始業式から1ヶ月が過ぎ、新しいクラスでの生活にだいぶ慣れた。
窓の外を見ると、とうの昔に花びらが散ってしまい、緑の装飾を身に着けた桜の木が暖かそうな陽気をその身に受けて佇んでいる。
ふと教室を見ると、お昼休みも半ばに差し掛かっており、クラスの半数以上は食事を終え、雑談でにぎわっていた。
陽気のせいか、食後の胃が落ち着いてきたのか、はたまた最近バイトが忙しく、毎日深夜まで働いていたせいか、とにかく眠気が押し寄せてきた。
つるんでいる友人は食堂に行っており、自分で弁当を作ってきている俺は特に話す相手もいない。
そんな中、わざわざ眠気を我慢して起きているというのは体力の温存という意味では得策ではない。
そう、理由をつけ、早々に昼飯を取り、残りの昼休みを寝て過ごす。
「……藤堂君。ちょっと起きて貰えないかしら?」
ふと、顔をあげてみてみると見知らぬ女性が立っていた。
毎日丹念に手入れされているのだろう、ハリのある真っ白な肌。水晶のように澄んだ瞳は蛍光燈の光を吸収して輝いている。出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいる完璧なプロポーション。1000人いれば999人が振り返る美貌。
ダーツバーでバイトをしている為、着飾った綺麗な女性を見る機会が多いが、それらの女性が一般人に見えてしまう程圧倒的な存在感があった。
思わず見とれていると――
「……あの? 藤堂君? 起きてる?」
声をかけられているのは理解していたが、寝起きのため思考がついていかない。
半分寝ぼけた頭で考える。
お店の常連にこんな人いたかな? あれ? 今学校だよな? もしかしてこれって夢なのか? もう一度寝なおせば幻も消えるかな。
「……おやすみ」
「ちょっと! なんで寝なおすのよ! 起きてよぉっ!」
見知らぬ美女がゆっさゆっさと身体を揺すってくる。
「……すいません。開店は17時からなので後程お越しください」
「……ううっ。……いい加減起きなさい!」
なにやらすすり泣く声と苛立っている声が聞こえてきたので再び顔を上げる。
目に涙を溜めて俺を見ている美女。
「……えっと。どちら様ですか? 俺に用事でも?」
ようやく会話が成立した事にほっとしたのか、一瞬呆けた後気を取り直した模様。
「他ならぬ藤堂君にお願いがあるの」
「俺に?」
この様な美女は知り合いにいない。それだけは断言できる。ましてやいきなりお願いされるなんて想像の埒外である。
「私にダーツを教えて欲しいの」
「ごめん。無理」
願い事を一言で断られて目が丸くなった。
「ちょっと! せめて話を最後まで聞いてよ!」
更に食い下がろうとしてくる彼女にこの話はもうおしまいとばかりに昼寝の体勢をとる。
取りつく島がなく慌てた様子だったが、次の言葉により形勢が引っくり返る。
「それなら、バイト先にあなたが高校生だとばらすわよ」
慌てて起き上がったせいで椅子が倒れ周りの注目を集める。
細められて鋭くなった視線を目の前の敵に対してぶつける。
「ちょ、ちょっと……そんなに睨まないでよ。話を聞いてほしいだけなんだから」
「……場所変えるぞ。ここで話すのはまずい」
※
「んで? なんで俺のバイトの事を知っている? ダーツを習いたいってどういうことだ?」
不機嫌なのを隠すこともせず話し始める。
普段なら初対面の相手にそれほど失礼な態度はとらないのだが、今回は特別だ。
「ちょっと! 一度に聞かれても答えられないったら! バイト先の事は友達に聞いたの」
「なんで俺があんたにダーツを教えないといけないんだ?」
「あんたって失礼ね! ちゃんと名前で呼んでよ……」
「俺あんたの名前知らないんだけど?」
そういうと、謎の美女は整った顔を崩し笑い出した。
「おい! 何がおかしいんだよ?」
「ごめんなさい。そういえば初対面だったわね。長い付き合いになるかもしれないから自己紹介しておくね。私は武井理沙。これからよろしくね、パートナーさん!」
まだ引き受けてもいないのに何を言ってるんだ? 言葉に含むものを感じたが、何故ダーツを習いたいのか知りたいためスルーしておく。
「……それで武井さん? どうしてダーツを習いたいんだ?」
今まで笑っていた武井が塩の塊を口に入れたような顔に代わる。もっとよく表情を見ようとすると目を反らし小声で話し始める。
「……父と賭けをしたの……」
父親という言葉に心が反応する。その瞳は一瞬憎悪で満たされたが、こっちの方を見ていなかった武井は気が付かなかった。
「親子の賭けのためにわざわざ俺を巻き込もうと? ダーツバーでバイトしてるってことは知っているかもしれないが、俺は今一人暮らしをしている。生活費を稼ぐので精一杯なんだ。悪いけど無駄な時間を割いている余裕はない」
そう言うと、武井の顔がますます絶望に変わった。
「それなら! 私がダーツを教わる分、藤堂君の仕事手伝うわよ」
手を叩き、グッドアイデアとばかりに笑顔で提案をしてくる。
「ダーツ教わる分って……、炊事・洗濯とか買い物だぞ? あんた料理とか洗濯できるのか?」
「えっと……スクランブルエッグぐらいなら……」
明後日の方向を見て頬をかいている。
「もしかして料理できないのか?」
「違うのよ! 卵焼きを作ってたら気が付いたらスクランブルエッグになってたというか……。料理以外なら力になれると思うの!」
「ハァ……。とりあえず熱意はわかったが、親子でダーツ勝負結構じゃないか。無理に特訓とかしないでもいいんじゃないか?」
「……そんな事言って。私が負けたらあなたも後悔することになるわよ?」
何やら先程から含みをもたせているのがやけに気になる。
「なんかさっきから言いたいことがあるみたいだけど、回りくどいのは面倒なんではっきりと言ってくれないか?」
「父との賭けの条件の話よ。私が父に負けた場合、ダーツの日本チャンピオンの息子さんと結婚すること。これがどういうことかわかるかしら? 現日本チャンピオン藤堂幸三の一人息子の藤堂直哉君」
「……っは? 今なんて言った?」
「だから! 私が父とのダーツに負けた場合、藤堂君と結婚しなければならないのよっ!」