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  戦国異端記 作者:YAMASAN
27話 九州征伐1
 同年 8月 厳島いつくしま 安芸あき

 「さすがは大毛利家」
 俺の横にいる秀吉は素直に褒めちぎった。
 厳島の宮尾城から眺める広島湾は絶景だった。
 日本三景と名高い景色なのだから感動もひとしおである。
 景色もそうだが、厳島神社の影響力、海上交易の利点から日本の歴史にもたびたび登場する。
 波がまだ出てから時間の経っていない太陽に反射してきらめいている。

 「殿様、これは」
 秀吉は傍らにいる人物に視線を移す。
 「おお」
 陽光差し込むような笑みを浮かべて信忠は答えた。
 信忠も眼下に広がる景色に驚きを隠せていない。
 ここにいる人物で例外はいないだろう。
 
 広島湾には織田家の幟をたてた軍船で埋まっていた。
 数百名をのせた大安宅船おおあたけ、鋭い船首の関舟、海面をイナゴのように無数に飛び回っている小早船。
 その数はおそらく千隻を超えている。
 これらの船は外洋に出る能力は低い。しかし、日本近海では圧倒的な力を持っているだろう。
 もちろん忘れてはいけない。
 俺の手勢。
 宇喜多水軍のガレオン船もこの中に含まれている。
 質では負けていない。いや、むしろ勝っていると自信があるが数ではとても太刀打ちできない。
 できるものではない。

 千隻を超えるであろう大船団が湾一杯に広がっている。
 信忠は2代目にふさわしい、素直な心をそのまま出した。
 「さすがは毛利軍!!!」
 織田水軍の主力である九鬼水軍が今北条に向かっている。
 だというのにそのはるかに離れた西でこれほどの艦隊を編成することができるのだ。
 この時代、日本最強の水軍の名をほしいままにしていた毛利だからこそだろう。
 敵にするにはこの上なく恐ろしいが、味方となるとこれほど頼もしいものは無い。
 先年(とはいっても1581年なので3年前)の織田との戦からここまで立ち直った。
 毛利水軍、完全復活といってよい。
 秀吉も信忠も俺と同じ意見だろう。
 目と顔の表情も見ればわかる。
 秀吉は小早川隆景の方に振り向き
 「こりゃあ」
 と呟いた。
 それ以上は何もいわない。
 褒め言葉は秀吉の主である信忠に言わせたほうが良いという配慮である。
 秀吉はこういうことによく気の回る男だった。
 「又四郎殿。見事な働き、感謝する」
 信忠は秀吉の意図を汲み、信長譲りの高く、するどい声で言った。
 しかし、天性のものである、天真爛漫な明るさが自然と備わっている。
 2代目気質らしい信長には無いものだった。
 小早川隆景は思慮深そうな顔に控えめな忍び笑いを添えて答えた。
 「全てはわが主、輝元様が上様のために一意専心に尽くした故でございます」

 わざわざ輝元の名を出す。
 先代の毛利家当主、毛利元就の教育が行き届いているというのか、律儀なのか。
 凡将である輝元をいちいち立てる。
 いずれにしよ小早川隆景という人柄がよくわかる。
 真面目な男だ。
 「うむ。上様もこれを聞けば喜ぶこと間違いなかろう。よう伝えておく」
 もし、本当に信長がこれを見る。もしくは知ったらどうなるのだろうか。
 毛利をいつかは滅ぼそうとするに違いない。
 いや、まずはあの手この手を使い毛利の力を削ぎ、その後ゆっくりと毛利を追い込んでいくだろう。
 どちらにしろ毛利に生き残る道は無い。
 「宇喜多殿のがれおん船といったか。あれも見事のものよ。見よ。ひときわ大きく、異彩を放っておるわ。期待した以上のものであった」
 信忠、いや信忠様はありがたくも俺へのフォローも忘れなかった。

 「は、全ては上様のご意向と信忠様の徳、故にございます」
 俺は答える。
 「うむ、うむ。父上にもしかと伝えおく」
 信忠は満足げに頷いた。

 

