪雨などの天災には津波に勝るとも劣らぬ?威力を持つ超弩級があって、大規模な被害ともなると津波とそう選ぶところがない。つまり日本という国は、恵まれた自然条件と引き替えに、天災の恐怖と〈共生〉しなければならないのである▼注意しなければならないのは予告なしに突然襲ってくる津波(1933年北海道南西沖地震で発生した津波は奥尻島で約30bを記録)もあることである。既知体験などアテにならないのが天災というものだ。

☆★☆★2011年03月09日付

 気仙から農林水産大臣が誕生!と言われても「はて?誰だべ」といぶかられるだろうが、実は民間版「影の内閣(シャドーキャビネット)」においてのこと。ただしこの人が実際に就任したら、日本の農林水産業は大きく飛躍するはずだ▼産経新聞のオピニオン誌「正論」4月号の特集「これが日本再生の救国内閣だ!」の中で、作家や評論家、ジャーナリストなどがそれぞれ「こんな内閣があったら日本は再生するだろう」という思いを込めて選んだ閣僚リストが紹介されているが、その中の平沼赳夫氏を首相とする〈平沼仮想内閣〉の農水相に擬せられたのが陸前高田市出身の小松正之氏(政策研究大学院大学教授)だ▼平沼氏を首班とする内閣を〈組閣〉したのは、ノンフィクション作家の関岡英之氏。農水相に小松氏を選んだ理由として関岡氏は「捕鯨交渉で鍛えた百戦錬磨の交渉力で内外の圧力と対峙しつつ、食糧安全保障戦略を策定願う」と、幾多の漁業交渉で外国の担当官らから「タフ(手強い)ネゴシエーター(交渉者)」と一目も二目も置かれてきた小松氏の国益第一の姿勢を評価している▼小松氏と言えば、食糧資源確保の観点から水産業の長期的展望について数々の大胆な施策を発表、シー・シェパードの妨害による調査捕鯨の中止についても、「譲歩はさらに後退を促す」として継続を主張するなど歯に衣着せぬ発言で知られている▼そんな〈物言う〉農水相の登場を期待しての〈起用〉だろうが、従来の型にはまった農林水産行政に小松氏ならどんな改革を加えるか、なんとかやらせてみたいものだ。

☆★☆★2011年03月08日付

 「好漢自重すべし」だったが時すでに遅し。前原外務大臣が違法献金の責任をとって辞任したことを、潔しと思いつつも引き金となった件に見る本人と周囲のうかつさには首をかしげざるを得ない▼前日までの「続投」が急変したその裏には何があったのか?野次馬根性とゲスの勘ぐりを働かせてみると、「はやぶさ」並みのスピードで支持率が低下する現状が政権と与党民主党をして「解散加速恐怖症」に陥らせしめた結果だろう。世論の変化は風雲急を告げているからだ▼それにしても「続投」から「辞任」にいたるまでの急激な変化は、この問題に対する政権と党の受け止め方がいかに危機感に充ち満ちたものであるかを物語っている。一昨日まで前原さん本人は大して悪びれもせず続投を表明し、菅さんは菅さんで「守り抜く」と公言していた。それはたかだか年に5万円の献金ではないかという認識がさせたものだろう▼しかし「政治とカネ」の問題を追及する側に立つ2人の立場と相容れないのが、小額といえども違法という法理論の無視だった。野党のみならず、党内の反主流派がこの〈アキレス腱〉を突いてくるのは必至であり、おそらくこの攻防は致命傷になりかねないという政権と党幹部の判断が一夜にしてに大勢を分ける結果となったことは容易に想像できる▼それにしても次の首相とまで目され、期待され、嘱望されてきた前原さんがこれまで積み上げてきた功を一簣に欠くに等しいミスを犯したことに、いやでも人生と運の相関を考えさせられるのである。

