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子供達の成長を見る事で、自分も成長できる

 
 3月18日(金曜日)
区内中学校の卒業証書授与式。
 学校再編事業の際の統合委員なので、毎年案内状を頂き出席する。
 区議や近隣の児童館長、町会長、小学校PTA会長、などが来賓として出席。控え室ではもっぱら地震の話。
 
 式典では国歌斉唱は普通に行われているものの、毎回生徒達の声は小さい。
他の学校はどうだろうか。学校側の指導に問題はないのか。
 冷え切った体育館で厳粛に式典は実施された。
卒業生、在校生によるコーラス、「手紙」や「旅立ちの日に」、などが歌われる。
 こういいった、堅苦しくも思える式典に臨むことは大人社会に入る一歩となる。
 来賓の挨拶や、出席してもいない区教委や区議会議長の祝辞代読に付き合わされることも社会人となるための訓練だ。
  37年前の私自身と比べてみると、彼等の方がず〜っと大人びて見える。当時の私はもっと幼稚だったろうと気恥ずかしくなる。
 こうして子供達の成長を見ていると、これからの日本に期待できるナニカを感じないわけにはいかない。
 
 そんな式典の最中も保護者席のほうからは、乳幼児の喚き声や床を走り回る足音が常時響き渡る。
 普通なら親が気を効かせて、子供を会場外に連れ出すところであろうが、そういった気配りがない。
 自分が子供の卒業する姿を見たい、という欲望だけが支配しているのだ。
 夜中に子供連れで居酒屋を徘徊する夫婦と同じ。自分が飲みたいという欲望に勝てないのだ。
 
 まあ、来賓席の先頭に陣取った区議会議員も同様だ。
支持者のところの卒業生が前面に立つと、カメラを手に席を離れて撮影を始めた。
 こういった、区議会においてはこの程度の区民・保護者で釣り合いが取れているのか。
 
 昨年の卒業式では「出席」と返事をしながら、欠席してしまった。
前日に区役所を訪問したところ突然に逮捕されてしまったからだ。
ちょうど、去年の同じ3月18日。今日は逮捕一周年と言うわけだ。
 昨年6月25日に中野区役所を訪問し、「住民票を取りたい」、と言ったところ経営室の高橋均は、「中野区のやり方を批判する人間は中にいれない」、と中野区の方針をカメラに向って公言した。
 そんな人間を来賓として卒業式に招くのは問題ではないのか。
全く整合性が取れていない。

コメント
被災者に 又関係者に見舞いの言葉は無いのか?
  • 地方の支持者
  • 2011/03/19 9:02 AM
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