 俺や信忠、秀吉が安芸にいるのはもちろん戦のためだ。
 九州征伐。
 もしくは九州攻め、島津攻め、九州平定など呼び名はいろいろある。
 史実では近畿、四国、中国を平定し天下統一への道を順調に進んでいた秀吉と島津との戦いである。
 しかし、今総大将は織田信忠であり、副大将として羽柴秀吉が任命されている。
 信忠と秀吉は安芸に来る前、俺の領地である備前にも足を運んだ。
 当然である。通り道なのだから。
 俺はこれを機会に信忠にガレオン船を見せた。
 性能の面ではまだまだポルトガルから取り寄せたガレオン船にはとてもかなうものではない。
 しかし、形だけはしっかりとしたものができている。
 信忠は素直に驚いてくれた。
 「おお、これは船なのか。わしはこのような巨大な船始めてみたぞ。
 これを見れただけでも父上に取り成したかいはあったものだ」
 と子供のように目を輝かせてくれた。
 その後、九州で戦ということだった。
 俺はこれをいい機会ととらえ、城を飛び出した。
 信忠と秀吉を伴って喜んで安芸までガレオン船で案内した。
 後の領地の運営は長船貞親に任されることとなった。
 不本意ではあるが……
 そこで俺はなんともいえない不満と不安を消し去るために城に詰めている兵の指揮権を戸川達安と岡利勝に任せることにした。
 長船の悔しそうな顔といったら。
 ざまぁwww


 そんなこんなで安芸まで来ることとなったわけである。


 元に戻そう。
 信忠はそのまま広島湾に目を向けたまま子供のころからの呼び方で
 「籐、申せ」
 そう秀吉に言った。
 九州征伐の作戦概要を述べよということだった。
 すでに作戦計画は評定を経ており、皆も承知である。
 俺も出席した。
 もちろん信忠も参加している。
 
 もう一度、この景色、艦隊を眺めながら聞きたくなったのだろう。
 気持ちはすごくわかる。
 無邪気なものだ。

 「へっ」
 秀吉は素っ頓狂な声を出した。
 が、目は真剣だ。頭はフルに回転しているのだろう。
 「わが方は四国の長宗我部元親の軍を合わせますると15万になり申す」

