Amid Shortages, a Surplus of Hope
By RYU MURAKAMI for THE NEW YORK TIMES
物資不足でも、希望は溢れている
村上龍
先週の金曜日、午後のまだ早いうちに、私は横浜の港町にある自宅を出た。そして午後3時少し前、常宿にしている東京、新宿のホテルでチェックインした。大抵一週間のうちの3・4日を執筆したり、資料を集めたり、その他もろもろの仕事をこなすためにそのホテルを利用しているのだ。
私が部屋に入ったその時、地震は起きた。瓦礫の下敷きになってしまうと思い、水の入ったボトル、クッキーの箱、ブランデーの瓶を掴んで頑丈そうなライティングデスクの下に飛び込んだ。今になって考えてみると、もしその30階建てのホテルが崩壊したとしたら、私に最後のブランデーを味わう余韻はなかったと思う。しかしこれ程度ではあるが、防衛手段をとったことで、私は完全にパニック状態にならずに済んだ。
すぐに拡声装置から緊急のアナウンスが聞こえた。「当ホテルは徹底した耐震構造のもと設計されております。建物が崩壊するという危険性はまったくございません。どうぞ皆様ホテルから逃げようとなさらないで下さい」このアナウンスは数回繰り返された。最初これを聞いて私は、本当なのかと疑問に思った。人々を落ち着かせるために、ただこう言っているだけなのではないか?と。
そしてその時私は、深く考えることもなく、この災害に私の基本的なスタンスで対応することにした。それは、今は少なくても、状況に関して自分よりも良く知り、知識も豊富な人々や団体の言葉を信じようというものだ。私はこのホテルは倒れないと信じることにした。そして実際ホテルは倒れなかった。
日本人は「集団」の規則を忠実に守り、そして逆境に直面した時には、協力体制を築くことに長けているとよく言われることがある。今、それを否定するのは難しい。勇敢なレスキュー隊による活動や救助活動はノンストップで行われ、これまで略奪は一度も起こっていないと伝えられている。
だが、集団の目から離れると、我々は自己中心的に行動する傾向もある。そしてそうした行動は反乱のようだ。まさに今、それが目の前で起きているのだ。米、水、パンなどの必需品が、スーパーやコンビ二から消えている。ガソリンスタンドではガソリンが売り切れている。買い溜めをする人でパニックが起きている。集団への忠誠心が試されている。
しかし今、我々の最大の関心は福島の原子炉にある。大量の矛盾する情報が錯乱している。状況はスリーマイル島よりも悪いという人もいれば、チェルノブイリと同レベルだという人もいる。放射能が風に乗って東京へ向かっているから、屋内に待機して、安全なヨウ素をたくさん含み被爆を防ぐ昆布を食べろという人もいる。アメリカ人の友人は、関西へ逃げろと私に忠告した。
東京を離れている人々もいるが、大半の人々は留まっている。「仕事があるから」という人もいれば、「友達やペットがいるから」という人もいる。また、「チェルノブイリ級の惨事になったとしても、福島は東京から200キロ以上離れているから」という人もいる。
私の両親は九州にいる。しかし私はそこへ逃げるつもりはない。東京に残りたい。家族と友人、そして被災者の方々の側にいたい。彼らが私に勇気をくれるのと同じように、勇気を与えたい。
そして今は、あのホテルの部屋で取ると決めたスタンスを取り続けている。情報が豊富な人々や組織、特に私がウェブで読んでいる科学者や医者、エンジニアの言葉を信じようと思う。彼らの意見や判断の多くは報道されていない。しかし、彼らの情報は客観的で正確だ。私は耳に入ってくる情報のどんなものよりもその人たちの情報を信じている。
10年前に中学生が国会でこう演説する小説を書いた。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。でも、希望だけがない」
今日、まったく逆のことを言う人もいるだろう。避難所は深刻な食糧、水や薬不足の問題に直面している。東京でも一部の商品や電力が不足している。私たちの生活は脅かされ、政府や電力会社は適切な対応をしていない。
多くを失ったが、希望が我々日本人が取り戻したものの一つであることは間違いない。巨大な地震や津波は多くの命や資源を奪った。しかし、これまで自分たちの繁栄に酔いしれていた我々は、再び希望の種を植えたのだ。だから、私は信じることを選ぶ。
Published: March 16, 2011, translated by F. McCathy from Japanese, and translated back to Japanese by mozawa
(出典: The New York Times)
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