☆★☆★2011年03月06日付

 自国を中心に地球は回っているという中国人特有の観念を「華夷秩序」という。世界の中心(中華)をなすわが国以外はみな夷(えびす)という論理の延長線上に、驚異的な国防費の増加があるのも不思議ではない▼中国政府が5日開幕した全国人民代表大会(全人代)に提出する2011年度予算の中で国防費が前年度実績比12・7%増の約6011億元(約7兆5000億円)を占めることが明らかになった。2年振りに2桁の伸びで、金額では米国についで第2位となり、軍事的には米中2強時代の到来を思わせる▼新年度経済成長率7%を目指す国ならではの「余裕」とはしても、これは周辺国への脅威と圧力になることは歴然。だが、当局は「国内総生産(GDP)比で2%以下で、他の多くの国に比べ相当低い」とすまし顔で、さらに「(わが国は)防御的な国防政策を実行しており、いかなる国にも脅威とならない」とあっさりかわした▼その言葉を信ずるのはわが国ぐらいなもので、実際、原子力潜水艦の建造、敵レーダーに映りにくいステルス戦闘機の自力開発、長距離ミサイルの配備、大型空母6隻の建造計画など、制空権、制海権の拡大に力こぶを入れる同国の軍事大国化に周辺諸国が危機感を抱くのは当然▼自国の安全と防衛のために軍備増強を図ることに異を唱える積もりはないが、東シナ海の油田開発や尖閣の例を挙げるまでもなく力によってゆさぶりをかける「武力外交」の前に、わが国はいつまでも「善隣友好第一」でのほほんと構えているだけでいいのかと憂慮したい。

☆★☆★2011年03月05日付

 一口に雇用の創出というがこれが難題だ。起業するといっても勇気が必要であり、個人の力には限りもある。だが、行政が雇用の場づくりに乗り出したらどうだろう。これは確率が高いと思うがいかが?▼社会には色々なニーズがある。だからそれに応えるようなビジネスが成立する要件も可能性も豊富にある。だが、アイデアはあっても技術がない、技術があっても作って売る自信も資金も販路もないというのが現実だ。それでも持てる可能性を生かすチャンスをつかむ機会というのは五分五分であるといえる▼それを行政が応援するのである。ムダな部門を一つ二つ減らし、新しい課をつくるのである。松戸市の「すぐやる課」は大変評判となり、実際住民から親しまれたが、それに勝るとも劣らぬこの課の名を仮に「やってみよう課」としよう。ここは「創る」ことに喜びを感じる職員だけを配置し、住民のニーズに素速く対応するのだ▼たとえば、Aさんが「こんな製品をつくりたいんだけど」と問い合わせてきたら、ありとあらゆる手段を講じてその実現に協力する。特許を取りたければその手伝いをし、起業したければその成功のためのケアを惜しまない▼こうして住民の潜在需要を助け、掘り起こし、1人でも2人でも雇用できる場を増やしていくのである。民間にこういう役割を願っても期待はできないが、行政ならそれができる。つまり雇用も税収の伸びも自らつくり出すという発想の転換が必要であり、これはすべての活性化につながると確信する。

☆★☆★2011年03月04日付

 これだけの自信家だから独裁者になれるのか、独裁者だからこれだけの自信が持てるのか、そのいずれにしても「国民は私を愛している。彼らは私のために死ぬだろう」というセリフは、シェークスピアだって主人公に語らせることをためらうはず▼ギリシア神話に登場するナルキッソス(ナルシス)は、ニンフ(妖精)の求愛を拒んだ罰として水に映る自分の姿に恋し続ける呪いを受け、やがて力尽きて水仙になる。ナルシシスト(自己愛主義者)の語源だが、冒頭のようなセリフが名君の口から発せられるのならまだしも、これが暴君の世迷言なのだから、自惚れもここに極まれりと言う以外にない▼国民あげての退陣の要求に応じず、最高実力者の地位にしがみついて放さないカダフィ大佐の悪あがきは、反政府運動を武力で徹底的に鎮圧する最悪の事態に持ち込んだ。自ら「天安門事件」になぞらえるほどだから、当人は国民の命など虫けらぐらいにしか考えていまい▼「私のために死ぬだろう」は〈忠誠〉の意ではなく、「私によって」つまりカダフィ大佐の暴虐によってという文脈と理解すべきなのだ。こういうナルシシスト、いやエゴイストに尽くしてきた国民の裏切られた思いは、余計憎悪の炎を燃え上がらせずにおくまい▼大佐の別荘なるものをテレビで見たが、贅を尽くしたその造りが「革命だ、前進だ!」と叫んでいる男の欺瞞と「オレだけよければいい」という救いがたい本性を見事に物語っていた。