 長宗我部元親ちょうそかべもとちか
 土佐の小さな、そして貧乏な国人からいっぱしの戦国大名に出世し、四国の覇者となったころには、自信のあずかり知らぬところで既に天下の情勢は決していた。
 この不幸は男は、信長という才能を最も早く気づき、評価していた人物の1人である。
 信長がまだ地方の1大名に過ぎないうちから親交を深めていた。
 彼の不幸はその地理的情勢から始まる。
 戦国時代の土佐、いや、現在の土佐もそうであるが山地率は90パーセントに及ぶ。
 ちなみに全国平均は約50パーセントと考えればその険しさがわかるだろう。
 これは耕地面積が日本で最低であるということである。
 長宗我部元親は家臣を食わせていくために土佐の統一を決意する。
 この当時土佐は土佐七雄、もしくは土佐七豪族といわれる本山氏、安芸市、一条氏、吉良氏、津野氏、長宗我部氏、香宗我部氏等の群雄割拠であった。
 この中で長宗我部元親は一代で勢力を拡大し、土佐を統一する。
 土佐を統一した長宗我部元親が次に目指すのは四国の統一だった。
 特に阿波、讃岐は混沌としていた。
 京に近かったためである。
 京で敗れた魑魅魍魎の輩(三好氏など)がいったん讃岐や阿波に逃れ再び力をつけようと雌伏の時を過ごすことが繰り返されてきたからである。
 しかしそれらも武力と調略を織り交ぜ突破する。
 そしてあと少しで四国統一も目前というところまでこじつける。
 しかし、彼の本当の敵は時流にあった。
 既に信長が畿内を統一し、その手は四国にまで及ぼうとしていたからだ。
 四国という京に近い地理上、信長にとっては四国はただ刈り取る場であった。
 譜代の家臣への領地、自信の直轄領を増やすための選択だった。
 そして何より不幸なことは信長が長宗我部元親への評価としてただの地方の一大名としてしか見ていなかったことにある。
 信長は長宗我部元親に向かって「あれは鳥なき島の蝙蝠こうもり」と揶揄した。
 「鳥なき里の蝙蝠」という慣用句をもじった言葉である。
 優れた武将のいない島(四国)で幅を利かせている蝙蝠(長宗我部元親)ということである。
 本能寺の直前、ちょうど信長は正にそれを実行しようとしていた。
 信長は三男、信孝、丹羽長秀に命じて四国の切り取りを実行しようとした。
 しかしそこで本能寺の変が起こる。
 信長自信は辛くも落ち延びることとなったが他のものはそうではなかった。
 一時は近畿一帯を支配することとなった明智光秀によって政権の中枢を担うべく育ててきた官僚がいなくなった。
 森蘭丸もりらんまるというと信長の小姓として、けつを差し出すぐらいの価値しかないと見られがちだが、それ以上に膨れ上がった信長の領地の行政担当の面のほうが大きかった。
 さらに各地に飛び火した反乱の目を消す必要も出てきた。
 信孝、丹羽長秀の軍勢は本能寺の変で自然と立ち消えることとなる。
 信長に四国の相手をしている暇は無かった。
 この空白のときを狙い、長宗我部元親は四国を統一する。
 信長はこれを見て昨年、嫡男信忠と羽柴秀吉に命じて四国征伐を命じる。
 俺、宇喜多家にも四国征伐への参加を命じられるかと思ったが案外あっけなく四国征伐は終わった。
 もともと信長について他者よりも高い評価を持っていた男である。
 戦国の習いにしたがい、勝てないとわかると和平交渉を早急に進めだす。
 もちろん、信長はすぐには納得しない。
 長宗我部元親は苦渋の決断をする。
 自身の息子、それも嫡男を和平交渉の使者として使った。
 暗黙の無条件の人質である。
 この時代人質は珍しいことでない。
 が、嫡男はめったに無い。それもまだ敵国であるのにだ。
 俺など母しか出していない。
 桃寿丸を出さなくてはいけないとは思っているし、催促もきているのだがなんとか待って貰っている。
 少し渋ったほうが桃寿丸の価値も上がるし、宇喜多家で少し実績を積んだほうが織田家での待遇も良くなると判断したからだ。
 信長はこの長宗我部元親の覚悟を受けて和平を受け入れる。
 もちろんただではない。
 阿波、讃岐さぬき、|伊予(伊予)の一部を条件とした。
 長宗我部元親も粘るに粘ったが最終的には受け入れることとなった。
 これにより、長宗我部元親は織田家の外様となった。

 

 「まず吉川元春が、大友宗麟と合流し東から豊前、豊後に進みまする。
 備後の日向において長宗我部元親ら四国勢と合流しさらに日向に向かって進捗いたしまする。
 わが弟、小一郎らは筑後、肥後の西を行きます。途中龍造寺と合わさりまする」
 そういって秀吉は自身の2本の手をうねうねと動かす。
 九州は2本の手でからめとると言いたいのだろう。
 簡単にいえば九州北部の在郷勢力と手を結び、東と西から2手に分けて進軍するつもりだということだ。
 「この軍勢は各々3万5千。合わせて7万になりゃあす。
 島津10万にはちと足りませぬ」
 ここで秀吉は手を叩いた。 
 「島津はこれぞ好機と見、うってでるりゃあす。
 これを見てわしらはあの波のようにゆらゆらただよいまする」
 そういって広島湾を指差した。
 「島津が勝どきを上げんとするころ、殿様率いる12万が錦江湾へとなだれ込みまする」
 そういって広島湾に集結している大船団を両手で包み込んで抱き上げた。
 
 うん。わかりづらい。
 簡単にしよう。
 秀吉が言いたいことを要約するならば、織田軍は手勢を3つに分けることになる。
 大分から宮城へと東のルートを行く吉川勢。西から佐賀、熊本と下がっていく小一郎秀長の部隊。
 この2つが陸のルートを行くことになる。
 この2つの部隊はそれぞれ約3万程度。島津は総勢10万ある。
 島津はこのチャンスを逃すはずがない。
 各個撃破の好機と取り、軍勢を北へと動かすに違いない。
 もちろん陸のルートを行く2つの部隊は勝てないだろう。
 いや、負ける。
 しかしこの計画の立案者、秀吉、もしくは官兵衛その両名はそれでいいと考えている。
 負けたら引けばよい。相手が出てきたら引く。
 相手が引いたら出て行く。これを繰り返せばいい。
 島津はどちらかに戦力を集中させ一方を叩いた後、もう一方を叩こうとする。
 各個撃破の習いどおりに。
 島津が戦力を集中させたほうは逃げ、その隙にもう一方がより深くに侵入する。
 これを繰り返せばよい。
 そして北部に釘付けになっているうちに信忠率いる主力軍が鹿児島湾に上陸し内城を包囲、殲滅する。
 前線で戦っている兵は、いきなり本拠地が落とされることとなる。

