不屈の国、日本、 〜日本の歴史は復興の歴史
三橋貴明さんのブログ、ちょっと感動しました。今日のこの記事を読んで、たしかにそのとおりだと思いました。地震の多い島国、でもその島国を愛して、私たちは、なんども地震災害から立ち上がり、復興を続けて、いまここに生活しているのです。ある意味復興の歴史が日本の歴史です。この不屈の国、日本、その子孫が私たちです。先祖に負けないように、私たちもがんばりましょう。
転載開始
わたくしたち日本人は、世界屈指の震災大国に住んでいます。
この国で、地震が頻発する日本列島で、わたくしたちは祖先の代から、何度も「歴史的」な大震災に見舞われ、そしてその度に復興してきました。震災という災害は、個人の力ではどうにもならない「地球の力」によるものです。わたくしたち日本人は、歴史的に何度も震災に打ちのめされ、そして復興することを続けてきたわけです。まさに、それこそが日本人のアイデンティティであり、大石久和氏が言う「震災史観」というわけでございます。
鯰(なまず)絵は江戸時代、江戸でおきた大地震の後、地震よけのお守りとして多く作られた。これを家にはっておけば、地震が来ても家が倒れないと信じられていた。
鯰(なまず)絵「要石」
鯰(なまず)絵の中では、鯰を謝らせたり、退治したりする姿が描かれているが、この鯰絵のように、地震よけの呪文や詩の書いてあるものなどもあった。
鯰絵「鹿島大明神地震御守」
絵柄は、地震を起こすと信じられていた鯰(なまず)を描いたものが多かった。この鯰絵は江戸の地震をおこした鯰が剣でおさえられ、その前で日本各地で地震をおこした鯰があやまっている絵である。
江戸時代に限っても、1703年12月31日には関東地方で「元禄大地震」が発生し、8000を超える家屋が倒壊。死者2300名以上という悲劇に見舞われました。
そのわずか四年後。宝永4年11月23日(1707年12月16日)には富士山が噴火し、東海道や紀伊半島、さらに四国で地震が頻発。死者2万人以上、津波による被害が2万戸に及びました。
その後の日本も、18世紀に限っても、1741年の北海道西南沖大島における火山性地震(死者2033人)、1751年の越後・越中地震(死者1541人)、1771年の八重山地震(死者12000人)、1792年の島原地震と大津波(死者15000人)と、何千人、何万人もの日本人が亡くなる大震災に直面しています。
19世紀に入っても、日本における震災は全く減らず、何度も大地震に見舞われています。1828年には越後三条地震により1600人以上の死者を出し、1847年の善光寺地震では、山崩れや洪水により13000人の日本人の命が奪われました。
そして1854年には安政大地震が発生。数度の地震を経て、死者は3万人を超えたと考えられています。
さらに翌1855年には、安政江戸地震が発生。死者は5000人を越えました。その三年後、安政5年6月19日(1858年7月29日)に、日米修好通商条約が結ばれ、日本は不平等条約の下で「開国」したわけです。
江戸幕府が倒れ、明治政府になった後も、震災による被害が減ったわけではありません。1923年9月1日。日本災害史上、最大の被害を出した関東大震災が発生し、死者は十万人を越えました。
さらに、1995年1月17日。兵庫県南部を震源とする阪神大震災が発生し、6000人を越える大切な命が奪われてしまったのです。
わたくしたちは、列島ゆえに外敵の脅威がない分、震災という自然災害により理不尽に生命を奪われる国家で生まれ、育ち、そして死んでいくのです。ならば、どうすればいいのか。
今回の東日本大震災では、最終的な死者の総数が阪神大震災を超す可能性が極めて濃厚です。恐るべき津波の脅威は、街を街ごと浚っていくという、凄まじい被害を各地にもたらしました。
昨日まで、美しい町並みを誇っていた沿岸の都市が、一瞬にして土砂に埋め尽くされてしまった。凄まじい自然の猛威です。
それでも、わたくしたちは、この日本という国土で生きていくのです。遠い祖先の時代から、日本人は震災の脅威に直面し、実際に震災に会い、懸命に復興しながらこの列島に世界に比類なき文化、歴史を築き上げました。わたくしたちは、彼ら、震災にもめげず、何度も復興しつつ世界に誇るべき国家を作り上げた日本人たちの子孫なのです。何度、震災等の自然災害に直面しても、物事を投げ出さず、ひたむきに新たな生活空間、それも過去よりも素晴らしい生活空間を築きあげた日本人たちの子孫こそが、わたくしたちなのです。
