2011年3月16日15時0分
松島や、ああ松島や――。大津波は、名勝も襲った。「日本三景」の一つ、宮城県・松島は汚泥に覆われ、静まりかえる。多くの観光客も被災し、国宝・瑞巌寺に避難している人たちもいる。
松島湾を望む絶好のポイントである中央広場に人影はなく、桟橋に大小の遊覧船が停泊しているだけだ。地面は汚泥で覆われ、広場にある町観光協会の建物わきでは、泥だらけの観光パンフレットを職員が片づけていた。
中心部を走る国道45号は一部が冠水したまま。道路わきにある伊達政宗の茶室「観瀾(かんらん)亭」に続く門や生け垣は水に流され、傍らにボートが乗り上げている。
伊達家の菩提(ぼだい)寺、瑞巌寺の本堂につながる約180メートルの参道も泥で覆われた。国宝の本堂に被害はなかったが、やはり国宝の庫裏と廊下の壁に数カ所ひびが入った。政宗の青銅像や伊達家2代藩主・忠宗の位牌(いはい)も落下して破損した。「庫裏は400年前に建てられた貴重な建造物。被害が出て残念だが、崩壊するまでにならなくてよかった」。同寺宝物課の新野一浩さん(45)は言う。
参道の前に軒を連ねる土産物店では、店の人たちが店内の泥をかき出していた。「明るい時間しか作業できないからね」。店の女性(38)によると、地震そのものの被害は小さく、こけしや瓶が倒れたくらいだった。「津波が来るぞ」という叫び声を聞き、観光客らと一緒に参道を走った。しばらくして店に戻ると、店の商品はすべて押し流されていた。
一緒に泥の処理をしていた群馬県伊勢崎市の大学2年、渡辺智彦さん(20)は、1人で瑞巌寺の宝物館地下にいたところを地震に襲われた。立っていられないほどの大きな揺れだったが、寺の職員らに助けられ、何とか脱出した。
避難場所は瑞巌寺の修行道場だった。普段は立ち入りできない建物だ。観光客や住民約300人が寝泊まりし、修行僧らが食事の世話やトイレの水くみをしてくれた。被災した土産物店からは食料も差し入れられた。
宿泊場所や食事を提供してくれた寺への恩返しのため、浸水した参道や土産物店の片付けを手伝った。ラジオからは、ほかの被災地の甚大な被害が流れ続けている。「ぼくらは幸せな方です。食事も暖かい布団も用意してもらえている。お寺や松島町の皆さんに本当に感謝しています」
道場に避難中の岩手県宮古市宮町、宮本沙奈恵さん(28)は友人と松島観光に来ていた。午後3時の遊覧船に乗ろうとしていた時、地震に遭い、近くの広場に避難した。足元の地面が割れ、津波と聞いて寺まで走って逃げた。
宮古市には夫の靖大さんが残っていた。夕方、携帯電話に連絡があった。
「大丈夫か」
「無事でよかった。うん、私は大丈夫」
そう答えた所で、電話は切れた。その後はいくら電話してもつながらない。
14日、仙台駅まで臨時バスで帰ることになった。宮古市の自宅に帰るか、大阪府堺市の実家にいったん身を寄せるか。相談した友人から「被災地に行っても、会えるかどうかわからない」と言われ、堺市に向かうことに決めた。
「夫に声が届かないことが、こんなにつらいとは思わなかった」(佐々木隆広、伊藤和行)
【被災した方へ】避難所では、「地震が来た、逃げろ」といって「地震ごっこ」をする子どももいます。恐怖体験を乗り越えるための遊びの一つなので、周囲は目くじらを立てず見守ることが大事だそうです。臨床心理士からのお話でした。 #jishin(23:42)