大津波で妻と息子を失った市職員 「負けないで」と被災者に呼びかけ
産経新聞 3月18日(金)22時24分配信
拡大写真 |
名取市職員の西城卓哉さんが書いたメッセージ=18日午前11時52分、宮城県名取市の名取市役所(沢野貴信撮影)(写真:産経新聞) |
[フォト]仙台空港の管制塔ではレーダー室も津波被害に
3月11日。激しい揺れを感じた西城さんはすぐに、職場から由里子さんの携帯電話を鳴らした。一瞬つながったが声を聴けず、途切れた。すぐに市役所は地震で大混乱、職員としてさまざまな対応に追われ、気が付くと12日未明になっていた。ようやく自宅マンションへ戻ると、エレベーターは止まり、泥に足をとられた。部屋に入ると、2人の姿はなかった。近くの由美子さんの実家へ向かった。
毛布、食料、紙おむつ…。寒さと飢えをしのげるよう紙袋に目一杯詰め込んで、必死に歩いた。「あとは、2人を見つけるだけ」。しかし、周辺に原形をとどめる家はほどんどなく、がれきの山だ。ひょっとしたら、がれきの下敷きになっているかも知れない…。由美子さんの実家を目指しながら、一晩中捜した。しかし、実家も建物はなくなっていた。
翌日夜、由里子さんの母親とようやく出会えた。自衛隊のヘリコプターに救出されたのだという。憔悴しきった義母は「2人とも流された。どこにも姿がないの…」という。絶望的な気持ちになったが、わずかな望みを信じ捜索を続けた。
しかし、直人くんとみられる遺体が安置所にあると聞き、15日夜、身元を確認した。「肌着も服もよだれかけも、妻が好んで着せる組み合わせだった」。安置所で死亡届を出すと居合わせた同僚職員が泣き崩れた。
職場の後輩だった由里子さんと出会ったのは3年前。「誠実で信頼できる人」と一目で直感し、6月14日の由里子さんの誕生日にプロポーズした。昨年7月には直人くんが生まれた。幸せだった。デジタルカメラには、3人で迎えた最初のクリスマスの写真が保存してある。今年2月に撮影した1枚は3人で写った最後の写真。眺めていると、さまざまな思い出があふれてくる。
それでも西城さんはメッセージを書いて、市役所玄関ガラスに貼り付けた。
『最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。
いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう精一杯生きます。
被災されたみなさん。
苦しいけど
負けないで!
名取市職員 S』
地震発生からちょうど1週間の18日午後2時46分、西城さんの職場でも黙祷を告げるサイレンが鳴り響いた。(吉田智香)
【関連記事】
「あの日、何もかも変わった」戦後最大の国難
屋内退避の住民、県外避難始める 福島・南相馬
【東日本大震災から1週間】帰らぬ妻「家族は1人欠けても…」
不安、情報不足… 広島大病院、放影研に問い合わせ相次ぐ
被災した宮城・岩沼市の医師が避難所回り巡回診療
東北地方を襲った大地震 いざというときに身を守るためには…
最終更新:3月19日(土)0時52分