 おとり部隊が敵をひきつけその隙に敵の根拠地を奪う。
 なんてことは無い。良くある、従来の戦である。常識といってもいい。
 それを陸と海でやってのけることと、総勢12万と言う大群でやってのけることが秀吉の恐ろしさだろう。
 
 秀吉の得意げな様子はここにいるもの皆に静かな笑いを誘った。
 信忠も例外ではなかったのだろう。
 「見事な策だな。しかし島津がそれに乗ってこなければいかがする」
 信忠は微笑とともに質問した。
 本気で問うているのではない。それがはたから見てもわかるものだった。
 「せん無きこと。そのような時は陸から押し出す軍勢が島津の支城を落とし、ゆるゆると進みましょうぞ」
 真面目な小早川隆景さえも自然と笑みが漏れている。
 「籐、よう言うた」
 信忠は信長譲りの褒め言葉を口にした。
 如何に強兵でもってなる島津兵でもこれではどうしようもないだろう。
 九州が織田の傘下となることは決まったも同然である。
 あとはどれほどの時間がかかるかだけだった。


 「行ったか」
 長船貞親はボソリと呟いた。
 「左様で、ここぞとばかりに嬉々として飛んでいかれたようですね。
 いやはや、そうとう嫌われたようですね」
 傍に控えていた小西隆佐は主である長船貞親の顔色をうかがうように見上げた。
 「ふんっ」
 長船貞親は鼻で笑う。
 「支障なく進んでおろうな」
 長船は立ち上がり西の方角を見下ろした。
 岡山城には未だ天守閣はない。
 しかし城の頂上、今、長船貞親がいる場所からは城下一円が見渡せた。
 本来なら、秀家のみが座れる席に長船は座っている。
 止めるべき唯一の人物である忠家は岡利家と共に安芸まで軍を率いているので止めるものもいない。
 「それがですね……」
 小西隆佐は言いにくそうに続ける。
 「それが、秀家様は留守役の内政を長船様に任せることを了承されましたが、
 城に残る兵の統治権を岡利勝様と戸川達安様に譲られました」
 長船は苦味をつぶしたような顔をする。
 「秀家め。愚作だな。わしへの牽制ということか。それ以上の含みがあるのか……」
 長船は思考をめぐらした。
 「あの小倅どもは秀家派ということか?」
 「いえ、表立ってそのような態度を示したことはないと思いますが。
 多分、少し性急に事を起こしすぎたのでしょう。長船様に対する不満が出てきたのかもしれません」
 「我らには時間が無いのだ。わかっておろうな」
 「はい。幸い計画の障害とはならないと」
 「まぁ小倅どもに何ができるというわけでもないか」
 そういうと高笑いをする。
 「御意。それと詮家様から不穏な動きがあるという報告も上がっております」
 「それも問題ないだろう。早急に何かを動かすわけでもないだろう」
 「はい。まだ、そこまでには至っていないかと」
 忠家の息子も困ったものだ。
 一門なら何をしても良いと思っているのか。
 秀家への対抗心が強すぎるな。
 詮家の父である忠家が秀家にべったりなのが許せないのだろう。
 捻じ曲がっているな。
 それにしても高をくくりすぎている。
 いつかは、対処が必要だろう。
 今はまだいい。今はまだ。
 「しかし、長船様ももまるで奸臣ですな。主の留守を喜んで、その間に計をめぐらす」
 小西隆佐は目を伏せたまま言う。顔は歪んでいた。
 「まるで? 奸臣そのものだよわしは。少なくともこれからそうなる」
 長船は西を眺めながら答えた。
 


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