☆★☆★2011年03月03日付

 「いいものを作りさえすれば売れる」という日本の〈ものづくり信仰〉が、世界的な価値観の変質というふるいにかけられて「ガラパゴス化」を生むとは、つとに指摘されるところだが、それは表層的な見方だろう。日本企業は黙って伝統を大切に守っていればいいのである▼国内メーカーだけに製造を委託されていたドコモの携帯電話に韓国のメーカーが参入したのは、スマートフォンという新世代携帯開発で国内メーカーに比べ一日の長があったからである。なまじっか高速通信方式に絶対的な自信があった国内メーカーは新時代を読み誤ってしまったようだ▼韓国勢の躍進はすでに液晶、テレビ、家電などで日本を追い抜き、さらに大きく水をあける状態が続いている。円高の影響で、品質より価格という時代の要請に応えられなかったという一面はあるにしても、その品質面においても韓国製品は決して見劣りしなくなっている▼自動車においても同様、日本勢の苦戦が伝えられている。例えば欧州だが、韓国の現代と傘下の起亜の販売台数は昨年、トヨタグループを追い抜いた。他のメーカーを加えると日本車はまだ優位にあるが、その差はじわりじわりと縮まっている。もはや安閑としてはいられない▼だがそこで、品質を落として価格競争に打ち勝つような妥協だけは絶対してはならない。米国の消費者団体専門誌が発表した11年の「自動車メーカーランキング」で、ホンダ1位、富士重工2位、トヨタ3位とトップスリーを日本車が独占したというその〈実績〉こそが、絶対的価値なのである。

☆★☆★2011年03月02日付

 普段は押し入れにしまい込まれたままなのに、忘れた頃に引っ張り出されるのが「国民生活」。その大義名分が野党どころか身内に効かないのだから、「国民生活」はさまようばかり▼「国民のみなさんにとって早急に予算が成立することが先決」と菅首相がしきりに口にするこのフレーズは、民主党が野党時代与党からさんざん聞かされてきた言葉でもある。しかし攻守所をかえて今度は民主党が与党となってみると、野党各党はあれこれと注文を出すばかりでなかなか賛成に応じてくれない。ダシにだけ使われてきた「国民生活」がひねくれるのも当然▼「国民の生活が第一」をキャッチフレーズに政権を奪取した民主党なのだから、その国民生活を向上させることが大前提のはずだが現実はその逆で、支持者たちからも飽きられるほどの体たらく。「政治とカネ」をめぐるゴタゴタが解決するどころかいよいよ深みにはまって、党内党の確執がついには16人の会派離脱を生んだ▼その16人は1日の衆院本会議を欠席、菅政権に対しあからさまに反旗を翻したから、これは座視するわけにはいくまい。枝野幹事長は「毅然とした態度を取る」と処分の意向を表明したが、肝心の菅首相がこの造反を「残念だった」と表現するにとどめたあたり、〈得意の〉微温的対応になりかねはしまいか▼いずれ与党の分裂は不可避の状況が日増しに濃厚となってきている。それが導火線となって解散総選挙となれば、政治も経済もしばし空白状態を余儀なくされよう。そうなると「国民生活」は再び押し入れに逆戻りとなるのだろうか?

☆★☆★2011年03月01日付

 今日から3月。事実上の春到来宣言が下される。英語で3月を表す「マーチ」は、「行進」と同じ綴りだから、春が行進してくる意味かと思えば、英国では「冷たさを連想させる月」ということらしいから、到来のスピードが日本より遅いためか▼しかしわが国ではまぎれもなく季節が衣替えする月である。わが家の庭先では紅梅がほころびはじめた。先日はウグイスらしい鳥を見たが、鳴くわけでもなく、せっせとエサをついばんでいた。まだ舞台が整わぬようで「早春賦」の歌詞の通り、「時にあらずと声も立てず」だったようだが、もうすぐ声を転がすだろう▼3日の「ひな祭り」で序奏が始まり、21日の「春分の日」で「寒さ暑さも彼岸まで」という言い習わし通り、このあたりをもって冬が春にバトンタッチする妙を感じ取った先人の知恵には舌を巻く。その境目を何で感じ取ったのか?恐らく匂いではなかろうかと思う▼それは決して特定の何かの匂いというのではなく、言うなれば「春の匂い」である。たぶんその中には多くから嫌がられる花粉も含まれるだろうが、森羅万象から放たれる芳香のミックスが鼻孔に分け入ってくるのではないか。そしてこの匂いこそが生きとし生けるものの心を弾ませるのではないか▼まさに三寒四温を繰り返しながらゆっくりとやってくる春の使者を待ち構えていると、なるほど4月に新学期、新年度を定めた日本人の感性というものが理解できるような気がしてくる。


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