『東日本大震災:英紙「がんばれ東北」…日本語見出し
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110314k0000m040087000c.html
東日本大震災を受け、英日曜紙「インディペンデント・オン・サンデー」は13日、1面に日の丸のデザインとともに、日本語で「がんばれ、日本。がんばれ、東北」と見出しを掲げた。同紙は1面から7面までを震災報道に割いている。また米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は12日、「不屈の日本」と題する社説を掲載した。(後略)』
『 【社説】不屈の日本
http://jp.wsj.com/Japan/node_196990
11日に日本を直撃したような規模の地震からは、どの国も無傷ではいられない。地震では少なくとも1000人が死亡した。その被害にもかかわらず、1億2600万人の人口を抱えるこの島国が、1900年以降で5番目の規模の大地震にいかに適切に対応しているかは、注目すべきことである。三陸沖を震源地とするマグニチュード(M)8.9の地震では高さ約10メートルの津波が発生し、津波は53カ国にも押し寄せた。
この巨大地震にもかかわらず、日本人が母なる大地からのこの猛威を切り抜けるために比較的よく準備ができていたことについては言及せざるを得ない。日本は文字通り、立ち上がっている。いかにすれば、人間の計画と産業社会が自然災害に対処できるかの証として。(後略) 』
『中国、日本人の冷静さを絶賛 「マナー世界一」の声も
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110312/chn11031219080002-n1.htm
地震多発国で東日本大震災への関心が高い中国では12日、非常事態にもかかわらず日本人は「冷静で礼儀正しい」と絶賛する声がインターネットの書き込みなどに相次いでいる。短文投稿サイト「ツイッター」の中国版「微博」では、ビルの中で足止めされた通勤客が階段で、通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している写真が11日夜、投稿された。
「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付いた。
この「つぶやき」は7万回以上も転載。「中国は50年後でも実現できない」「とても感動的」「われわれも学ぶべきだ」との反響の声があふれた。大震災を1面で報じた12日付の中国紙、環球時報も「日本人の冷静さに世界が感心」との見出しで報じた。』
これはあまりにも感傷的、かつイメージ的な話なので書きませんでしたが、3月11日。首都圏の交通機関がストップした中、徒歩で自宅を目指し歩き始めたわたくしの周りには、同じように歩いて帰宅する人々が群れをなしていました。ところが、この後、何十キロも歩いて自宅を目指さなければならないにも関わらず、周りを歩く人々は元気いっぱいでした。
震災は、仕方がない。電車が止まった。仕方がない。歩いて、帰ろう。
わたくしの周りの人々は、誰一人として降りかかった苦難に文句を言う人はおらず、言いたそうな顔をしている人すらおらず、元気一杯で遠い自宅を目指して歩き続けていました。震災で交通機関がストップしたならば、自らの力で淡々と、かつ整然と自宅を目指して歩き続けるわたくしたちこそが、日本人です。
英紙「がんばれ、日本。がんばれ、東北」
WSJ「不屈の日本」
中国紙「日本人の冷静さを絶賛 「マナー世界一」の声も」
大きなお世話です。
わたくしたち日本人は、何百年前、何千年前から、この震災多き日本列島で暮らし、そして死んでいきました。わたくしたちは何千年も、この震災多き日本を愛し、崩壊した街並みを再建することを続けてきたのです。
わたくしたちは、負けない。
転載終わり
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